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木の葉燃朗のばちあたり読書録

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■著者別「か」 -> か    

貝島 桃代・黒田 潤三・塚本 由晴『メイド・イン・トーキョー』 / 梶井純『トキワ荘の時代』 / 角田 光代『愛してるなんていうわけないだろ』 / 角田光代『これからはあるくのだ』 / 鹿島茂『カップラーメンからキャバレーまでこの人からはじまる』 / 鹿島 茂『成功する読書日記』 / カタログハウス編『大正時代の身の上相談』 / 加藤久『完全敵地』 / 加藤主税編著『世紀末死語事典』 / 加藤昌治『考具』 / 構成:金田理恵『グリコのおまけ』 / 金光修『あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since1965』 / 茅野秀三『言葉のうんちく辞典』 / 唐沢俊一『カラサワ堂怪書目録』 / 唐沢俊一『唐沢俊一のB級裏モノ探偵団』 / 唐沢商会『唐沢商会提供 ガラダマ天国』 / 唐沢俊一『カルト王』 / 唐沢俊一:監修『切手をなめると2キロカロリー』 / 唐沢俊一『近くへ行きたい』 / 唐沢俊一『トンデモ一行知識の逆襲』 / 唐沢俊一『トンデモ一行知識の世界』 / 唐沢俊一『笑うクスリ指』 / 唐沢俊一・志水一夫『トンデモ創世記』 / 唐沢俊一・鶴岡法斎『ブンカザツロン』 / 唐沢なおき『唐沢なおきのうらごし劇場』 / カラスヤサトシ『おのぼり物語』 / カラスヤサトシ『萌道』 / 狩野 俊『高円寺 古本酒場ものがたり』 / イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』 / 川上弘美『卵一個ぶんのお祝い。』 / 川上弘美『どこから行っても遠い町』 / 川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』 / 川上弘美『パレード』 / 川上弘美『光ってみえるもの、あれは』 / 川上弘美:文・山口マオ:絵『椰子・椰子』 / 川上弘美『ゆっくりさよならをとなえる』 / 川口和久『投球論』 / 河合一慶『ファミコンランナー高橋名人物語』 / 川原泉『レナード現象には理由がある』 / 川淵三郎『虹を掴む』 / 川淵三郎『日本サッカーが世界一になる日』 / 川原泉:選『川原泉の本棚』 / 川本三郎『雑踏の社会学 東京ひとり歩き』 / 川本三郎『東京つれづれ草』 / 川本三郎:著・鈴木知之:写真『東京の空の下、今日も町歩き』 / 川本三郎:文・武田花:写真『私の東京万華鏡』 / かんべむさし『むさしキャンパス記』 / かんべむさし『むさし走査線』 / 『カラスヤサトシ 4』 / 『カラスヤサトシのおしゃれ歌留多』 / カラスヤサトシ『カラスヤサトシのでかけモン』

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2007-08-16(木)テーマは面白いけれど、本としての作り方がうまくない

メイド・イン・トーキョー貝島 桃代・黒田 潤三・塚本 由晴『メイド・イン・トーキョー』(2001年、鹿島出版会)Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 東京にある建物を写真・文章・図で紹介する本。狭い土地を工夫して活用しよう
とした結果、なんだか奇妙な感じで建っている建物を取り上げる。
 この着眼点は非常に秀逸なのだが、いかんせん本としての作り方がうまくない。

 ひとつは、紹介文が短く、分かりにくい。そこに冗談や茶化しの一文が入っているので、なお分かりにくい。
 もうひとつは、写真が、注目したいポイントがちゃんと映っていないものがある。また横長の写真は90度回転して掲載しているので、写真を見るために本を90度回転しなければいけないページが少なくとも四分の一くらいある。

 最後に著者三名と写真家ホンマタカシ氏の対話があるが、これは「赤瀬川源平」(p.184)なんていう誤植や(正しくは「原平」)、「○○ですよネ」という表記などが気になって、読む気がそがれてしまう。対談の発言から感じ取れる発言者の自信(傲慢さ)も、なんとなく腹が立つ。建物のドローイングを掲載していることについて、「それを藤森さんたちは言葉でやったんだと思う」(貝島氏)、「よく歴史の人たちにはもっと語れっていわれます」(黒田氏)、「いや、これを物語みたいにして語ったら最悪ですよ」(ホンマ氏、いずれもp.185)とか、「やっぱり東京論とかっていうのは傲慢だよ。だれかにまとめられちゃったら、そこでやる意味がないし、ばかばかしいじゃない。それに東京はそんなに簡単なものじゃないと思うんだよネ」(p.186、ホンマ氏)とか。

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2002年11月28日(木) トキワ荘にまつわる2冊(の1冊)
梶井純『トキワ荘の時代』(1993年,筑摩書房)
 サブタイトルは「寺田ヒロオのまんが道」。その名のとおり、寺田ヒロオ氏を中心 にして書かれた昭和マンガ史の断片。トキワ荘に住んでいた、あるいはトキワ荘に 通ったマンガ家や編集者などの回想には頻繁に登場しても、本人を通してはあま り語られることのなかった「テラさん(寺田氏の愛称)」の伝記のような内容になって いる。しかし、寺田氏のみならず、他のマンガ家(トキワ荘およびその周辺はもちろ ん、関西の劇画家も登場する)についても語られる。そして著者自身の思い出、若 い頃見た光景も登場する。
 これまでに読んだことのない視点からの書き方がされていて、面白い。トキワ荘 に関する本をこれまでに読んだことがある人にも新しい発見があると思う。

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角田 光代『愛してるなんていうわけないだろ』 (2000年・中公文庫) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 著者は第132回(平成16年度下半期)直木賞を受賞した作家。元は1991年発行のエッセイ集。恋愛の話や、身の回りの出来事などが書かれている。当時著者は20代前半。だから、キラキラした若さを感じる。私が知っているのは、今の角田氏なわけで、だからこれはなんとも不思議な読書体験。

 内容は、わりととんがっていて、屈折してるなあと思う。一番印象に残ったエッセイ「教師とパンチ」(pp.40-46)を紹介します。
 角田氏は、小学生の頃、他の生徒をひいきし、角田氏を嫌う教師が四年間担任だったせいで、「教師という人々に対してマリアナ海溝よりも底知れぬ深さの不信感を抱いていた」(p.41)。その後ミッション系の中学高校へ進学した角田氏は、高校生の頃に突如天然パーマになった。「思春期にはよくあること」(p.42)らしいが、毎月の服装検査ではいつも「人工だ天然です人工だ天然です人工だ天然ですと、シロヤギクロヤギのばかげた歌のように、地獄の果てまで続くと思われる非生産的な言い合い」(p.42)となった。そこで、高校一年の夏に、角田氏は思い切ってパーマをかけたのである。しかし、「お隣の『パーマやさん』」(p.43)でかけたそれは、「大仏かちんぴらかという」(p.44)パンチパーマであった。その髪の毛で終業式に行くことになった角田氏は、母親の「だーいじょうぶよう。パーマなんてぜえんぜんわかんない」(p.44)の言葉もむなしく、当然のごとく教師に呼び出され、しかも翌日校長先生に親とともに呼び出され、結局ストレートパーマをかけさせられ、許されたらしい。
 こうしてエッセイになったのを読むと笑っちゃうが、最後にある次のような文章を読むと、角田氏が教師不信になったのもよく分かる。「厳しい校則ゆえに私はずうっと人工パーマだと疑われ、ひねこびてパーマをかけたらパンチになり、それは私の青春に傷を作ったばかりでなく、それ以来また私は教師に目の敵にされてしまったのである。/ストレートパーマで許してもらえたんだから、どこかおかしいでしょ、教師も校則も」(p.46)。一本筋は通っていると思う。

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2005.11.07(月) 色々な魅力を感じるエッセイ集
これからはあるくのだ (文春文庫) 角田 光代『これからはあるくのだ』(2003.9,文春文庫)
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 作家角田光代氏のエッセイ。角田氏の、ほのぼのした感じ、ややずっこけた感じと、実は芯が強くて、頑固そうな感じの両方を感じて、興味深かった。なんというか、ユーモラスなんだけれど、うかつに笑うとすごい怖い顔でにらまれそうな、そんな印象を受けた。
 面白かった話をいくつか紹介。

  しかし、ただ面白いだけでなく、「なるほど」と考えさせてくれる話も多かった。やはりいくつか紹介します。  他にも色々な話が登場する。そして、読み終えて思うのは、読む前よりもなんとなく更に角田氏のことが好きになっているということ。それだけ色々な魅力を感じさせるエッセイだった。

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2003年1月1日(水)「人物を語る」
この人からはじまる―カップラーメンからキャバレーまで 鹿島茂『カップラーメンからキャバレーまで この人からはじまる』(2000年,小学館文庫)Amazon.co.jpオンライン書店bk1

 鹿島茂といえば、19世紀のフランス文化や小説の研究家というイメージが強い。あとは古本に関するエッセイですね。しかし、この本は昭和30年代に始まり、今も続く日本の文化史についての本である。それも、キーパーソンとなる1人の人物伝から描いている。
 本書に登場するのは下記の人々。

これらの人々のドラマチックな一生、あるいは半生が書かれている。現在では、当然のものとしてある様々な「文化」も、そのはじまりまでさかのぼると、「プロジェクトX」にも負けないくらいのドラマがある。俺は感心することしきりであった。

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鹿島 茂『成功する読書日記』(2002年・文藝春秋) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 著者の読書日記の間に、本の買い方、読み方についてのエッセイが挟まれた構成。
  最初の見出しが「『量』を軽んずるなかれ」(p.11)。それから、本は、いつ、どこで、買ったか、読んだかを記録した方がよい。買った場合はいくらでという情報も。
 読書指南の部分は(知っていることも多いが)面白い。ただ、読書日記の部分は、本以外の話題がことごとく面白くない。

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2002年4月5日(金) 3月に読んだ本(フリートークにて)
大正時代の身の上相談 (ちくま文庫) カタログハウス編『大正時代の身の上相談』(ちくま文庫)オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス
 大正時代の『読売新聞』に寄せられた身の上相談と回答を集めたもの。当時の 普通の人々がどんなことを考えていたのかが垣間見えて興味深い。

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2006.1.5(木) 「ドーハの『悲劇』」の8年前、伝説の試合の記録
・加藤 久『完全敵地』(2005.11,集英社)
 1986年のメキシコワールドカップを目指し、アジア地区予選を戦ったサッカー日本代表を描いたノンフィクション。当時のことは、これまでも文章で読んだり、テレビで見たりしていた。
 しかし、この本が貴重なのは、著者が当時の日本代表の主将であること。当時のチームの考え方、スタジアムの様子、対戦相手の印象など、いずれも試合に出場した選手ならではの視点で書かれている。

