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木の葉燃朗のばちあたり読書録

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■著者別さ行

最相葉月『あのころの未来 星新一の予言』 / 最相葉月『熱烈応援!スポーツ天国』 / 最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』 / 佐々木俊尚『グーグルGoogle』 / 佐竹雅昭『まっすぐに蹴る』 / 佐藤 雅彦著 / 竹中 平蔵著『経済ってそういうことだったのか会議』 / 佐藤大著・フロッグネーション編『メイキング・オブ・カウボーイビバップ レックレス・プレイヤーズ』 / 佐野正幸『1988年10・19の真実[近鉄・ロッテ]川崎球場が燃えた日』 / 澤田隆治『決定版私説コメディアン史』 / 三G会『三Gが行く 喜寿三人組のユーモア放談』 / 獅子文六『ちんちん電車』 / 島田虎之介『東京命日』 / 島田虎之介『ラスト.ワルツ―Secret story tour』 / 実相寺明雄『ウルトラマンの東京』 / 澁澤龍彦『快楽主義の哲学』 / 志村 けん『変なおじさんリタ〜ンズ』 / 下関 マグロ・北尾 トロ『おっさん糖尿になる!―コンビニ・ダイエットでいかに痩せたかをチラホラ語ってみる。 (おっさん問答 2)』 / ペリクレス・シャムスカ 『シャムスカ・マジック』 / 白土 健・青井 なつき(編著)『なぜ,子どもたちは遊園地に行かなくなったのか? 』 / 陣内秀信文・小林雅裕写真『東京キーワード図鑑』 / 杉浦日向子『入浴の女王』 / 殊能将之『黒い仏』 / 杉山亮:選・解説『のどかで懐かしい「少年倶楽部」の笑い話』 / 鈴木祐監修/ストレンジ・デイズ編/鈴木祐他著『テクノ・ポップ エレポップ』 / 殊能将之『ハサミ男』 / 春風亭小朝『苦悩する落語』 / 春風亭昇太『楽に生きるのも楽じゃない』 / 春風亭柳昇『寄席は毎日休みなし』 / 春風亭柳昇『寄席花伝書 人間社会の道しるべ落語道』 / 春風亭柳昇『柳昇の新作格言講座』 / ジョシュ・バゼル著、池田 真紀子訳 『死神を葬れ』 / 杉浦茂・斉藤あきら・井上晴樹・後藤繁雄『杉浦茂―自伝と回想』 / 関川夏央『戦中派天才老人山田風太郎』 / アニリール・セルカン『ポケットの中の宇宙』

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2003年8月29日(金) 未来に思いを馳せる1冊
最相葉月『あのころの未来 星新一の予言』(2003年,新潮社)bk1(文庫版)Amazon.co.jp(文庫版)
 星新一のショートショートを読み返しながら、今まさに現実として起きている問題について考える、という内容の本。レポート風の文章もあれば、寓話風の文章もある。雑誌『サンデー毎日』に連載されたもの。
 取り上げられるのは、「バウリンガル(タカラが発売した、犬の鳴き声を人間の言葉に翻訳する機械)」、「ドラえもん」などの柔らかい話題から、体外受精や代理母などの生命倫理の問題、そして防犯ビデオ・インターネット・様々な個人情報の管理などの身近な問題まで、色々な話がある。最相氏の本を読むのは初めてだが、どの話もきちんとこちらの頭に入ってくる。星新一氏をきっかけにしていることと、具体的な事例を数多く登場させる最相氏の文章のうまさによるものだろう(ただし、「耳さわりのいい」という表現が頻繁に登場するのは気になるが)。
 しかし、星氏の本は、今こそ読むべきという気がする。氏の小説もエッセイも、古びることがないよなあ。この本を通して、星氏がいかに「自分の文章がいつまでも読まれ続けること」を意識して書いたかを改めて感じた。最相葉月という優れた人の目を通して、星新一の偉大さを改めて認識した。

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2005.3.19(土) スポーツは見るのも熱いぜ!
最相葉月『熱烈応援!スポーツ天国』(2005年,ちくまプリマー新書) bk1Amazon.co.jp
 2002年の冬から、2004年の夏まで、マイナーなスポーツの競技場で、主に観戦す る人に注目して取材した本。雑誌「スポルティーバ」(集英社)連載に加筆・書下ろし を加えたもの。目次は下記の通り。

・はじめに 「観戦症」の人々
・熱烈応援!スポーツ天国(第一幕)
 1.女子サッカー/2.西宮競輪/3.ビリヤード/4.闘龍門ジャパン/5.ラクロス/
 6.スポーツチャンバラ/7.ボウリング/8.ダンス/9.サガワダービー/10.チアリー ディング/
 11.綱引/12.弓道
・幕間 東京六大学野球「観戦症」の人々
・熱烈応援!スポーツ天国(第二幕)
 13.スポーツ吹矢/14.ボディビル/15.ラグビー/16.ドッジボール/17.実業団野 球/
 18.腕相撲/19.古武道/20.一輪車/21.雪合戦/22.射撃/23.キンボール/24. セパタクロー
・あとがき 応援すること、されること

 ちなみに、「サガワダービー」というのは、サッカーのJFL(Jリーグのひとつ下の 全国リーグ)の佐川急便東京SCと佐川急便大阪SCの試合のこと。
 スポーツ観戦に熱中する人を「観戦症」と呼び、面白く、かつ熱く紹介している。そ の熱さが、最相氏にも観戦、いや、感染している回もある。
 マイナースポーツの観戦者への注目が面白い。一番初めに、最近認知度が上が った女子サッカーを持ってきているのも、構成として上手いと思う。
 また、取材に際し最相氏が自身に課した制約がなかなか興味深い。
@特別な事情がある場合を除き、「事前に取材依頼は行わず、当日券で入場する こと」(p.10)
A「応援を真似してみること」(p.10)
B「できるだけ予選から決勝まで観戦すること」(p.10)
 そして、マイナーだが熱い観戦者がいるスポーツの特徴も、また面白い。
@「観客数と関係者の数にあまり差がない。つまり、観客イコール選手、選手イコ ール観客」
A「選手はフレンドリー」
B「グッズが豊富」
C「スポンサーがつく競技は賞金・商品、来場者へのおみやげが用意されている」
D「あらゆる年齢層が楽しめるようになっている」
E「『スポーツ』という言葉をかぶせてオリンピック公式種目化を目指している」
F「Eの競技では、国会議員が主催団体の役員をつとめていることが多い」
G「中に入ってみないと会場だとわからない資金難の競技も多い」
H「選手と観客と主催者がみんな楽しそうで一体感がある」
(pp.10-11)
 メジャーなスポーツの中にも、面白いものはもちろんたくさんある。でも、ややマイ ナーで、お客さんも少ないスポーツの方が、見ている人一人あたりが感じる面白さ が多いのかもしれない。
 魅力を俺もこの本を読んで、「今年はJ2(Jリーグの2部)となでしこリーグ(女子サ ッカーリーグ)をなるべくスタジアムで観戦しよう」という思いを強くしたのであった。

