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木の葉燃朗のばちあたり読書録

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■著者別「け」

ケラ『ライフ・アフター・パンク・ロック DEVOを聞きながらモンティ・パイソンを一服』 / けらえいこ・ハヤセクニコ『おきらくミセスの主婦くらぶ〜』 / 玄侑宗久『釈迦に説法』 / 玄侑宗久『禅的生活』

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2003年5月16日(金) テクノでポップでニューウェーブだぜ! この1冊(意味 不明)
ケラ『ライフ・アフター・パンク・ロック DEVOを聞きながらモンティ・パイソンを 一服』(1990年,JICC出版) 古本
 ケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)のエッセイ集。まだ有頂天も解散していなけ れば、主宰していた劇団も「ナイロン100℃」ではなく「健康」の頃だ。そして、俺はこ の頃のケラのことはよく知らない。とりあえず、本の紹介の前に「俺とケラさん」とい う話をしておこうか。
 俺がケラという名前を知るようになったのは、電気グルーヴのオールナイトニッポ ンを聴くようになってから。1993年ごろ、当時の俺は中学生だった。番組の中で、し ばしば「元有頂天のケラさん」という人物が話題にのぼり、本人がゲスト出演した回 もあったように記憶している。
 その後、有頂天の後にケラさんが結成したバンド「LONG VACATION」の「シェリ ーに口づけ」(もちろん、あのミッシェル・ポルナレフのカバー)が小ヒットし、ラジオ やテレビで歌を見聞きするようになった。そうこうするうち、ナイロン100℃という劇 団の演劇をテレビの劇場中継などで知り、その劇団の脚本・演出をしているケラリ ーノ・サンドロヴィッチという人物を知るようになる。そんな経緯。
 まあ、ここまではこの本とは全然関係ない話だな。この本は、身辺雑記のような エッセイ・ナゴムの話・演劇の話・喜劇の話などが収録されている。更には戯曲・短 編小説・漫画もあるぞ。
 「ナゴムってなに?」という人は読んでもあまり面白くないと思うが、興味がある人 にとってはおもしろい話が続々出てくる。俺よりも少し年長の人は、1980年代のイ ンディーズバンドブームに思いを馳せつつ読むのもよいかと思います。ちなみにナ ゴム(ナゴムレコード)というのは、当時ケラが作っていた自主制作のレコード会 社。たま、筋肉少女隊、人生(電気グルーヴの石野卓球・ピエール瀧が在籍してい た)、ばちかぶり(あの田口トモロヲがボーカルだったバンド)などが、ナゴムからレ コードを出していた。
 さらにちなみに、演劇の話の中で、ケラが岸田國士戯曲賞(戯曲における直木賞 のようなもの)を受賞するというギャグがあったが、その後1998年に本当に岸田國 士戯曲賞を受賞するのだから、すごいよなあ。
 しかし、この本を書いた頃(1980年代の終わりごろ)のケラさんて、今の俺と同じ 年齢なんだよなあ。そう考えるとすごいと思うとともに、「なにやってんだ、俺」という 気持ちに襲われてしまう。

2004.6.20(日)たまにはこういうのもいいよね
けらえいこ・ハヤセクニコ『おきらくミセスの主婦くらぶ〜』(1993年,講談社文 庫)古本
『あたしンち』(メディアファクトリー)でおなじみのマンガ家けらえいこ、編集者ハヤ セクニコの両氏による、主婦の生活のあれこれを紹介した本。内容は次のとおり。

節約術/インテリア/家事テク/ヘアカタログ/脱毛秘話/ダイエット/服地獄/ アクセサリー/旅行/夫とわたし

 それぞれのテーマごとに、けら氏のマンガとふたりの対談が掲載されている。
 どうでもいいといえば、どうでもいいような話なのだが、面白かった。夫婦で生活 するのは、大変そうだけれど面白そうだなあ。
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2004.10.28(木) 落ち着いた気持ちで面白く読める本
・玄侑宗久『釈迦に説法』(2004年,新潮新書)
 著者は、僧侶であり芥川賞作家。この本は、一般向けの雑誌や新聞も含め、 様々な媒体に書かれた随筆(「エッセイ」より「随筆」という表現が似合う)をまとめ た本。
 分かりやすい話ばかりではないが、なかなか面白かった。難しいことがするする っと書いてあって、するするっと読めてしまう。それだけにぼんやり読んでいると、な にが書いてあったか忘れてしまいそうになる。意識的にじっくり読んだ。