 例えば、平壌でのアジア一次予選、対北朝鮮戦の部分を読んでいると、ものすごい緊張感が伝わってくる。芝は人工芝、八万人近い北朝鮮サポーター、日本のサポーターは、記者を含めても18名。
 その中で、日本と互角かそれ以上の実力をもった北朝鮮代表に圧倒的に攻め込まれながら、日本は猛攻を耐え、0対0で引き分け、二次予選進出を決定的にする。
 この試合の、特に後半に北朝鮮代表の攻撃を必死の守備で跳ね返す日本代表の様子は、読んでいて震えるほどすごい。
 そして、試合後に著者が宿泊していたホテルをとある人物が訪ねてくるシーンには、これぞ「Good loser」と思わされて、涙が出てくる。

 さらに、最終予選での韓国代表との二試合。これについては「伝説の試合」として知ってはいたが、出場した選手の回想で読むと、臨場感が他のノンフィクションとはまた一味違う。
 そして、当時は小学生だったが、この試合の記憶がない自分が恨めしい(おそらく、テレビの中継も見ていないと思う)。
 国立競技場でのホームゲームでの、中継担当NHK山本浩アナウンサーの「東京・千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいているような気がします」(p.167)という名言や、木村和司選手が相手ゴール30メートル前から決めたフリーキック、リアルタイムで見たかった、聞きたかった。
 そう思わせるくらい、当時の様子が鮮明に描かれている。

 この時の日本代表は、残念ながらワールドカップには出場できなかったのだが、それでも人々に強い印象を残した理由が、この本で分かる。
 また、当時はワールドカップ予選でもスタジアムは満員にならず、それどころかホームゲームなのに相手サポーターが多かったとか(p.53)、当時は日本代表の強化のための大会に、海外の代表チームやクラブチームだけでなく日本のクラブチームも参加した(そして日本代表と読売クラブが戦った)とか(p.135)、色々なことも知ることができ、貴重な当時の資料にもなっている。

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2002年12月29日(日) イマイチな3冊
加藤主税 編著『世紀末死語事典』(1997年,中央公論社)
 著者は大学教授。この本は、自身が主催するゼミの学生が集めた死語をもとに して作ったもの。ここでいう「死語」とは、「昔は使ったけど今は使わなくなった言葉」 といった程度の意味である。
 しかし、集めたのが女子大生ということで、ちょっと収録されている言葉が偏って いる。それに、用例や意味を作成したのが著者かどうかわからないが、ちょっと違 うのではないかと思う点もあった。今読むと、用例や備考(女子大生のその死語に 対するコメント)に更に注釈が必要と思われるものも多く、なんとも中途半端な本 だ。
 まあ、適当にぺらぺらページをめくって読むのがいい。間違っても新しい知識を 得ようなどと期待してはいけない。
 ちなみに死語についての本では、小林信彦『現代「死語」ノート』(1997年,岩波新 書)なども面白いですよ。

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2003年11月28日(金) 知的生産の最先端の1冊
加藤昌治『考具』(2003年,阪急コミュニケーションズ)
 著者は広告代理店博報堂の社員。日々アイデアを生み出す仕事をしている。そ の中で使われているのが、この本で紹介されている「考具」だ。考具とは著者の造 語。アイデアを生むため、考えるための道具である。この本では、下記の段階にあ わせて、必要な考具が紹介される。
 ・情報を集める
 ・情報をもとにアイデアを広げる
 ・アイデアを企画に収束させる
 ・行き詰まったらどうするか
 この紹介が、実に無理なく具体的な方法として示される。よくある「知的な生活の ための本」とも共通する部分はあるが、使う場面を限定して、そのかわり実践的な 内容になっている。全部を実行する必要はないが、必要な部分を自分用の方法と して取り入れるといいと思う。
 あとは、著者が言うように「あなたにとっての最大の問題は、『読んで、分かって、 やらないこと』」(p.233)なのである。だから、この本を読んだ人はひとつでもいいの で考具を使ってみましょう。そうすると、ものの見方が確実に変わる。俺も、考具の ひとつを応用したら、新聞の紙面や街の風景の見え方が変わった。これは新鮮な 体験だった。その考具をお教えすると、「カラーバス」と呼ばれる。これは、外を歩く ときに、特定の色・形・位置・文字などに注目してものを見る方法。これを行うと、普 段は見過ごしていたものに半強制的に目が行くようになる。そうすると、思いも寄ら ないものが見えてくる、というもの。
 なお、文章が口語体で、人によっては拒否反応を示すかもしれない。しかし、あま り気にせずに中身だけいただくつもりで読めば大丈夫ではなかろうか。
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2002年9月6日(金)
金田理恵:構成『グリコのおまけ』(1992年,筑摩書房)
 多くの人が子どもの頃に一度は触れたであろう「グリコのおまけ」。そのおまけの うち、戦後の昭和20年代から40年代にかけてのおまけの写真を掲載している。と いってもカタログ的に並べたものではなく、「はたらくくるま」「おかあさんの台所」と いったテーマごとにちりばめられたおまけを撮影した写真が満載である。
 その写真に加え、荒俣宏・天野祐吉・所ジョージなどがグリコについての思いをつ づった文章を掲載している。
 写真といい、文章といい、センスがあるいい本です。

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2003年3月2日(日) 自分が生まれる前の時代に思いをはせる2冊(の1冊)
金光修『あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since1965』(2003年,ア スキーコミュニケーションズ)
 まず、著者への興味が俺がこの本を読もうと思った動機の半分。どんな人なの かというと、現在BSフジ編成局長兼データ放送事業部長。1982年にフジテレビに 入社し、1988年から編成部で『料理の鉄人』『カノッサの屈辱』『NONFIX』『カルトQ』 などの番組の企画を手がけた。これらの番組、俺は中学生から高校生の頃に結 構夢中で見ていた。特にちょっと知的な深夜番組群が俺に与えた影響は大きいと 思う。
 そして残り半分の動機は、この本で取り上げられている時代への興味。この本 は、1954年生まれの著者がじかに触れた1960年代後半から1970年代の様々な物 事について語るエッセイである。
 本の最初に写真がいくつか掲載されている。ビートルズ来日時の雑誌・東京オリ ンピックのパンフレット・VANのステッカーやシャツ・ゲルマニウムラジオなどであ る。また本文に登場するのも、インスタントラーメン・家庭用のカレールウ・『平凡パ ンチ』・オールナイトニッポンなど、当時新しいものとして登場し、現在も健在のもの も多い。
 これらの物事について知るにつれて、俺が感じるのは「自分が間に合わなかった 時代への憧れ」だ。学生の頃から1980年代に関する本に興味が出始めたのも、 元々はこうした気持ちからである。それが最近は1960年代、70年代にも興味が出 てきた。そんな俺にはまさにぴったりの内容だった。
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2002年5月6日(月)4月に読んだ本(フリートークにて)
・茅野秀三『言葉のうんちく辞典』(実務教育出版)古本
「上の本(同時に紹介した岩波書店辞典編集部:編『ことわざの知恵』(岩波新書))と同じような 感じだね」
「これはことわざだけでなく、その時々で話題になった言葉、著者が気になった言葉にまつわる エッセイ。1991年から1994年までの『週刊文春』に連載されたものです。ちょっと説教じみた 部分があるけど、そのあたりを気にしなければ面白いよ。当時の時事ネタも織り込まれていま す」

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唐沢俊一『カラサワ堂怪書目録』(1999年・学陽書房 ) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 唐沢俊一氏による、B級本の紹介。

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2003年3月23日(日) 「トリビアの泉」が好きなあなたに送る1冊
唐沢俊一『唐沢俊一のB級裏モノ探偵団』(1999年,大和書房)
 いやあ、氏の雑学本はこれまでにも何冊か読んでいるが、面白いなあ。どうでも いいような話が多いのだか、それなのに(あるいはそれゆえに)頭の中のある一部 がびんびんと刺激される。知的好奇心が満たされるとはこういうことか。
 どんな内容かを以下に簡単に書くので、興味がある人は実際に読んでみてくださ い。内容にも、文章や使われる言葉にも多少がくせあるので、受け付けない人もい るかもしれないが、ちょっと読んでみて大丈夫な人はきっと楽しめることであろう。
T カルトソングの章:コミックソングについて(3分近く息継ぎしない歌とか、「人間カ ラオケ」とか)・昭和20〜30年代の少女小説に登場する"少女歌謡"・「猥歌」につい て(Hな替え歌のことですね)
U オタクの章:雑誌『ぴあ』でのゴジラ、ガンダムをめぐる論争の顛末(唐沢氏が当 事者の一人である)・タイのB級コミックの話・少女漫画に金髪の多い本当の理由
V トンデモの章:エロ広告の考察・オカルト雑誌『不思議な雑誌』・江戸時代に書か れた"世界征服マニュアル"・劇画原作者小池一夫のトンデモ小説
W バッドテイストの章:『黄金伝説』に書かれたキリスト教の聖人のトンデモぶり・好 美のぼるの漫画紹介
X フェティッシュの章:人形について・夏目漱石とオカルティズムの関連性
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唐沢商会『唐沢商会提供 ガラダマ天国』(1997年・ぴあ)  Amazon.co.jpオンライン書店bk1

 唐沢俊一(原作)・唐沢なをき(絵)の兄弟が、1992年から1997年まで、雑誌『TVぴあ』に連載した時事ネタ1ページマンガ。

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2002年12月23日(月) 「スーパー・カラサワ・ブラザーズ」な2冊(の1冊)
唐沢俊一『カルト王』(2002年,幻冬舎文庫)
 マニアックな知識がない人にマニアの世界を垣間見せるという点では、俊一氏も 弟のなおき氏と同じDNAを持っているのだなあと思う。マニアックなジャンルの方向 性は多少違うけれども。
 この本は、次の4章からなる。
  ・オカルトの章…あやしげな心霊家や、タチの悪い心霊ゴロの話
  ・クスリとカラダの章…メガビタミン理論/脳内で生成される快楽物資 などな ど
  ・セクシャリティの章…ホモ・やおいなどのアブノーマルな話題
  ・サブカルチャーの章…江戸川乱歩・杉浦茂・カルトソングなど
 上記のように、それぞれのテーマに沿ったコラムが集められている。
 初出はないので詳しくは不明だが、ライターとしてのデビュー当時の文章もあるら しい。文章の雰囲気も、今のものとの違いが感じられる。しかし、氏の興味のあり ようなどは初めから筋が通っているのだなあと思わされる。
 マニアックな世界の入口だけでも覗いてみたい人にはおすすめします。
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2004年2月17日(火) 本当に一行知識を愛する人々は、ブームには左右さ れない
唐沢俊一:監修『切手をなめると2キロカロリー』(2003年,サンマーク文庫)
 テレビ「トリビアの泉」のスーパーバイザーであり、自らも「一行知識掲示板」とい う、無駄な知識を募るサイトを運営する、作家唐沢俊一氏による「元祖トリビア便乗 本」。掲示板に投稿された一行知識に、氏による補足や注を加えたもの。
 まあ、お手軽といっちゃあお手軽につくられた本だよ。しかし実はこの本の224ペ ージに、俺、木の葉燃朗の名前が載りました。これは、俺の投稿した「『闘魂込め て』と『六甲おろし』の作曲者はどちらも古関裕而」という一行知識が採用されたか ら。いやあ、これは嬉しかった。学生の頃にラジオでハガキが読まれたときの嬉し さに近かったなあ。
 それだけでなく、他の一行知識も面白い。タイトルからして、一行知識ですから ね。巻末には本に登場した固有名詞の索引・解説もあり、気軽に読めて楽しめま す。
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2004年3月13日(土) 東京を歩く面白さを新しい視点で教えてくれる1冊
唐沢俊一『近くへ行きたい』(2003年,講談社)
 オンラインマガジン「web現代」に連載されたものをまとめたもの。唐沢氏の住ん でいる渋谷区(NHKのそば)から、比較的近い場所を歩いた記録。次の四章に分 かれている。