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2007.04.22(日)ショートショートの神様も一人の人間だった。だからこそあらためて好きになる。

星新一 一〇〇一話をつくった人最相 葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(2007年,新潮社)bk1Amazon.co.jp
目次
序章 帽子 / 第一章 パッカードと骸骨 / 第二章 熔けた鉄 澄んだ空 / 第三章 解放の時代 / 第四章 空白の六年間 / 第五章 円盤と宝石 / 第六章 ボッコちゃん / 第七章 バイロン卿の夢 / 第八章 思索販売業 / 第九章 あのころの未来 / 第十章 頭の大きなロボット / 第十一章 カウントダウン一〇〇一編 / 第十二章 東京に原爆を! / 終章 鍵

 日本のSF・ショートショートの第一人者である、作家星新一氏の評伝。本の内容は、大きく三つの部分に大きく分けることができる。

1.「第一章 パッカードと骸骨」〜「第五章 円盤と宝石」:父星一氏のエピソードから、星親一(新一氏の本名)の生い立ち、そして星氏が本格的に作家としてデビューするまで。
2.「第六章 ボッコちゃん」〜「第九章 あのころの未来」:星氏のデビュー以降の記録とともに、戦後日本SFの黎明期から成熟期への記録。
3.「第十章 頭の大きなロボット」〜「第十二章 東京に原爆を!」:ショートショート一〇〇一編を目指す執筆活動と、星氏の人間らしさを感じさせるエピソードの数々。

 星新一氏の題材としての興味深さと、著者最相葉月氏のノンフィクション作家としての取材力・執筆力の高さがあわさった、非常に興味深い内容。もちろん、これまで星新一氏の著作で書かれていたことや、昔からのSFファンなら知っていることもあるだろう。しかし、父星一氏の生涯から始まり、星新一氏の晩年までを丁寧に書いたこの本は、やはり貴重だと思う。

 非常にボリュームのある本であり、読む人によって興味を持つ部分は様々だと思う。例えば、星氏が24歳の時、父の逝去により製薬会社星製薬を継ぐことになり、会社の人間関係や経営に苦労した経験。例えば、日本のSF小説が、内部で論争や対立を抱えつつも発展し、そうした動きからは距離を置きながらも、作品の評価や第一人者としての存在感で関わっっていった話。これらのテーマだけでも、充分一冊の本になる。
 その中で私が印象的だったのは、現役の作家としての評価を求め続けた星氏の人間らしさだった。
 私は星氏の小説・随筆などを読んで、その中に皮肉やブラックジョークはあるものの、なんとなく星氏は「のほほん」とした方だというイメージを抱いていた。しかしこの本に登場するいくつかのエピソードから感じたのは、自らの人気や文学的評価にこだわる一面だった。
 そうした面は、星氏が作家デビューした頃からあったようだ。昭和32年、同人誌『宇宙塵』に掲載した短編「セキストラ」が、雑誌『宝石』に転載されることが決まった、その当時の様子が、星氏の友人の日記で次のように綴られている。

私には空想科学よりも星君自身の最近の変化のほうが気になった。前の星君とは違う。彼が従来から持っていた温良さ、寛大さといった駘蕩としたものが少なくなって、変わって、冷淡さ、自己顕示的なものが目立ってきた。
 昔は温厚、今は戦う星。昔の星君ではなくなってきている。
 星君には前々から権勢欲、名誉欲が内在していたとは思えるが、今のように露骨に表面に表れるようなことはなかった。今は独りよがり、独善、自己の力を過信しているように見える。

(pp.211-212。牧野光雄氏の昭和三十二年九月四日付日記より)

 そして、作家として名を成してからも、例えば下記のようなエピソードから、文学賞という評価を求める星氏の姿が見て取れる。

 昭和45年から、日本SF大会でファン投票によりSF作品、SF活動を選ぶ「星雲賞」が設立されたが、星氏の作品・活動は、星雲賞を受賞することができなかった。

柴野拓美は、
『ぼくは星雲賞もらえないの?』
 と新一に訊かれ、
『ブラッドベリもヒューゴー賞もらってないよ』
 といってなぐさめるのだった

(p.407)

 あるいは直木賞について。昭和51年、星氏はショートショート一〇〇一編目となる九作品を、同時期に別の雑誌に発表する。これは紛れもない偉業だが、「結果的に、なんら文学的な評価を得られなかった」(p.508)。吉行淳之介からは一〇〇一編達成時に直木賞候補に推薦したいという話も聞いていたが、それについても音沙汰がなかった。

銀座で吉行や編集者達に会えば、酒の勢いを借りて愚痴をこぼさずにはおれなかった。
『なんでぼくには直木賞くれなかったんだろうなあ』
 賞のことなどとうの昔に乗り越えていると思っていた彼らには、返す言葉もなかった

(pp.510-511)

 そして文学的評価の差から、「星新一は、筒井康隆の応援者であり、筒井にとっては発想の泉であり、最大の理解者であったといっても過言ではない」(p.506)関係だった筒井康隆に対して、雑誌で自分の発言を紹介されたことに触れ、「勝手に書きやがって……、人のこと書いて原稿料稼ぎやがって……」(p.507)と口にしたこともあったという。

 こうした様子を読んで思ったのは、手塚治虫氏との類似だった。手塚氏は比較的多くの賞を受賞しているなど、異なる部分もあるのだが、どちらも「神様」と呼ばれながら、生涯にわたり評価・結果を求め続けたという点で、二人には共通した思いがあったのではないかと思う。
 それを思わせるエピソードがある。