 特に印象に残った部分を紹介します。

 羊羹の大きさを争う兄妹の話。半分に切った羊羹を「大きさが違うと言いあって 喧嘩したりする。そうすると、その父上は、二人の兄妹の間に坐って『そうかそう か、こっちが大きいか』と言って大きいほうを少し食べる」(p.86)。そうすると食べな かったほうが大きくなり、兄妹がそのことを言うと、また大きなほうを少し食べてしま う。
 そうすると、「このままでは取り分がどんどん減ってしまうと気づいた二人は、よう やく喧嘩をやめたそうだ」(p.87)という話。これが実話なのがすごいなあ。よくでき たお伽噺みたいだもんなあ。

 学校での宗教の教育に関しての話。そもそも、神道や日本の仏教には、ひとつ の決まった正統がない。「『多』の中に『一』を見ようという思考」(p.109)だという。そ して、「日本の仏教や神道は、けっして自らを『一』として他を否定するような構造に はなっていないから、たとえば一つの宗派の和尚が教室で話したとしても、厳密に は特定の『宗教』教育にはならないはず」(p.111)と主張する。
 一方で、宗教教育を「非難する人々をよく観察してほしい。彼らは自らの『一』以 外を否定する『進歩』した『宗教』の信者ではないだろうか」(p.110)と指摘する。こ のあたりの話は、俺はなるほどと思ったなあ。

 仏教のお経の話。お経は、音で聞いただけでは意味が分からないようになってい る。キリスト教の賛美歌と比較して、「お経はその点、意味が解らないぶんだけ厭 きないし、おそらく音が運んでいく場所も、日によって時によって違って感じられたり するはずである。たぶんお経の音は、日常の背後で眠っている多様な自己を、揺 り起こす装置なのだと思う」(p.140)ということだ。

 それから、色々な言葉の由来もわかって面白い。「村八分」が、「そんなに仲違い したり喧嘩していたとしても火事とお葬式のときだけは助け合おう」(p.31)、つまり 「嫌な奴とは八分はつきあわなくていいが、火事と葬式にまで協力をしないようでは 人間じゃない、人間ならその二分は別に考えましょう」(p.31)という意味だとか、「猫 も杓子も」が、「ネコが禰(正しくは示爾)子(神道の信者)でシャクシが実は釈子(仏 教徒)である」(p.146)とか。
 こういう話も面白かったなあ。
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2004年2月23日(月)たまにはまったく知らない分野の本でも
玄侑宗久『禅的生活』(2003年,ちくま新書)
 著者は現役の禅僧であり、芥川賞作家。これまで、氏の本は小説も含めて読ん だことがなかったし、禅のことも全然知らないのだが、なんとなく興味を持って読ん でみた。
 俺には基本的な知識からしてないので、ところどころ難解な部分もあったが、そ れでも興味深く読めた。たしかに、専門的な用語や古今東西の書物・思想家の言 葉も出てくるが、それとともに日常生活の一場面、人間や動物の行動・考え、さら には駄洒落も出てきて、飽きないようにできている。
 それで、どんなところが気になったかというと、著者が注目して欲しいところとは 違うかもしれないが、こんな部分だった。

・人間の行動は、意識的に行うことができる。あくびを意識的にする方法(p.14)。
・人間は、「うすらぼんやり」している状態がリラックスした状態であり、この時「生命 力が最大になっている」(p.49)。
・「『歴史』とは無数の因果関係から適宜に選んだ因果の糸で綴られた、極めて恣 意的な織物なのである」(p.58)。
・「眼・耳・鼻・舌・身・意の順で社会性が薄れると申しあげたが、別の言い方をすれ ば、これは学習や経験によって身につけた価値判断の影響を受けやすい順番でも ある。だから匂いは音や景色よりもはるかに本源的な自分につながるし、味や皮 膚感覚はもっとも学習によって変化しにくい」(p.87)。
・「煩悩の汚れを落とすのは大事なことだが、濯ぎこそもっと大事なのである。『無 一物』状態であっても、『無一物』という意識が残っていたら石鹸臭い」(p.125)。
・「日日是好日」。「ここで言われるgoodは、決してbadの反対語ではないことに注意 しなくてはならない。いわば絶対的なgoodなのである。/つまり雨の日も、雪の日 も、嵐の日も、『佳い雨の日』『佳い雪の日』『佳い嵐の日』なのである」(p.131)。
・「知足」。「裸にて生まれてきたに 何不足」(p.185)。

 ちょっと気持ちが不安定なときにこの本を読んで、ずいぶん楽になった。もしも気 持ちが揺らぐ時があったら、改めて読みたいと思う。また色々と気付かせてもらえ るのではないか。
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