・食の章
 新宿の不思議な喫茶店「談話室 滝沢」。渋谷区幡ヶ谷、新宿区新大久保のゲ テモノ料理。渋谷区役所地下の、古きよき雰囲気を残していた食堂。
・買の章
 古本屋街神保町の思い出。古本漫画の店「まんだらけ」を中心に、マニアックな 店と普通の商店が共存する中野ブロードウェイのすごさ。東京ビックサイトで行わ れるコミックマーケットについて。
・観の章
 新宿でトークライブ・イベントが行われる居酒屋ロフトプラスワン。東京ドームの訪 問記。上野にあるホモの人々が集う映画館。千駄ヶ谷・新宿にあるトンネルについ て。
・知の章
 羽田空港神社を訪ねる。国連大学や、九段にある昭和館を見学する。

 それぞれの場所の写真も豊富に掲載されており、地図もある。そのため唐沢氏 が訪ねた場所を、実際に訪ねることも出来る。まあ、行ってみたいと思うかどうか は別だけれど。いずれにせよ、結構マニアックな場所が紹介されているので、読者 を選ぶ本かもしれない。紹介されている場所を知らなかったり、興味がないと、こ の本の魅力も充分味わえないと思うので。
 唐沢氏のファンならもちろんおすすめ。あとは、東京のちょっと変わった街歩きが 好きな人にもおすすめ。ひとつの基準になるのは、「買の章」をちょっと読んでみ て、そこに出てくる店が好き、行ってみたいと思うかどうかだろうか。
 俺は、十分堪能させていただきました。
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2003年1月30日(木) 知的好奇心を刺激される2冊(の1冊)
唐沢俊一『トンデモ一行知識の逆襲』(2000年,大和書房)
 最近、『トリビアの泉』(フジテレビ)という、「役に立たない知識」を紹介する番組 がはやっている。多分その番組を見て、その知識をまわりの人にしゃべって得意 になっている人もいるのではないか。もしそうであれば、この本を読んで上には上 がいることを知っておいた方がいい。この本を読むと、「へええ」とか「ほおお」とい うようなたくさんの一行知識に出会える。
 更に、この本がよくある雑学本と違うのは、単に知識が出てくるだけでなく、その 知識に関連して登場するエピソードがとにかく面白いことだ。
 例えば、「カン入りのカルピスを作るにはマジンガーZを作るくらいの技術がいる」 (p.166)という一行知識がある。この知識自体は、「マジンガーZを作るくらい」という のが漠然としていて、よくわからん。しかしここから、唐沢氏は各家庭でつくるカル ピスの濃さに話を広げていく。カルピスの濃さがその家の豊かさのバロメータであ り、薄いカルピスを飲んで育った子どもは、将来金持ちになって濃いカルピスを飲 みたいと思う。それが日本経済発展の原動力になるという説を(もちろん冗談だろ うが)ぶち上げるのである。このいい意味での「どうでもよさ」、「役に立たなさ」こそ が、一行知識の面白さだ。
 いわゆる雑学本は、話のネタになるなどといった有用性が強調されて過ぎている 印象がある。それに比べて、この本は読み物として面白い。前作『トンデモ一行知 識の世界』(2002年,ちくま文庫)ともどもおすすめです。 
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トンデモ一行知識の逆襲(ちくま文庫版) / トンデモ一行知識の世界(ちくま文庫 版)

2002年8月1日(木)
唐沢俊一『トンデモ一行知識の世界』(2002年,ちくま文庫)
 一行知識っていうのは、こういうものだ(カッコ内は掲載ページ)。
「ジャイアント馬場の足は本当は十五文しかない」(p.3)
「タイプライターの一番上の列にある文字キーだけで”TYPEWRITER”と打つこと ができる」(p.220)
「おもちゃのチャチャチャの作詞は野坂昭如である」(p.44)
 中には「AB型の人間は多重人格者が多い」(p.112)などという明らかなデマもある が、多くはウソかマコトかといった感じの、まあどうでもいいちゃあどうでもいい知識 のオンパレードである。
 俺は、唐沢氏の著作には「面白いものは本当に面白いが、そうでもないものは本 当にそうでもない」という印象を持っている。でも、この本は本当に面白い。上に紹 介したような知識とともに語られる唐沢氏のウンチクが、なんとも楽しいのである。 ということで、あまりなにかの役に立てようと思わず、ただただ楽しむことを期待し て読みましょう。
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2002年10月12日(土)
唐沢俊一『笑うクスリ指』(2002年、幻冬舎)
 薬局に生まれ、育った氏による、薬とその周辺にまつわる話題を取り上げたエッ セイ集。初出は医薬品卸売り会社の月報。ということで、もともとは薬を売る人に 向けて書かれたものだったわけだ。
 しかし、薬にまつわる仕事をしていない俺のような人間が読んでも十分面白い。 各章のタイトルだけでも紹介しておくと、「クスリたちの唄/語る肉体/心と頭のラ ンデブー/美しく健やかなる「強欲」/「違大」な歴史と文化/怪人たちの世」。クス リの話に限らず、人間の身体や脳について、さまざまな健康法について、医学・薬 学からははずれた、トンデモな人々の紹介など、盛りだくさんの内容。
 唐沢俊一の著作の中では、こうした薀蓄を盛り込んだエッセイが一番好きだな あ。
オンライン書店bk1の紹介ページ / 幻冬舎文庫版(タイトルは「クスリ通」)

2002年9月18日(水) 今回はマニアックな感じのものを4冊紹介(の1冊)
唐沢俊一・志水一夫『トンデモ創世記』(2002年,扶桑社文庫)
 「と学会」でもおなじみの二人が語る、オタク現象やと学会のまさに「創成期」の 話。いやあ、理屈ぬきで面白いなあ。聞く(読む)側があまり知らないジャンルの話 でも、面白がれるように語るというのが、本当のオタクなんだな、と思う。
 それから、オタクというとマンガやアニメーションを思い浮かべるが、元々は映画 やSFやその他色々なサブカルチャーが好きな人々から始まっているわけで、そう 考えると、「ああ、俺もそういう意味ではオタクかもしれない」と思う。俺も自分が好 きなものごとについて語って、他人を楽しませることができるようになりたいもので す。
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2002年10月12日(土)
唐沢俊一・鶴岡法斎『ブンカザツロン』(2001年,エンターブレイン)
 評論家・ライターとして師弟関係にあたる唐沢−鶴岡の両名による、対談集。悪 い意味ではなく、「語り散らしている」という印象がある。読んでいると、誤字脱字が 目立ったり、言い回しが変な部分があったりする。しかし、それらも含めてパワーを 感じるのである。
 内容は、過去・現在・未来のオタクについて。先日読んだ『トンデモ創世記』(唐沢 俊一・志水一夫著・2002年扶桑社文庫)ともつながってくる。はっきりしているの は、興味のない方には、まったくおすすめできないということ。しかし、サブカルチャ ーに興味がある人にはおすすめします。特に、頭でっかちのオタク分析になにか違 うという思いを抱いている人は、なるほどと思わされるのでは。オタクである二人 が、オタクはどういうものの見方をするのかを内側から語っている。

2002年12月23日(月) 「スーパー・カラサワ・ブラザーズ」な2冊
唐沢なおき『唐沢なおきのうらごし劇場』(2001年,メディアワークス) 古本
 特撮もの、怪獣もの、アニメーションなど、マニアックな話を中心とした唐沢なおき のマンガと、その補足ともいうべき、ライター陣のマニアックなコラムからなる本。
 いやあ、これは面白い。マニアックなのに、俺のようにあまりよく知らない人間が 読んでも面白いマンガを書くのは、唐沢なおきのすごいところだろう。いわゆる「お たく」のライターやマンガ家は多いが、つまらない人だと知っている人たちだけがわ かる話になってしまう。自分(たち)の間で閉じてしまうのですね。その点、この人は 開けている。マニアックな知識がない人を、マニアックな世界に引っ張り込むことを 自然にやっている。ううむ、これは才能だ。
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2008-09-30(火) 赤裸々でまっすぐだからこそ、応援したくなる

おのぼり物語(バンブーコミックス) (バンブー・コミックス)カラスヤサトシ『おのぼり物語』(竹書房バンブーコミックス) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 四コママンガ『カラスヤサトシ』シリーズでお馴染みのカラスヤ氏が、2002年に上京してから、2004年頃までの記録をマンガにしたもの。

 最初は、上京にまつわるドタバタを描いた、やや自虐的なギャグマンガだと思って読んでいた。踏み切りの棒に自転車の車輪を挟まれた少年(事なきを得たが)と車に轢かれたカエルにショックを受け、気がつくとカエルに救急救命をする練習をしていたり、突然アパートからの立ち退きを告知され、住人が次々集まってくるのを見ながら、みんなで「『ウィアーザワールド』/歌い出したら/おもろいなー…」(p.79)と思ったりは、やはり面白い。
 しかし、あとがきマンガにあたる「製作おぼえがき」でも書かれているのだが、思い出を忠実に描くとギャグ一辺倒にはなりにくかったようで、「ええい/もうええわ!/しんきくさして/けっこう!!」(p.145)という思いで、途中からは「ギャグのない4コマも/けっこう入ってますが」(p.145)という内容になっている。

 だが、そうして出来上がったこのマンガは、これまでのカラスヤ氏の作品とはまた違った魅力のある作品になっている。
 具体的には、カラスヤ氏の赤裸々でまっすぐな部分がはっきり出ている。私はこれまでの氏の作品で、プライベートや思い出が正直に描かれている部分に、面白さとともに迫力を感じていた。そしてこの『おのぼり物語』では、これまでの作品よりも喜怒哀楽をギャグにせずにはっきりと表に出している。例えば、上京のため大阪のアパートを発つ頃、ほとんど話したことがなかった下の階のおじさんにせんべつをもらったときの思い、東京で最初に入居したアパートは、大家さんが亡くなる前にリニューアルしたものであることを知った夜に、哀しいわけではないのに涙が止まらなかったという思い出、そしてある出来事をきっかけに改めて考える実家の両親と自分の将来。こうした思いを持ちながらも、コツコツとギャグマンガの連載を続けて来たと思うと、これまで以上に応援したい気持ちになる。