 昭和61年から、「新潮文庫が活字を大きくするため改版を行うこととなり、この機会に時代が変わって通じなくなるような言葉は使わないという自分の方針をさらに徹底させようとした」(p.517)のである。そして、その時々の読者にあわせて、作品の細かな表現を改定していく。これは、「時代に応じて作品に手を入れるのは手塚治虫も同様で、絵が古びることを気にして定期的に描き直していた」(p.521)と紹介されているように、手塚氏が作品をその時代に受け入れられるように手直ししていったことと共通する。

 こうした姿勢には、賛否両論があるかもしれない。しかし私は、周囲から距離を置き、どことなく超越した立場で活動していたように思える星氏も、やはり作品を書くにあたり悩み、苦しみ、そして作品が発表されれば、その評価に気を揉んでいた、という点に、星氏の人間らしさを感じ、改めて星氏が好きになった。
 そして、そうした様々な出来事や考えをを知った上で、もう一度星氏の作品を読んでみたい、という気持ちになった。

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2006.07.26(水) 良いか悪いかを考える意味でも、今なにが起きているか知るために

オンライン書店ビーケーワン:グーグルGoogle・佐々木 俊尚『グーグルGoogle』(2006.4,文春新書)
 Googleに限らず、インターネット上のサービスの普及により、なにが起きているのかを簡単ではあるが分かりやすく紹介している本。目次は下記のとおり。

第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」
第二章 小さな駐車場の「サーチエコノミー」
第三章 一本の針を探す「キーワード広告」
第四章 メッキ工場が見つけた「ロングテール」
第五章 最大の価値基準となる「アテンション」
第六章 ネット社会に出現した「巨大な権力」

 現在、インターネットによって、経済の仕組みも変わっていれば、情報の伝わり方も変わってきている。良いか悪いかは別として、まず、それは意識しないといけない。
 その上で、この変わりつつある世の中で、どう行動していくか、もっと言えばどう生きるかを考えさせられた。

 最初に思ったのは、あまり無邪気にGoogleを(というか、インターネットを)信じてもいられないなあということ。特に第六章の「ネット社会に出現した『巨大な権力』」を読むと、特にそれを感じる。「グーグル八分」(Googleにより、意図的に検索結果からはずされること)もそうだし、「二〇〇六年一月、グーグルは中国政府の要請に応じ、千語近くの用語やホームページへのアクセスを制限した特別な検索エンジンを提供し始めた」(p.223)とか、Googleの提供する地図サービスから「沖縄の嘉手納基地をはじめとする米軍の基地やホワイトハウスなどの精密航空写真は、なぜか見られないように処理されている」(p.225)という問題もある。
 この本ではあまり触れられていないが、他のインターネット上でサービスを提供する企業が知らないうちに情報操作をしているという話も読んだことがある(どこまで確実な話かは分からないのですが)。
 だから、インターネットを知識を得たり価値判断をするための唯一の基準にするのはやっぱり危険だよなあ。
 それから、インターネット上に自分のことを公開しすぎるのも控えようと思った。
 俺の場合は、基本的にネットで書くことと書かないことは区別しているつもりだが、それでもいつどこでどんな本を買ったか、なんてことは分かってしまうわけです。その情報に自分では大きな価値はあるとは思わないが、いつ何時どんなことに利用されるか分からない。
 ブログやホームページ上の日記では、もっと自分の生活をくわしく書いている人もいる。もちろん心配するようなことはほとんどないのだが、世界中の誰もが読める可能性のある状態になっているということは、改めて意識した方がいいよなあ。

 もちろん問題点だけではなく、インターネットの可能性も感じる。例えば、インターネットが従来と商売の方法を変えたことで、これまで勝ち目がなかった会社にもチャンスが巡ってきていることは、第二章「小さな駐車場の『サーチエコノミー』」や第四章「メッキ工場が見つけた『ロングテール』」で分かる。
 ちなみに「ロングテール」というのは、従来の「パレートの法則」の逆の考え方として注目されている。「パレートの法則」というのは、商品の種類としては二割程度の売れ筋商品が、八割の売り上げ金額を上げるということ。つまり、全部で100種類の商品があるとして、売り上げはそのうち上位20位で80%を占める、という法則。
 だから、「公開されてもほとんど顧みられないようなマイナーな映画を量産するのではなく、『スター・ウォーズ』シリーズのような大ヒット作を年に一本でもいいから頑張って作るべきだ」(p.129)という考え方が常識だったし、今でも一部の商品ではこの考え方が通用する。
 しかし、インターネットで自分の興味にあった商品を検索できるようになって、このパレートの法則が通用しなくなりつつある、というのが「ロングテール」の考え方。これまで「死に筋商品」と言われていた商品も売れるようになり、「チリ(些細な売り上げ)も積もれば山(大きな売り上げ)となる」ことが現実のものになりつつある。これを佐々木氏は、次のように表現している。
「要するにいままでは、/『みんなが聴いていて流行っているから浜崎あゆみを聞いておくか』/と思っていた人が、/『本当は八〇年代のテクノポップが好きだから、そっちを聴こう』/とアマゾンで古いCDを買って聴くようになったということなのだ」(p.133)
 この考え方には、俺なんかは勇気付けられる。俺のように、個人でサイトを運営している人間の書いたものも、多くの人に届く可能性があるわけだからね。今までなら、なんらかの媒体(新聞や雑誌や本や)に載らない文章は存在しないのに等しかったのが、そうではなくなっている。これはやはりすごいことなわけです。

 この本の内容にも、現在のインターネットを巡る状況にも、賛否両論あるとは思いますが、今なにが起こっているかを考える意味でも、読む価値がある本だと思う。

参考:文藝春秋サイト内:著者による「自著を語る」http://www.bunshun.co.jp/jicho/google/google.htm

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2004年1月4日(日) 俺はこの人の側に立つよ
佐竹雅昭『まっすぐに蹴る』(2003年,角川書店)
 空手家、格闘家として活躍した佐竹氏が、その半生を語る本。「K-1」、「正道会 館」、「PRIDE」、「京都」の四章からなる。最後の「京都」とは、氏が現在京都で開い ている空手の道場の話が中心になっているため。
 しかしまあ、石井和義、正道会館、K-1の日本人選手への批判が出るわ出るわ といった感じ。今の日本のK-1を支えている(ことになっている)角田信朗、武蔵と いったあたりの人々もかなり悪く書かれている。
 しかし、佐竹氏の言葉だと現実味がある。名も知らない記者やライターが書いて いるわけではなく、佐竹氏は書くことで自分がリスクを背負うわけだからね。それ に、石井和義被告の判決はまだ出ていないけれど(判決公判は2004年1月14日)、 金に目がくらんで悪いことをしたのは間違いないような状況だし。
 まあ、正直な気持ちを言えば、俺はなんだかんだいって佐竹雅昭という格闘家が 好きだ。だから俺は、この人の側に立ってこの本を読んだ。かつて佐竹氏の試合 に興奮し、氏がパーソナリティを務めていたラジオに夢中になった俺としては、どう してもこの人に肩入れしたくなる。
 しかし、冷静に読んでも、K-1の創成期の話などは興味深かった。たしかに「K-1 =佐竹」という時代があったが、そこにどういう裏話があったかもよくわかった。そ れから、氏がK-1・正道会館をいかにしてやめたかも、いちファンの俺には電撃的 に思えたが、実はずっと前から訳があったのだ。
 2003年の大晦日に、格闘技イベントが3つ同時に開催されたが、選手の引き抜き などの様子を見ていると、なんとなくきな臭い感じがした。特にこの本を読んだ直後 だったので、素人ながら、これで本当に武道が成り立つのかということを、考えさせ られた。
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佐藤 雅彦著 / 竹中 平蔵著『経済ってそういうことだったのか会議』 (2002年・日経ビジネス人文庫)  Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 具体例が面白い。佐藤氏が子どもの頃、学校で牛乳のフタが価値を持ち、それが暴落した話とか(p.15「貨幣と信用」)、実力が1対10でも、1の側が10の側を競争相手だと表明する(ケンカを売る)と、まわりからは10対10の実力の競争に見えるとか(p.306「起業とビジネス」)。

 ただ、じゃあこの本を読んだらこの今の世の中をよく変えていけるか(少なくとも経済面だけでも)と考えると、それには疑問が残る。実際、竹中氏はこの本の親本が刊行されて(2000年)からいくつかの大臣を歴任したが、少なくとも私個人は世の中がいい方に向かったとは思えない。
 なんとなく、頭のいい人同士の間で話が完結している印象を受ける本。

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2003年7月3日(木) 今のアニメーションがなんとなく好きになれない人に送 る1冊
佐藤大 著・フロッグネーション 編『メイキング・オブ・カウボーイビバップ レッ クレス・プレイヤーズ』(1999年,メディアファクトリー) 古本
 そもそも、『カウボーイビバップ』というのは、1998年〜1999年にテレビ東京・ WOWOWで放送されたテレビアニメ。その後映画化もされた。元々はテレビ東京で の放送だったが、いろいろの事情で全26話中の半分しか放送されず(このあたり の話も一部この本に出てきます)、その後WOWOWで全話が完全に放送された。俺 はテレビ東京での放送時から、音楽のかっこよさ(オープニングからしてジャズのイ ンストゥルメンタルだった)や、話の内容のしぶさ(子どもは子どもなりの、大人は大 人なりの楽しみ方ができた)に惹かれ、ずいぶん夢中になって見たもんだ。もちろ んWOWOW版は全部見た。
 さて、この本は、その『カウボーイビバップ』のスタッフ・キャスト(声優)へのインタ ビュー集。もとはビデオのライナーノーツ用に企画されたものだが、再編集してまと め、本になった。といっても、あまりアニメーション本編とは関係のない話が多い。 それぞれのスタッフの履歴や人となり、ものをつくる上でのルーツの話が登場す る。しかしそれが見事に面白く、全然関係なさそうな話ばかりなのに、なぜ『カウボ ーイビバップ』が出来たのかがなんとなくわかる。いわゆる今のアニメがあまり好き じゃない人がつくったから、あれだけ異質でなおかつ面白いアニメが出来たんだろ うなと思った。
 また、人物などの固有名詞には丁寧な注釈もついているので、「『カウボーイビバ ップ』は好きだけどアニメのことはどうも」という人にも読みやすいのでは。
 なお、インタビュアーは佐藤大氏。イラストはよしもとよしとも氏。登場するのは次 の方々。
 渡辺信一郎(監督)/信本敬子(シリーズ構成・脚本)/川元利浩(キャラクター デザイン)/山根公利(メカニカルデザイン)/菅野よう子(音楽)/今掛勇(セット デザイン)/東潤一(美術)/佐山善則(モニターCG)/石塚運昇(ジェット役)/多 田葵(エド役)/山寺宏一(スパイク役)/林原めぐみ(フェイ役)/南雅彦(プロデ ューサー)/池口和彦(プロデューサー)。

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2005.08.25(木) かつて日本野球はこんなにも魅力的だった
佐野正幸『1988年10・19の真実 [近鉄・ロッテ]川崎球場が燃えた日』(2004年,光文社知恵の森文庫)

 1988年10月19日、川崎球場で行われた近鉄vsロッテのダブルヘッダー。
 この試合、近鉄は二連勝すればパ・リーグ優勝。一試合でも引き分け、または負けなら、先に全日程を終えた西武の優勝。
 そんなぎりぎりの状況を、筋金入りの近鉄ファンで、当時近鉄百貨店に勤務していた著者が綴った本。

 これは面白かった。試合の内容がエキサイティングなことはもちろん、応援団・観客の様子、普段客の入らない川崎球場が超満員になったことで生まれたエピソード、選手それぞれが持つ物語など、ドラマの塊のような一日だったことが分かる。
 俺は、この試合をきっかけにしばらく近鉄が好きになった記憶がある。当時普通に野球が好きで、周りが巨人ファンばかりだったのでその雰囲気に呑まれていた俺に、そこまでの思いを抱かせるだけの、強い印象を持った試合だったのである。
 そして、今の日本野球からは、もうこのようなドラマは生まれないであろうと思う。

 本の内容に沿って、当日の模様を紹介しよう。
 当日は水曜日だったのだが、川崎に向かう午前中の電車の中で、その日の試合の話がされていたところから、著者は「これは今日はたいへんなことになるぞ」(p.19)という思いを抱く。その思いは、川崎駅前から球場に向かうタクシーに長蛇の列ができ、運転手の接客態度が普段になくよいことを体験し、ますます強くなる。
 さらに、第一試合を待つ間、阪急ブレーブスの身売りのニュースが流れる。そのような状況の中、試合がいよいよ始まる。