 2004年、実家に帰るか東京に残るかを悩んでいた時期に、ある編集者がカラスヤ氏にこう言ったという。「まー多分」、「カラスヤさんは/この先どんどん忙しく/なりますよ」、「なんの根拠も/ないですが」(p.132)。この言葉に習って言えば、おそらくこのマンガは多くの人に読まれて、カラスヤ氏の新しいファンが更に増えることだろう。なんの根拠もないが、それだけの力が、この本にはあると思う。

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2008-10-07(火) 対決! 二つの妄想力

カラスヤサトシ『萌道』 (竹書房バンブー・コミックス)  Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 カラスヤさんと編集者の「萌えの/初心者2人が/日本の萌えを/たずねて歩く」(p.5)というテーマで、一部は大阪、ほとんどが東京の「萌えスポット」を回る。一口に「萌えスポット」言っても、メイドカフェ(これも色々種類がある)、居酒屋、美容室やマッサージと色々な店がある。

 元々は、テーマにあるように、カラスヤさんが萌えについて学ぶという意味で、華道や茶道をイメージして「萌道」というタイトルをつけたのだろう。しかし読み進めると、これはむしろ武道から連想される「萌道」ではないかと思った。

 どういうことかというと、二つの妄想力が対決しているようなマンガなのである。
 ひとつは、萌えの持つ妄想力。本に登場する店は特殊な空間で、店員さんもお客さんも、日常とは違い、ある種の演技をしている。そのためには妄想力(想像力)が必要になる。
 もうひとつはカラスヤさんの妄想力。これはカラスヤさんの「○○だったら面白いなー」という独特な発想を意味する。当然、萌えの妄想とは異質である。この二つがぶつかり合う。萌えスポットでの出来事を見ながら色々なことを思い、考えるカラスヤさんという構図が、武道の試合のようなのである。

 本編でも、カラスヤさんのツッコミは冴える。お店や店員さんに対しては、店名も紹介して取材している立場ということもあり、ツッコミもややマイルド。それでも、女の子にビンタをしてもらえるサービスで(この時点で結構変わっているが)掌底を喰らって、正しいビンタの仕方を教えた話(p.146)などは、カラスヤさんには面白いことが付いて回るように思う。
 そして、萌えスポットにいる自分と編集者を客観的に観察する様子がカラスヤさんらしい。メイド美容室で洗髪してもらった後のカラスヤさんのさわやかな顔(p.38)に、なぜか笑いがこみ上げてきてしまう。更に、編集者の桐さんが天然ボケで、折り鶴がうまく折れず、出来た鶴を「宇宙ヅル」と命名されたり(p.62)、カラスヤさんが知らないと言ったドラマについて、わざと別のドラマの筋をしゃべり、ツッコまれたら「カラスヤさんを/試しました」(p.103)と言い、「『知らん』といって/なぜ試される…?」(p.103)と更にツッコまれたり。

 なお、本編だけでも十分面白いが、個人的には各回の間に入っている四コマとカット、それからカバーをはずした表紙に描かれている「あったらいいなこんなカフェ」も、カラスヤさんらしさが全開という感じで更に面白かった。妹カフェを取材した回に、妹風の格好のカラスヤさんが「お兄ちゃん!/朝だよ!/ウソだよ!」と言っていたり(p.58)、コミケ取材の回に「超人/ビッグ・ザ・斉藤」という、東京ビッグサイトのコスプレをしたカットを描いていたり(p.82)、ベタなんだけれど、「ここでベタなギャグを持ってくるか!」という面白さがある。

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2009.02.02(月) 人柄が人を引き寄せる

狩野 俊『高円寺 古本酒場ものがたり』(2008年8月・晶文社) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 高円寺にある「古本酒場コクテイル」の店主さんによる、2006年〜2008年の日記、国立から高円寺へ、さらに高円寺内の移転と節目になった時期を回想する文章、中央線沿線の古本屋さんへのインタビューを収録している。

 コクテイルには、何度か店内で開催されれるトークイベントを聞きに行ったことがある。店主の狩野さんは寡黙なのだが、非常に細やかにお店を運営している人、という印象がある。

 本を読んでいると、色々な苦労もされているのだが、たくさんの人に好かれて、助けられている人だということが分かる。特に印象的なのが、国立で最初の店を始める時、高円寺で今の店に移転する時に、それぞれ隣の店の店主さん、シルバー人材センターから紹介された大工さんが店作りに協力してくれるエピソード。人が人を呼ぶのだろうと思う。

 最近はお店には行っていないのだが、久しぶりに行ってみたくなる。

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2002年8月8日(金)
イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』(1986年,ハヤカワ文庫SF)
 時間的にも、空間的にも、ものすごく壮大なスケールで語られるものすごいヨタ 話。SFらしいといえばあまりにもらしい小説を集めた短編集。Qfwfqという奇妙な 名前のじいさんが語る思い出話という形式になっている。
 ページを飛ばして読むことは難しい。じっくり読まないと、小説の中でなにが起き ているのかわからなくなってしまう。しかし、じっくりと読むと、じわじわと面白さが解 ってくる。例えば、一番初めの「月の距離」という短編がどんな話かというと…。
 かつて、月は地球から手が届くぐらいまで近づくことがあった。地球から飛び上が ると、引力に引っ張られて月に到着できる。そして、手桶でもって月にあるミルクを すくって、食料にする。
 そのミルクすくいの最中に起こるある事件が語られるのだが、それ以前にこの設 定だけで面白さの半分は保証されたようなものだ。他の短編でも、突飛な設定のも とに起こるなんともくだらない物語が満載である。

2005.10.18(火) なんでもないことを面白く、面白いことはより面白く
・川上 弘美『卵一個ぶんのお祝い。』(2005.9,平凡社)
 作家川上弘美氏の、あとがきによれば、「五分の四くらいは、ほんとう」(p.151)のことを書いた日記。

 著者のまわりで起こる出来事もたしかに面白いのだが、それ以上に、そうした出来事を面白く書ける著者のすごさをひしひしと感じる。
 なにしろ、最初の月の見出しからして「『大福おじさん』を見た。」である。これは、著者が両国に向かう電車の中で「背広を着て、鞄を持って、姿勢よく立って、混んだ電車の中で大福を食べているおじさん」(p.6)を見る話。それだけ、といえば、それだけ。でも、その大福を食べる様子の描写が、目に浮かぶようでなんとも面白い。そして最後に、「帰りに両国の駅で『どすこいせんべい』(バラ売り)五枚をおみやげに買う」(p.7)という一文で、この日の日記は終わる。この独特な話の進み方が、たまらない。

 この独特のテンポの面白さの例をもうひとつ。クリスマスイブの日、著者は焼き鳥屋の前を自転車通る。すると、「普通のやきとりの串に混じって、鶏をまるごと一羽焼いている串が何本かある。さすがクリスマスだ」(p.44)という光景に出会う。
 そして今度は大晦日の前日。再び焼き鳥屋の前を自転車で通ると、「普通のやきとりの串に混じって、鯛の尾頭つきを焼いている串が何本もある。さすが師走だ」(pp.44-45)という光景に出会うのである。
 これはさすがに、ほんとうではない五分の一の方なんじゃないかと思う。しかし、そうとも言い切れない不思議な説得力が、文章のリズムの中にあるのである。

 それからもうひとつ、著者が時折見せるおろおろした様子が、なんともユーモラスである。例えば、ある日打ち合わせをすることになっていた喫茶店が、突然消えていた。その日は仕事先の人と「二人で世の無常をなげきあう」(p.12)。そして後日、打ち合わせの後にふと見ると、消えたはずの喫茶店が現れている。
 それを見た著者は、「いやーん、と言いながら家に帰って、布団をかぶって、しばらくぐずぐず」(p.12)してしまう。そして様子を見に来た子供にことの次第を話すと、「ふうん、と言ったあとに、よくあることだよ」(p.13)と続けて言われてしまったりする。
 これもまた、ひょっとしたらほんとうではない五分の一の方なのかもしれない。しかし、自分がおろおろする様子をここまで正直に書き、笑いに転換させてしまうというのは、すごいなあと思う。

 同じような例としては、「突然『あら、よくってよ』という言葉を使ってみたくなって、友だちに電話する」(p.46)話がある。ここからして既に面白いのだが、それに続く部分が最高である。
「『ねえ、わたしにね、何かお願いしてみて』とねだる。
『うーん、じゃあねえ、あたしに今すぐ一億円くださいな』
『あら。よくってよ』
 電話の向こうで、友だちはしばらくしーんとしていた。わたしもしーんとしていた」(pp.46-47)
 その後、「だ、だから、明治が、じょ、女学生が」(p.47)と弁解しようとする著者は、友だちに諭されて電話を切られてしまう。
 いやあ、想像しただけで楽しさで笑顔になってしまう。

 読んでいると顔がにこにことなってきて、一気に読み終えてしまった。
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2009.04.12(日) 世界に少しずつ灯が点る

 川上弘美『どこから行っても遠い町』(新潮社) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 とある商店街を舞台に、そこに暮らす人々を描く短編集。

 それぞれの短編にはつながりがあるのだが、そのつながり方が独特で、印象的。ひとつの短編で登場した人物について、次の短編で別の人物が語り、あるいは次の短編の一登場人物として表われ、という感じで、少しずつ大きな物語になっていく。

 真っ暗な中にぽっ、ぽっと灯が点るようにして、世界に少しずつ灯が点る物語

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2005.09.07(水)「悲しきもてもて男」、ニシノユキヒコ
・川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』(2003.11,新潮社)
 主人公は女性を愛する男、「ニシノユキヒコ」。彼となんらかの関係があった10人の女性が、彼について語る、という形式の連作短編集。収録されている短編は、下記のとおり。

パフェー/草の中で/おやすみ/ドキドキしちゃう/夏の終りの王国/通天閣/しんしん/まりも/ぶどう/水銀体温計

 はじめの「パフェー」(pp.7-27)が、いきなり死んでしまったニシノが昔付き合っていた女性に会いに来る話。早い話が幽霊なのだが、女性も、子どもの頃に一緒にニシノに会っていた娘も、ごく自然にニシノと接する。それほど大きなドラマがある話ではないのだが、なんとなくせつない。このせつなさは、各短編に共通して感じられる。