 しかし、時ならず満員の観客が押し寄せた川崎球場の混乱ぶりは、試合が始まっても収まらない。
 予想外の客数に、入場がスムーズに進まない。そして、弁当や飲み物も、ほとんどが一試合目の途中で売切れてしまった。川崎球場は、それくらい普段は客が少なく、それくらいこの日は客が多かったのである。

 そして、そんなグラウンドの外のドラマもかすむほどに、グラウンドの中のドラマがまたすごかった。第一試合は、9回表、この年現役最終年だった梨田の逆転打、そして9回裏、二死満塁を抑えた阿波野の力投により、勝利する。
 第二試合もシーソーゲームのまま、8回にブライアントのホームランで近鉄が4対3と勝ち越す。だがその裏、高沢のホームランでロッテに同点にされてしまう。
 ここで、この試合の大きな問題がのしかかる。当時パ・リーグのルールでは、ダブルヘッダーの二試合目は、4時間を越えて新しいイニングに入らない。つまり同点のまま試合が長引くと、引き分けで近鉄の優勝が逃げて行ってしまう可能性がある。
 著者も抱いていたその不安が的中し、近鉄は10回表の攻撃が終わった時点で、時間切れとなり次のイニングには進めないことが分かる。それでも10回裏の守備をしないといけなかった近鉄のつらさは、その時球場にいた選手・スタッフ・ファンしか実感できなかっただろう。0点に抑えても、何点取られても、この試合に関しては意味がない。著者の言うところの「希望のない守り」(p.190)だった。
 結局この試合は4対4の引き分けで終わる。そしてこの年の近鉄は、首位西武にゲーム差0、勝率2厘差の2位でシーズンを終えた。

 壮絶な一日である。かつての日本プロ野球はこんなにも面白かったことを思い出せてくれた。これは、当日近鉄の応援団として、近鉄を愛している著者の目を通じて書かれたこの本だからこそだと思う。
 そして、今後このような試合は生まれないであろうという、現在の日本野球への失望はますます高まる。

 俺は既に日本野球に絶望して久しいが、著者はずっと近鉄を愛していた。そんな著者にとって、2004年の近鉄バファローズの合併による消滅の衝撃がいかほどだったかは、想像もできない。身売りならば、少なくとも旧球団の名残・歴史は残る。だが吸収されてしまっては、なにも残らないのである。
 その悔しさは、「近鉄バファローズよ、どこへ行く−文庫版あとがきにかえて」込められている。そしてそれが一層、1988年10月19日、川崎球場での近鉄vsロッテのダブルヘッダーがいかに伝説となる試合であるかを感じさせる。

 これは今の日本野球に失望している人にこそ読んで欲しい。かつてどんな試合があったのか。そしてこのような試合がこれからまた見られるのか、考えさせられる。
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2003年7月31日(木) 笑いの魅力に思いを馳せる2冊(の1冊)
澤田隆治『決定版 私説コメディアン史』(2003年,ちくま文庫)
 著者はかつて朝日放送でラジオプロデューサー・テレビディレクターを務め、「て なもんや三度笠」などを手がけた。その後も「新婚さんいらっしゃい」、「ズームイ ン!朝!」、「花王名人劇場」などをつくり、現在でも演芸の特番などではその名前 は頻繁に登場する。この本では、氏と様々なコメディアンとの思い出が書かれてい る。
 喜劇役者に限定してこれだけ丁寧に書かれた本はこれまで読んだことがなかっ たので、かなり読みごたえがあった。喜劇役者についての知識があまりない俺に は、特に戦前や終戦直後の部分は知らない固有名詞も多く、ちょっと難しかった。 それでも夢中で読んでしまった。また、現在大ベテランとなっている喜劇役者、既に 鬼籍に入っている喜劇役者の若き日の様子もしばしば登場し、読んでいて非常に 興味深い。
 あくまで氏の視点からの日本の喜劇史なのだが、長年現場で笑いを生み出し、 現在も現役の著者だけに、その内容は貴重な資料だと思う。
 ちなみに、登場するのは次のような方々。各章ごとに登場する人を列挙します。
 1.榎本健一(エノケン)
 2.森川信・堺駿二・清水金一・伴淳三郎
 3.横山エンタツ・花菱アチャコ
 4.藤田まこと
 5.脱線トリオ(南利明・由利徹・八波むと志)・てんぷくトリオ(三波伸介・伊東四朗・ 戸塚睦夫)
 6.関敬六
 7.京唄子・鳳啓助・財津一郎・長門勇
 8.ルーキー新一・横山やすし・西川きよし・笑福亭仁鶴・桂三枝(この章は例外的 に落語家・漫才師を取り上げている)
 9.正司歌江・森光子・清川虹子・藤純子(富司純子)・ミヤコ蝶々
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2003年3月29日(日) この2冊を読んで老人力を身につけよう!(の1冊)
三G会『三Gが行く 喜寿三人組のユーモア放談』(1998年,法研) 古本
 70歳のじいさんたちによる、ユーモア随筆。「ユーモア随筆」というジャンル自体 が、いまや希少価値を持つように思う。
 内容は、まあどうでもいいっちゃあどうでもいい話。しかし、70歳のじいさんが三 人でこういう話をしているかと思うと、なんともいえない味がある。漫画というかイラ ストというか、挿絵も入っているだが、これもうまくはないが味のある絵なのだ。
 選挙をギャンブルにすればよい(選挙結果を競馬のように予想する)とか、セー ルス電話の撃退法とか、なるほどと思うような話もある。しかし、ためになる話を期 待せず、気楽に面白がりながら読んだ方がいい本だな。
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椎名誠『活字のサーカス−面白本大追跡』 (岩波新書) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

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2009-04-15(水) まるでタイムマシーンのような本

獅子文六『ちんちん電車』(2006.4,河出文庫)  Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 関川夏央氏の解説によれば、獅子文六氏が「一九六六(昭和四十四)年、七十三歳となる年」(p.188)に書かれた文章とのこと。当時既に消えつつあった都電に乗り、かつての都電や沿線を思い出すという内容になっている。メインとなるのは、品川から上野・浅草までの路線。

 昭和四十四年当時の様子も、大正時代から戦前、戦後すぐの思い出も、どちらも興味深い。特に都電が好き、という人でなくとも、昔の東京の様子に興味がある人にとっては面白く読めるだろう。
 物心ついた頃から、都電荒川線(三ノ輪橋から早稲田)しかない世代としては、読みながら、もっと色々なところへ都電で行ってみたかったと思う。この本の中に登場する、品川から浅草までを都電で行くというのも、体験してみたかったと思わされる。

 そしてもうひとつ、本を読んでいて、本の中と今読んでいる自分の時間の差を感じることがあるが、その時間の差が印象的な本でもある。

 どういうことかというと、昭和四十四年当時の東京は、獅子文六氏にとっては変わり行く、新しい東京なわけです。それは例えば、日本橋が「大変なことになったもので、単に高速道路の下になったぐらいの事態では、ないのである。橋がどこかへ、見えなくなったのである」(p.95)とか、神田について「よくまあ、こんなに電機屋さんばかり、集まったものだと思う」(p.114)とか(ちなみにここでいう「神田」は、今の秋葉原電気街)。

 しかし、獅子文六氏にとって新しい、そして必ずしも好ましくない昭和四十四年の東京の風景は、私にとっては生まれる前のものである。そして、今の私は見たことがない風景だったり、子どもの頃に見た懐かしい風景だったり、今でも当たり前にある風景だったりする。
 このギャップというのが、読んでいてなんだか面白い。

 獅子文六氏の昔の思い出、という意味でも、読者にとっての昭和四十四年、という意味でも、タイムマシーンのような本。

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2008.01.17(木)「繋がりが分かること」の面白さ

東京命日島田虎之介『東京命日』(2005年1月、青林工芸舎)Amazon.co.jp楽天ブックスオンライン書店bk1

 小津安二郎の命日に、鎌倉の円覚寺に人々が集うシーンから、話は始まる。そこから、その場にいた人々にまつわる様々な場面・時間が次々と現れてくる。

 慣れないと、結構複雑に感じるかもしれない。時間は行きつ戻りつするし、中心となる人物もその時々で変わっていく。しかし、決して不親切な描き方がされているわけではなく、むしろこの構成をなるべく分かりやすく伝えるため、丁寧に描かれている。分からなければ、ちょっと前のページを読み返しながら、ゆっくりと読んでいけばいい。

 そうすると、色々なことが分かってくる。バラバラに思えた場面が徐々に関連してきて、全然関係ないと思っていた人物達が、ちょっとずつ繋がってくる。この様子には、静かな興奮を覚える。そしてもう一度最初から読みたくなる。

 そしてこの繋がりは、著者の別の作品にも広がっていく(ただし、この作品はこの作品でちゃんと完結している)。この構想力はすごい。

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2008.02.25(月)「今はどこかに行ってしまった人たち」への愛情

ラスト.ワルツ―Secret story tour島田虎之介『ラスト.ワルツ―Secret story tour』 (2002年、青林工芸舎)Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 島田虎之介氏のデビュー作。最初は「あ、短編集なんだ」と思い、途中で「あ、連作短編集なんだ」と思い直し、最後に「あ! ひとつの物語なんだ!」と思うという、そんなマンガ。
 とある草サッカーチームのメンバーそれぞれにまつわるエピソードが、一話ずつ紹介されていく。その中に登場する人物や出来事により、20世紀の世界の歴史において起こりえたかもしれない別の側面が描かれる。この一つ一つのエピソードももちろん面白いのだが、それが少しずつ重なっていくラストでは、更に大きな物語が描かれる。この構想力・想像力、そしてその大きなフィクションを読ませる説得力がすごい。
 そして物語からは、 「今はどこかに行ってしまった人たち」への愛情を感じる。 最後のシーンに、その思いを余韻のように抱いた。

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2003年5月2日(金) 東京に興味を抱く2冊(の1冊)
実相寺明雄『ウルトラマンの東京』(2003年,ちくま文庫)
 「ウルトラマン(1966-67)」・「ウルトラセブン(1967-68)」・「怪奇大作戦(1968- 69)」、さらには「平成ウルトラシリーズ(ティガ・ガイア・ダイナ)」のロケ現場を、監 督の実相寺氏自らが訪れたエッセイ。
 東京の南西部と、神奈川県との境目あたりのロケが多かったことがよく解る。そ れとともに、当時の思い出話や様々なエピソードも多く、ウルトラシリーズその他の 円谷作品のファンにはたまらないのではないか。ロケをした回のストーリーも収録 されていて、実相寺監督の写真や挿絵も数多く掲載されている。
 俺は世代の面でも、個人的な嗜好の面でも、それほど円谷作品に熱中したわけ ではないが、それでも面白く読めた。また俺にはあまりなじみのない街が多く登場 したことにも、興味を惹かれた。
 ちなみにこの本の中には、欠番になっているウルトラセブン第12話「遊星より愛 をこめて」についての実相寺監督の正直な思いもつづられています。これは俺にと っても興味深かったな。ちなみに、ウルトラセブン第12話の欠番の経緯については こちらをご覧ください。
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2002年5月6日(月)4月に読んだ本(フリートークにて)
澁澤龍彦『快楽主義の哲学』(文春文庫)古本
「意外だねえ。澁澤龍彦読むの?」
「そんなに熱心なわけじゃないけれど、気になる内容のものは少しずつね。これ は、ちょっと俗っぽい。巻末の解説にも書かれてるけどね」
「元は光文社の『カッパ・ブックス』の1冊として出版されたんだね。で、どんな内容 なの?」
「一言で説明するのは難しい。話は、つまらない幸福に安住しないで快楽を追い求 めようという出発点から始まり、快楽とはなにか、快楽を求める方法などが書かれ る。まあ意識して過激に書いている部分もあると思うので、眉につばをつけて読も う。俺は、歴史上で快楽主義者に分類される人たちを列伝風に紹介した章が面白 かったなあ」
「ディオゲネス・李白に始まり、マルキ・ド・サドやカサノヴァも紹介されているね。た しかにこれは好きな人には面白いだろうね」

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2008年08月14日 (木) プロとしての笑いへのこだわり

変なおじさんリターンズ 志村 けん『変なおじさんリタ〜ンズ』(2000年、日経BP社) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 雑誌『日経エンタテインメント!』への連載をまとめたものと書き下ろしからなるエッセイ集。前作『変なおじさん』が「自分が歩んできた道を振り返ってみた」(p.17)のに対し、「この本では、今僕が考えてることや感じてることが、もっと強く、はっきりと出てると思う」(p.17)という。