 ただ、せつないといっても、ニシノユキヒコ(西野幸彦)は、もてる。人生の時々で、色々な女性と付き合っていて、女性の扱いもうまく、好かれている。
 それなのに、なんだか悲しい。ニシノ自身のセリフとして「僕はどうして女のひとを愛せないんだろう」(p.83)と語られるが、彼は一人の理想的な女性を追い求めるが故に、その他の多くの女性を本当には愛せなかった。そしてその理想とは、彼が高校生の頃に亡くなった姉だった。
 これは、一番厳しい道だよなあ。自分が若い頃に亡くなってしまった、そしてその時一番好きだった異性を理想としたら、その基準に匹敵する異性に出会うのは、難しいよこれは。
 さらに、もててしまったことがニシノの不幸なところだった。妥協をせずに、理想を探し続けて、色々な女性と関係を持ち続ける。それが出来てしまった。ただ、やっぱり理想の異性は見つからないわけで、そうこうするうち女性の方からニシノを捨ててしまう。これを繰り返す。
 だから、悲しい。ニシノユキヒコは、「悲しきもてもて男」だと思う。

 人を愛するのって、楽しかったりうきうきしたりすることも多いけれど、つらい部分もあるよなあと思ってしまった。
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オンライン書店ビーケーワン:ニシノユキヒコの恋と冒険

2002年6月3日(月)5月にはこんな本を読んだ(前編)フリートークにて
川上弘美『パレード』(平凡社)
「同じ著者の『センセイの鞄』に出てきた2人を主人公にした短い話です」
「一読すると子どもにも理解できそうな平易な文章なんだけど、なぜか心に残る。 不思議な話だ。ある日突然2匹の天狗が見えるようになった、女の子の思い出が 淡々と語られていきます」
「『センセイの鞄』を読んでいなくても、独立した物語として楽しめるし、『センセイの 鞄』を読んでいると、また心に染みる部分があります」
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2007.01.08(月) 人物は淡々としているのだが、強く印象に残る
オンライン書店ビーケーワン:光ってみえるもの、あれは・川上 弘美著『光ってみえるもの、あれは』(2006.10,中公文庫)
 川上弘美氏の長編小説。元は『読売新聞』夕刊に連載。
 主人公は男子高校生の江戸翠。彼と、彼の家族、学校の友人や先生との日々が描かれる。
 非常に面白かったのだが、意外にも登場人物の印象は、薄い、というか淡々としている。例えば、私は登場人物の顔や雰囲気を、読んでいてイメージできなかった。そして、登場する人物に好きだとか嫌いだというような感情を抱くこともなかった。翠の言葉を借りるなら、みんながみんな、「うん、ふつう」(p.9)というところ。

 だがそれでも、というか、それゆえに、というか、小説の中で起こる様々な出来事は、強く印象に残る。登場人物の存在感が強すぎないゆえに、小説内の出来事に自分の想像や過去の思い出を重ねて読むことができたのかもしれない。
 それは例えば、翠と母と祖母の三人により行われる「江戸の日」の儀式だったり(「結構な家系」,pp.99-130)、翠の生物学上の父である大鳥さんと、翠の母がなぜ結婚しなかったか、という話だったりする。ちなみに結婚しなかった理由は、大鳥さん曰く「あれだ、馬がいけなかったんだ」(p.146)。
 そうしたエピソードの印象深さが、人物の印象も高めていく。特に後半、なかなかにドラマのある展開になり、そこでは翠の考えるあれこれに対しても、自分の想像や過去の思い出を重ねるようになる。そして、最後の翠の決断は、意外ではあるがすがすがしく感じる。

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2004.7.21(水)不思議な世界でぽわぽわしましょう
・川上弘美:文・山口マオ:絵『椰子・椰子』(2001年,新潮文庫)古本
 日記形式で書かれる短い話と、その間に挟まれる短編小説からなる短編集。も ともとは、川上氏の夢日記だという。また「やし・やし」というタイトルは、川上氏のお 子さんが小さい頃に「おやすみなさい」を「やしやし」と呼んでいたことから名付けら れた。
 なんともシュールでユーモラスな話の数々である。主人公の「私」は、夫も子ども もいる女性なのだが、片思いの人もいれば恋人もいる。でも、その生活には現実 感があったりなかったりで、ふわふわしている。
 例えば、「久しぶりに町に出ることにした。子供をきちんとたたんで押入れにしま ってから」(p.59)、出かける準備をしたり、行方不明になった夫を「一日中捜しまわ って、夕方、やっと長持の中にいるのを見つけ」(p.100)たりする。
 他にも、しゃべる鳥の兄弟ジャンとルイや、町内会の副会長をしている殿様が登 場したり、私が町内会の係で「一日幼児」をやってみたり、「女の子ばかりの数学コ ンテスト」に参加してみたりする。
 中には、現実的な季節の行事や、地名などの固有名詞も登場する。しかしそれ も、十月十日に市の大運動会が「市長の住んでいる城の中庭」(p.83)で行われ て、私が「『二人玉乗り競争』と『やつめうなぎ競争』に出て、二等賞をもらう」(p.83) とか、友人に連れられて渋谷に行くが、「竹の群生していた109交差点のあたりに は、竹にかわってソテツや丈の高いシダが生い茂っていた」(p.110)という状況なの である。
 読みながら、なにかに似ていると思ったのだが、それは吉田戦車の漫画だと気 が付いた。日常的なものと、まるっきり非日常的なものの組み合わせとか、動物が 当たり前のように擬人化されているところとか、似ている。
 小説を読んだのは久しぶりだが、面白かったなあ。
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2004.12.8(水) 読んでいる間至福の時間が過ごせるエッセイ集
・川上弘美『ゆっくりさよならをとなえる』(2004年,新潮文庫)
 作家川上弘美氏のエッセイ集。
 日常的な、些細なことを書いているようでいて、ものすごく面白いエッセイになって いる。この面白さは、内田百閨E武田百合子・山口瞳などのエッセイとも共通してい るように思う。

 例えば、「突然スパゲッティーナポリタンが食べたくなって、困った」(p.52)という一 文から始まる「ナポリタンよいずこ」(pp.52-54)とか、生牡蠣を一度に十個も二十 個も食べておなかをこわし、それでも七十個も食べてなんともなかった友人の話を 聞いて悔しくて、また食べてしまう「生牡蠣とキノコ」(pp.61-63)とか。

 それから、作家として名を成す人には、やっぱり特殊な感性と、それを文章にす る才能があるんじゃないかと思う。
 例えば川上氏は、子どもの頃ハンカチでものを包むのが好きだった、という。
「一つのものを包み終えて、しばらくは、手の中でもてあそんだり撫でてみたりす る。しかるのちに、息を潜めて、結び目を解く。
 その瞬間が、いちばん好きだった。結び目を解く、その瞬間」(p.188)
 この、ちょっと読むとなんでもないような文章なのだが、どうして読む者の心に引 っかかるように書けるのだろう、この人は。

 文章も、決して難しい言葉が使われているわけではない。するするっと頭に入っ てくるのに、印象に残って味わい深い。食べ物で例えれば、「うまいもりそば」か。こ の例はかなり分かりにくいが。
 最後に、本好きなら「分かる」と言うであろう一文を紹介して終わります。「古本屋 街へ」(pp.96-98)の中から。
「本を『見てまわる』というのは、本を『買う』こととは、ちょっと違う。本を買うのは、 本を読むため。本を見てまわるのは、本の表紙の紙をさわってみたり、題名を眺 めてたのしんだり、こんな本が世の中にあったのかと驚いたり、するため」(p.96)
 俺が本屋や古本屋めぐりが好きなのは、この「本を見てまわる」楽しさが好き、と いうのも大きな理由だと思う。
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2002年10月24日(木)
川口和久『投球論』(1999年,講談社現代新書)
 川口和久は、プロ野球の広島東洋カープ、読売ジャイアンツで活躍した左投手。 1996年、ジャイアンツ優勝決定試合の胴上げ投手でもある。
 "投球論"といいながら、それほど難しい話ではなく、川口自身の経験をもとにし た話。実際にマウンドに立って一線級で活躍した投手だからこそ解ることがある、 という気がするね。
 投手の投げるボールについてはもちろん、投手から見た強打者、先発投手とリリ ーフ投手の違い、カープとジャイアンツというチームの違い、などなど。
 気軽に読めて、興味深く、面白い本。野球好きには強くおすすめする。
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2002年9月2日(月) 今日はマンガです。
河合一慶『ファミコンランナー 高橋名人物語』(2002年,朝日ソノラマ)
 もとは、雑誌『コロコロコミック』に連載され、1986年〜1988年にかけて単行本化 されたもの。6巻の単行本を合本にし、1080ページにまとめた分厚い本。
 懐かしいなあ。俺も毎月読んでいたよ、このマンガ。内容は、名人の子どもの頃 のエピソードを紹介し、当時の活躍ぶりを伝えるもの。このマンガで高橋名人のイ メージを刷り込まれた人も多いだろう。今読むと、相当の誇張があって笑ってしまう が。なお、後半はスペシャル編として、「高橋名人」というキャラクターを主人公にし たギャグマンガになっている。
 マンガだけでなく、単行本に収録されていた「初公開!! 高橋名人のプライベ ートライフ」「高橋名人 直伝 ファミコン体力アップ術」などのグラフ記事も再録さ れている。このあたりは、今見るとちょっと恥ずかしいね。
 定価2000円(税別)なので、ちょっと値段は張るが、当時を知っている人なら十分 元を取れる面白さだろう。もともとの単行本は古本屋でもあまり見かけないので、 今回の復刊本はおすすめです。

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2006.08.30(水)不思議な恋愛劇であり、魅力的な群像劇

オンライン書店ビーケーワン:レナード現象には理由がある・川原泉『レナード現象には理由がある』(2006.6,白泉社)
収録作:「レナード現象には理由がある」/「ドングリにもほどがある」/「あの子の背中に羽がある」/「真面目な人には裏がある」

 川原泉氏の新作マンガ。同じ高校を舞台に、異なる主人公たちが登場する短編集。

 「レナード現象には理由がある」は、成績・スポーツ・容姿とも完璧だが、それゆえ人間らしさに欠け、孤高の存在である飛島穂高君と、成績はそれなりだけれど、やさしい心と不思議なヒーリングの力を持つ蕨よもぎさんが、恋愛と言えるような言えないような関係になっていく。
 「ドングリにもほどがある」は、超平均的であるが超楽天的な亘理実咲さんと、彼女にインスピレーションを受ける、同じく平均的なのだが実は覆面作家としてデビューしている友成真一郎君が、やはり恋愛のようなそうでもないような交流をしていく(二人で公園にドングリやクルミを拾いに行ったりする)。
 「あの子の背中に羽がある」は、柔道部キャプテンで容姿端麗、真面目な保科聡真君が、隣に越してきた小学六年生の若宮遥ちゃんの背中に羽根が見える、そしてこれがどうやら一目惚れの症状らしい(友成真一郎君の説によれば)、という話。
 「真面目な人には裏がある」は、兄同士が実は同性愛者で、同棲を始めてしまう同級生の日夏晶さんと塔宮拓斗君の話。日夏さんは友人の草壁さんの影響でボーイズラブにはまりつつある、という設定もあります。