 プロとしての笑い、仕事へのこだわりを強く感じる。
 例えば、『集まれ!ナンデモ小学校』と『神出鬼没タケシムケン』という、いずれも1年程度で打ち切られた番組についても、自らの立場からの率直な発言をしている。『集まれ!ナンデモ小学校』については、「つくってるほうから言わせてもらうと、今回は出演者もスタッフも、コントでは初めて顔をあわせるような人が多かった」(p.39)。だから、「出演者とスタッフが一緒になって、ああでもないこうでもないとやってるうちに少しずつチームワークがとれてくる。すると自然にいい仕事ができるうようになる。やっぱり、半年でなにもかもというのは、無理だったと思う」(p.41)。「始めは低視聴率の番組でも、1、2年じっと我慢して続けて、今すごく視聴率をとっているテレビ局もあるんだし。テレビ局とスポンサーはもっと我慢をしないと」(p.41)。
 『神出鬼没タケシムケン』が終わるとなったときは、ビートたけしさんと次のような話をしたという。「『本当のバラエティが欲しい』と言われ、2年か3年で、と始めたのに。だから最初はそちらの言う通りの企画でやった。なのに、もう終わりなんて”口約束ばかりのテレビ局”。2人ともあまり時間に余裕もなかったけど、だったら、もう少し自分たちの好きなことを思いきりやればよかった」(p.50)。
 また、かつてCMの撮影で監督から、その場で「おもしろおかしく歌って踊ってください」(p.100)と言われ。歌も振り付けもご自由にと言われ、頭にきて帰ってしまったこともあったという。「彼には演出家としてのプランがあるべきで、僕はそれにそって演じたり意見を言うのが、普通の仕事の仕方でしょ」(p.101)ということ。
 もちろん別の立場の人からすればそれぞれの意見があるだろうが、いずれも志村さんの立場からすれば譲れない部分なのだろうと思う。

 それだけに、コメディアンはどうあるべきかについての自己分析も厳しいものがある。ウディ・アレンやジム・キャリーが、売れるとかっこいい役をやりたがることに納得できず、「その点、ジェリー。ルイスはずっとバカをやってて、たまにポンとかっこよくやるからよかった」(p.125)と評価する。そして弱い者が強い者に勝つチャップリンの精神が好きだという。
 また、結婚・家庭についても、「早く子どもをつくって、顔を白く塗ってバカ殿二世にして、親子で共演するのが長年の夢」(p.147)と言いながらも、「いいお父さんで、いい夫婦で、なおかつ仕事もできるって、両方出来る人は立派だけど、僕はできる自信がないから」(p.147)と、結婚について考えてしまう。非常に真面目な人なんだなと思う。

 最後に、荒井注さんへの追悼の意を込めて書かれたニューヨーク経由ブラジルへの旅行の思い出が印象的だった。ドリフの仕事だったが、スケジュールの都合で志村さんと荒井さんだけ別に向かうことになったという。これがまさに珍道中という感じ。志村さんは始めての海外旅行だし、ふたりとも英語は分からない。ビールを頼もうとしても、相手に銘柄を聞かれて、でもふたりはそれが理解できないとか、デパートで食事をしようとして間違って社員食堂に入り、でもなぜ注文できないか分からないとか、色々なことが起こる。そういうエピソードの中に、志村さんの荒井さんへの愛情を感じて、ちょっと泣けた。

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2008-01-20(日)病気にならない生活習慣

おっさん糖尿になる!―コンビニ・ダイエットでいかに痩せたかをチラホラ語ってみる。 (おっさん問答 2)下関 マグロ・北尾 トロ『おっさん糖尿になる!―コンビニ・ダイエットでいかに痩せたかをチラホラ語ってみる。 (おっさん問答 2)』 (2007/12、ジュリアン) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 体重が110kgとなり、糖尿病の診断を受けたライターの下関マグロ氏が、食事療法と散歩で、40kgの減量を行なった様子について語った本。あとがきにあるのだが、「これはひとりのおっさんの糖尿病とのつき合い方を書いたものであって、糖尿病のことをきちんと学ぼうという人は専門の本を読むことをお勧めする」(p.188)。しかしながら、「糖尿病の人たち、あるいはその予備軍の人たちを少しでも勇気づけられればいいと願っている。また、若い人などはぜひこの本を読み、生活習慣病になることを回避してほしい」(pp.188-189)という。

 まず、一般的に言うダイエットの考えが間違っている、という。なぜなら、ダイエットというのは「一定の期間に食べるのを我慢するとか、運動するとかして痩せる。で、めでたく目標体重になったら、そこでダイエットは中止して、もとの生活に戻る」(p.25)のが普通だから。そして、「ダイエットというのは身体にとって、エネルギーを補充できない状態」(p.24)なので、元の生活に戻ると食べ過ぎてしまい、リバウンドしてしまう。
 だから大事なのは、「ダイエットじゃなくて、生活そのものを変えてしまう。つまり、期間限定ではなくて、死ぬまでこのライフスタイルで過ごすという決意をする」(p.27)こと。その人にとって適切な体重で生活できるように、体重を落とし、その体重を維持する生活に変えていくことが必要。

 具体的には、摂取するカロリーの制限を守ることが重要。逆に言えば、カロリーの量と、食べるもののバランスがしっかりしていれば、なにを食べてはいけないということはない。実際、マグロさんが糖尿病で入院していた時に、病院でカレーライスやとんかつが出たこともあったそうだ。そして普段の生活では、コンビニエンスストアで売っている食品でも、カロリーが表示されているので、「自分で食事を作らなくてもコンビニだけで全部いけるんだって気がついた」(p.48)という。逆に、これだけ食べていればやせる、という食べ物は存在しない。
 そうやって「体重を減らしていくのはもうメインじゃない。摂取カロリーと守ろうという思考に変わっていくと、自然に痩せてきます」(p.49)という。

 それから印象的だったのは、外食の場合、実は和食も万能ではないということ。野菜とタンパク質が少ないこととがその理由。また和食そのものも、「米をたくさん食べるためのシステム」(p.64)、「スープである味噌汁、漬け物といった塩分の高いものでごはんを何杯かおかわりするもの。お腹いっぱいにするのはごはんしかない」(p.65)というのが今の日本人の生活とは必ずしも合っていない。「昔の日本人にはそれでよかったのかもしれない。いまでは考えられないくらい誰もが歩いていただろうし、重労働だっただろうし」(p.65)。