 ……というあらすじを読むと、ちょいとSFとかファンタジーとか、あるいはアブノーマルな話をイメージする人もいるかもしれない。でも、いい意味で驚くほど抵抗なく読めて、かつ読後感は充実している。ジャンル分けをすれば少女漫画ですが、俺(29歳男)が読んでも非常に面白い。
 その要因はまず、独特の絵にあるだろう。これは川原氏の他の作品とも共通しているが、リアリティのある絵とデフォルメされた絵が、物語の緊張と緩和のリズムにあわせて描かれる。また時には絵と物語にギャップがあって(リアリティのある絵で変なセリフを発したり)、その落差が笑いにつながっている。「…BL小説」、「BL?/何の略だろう/ビジネス・/ロジスティッ/クス?」(「真面目な人には裏がある」,p.124)とかね。
 あとは、キャラクターがみな(高校生たちも含めて)大人というか、老成した感じなのも、俺は好き。だから独特のユーモアが生きてくるんだろうなあ。川原氏の作品が「哲学的」と言われるのも、こうした点が影響しているのだと思う。
 もちろん、そういう部分を強く表に出した人物造形はされていないのだが、みな人生の意味とか、人としてやっていいこと悪いこととかを、心の深いところで直感的に分かっていそうな感じ。だからセリフや行動が薄っぺらくない(もちろん、物語上あえて薄っぺらい人物も、時々は出てくる)。
 それと個人的に好きなのは、話が進むごとに、前の作品に登場したキャラクターが登場してきて、徐々に高校を舞台にした群像劇的な側面も出てくること。学園もので群像劇って、好きなんだよなあ。
 下の川原氏のインタビューによれば、いずれも同じ時期の別のキャラクターの話を描いていて、これからもこのシリーズが続いていくそうなので、楽しみです。

(参考)・Yahoo!ブックス>インタビュー>川原泉
http://books.yahoo.co.jp/interview/detail/07166800/01.html

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2006.06.26(月) サッカーはゲームや選手以外の部分でも奥深い
オンライン書店ビーケーワン:虹を掴む川淵三郎『虹を掴む』(2006.6,講談社)
 目次は下記のとおりです。

天地開闢 第1章 夢の実現−Jリーグ開幕
五十知命 第2章 人生の転機−サラリーマン人生との決別
知行合一 第3章 動き出した計画−チーム選定ヘの秘話
志在千里 第4章 理想と現実−スポーツビジネスの新しい形
竜虎相搏 第5章 球界のドンvs.チェアマン―読売グループとの暗闘
福過禍生 第6章 最初の試練−Jリーグバブルと経営危機
七転八起 第7章 日本代表・10年の軌跡―代表監督5人のそれぞれ
不可思議 第8章 ジーコが目指す日本代表とはいったい何か?
堅忍不抜 第9章 ドイツ・ワールドカップへの道

 Jリーグの初代チェアマンであり、現日本サッカー協会の会長(キャプテン)、川淵三郎氏の半生記。とはいえ、目次を見ても分かるように、Jリーグの設立準備以降の話が中心。
 Jリーグについての話を読んで感じるのは、日本のプロ野球との対比。そもそも、川淵氏がJリーグのクラブチームの原点としているのが、ドイツのスポーツ施設「デュースブルグ・スポーツ・シューレ」だった。「白樺の林に囲まれた、一面、緑の芝生。体育館が3つ、グラウンドも8面くらいあった。ホテルみたいな宿泊施設、立派な事務所ビル、医務室、教室、映写室まで完備されていて、それぞれが木立でセパレートされていた」(p.28)という。そしてそこでは、大人も子どもも障害者も、サッカーに限らず様々なスポーツを楽しむ。このヨーロッパのスポーツクラブが、Jリーグのクラブの手本のひとつになっているのである。
 また「親会社の社長だからとオーナー会議を設け、何らかの権限を行使させるのは、スポーツの側にとっても、会社の側にとっても駅があるとは思えなかった」(p.133)とか、「経営内容を一切知らされず、ある日突然、球団から『身売りします』とだけ伝えられるプロ野球ファンのような悲劇は是が非でも避けたかった」(p.218)など、日本のプロ野球との目指す方向の違いが伺える。実際、現在の日本のプロ野球の問題点が見えてきている現在では、川淵氏の考える方向性は間違っていないと、俺は考える。

 現在進行形の話も興味深いのだが、特に印象的だったのは、1998年までヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)に出資していた読売グループ(その中心の渡邉恒雄氏)との対立と、1998年の横浜マリノス・横浜フリューゲルスの合併という、過去Jリーグに起きたふたつの問題。

 読売グループとの対立の中では、Jリーグ開幕直後の1993年にヴェルディ川崎が東京都調布市への移転を強行しようとした件、そしてチーム名を呼称の「ヴェルディ川崎」ではなく、出資企業名を入れた「読売ヴェルディ」としていた件が主に取り上げられている。
 この問題については、東京への移転は2001年になってから承認され、呼称は途中から読売グループのマスコミも「ヴェルディ川崎」を使用するようになり、読売側の意向は強行されなかった。
 ここでJリーグ、そして川淵氏にとって強みになったのが、まずJリーグの規約が正当だったこと。「Jリーグ規約をつくるために、それこそ2年の歳月をかけているのである。それもできあがったものが、なぜこういう条文になっているのか、こういう語句を使っているのか、その背景にある精神とは何かまで当事者として熟知している」(pp.174-175)ことが、リーグの規則を一クラブの出資企業の思いどおりで曲げさせなかったポイントだった。
 また、人気チームが脱退して新しいリーグをつくるという、他のスポーツでは可能性のある行動も出来なかった。なぜなら、「サッカーの国際統括組織は、ワールドカップを主催する国際サッカー連盟(FIFA)が唯一無二の組織であり、その傘下にある日本サッカー協会(JFA)もまたFIFAから公認された唯一無二の国内統括組織だから」(p.176)。つまり、「Jリーグからの離脱、分派活動とは同時にJFAからの脱退も意味するわけだから、選手の立場から見れば、それは自らワールドカップ出場の道を閉ざすことにつながる。JFAと縁もゆかりもないところに新リーグをつくったところで、有能な選手は誰一人としてついていかない」(pp.176-177)ということになる。
 こういう部分を読むと、Jリーグというのはしっかりと考えて作られた組織なのだということを改めて感じる。

 ただし、1998年の横浜マリノス・横浜フリューゲルスの合併については、非常に難しい問題だったことも感じた。
 フリューゲルスは、スポンサーの一社が撤退し、残る全日空だけでは出資が難しくなった。この時に「(1)解散する、(2)他チームに売却する、(3)新たなパートナーを探す、(4)他クラブとの合併」(p.197)という案を検討し、「それでも全日空は解散ではなく合併という、まだ救いのある道を選んでくれた」(p.197)。一方「マリノスの方も出資企業の日産自動車はカルロス・ゴーンさんの手で劇的な復活を遂げる前で、赤字続きのマリノスはコストカッターの最大の標的になりかねなかった」(p.198)。その中で、両クラブの経営陣が話し合いをした結果、合併という道しかないと決断をしたという。
 また、当時両チーム以外にも、「Jクラブの経営から手を引きたそうな出資企業が複数あった」(p.192)という。つまりマリノス・フリューゲルスが合併できず、両チームとも消滅してしまったとしたら、他にも出資から手を引く企業が出てきて、更に数チームがなくなるかもしれなかった。そのような様々な事情が重なった中での合併だったのである。
 当時もいちサッカーファンとしてこの問題を見ていたが、俺はこうした経営陣の事情はまったく知らなかった。合併に反対する気持ちはそれほど強くなく、「仕方ないのかなあ」程度には思っていたが、今回この本を読んで、改めて当時の状況が分かった。
 たしかにフリューゲルスの消滅は残念だったが、この問題を期に「経営諮問委員会」が設置され、いわゆる「Jリーグバブル」を脱して、「各クラブの足並みが「身の丈にあった経営」に向けてそろいだした」(p.220)ことには、大きな意味があったと、今となっては思える。
 また、この章の最後に、フリューゲルスから撤退した企業について触れられているのも印象深い。「クラブのために良かれと思い、スポンサーになり、多額の資金提供をして、本業の方が苦しくなったので手を引こうとしたら罵倒される。確かにこれでは立つ瀬がない」(p.223)。たしかにそうだよなあ。

 こういう部分を読むと、サッカーはゲームや選手以外の部分でも奥深いことを感じる。

 あと、話の本筋ではないのだが、「サッカーちょっといい話」という感じのエピソードを紹介します。
 Jリーグの開会式の際に、川淵氏は久保田利伸氏に「君が代」の独唱を依頼をするつもりだった。その理由は、以前テレビで「ワシントンの大学を出て、ずっとサッカーをやってきた。私の夢は将来サッカーチームのオーナーなることです」(pp.52-53)と話していたのを聞いたから。しかし、これは川淵氏の勘違いで、その話をしていた新人歌手は、久保田利伸氏ではなかった。
 結局開幕式では、TUBEの前田亘輝氏が「君が代」を歌ったのだが、さて、それではその新人歌手とは誰だったのか?
 答えは、「その新人歌手とは何とあのジェイ・カビラ(川平慈英)さんだったのである」(p.54)。
 これは、なんだかいい話だ。ちなみに川平慈英氏も、2006年2月18日(土)、「キリンチャレンジカップ2006・日本vsフィンランド」@静岡スタジアム・エコパで「君が代」の独唱をしましたね。

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2006.05.07(日) 来るべきワールドカップに備え、日本サッカーを振り返るために
・川淵三郎『日本サッカーが世界一になる日』(NHK出版)

 NHK教育の「知るを楽しむ この人この世界」(毎週月曜日・10:25-10:50)という番組のテキストです。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンの話した内容をまとめたもの。番組は2006年4月3日から5月22日にかけて、月曜22:25-22:50放送(翌週5:05-5:30再放送)。

 その人のサッカーに対する視点・考え方が違えば、当然日本のサッカーや今の日本代表(またはジーコ監督)への考え方も色々と異なると思うが、俺は川淵氏の話は面白いと思う。
 例えば日本サッカー協会は、2050年までに日本(単独)でワールドカップを開催し、そこで優勝するというプランがある。これも適当に決めたものではない。
 2010年以降、サッカーのワールドカップは「アジア・アフリカ・オセアニア・北中米カリブ・南米・欧州の六地域でローテーション」(p.147)で開催されることになっている。2010年がアフリカの南アフリカ、その「次は南米、その次はヨーロッパときて、次にアジアでやるときは中国になる可能性が高い。そこでの実現は難しいとしても、その次にアジアで開催される順番がくるのは、2050年ぐらいだろうと計算したわけです」(p.147)という考えがある。
 俺は2050年と聞いたとき、単に「キリがいいから」なんて思っていたから、詳しいプランを知ると、純粋になるほどと思う。
 また単なる夢じゃなくて、具体的な目標になっているので、それまでになにをすべきかも決まってくる。実は日本サッカー協会には2015年までの目標も決まっている。
「<JFAの約束2015>
二〇一五年には、世界でトップ10の組織となり、ふたつの目標を達成する。
(一)サッカーを愛する仲間=サッカーファミリーが五〇〇万人になる。
(二)日本代表チームは、世界でトップ10のチームとなる」(p.145)

 将来の話とともに、これまで(特にここ20年くらい)の日本サッカーについての話も興味深い。
 例えば、1986年、日本がワールドカップ開催地への立候補を検討したときは、「実際のところ、中心になって動いていた当時の専務理事の村田忠男さんのほかは、ほとんどの関係者が実現は難しいと、冷めた目で見て」(p.67)いたという。当時は、15,000以上収容できるサッカーの専用競技場もなく(サッカー専用でなくても、4,0000人以上収容できるのは国立競技場と神戸ユニバー記念競技場のみ)、プロサッカーリーグもなく、観客は年間30〜40万人。川淵氏自身も、「正直言って、できないというのが本音だった」(p.68)という。
 でもそういう中で、信念と目標を持って行動した人がいたからこそ、実現したんだよなあ。川淵氏がプロサッカーリーグの設立を目指していた当時の状況も、おそらく同じだろうと思う。当時の日本サッカーリーグ(JSL)に参加していた企業からは「『そんなかねのかかるような要らんことはやってくれるな』『今でも新聞にそこそこ載るんだから、それで何が悪いのか』」(p.105)といった反応がほとんどだったようである。
 そこで、JSLから独立した組織として、日本サッカー協会に「プロリーグ検討委員会」を設け、プロリーグの設立に進んでいく。その信念と行動力に、運というかタイミングもついてきて、バブル経済がはじける直前の好景気の頃(1990年)に参加団体を募ることができた。川淵氏曰く「あと数年早かったら、もしくは一年でも遅かったら、手を挙げるチームはもっと少なかったでしょう」(p.111)という時期だった。

 それから、日本代表のエピソードが印象的。いわゆる「ドーハの悲劇」(1993年に行われた、1994FIFAワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選のイラク戦)の後半ロスタイムは、途中ピッチにビンが投げ込まれたため取られたとか、最後のコーナーキックの時点で「主審は笛を吹きませんでしたが、そのとき日本の選手に『これで終わりだよ』と言ったそう」(p.41)だとか、本当にちょっとしたことで日本のワールドカップ出場が逃げていったんだなあと思う。俺はあの当時の日本代表をワールドカップで見たかったと未だに思っているので、本当にぎりぎりだったんだなあと思うと、今でも残念。
 一方1997年の、1998FIFAワールドカップフランス大会アジア地区予選は、紙一重のところで今度は出場をつかんだんだよなあ。当時のことは今でも覚えている。

 これからも日本サッカー、Jリーグは続いていくが、とりあえずは目前に迫った2006FIFAワールドカップドイツ大会だよ。色々な毀誉褒貶がありながらここまできたジーコジャパンが、どんな試合をするのか。今の時点で色々と言っても仕方ないので、本番に強い今の日本代表を信じて、もちろん他にも注目したい国は沢山あるので、楽しみに待とうと思う。

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2003年4月16日(水) またもや、読書にいざなう2冊(の1冊)
川原泉 選『川原泉の本棚』(2003年,白泉社)
 漫画家の川原泉氏によるアンソロジー。俺、実は氏の漫画はほとんど読んでい るのよ。少女漫画なのだが、絵にもそんなに癖がないし、なによりストーリーがうま い。ストーリーのうまさは、これだけの本を読んでいるからなのだなあと納得。
 このアンソロジーに収録されているのは、次のような作品。
  アイザック・アシモフ/小尾芙佐 訳「ロビイ」 
  亀谷了「おはよう寄生虫さん(抄)」
  かんべむさし「水素製造法」
  清水義範「言葉の戦争1」
  田中芳樹「品種改良」
  日本民話「ヤマナシの実」
  非日常研究会「ヘリコプターの飛ばし方」 
  エドガー・アラン・ポー/谷崎精二 訳「大うずまき」
  歴史新聞編纂委員会 編「歴史新聞(抄)」
 いやあ、こういう機会でもなければ読まなかったかもしれない作品もあった。そう いう意味では貴重な読書経験ができたなあ。
 他にも、書き下ろしの読書エッセイやブックリスト、各作品へのコメントもあるの で、川原ファンの人ならきっと興味が出てきて、収録されている作品も面白く読める のではなかろうか。
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2003年4月13日(日) 街に出たくなる1冊
川本三郎『雑踏の社会学 東京ひとり歩き』(1987年,ちくま文庫) 古本
 1980年代の東京についてのエッセイ集。実際に街を歩いている雰囲気を感じる。 どの街(あるいは町)にどんな建物があって、その中にどんな店があるか、その場 所・店が時代とともにどう変わったか、あるいは変わらないのか。そこで著者がな にを思ったのか。そうしたことがよくわかる。
 採りあげられている街は、まず新宿・渋谷・池袋・赤坂・銀座、などのいわゆる繁 華街。これらの街の役割の変化が、ささいだが具体的な点から見えてくる。例え ば、原宿はもともと大人の街だった。しかし1980年代に10代の少年少女が集まる ようになり、原宿は子どもの街になっていく。それにあわせるかのように、大人たち は渋谷へ移動していった。そして渋谷が若者の街・昼の街になった。
 このように、訪れる人々が変わり、それにあわせて街に並ぶ店も変わる。これが 街の変化なのである。さらに、この本には書かれていない1980年代から現在まで の変化を考えながら読むと、より興味深い。再び渋谷を例に取れば、1990年代に 入って、渋谷も原宿同様子どもの街(もっと極端に言えば「ガキの街」)になった。こ れは渋谷に行ったことのある多くの人が感じることではないだろうか。こうした視点 での街の変遷の考察は、面白い。
 それから、著者ゆかりの地である、吉祥寺・阿佐ヶ谷・荻窪などの中央線沿線の 街も登場する。また日本映画に登場する東京を語る「映画の東京地理学」や、酒と 街との関係を書いた「場末回遊」などの短文集も収録されている。
 それらの中でも、最後に収められた「地下鉄が変えた東京の『点と点』」は、特に 興味深かった。地下鉄や電車の開通が、街と街の距離に及ぼす影響は、実際の 経験を伴なって理解できる。最近(2003年3月)、東京の営団地下鉄の半蔵門線 が、錦糸町・押上といった地域まで延長されたことで、半蔵門線沿線の街との距離 感が変わった人も多いと思う。
 東京に住む者としては、行こうと思えば行くことのできる街について書かれている のが非常に面白かった。つい、この本を持って出かけたくなった。

2004.3.26(金) かっこいい大人の町歩きの本
川本三郎『東京つれづれ草』(2000年,ちくま文庫)古本
 東京を中心に、町を歩いた記録を集めたもの。著者にはこのジャンルの著作も 多く、俺が持っている本にも『私の東京万華鏡』(1999年,ちくま文庫)・『雑踏の社 会学 東京ひとり歩き』(1987年,ちくま文庫)がある。
 この本で紹介されているのは、次のような町々。

・プロローグ「午後の町」:「銀座のビール」
I 心地よく秘密めいた町
 神田神保町の古本屋・映画館。銀座での買い物。下町の商店街(足立区柳原銀 座・葛飾区立石・墨田区向島、など)。下町と山の手の看板の比較。東京の坂道。 東京の緑(皇居・明治神宮・新宿御苑などの緑地、町の中の神社や寺、路地や家 の庭など)。
II 青いお皿の特別料理
 商店街の居酒屋の様子。和菓子について。晩酌について。日本映画に登場する 食卓の紹介。
III ひとり遊びぞわれはまされる
 著者の著名人の墓参りという趣味。横浜へ映画を見に一泊の小旅行。書斎・読 書について。銭湯について。植物園や公園での植物鑑賞。
IV 東京の空の下
 東京オリンピック前後の東京の思い出。1960年代の映画館を中心とした新宿の 様子。日本映画に映るかつての東京。
V この町はいつかきた町
 島根県の川本町を訪ねる。千葉の房総への小さな旅。鉱泉宿めぐり。温泉街に は「和倉温泉型」(大きな旅館になんでもあり、みんな温泉街には出かけない)と 「城崎温泉型」(温泉街に溶け込んでいて、町歩きが楽しい)がある。東京でも、池 袋が「和倉温泉型」(駅に隣接する建物で用事が済んでしまう)、銀座が「城崎温泉 型」なのではないか、という考察。
VI 町を歩いて美術館の中へ
 絵画展・画廊への訪問記。
VII 眺めのいい旅
 海外への旅行記(アメリカ、ハンガリーへの旅)。
・エピローグ「夕暮れの街」:「場末の映画館が隠れ家だったころ」

 こういう街の歩き方は、理想的だよなあ。俺はどうしてもがつがつとしてしまい、あ る街に行くと隅々まで見たくなってしまう。それに、周辺にある町にもいっぺんに訪 れたくなってしまう。
 しかし氏のように、見たいところをひとつ決めて、気負わずに歩いて、楽しむとい うのは、しぶくてかっこいいなあ。
 それからあとがきにある「私の場合も、考えてみると『ひとり遊び』ばかりしてい る」(p.292)という時間の過ごし方も、俺にとってはうらやましい。具体的には「本を 読む、映画を見る、美術館に行く、田舎町を旅する、居酒屋でビールを飲む、下町 を歩く」(p.292)なんていうことが「ひとり遊び」の内容で、氏は「東京という大都市で 生活することの数少ない利点のひとつは、ここではわりとひとりになれる自由が保 障されていることではないかと思う」(p.292)と書いている。
 たしかに、そうだよなあ。俺も、もっともっと、東京という街を楽しみたいと思った。
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2006.12.20(水) この人が歩くと、町の方から魅力が寄ってくる

オンライン書店ビーケーワン:東京の空の下、今日も町歩き・川本三郎:著・鈴木知之:写真『東京の空の下、今日も町歩き』(2006.10,ちくま文庫)

 川本三郎氏の東京町歩きの本。雑誌『東京人』に「東京泊まり歩き」の題名で連載されたもの、とのこと。あとがきによると、以前の『東京人』での連載(『私の東京町歩き』として刊行されている)で「隅田川沿いの下町に行くことが多かった」(p.271)ので、今回は「あまり語られることのない周縁の町を中心にした。とくに、これまであまり行ったことがなかった多摩の町をよく歩いた」(pp.271-272)とのこと。たしかに、青梅・八王子・武蔵村山・東大和・羽村・福生・調布・あきる野など、東京西部の町を歩いている回が多い。ただ、他にも練馬区や板橋区、王子に赤羽、池上・千鳥・蒲田など、「周縁の町」という言葉から連想できるような町も登場する。一方、私が個人的に馴染みの深い東京東部の町、砂町・亀戸・新小岩、柴又・亀有・金町、更には町屋、押上、業平橋、曳舟なども登場する。

 町の雰囲気は様々だが、この本を読んで思うのは、まず川本氏の文章で紹介されると、どの町も魅力的に見えるということ。そして、川本氏が歩くと、まるで町の方から魅力が寄ってくるように、氏が面白い物事に出会うということ。

 例えば八王子、浅川沿いの田町で、廃屋のような建物が並ぶ旧遊郭街のそばに、「古ぼけた食堂が目に入った」(p.66)。「廃屋のひとつかと思ったが、のれんはあるし、よく見るとガラス戸に『営業中』とある」(p.66)し、「つげ義春の漫画に出てきそうな貧しげな雰囲気に、捨て難い魅力がある」(p.66)ので、思い切って入ってみる。
 中も、戸を開けたらいきなり厨房だったり、土間の上にござを敷いたような席だけだったり(先客が日曜の昼からビールを飲んでいる)、なかなか強烈なのだが、出してもらったゲソの天ぷらや白菜の漬物を食べながらビールを飲んでいると、だんたん店が面白く思えてきて、「ビールを二本飲んで外に出たときは『いい店だった』と満足した」(p.68)気持ちで店を出たという。しかも、先客に近所にあるという北島三郎の家を教えてもらうというおまけつきで。
 また、町屋の京成電鉄の高架下に、古本屋を見つけたり。これも、「路上に無造作に本を並べているだけ。いちおうダンボール箱に入っていて、それが本棚のように積まれている」(p.210)。そして廃屋かと思っていたその後ろに家に人が住んでいるようで、これもまた面白い。
 他にも、東東京を中心に行ってみたいと思う町がいくつもある。赤羽・十条・東十条の「いい居酒屋のそばには、なぜか古本屋がある」(p.136)という古本屋とか、北区の荒川の中にあるという島とか。

 もちろん、東京に住んでいない人にとっても、東京の旅行記・紀行文として面白い。また東京に住んでいる人なら、本に登場する場所のどこかに行ってみようという気持ちになるのではないかと思う。

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2004.6.6(日)こういう東京の見方も面白いねえ
川本三郎:文・武田花:写真『私の東京万華鏡』(1999年,ちくま文庫)
 評論家川本三郎氏の、東京に関する文章を集めた本。雑誌『東京人』(都市出 版)に掲載されたものが中心。川本氏は、他にも『雑踏の社会学』『東京つれづれ 草』(いずれもちくま文庫)などの東京の町歩き本がある。それらに比べて、この本 は過去の思い出や、映画・文学・まんがなどから見えてくる東京についての話が多 い。
 自分が住んでいたり、かつて行ったことのある下町が取り上げられていて、読ん でいるとそれらの町々が浮かんでくる。
 特に印象に残った文章を紹介しよう。

・「都営新宿線は、私だけの名所に連れて行ってくれる−浜町、森下町、大島」(pp. 94-105)。タイトルがいいよなあ。俺も学生時代、神保町に行くために都営地下鉄 新宿線に乗っていました。
・「知らない町の知らない居酒屋で−私流”場末風流”」(pp.120-130)。この中に、 町の中華料理屋、ラーメン屋で餃子とビールを注文する話が出てくる。これがなん ともかっこいい。
・「アパートの時代の東京」(pp.196-206)。下町のアパートを舞台にした小説とし て、武田麟太郎「日本三文オペラ」(昭和7年=1932年)、庄野義信「エマ子とその 弟」(昭和5年=1930年)が紹介される。これがあらすじだけ読んでも魅力的。アパ ートを舞台にした小説を書きたくなる。

 その他、「もうひとつ別の都市空間−地下街、地下鉄、地下道」(pp.207-217)、 「東京の中の『まんが道』−深川から椎名町トキワ荘」(pp.218-229)なども興味深 かった。
※2004.6.7付記 上記文章中、都営地下鉄新宿線に「今は東京メトロ」との注を入れていましたが、 誤りでした。都営地下鉄は現在も都営地下鉄です。帝都高速度交通営団(通称:営団地下鉄)が平成 16年4月1日、東京地下鉄株式会社(通称:東京メトロ)となりました。訂正します。ご指摘いただきあり がとうございました。

2003年8月12日(火) 長い長い夏休みを思い出しながらのこの1冊
かんべむさし『むさしキャンパス記』(1982年,徳間文庫)
 SF作家かんべむさし氏の大学時代の思い出をエッセイ風につづった本。もとは 雑誌『いんなあとりっぷ』に連載されたもの。1960年代中頃の関西の大学の様子を 知るための読み物としても楽しめる。ちなみにかんべ氏は昭和42年に関西学院大 学に入学した。
 時代としては学生運動が起きていた頃で、それについての言及も一部にあるが、 そのあたりは俺にはあまり興味はなく、特に面白いとも思わなかった。それよりも、 氏が在籍した広告研究会での活動や、友人・後輩のエピソードの方が面白い。い つの時代も、どこでも、大学生って同じなんだなあと思うところが多かった。
 授業の思い出はあまりないが、P・K・ペーダー氏による英語の講義の思い出など は活き活きと書かれている。また大学生活とはちょっと違う話だが、勉強について の「小学校と中学校で習ったことをよく理解し覚えていたら、その人は大変な教養 人として遇されるのではないだろうか」(p.18)という意見には賛成だ。
 それから、大学サークルのOB・OGが現在のサークルに対して抱く思いの部分に も共感した。サークルを「存続させねばならぬ理由なんてどこにもないもんね。なく なっても、自分達の思い出の中に、広研はちゃんと存続し続けていくもんね。俺だ ってそう思っている」(p.228)。そのとおりだ。サークル活動に熱心だった氏にしても こうした思いなのである。多くのOB・OGが共通して持っている思いではないだろう か。
 今大学生の人は、読むと色々影響を受けるかもしれない。かつて大学生だった 人で、なにかに打ち込んでいた人には懐かしいだろう。なにもしていなかった人 は、どうかなあ。自分の学生生活を悔いて、つらくなるかもしれない。

2003年1月24日(金) 1980年代日本SFを振り返る2冊(の1冊)
かんべむさし『むさし走査線』(1981年,徳間文庫) 古本
 SF作家かんべむさし氏のエッセイ集。SFに関するものもあれば、身辺に起こった あれこれをつづったものも、氏が学生からサラリーマンを経て作家になるまでを回 想した文章もある。ちなみに、氏のペンネームの由来を、俺はこの本ではじめて知 りました。
 俺もほんの少しではあるがSF小説は読むわけで、1970年代から1980年代にか けての熱狂的なSFブームの様子が垣間見られるのは興味深い。横田順彌氏、山 田正紀氏との対談も、当時を知る資料になる。
 しかし、そういう資料的価値を抜きにしても、エッセイとして面白かった。考え方が 鋭い。SFブームに対する危惧をはっきり表明した文章(「ブームの功罪」)などは、 ブームの真っ只中にいたSF作家にとって、誰もが思っていてもなかなか書けないこ とではなかろうか。もしかしたら、頻繁に語られていたのかもしれないが。

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2009年08月31日(月)

カラスヤサトシ『カラスヤサトシ 4 (アフタヌーンKC)』(講談社 ) Amazon.co.jpオンライン書店bk1

 著者本人及び周囲の人の実話を元にした四コマ漫画。

 恥ずかしい話やかっこ悪い話も堂々とネタにしているので、笑っていいのかという思いを抱きつつも、爆笑してしまう。生まれて初めて捻挫した話は、そのシチュエーションから、笑うのは不謹慎と思うのだが、そのシチュエーションだからこそ、笑っちゃったなあ。

 それから、カラスヤさんって文学青年なんだなということも、漫画の中から垣間見ることができる。

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2009年08月31日(月)

カラスヤサトシ『カラスヤサトシのおしゃれ歌留多 MiChao!KC (KCデラックス)』(講談社 ) Amazon.co.jpオンライン書店bk1

 web連載を中心にまとめられた単行本。メインは、最近女性の間で流行しているものを、単語だけ聞いて想像する8コマと、東京のおしゃれな街をレポートした1ページ漫画。

 女性の間で流行しているキーワードを元にしたマンガは、カラスヤさんの妄想力が存分に発揮されていて、正解との距離が(ものすごく遠かったり意外とおしかったり)面白い。それから、カラスヤさんのマンガを読んだ後では、登場している流行が、どれもあまり魅力的に感じなくなるのも面白い。中には「本当に流行ってんの、それ?」と突っ込みたくなるスキのあるものも。

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2010年01月03日(日):東京歩きの意外な新鋭

カラスヤサトシ『カラスヤサトシのでかけモン』(芳文社MANGA TIME COMICS)オンライン書店bk1

 マンガ家のカラスヤサトシさんが、東京とその近郊の町を歩いたエッセイマンガ。しかし、歩く場所はあまり観光地として知られる場所ではない。また、店に入ったり人に出会ったりということもほとんど描かれていない。町にある建築物、偶然見つけた看板やオブジェなどを眺めつつ、カラスヤさんがツッコミを入れて行くという、「路上観察」に通ずる面白さがある。
 この観察する視点に、カラスヤさんの妄想力が遺憾なく発揮されているのが面白い。例えば、舞浜リゾートラインの「リゾートゲートエウィステーション」で降りて、ディズニーリゾートには近寄らずに周囲を歩く回。町の風景をアトラクションに見立てて、「賽の河原」・「アリ地獄」などと名付けていて、その命名のディズニーリゾートとのギャップの大きさに笑ってしまう。また東京モノレールの「天空橋」では、羽田空港の整備場に展示されている旅客機「YS-11」の「YS」を「KY」みたいな略語だとしたら、とあれこれなんの略かを考えてみたり。

 それから、斬新だったのは訪れる町の選び方。今回訪れた町の印象に合った名前の町を、次の訪問地にするのである。具体例を挙げると、最初に歩いたのが著者の住む東伏見で、この町のキーワードは「縄文」ということで(縄文遺跡がある)、次に行くのが「縄文ぽい/名前の駅」(p.10)で「くぬぎ山」になるのである。ちなみにくぬぎ山のキーワードは「平和」で、次に行くのは平和っぽい名前の「御花畑」。こういう感じだから、思いも寄らない場所に行くことになる。このダイナミックというか、脈絡のないというか、そんな展開が面白かったなあ。

 著者本人も、最終回で「マンガ家って/家にこもりがちなんで/外の空気にふれるってのは/気持ちよかったですねー/なんか発想も/自由になる/気がして」(p.178)と書いているけれど、読む側としても、あまりないタイプの町歩き本だったので、面白かった。

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