 また食事の食べ方も、「まず野菜を先に食べないといけない。後から食べようと思ってももう満腹で、野菜が食えなくなっちゃう」(p.63)。さらに、「人間って不思議なもので一番最初に食べるものをどんどん好きになっていく」(p.64)。だから、「ばっかり食べ」でも問題ないだろうという。ごはんとおかずを交互に食べる食べ方は、「米をたくさん食べるためにそういう食べ方が編み出された」(p.67)という。

 運動については、「週に三日激しい運動をするよりは、ゆるい運動を毎日やったほうがいい」(p.86)ということで、ジム通いから散歩に切り替えたそうです。もちろん、時間の面で歩くのが難しい人が多いと思うが、その場合は「その人なりのものを見つける、自分が毎日続けられる何かを見つけていく」(p.111)ことになる。

 減量については、人によって向き・不向きがある。怪しいダイエット本は論外としても、この本の考え方が合致しない人もいるだろう。ただ、私は結構納得できることが多かったので、適正な体重まで落とせるように、まず食生活を変えてみようと思います。

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2009.04.11(土)バランスと対話

ペリクレス・シャムスカ 『シャムスカ・マジック』(2009年・講談社) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 2005年、J2降格の危機にあった大分トリニータの監督にシーズン終盤から就任し、その年のJ1残留、さらにその後2008年にはカップ戦で優勝も果たしたシャムスカ監督の著書。

 語られているのは、大分サポーターの人にとっては当たり前の話かもしれないけれど、就任後の大分の快進撃をいちサッカーファンとして見ている自分にとっては、興味深かった。

 特に印象的だったのは、「バランス」という言葉。この言葉がサッカー監督から発せられると戦術的な意味を想像するが、シャムスカ監督の場合はそれだけに止まらない。監督のサッカーに対する考え方のキーワードが「バランス」になる。
 もちろん、試合中の攻撃と守備のバランスや、相手チームの長所・短所に自分たちのチームを合わせる、というバランスもある。しかし他にも、チーム内での若手・ベテランの組み合わせや、チームの全選手に活躍のチャンスがある点もバランスのひとつだし、戦術・技術だけでなく精神面も重視する点からも、バランスを重視していることが分かる。試合中に監督自身が見せる感情のメリハリも、やはりバランスだという(p.29)。

 そしてもうひとつ、「対話」も重要なポイントになる。大分のチーム内の結束力が「シャムスカ・ファミリー」と呼ばれていることは、Jリーグのファンには知られているだろう。その結束は、単なる仲良し集団ということではない。事実、大分の「誰もがレギュラーになるチャンスがある」ということは、「誰がレギュラーを外れてもおかしくない」ということでもある。
 そのような厳しさの中でも、監督は選手へ意図を伝えるために対話をし、選手間でも話をする。それが信頼になり、結束になるのだろう。

 シャムスカ監督の話を読んでいると、大分はこれからもJリーグで結果を残していくだろうと想像できる。さらに、「シャムスカ・ジャパン」にも期待が広がる。監督自身も、この本で控えめながらその希望を表明している。世界の中で強豪とは言えない日本の戦い方は、Jリーグの中で中位のクラブである大分の戦い方と、通ずるところがあるのではないかと思う。

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2008-08-11(月) テーマは面白いが、思い入れも思い込みもたっぷりで

白土 健・青井 なつき(編著)『なぜ,子どもたちは遊園地に行かなくなったのか? 』(2008年5月・創成社新書) 楽天ブックスオンライン書店bk1Amazon.co.jp

 閉園してしまった遊園地をテーマにしたノンフィクション。登場するのは関東地方の遊園地や施設。具体的には、横浜ドリームランド、向ヶ丘遊園、多摩川園、二子玉川園、行川アイランド、船橋ヘルス・センター、五島プラネタリウム、小山ゆうえんち、『おサル電車』(上野動物園)、デパート屋上遊園地。私が行った記憶のある場所はないのだが、名前が知られた場所なので、興味深かった。

 このテーマは興味深いのだが、本の内容には難がある。まず、それぞれの遊園地の歴史的な記録を紹介する本としては調査不足。それならそれで、著者のパーソナルな思い出を語る本でもよいのだが、その点でも難がある。そもそも、著者の年齢やその遊園地に何回通ったかなどが不明。そして、p.225に「日本観光雑学研究倶楽部」なる集団のメンバー紹介がされている。この人たちが執筆しているのかもしれないが(なぜなら著者名に「編著」とあるから)、誰がどこを書いているのか分からない(ついでに言えば、「日本観光雑学研究倶楽部」の紹介でも生年を書いている方は一人もいない)。

 読み進むにつれて、なんとも中途半端な印象を受けた。テーマが興味深いだけに惜しいなあ。それと、タイトルも内容とあまりあっていない。「なぜ子どもたちは遊園地に行かなくなったのか」よりも、遊園地が閉演するまでの経緯が書かれているので。むしろ、元の単行本時のタイトル「セピア色の遊園地」の方があっていると思う。

 それでも、写真はモノクロながら面白いものが多数掲載されている。松屋浅草店の屋上にあった『スカイクルーザー』や『飛行塔』(pp.168-169)や、渋谷の東急文化会館を建設中の様子(p.122)、船橋ヘルス・センター関連の写真(pp.98-112)など。

 また、それぞれの遊園地・施設を作った人々の思いや、たどった運命(つまり書かれている素材そのもの)は興味深い。船橋ヘルス・センターは、働く人にとって「明日のエネルギーを養う娯楽施設の殿堂」(p.110)となることを目指して作られたとか、五島プラネタリウムに対し、東急電鉄が金は出すが口は出さずに雲煙させてくれた(p.129)とか、ダイエーが横浜ドリームランドと小山ゆうえんちの両方が経営悪化したときに支援したとか、そうしたエピソード自体は面白い。

 実際に登場した遊園地・施設にいった経験のある方は、ご自身の思い出も含めて読めるので、また違った面白さがあるのではないかと思います。

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2003年5月2日(金) 東京に興味を抱く2冊(の1冊)
陣内秀信 文・小林雅裕 写真『東京キーワード図鑑』(1989年,ちくまライブラ リー31) 古本
 1980年代の東京の風景を、様々なテーマに沿って写真と文章で考察した本。取 り上げられるテーマは「ウォータフロント」「橋」にはじまり、「ランドマーク」「看板とサ イン」、さらには「屋台」「喫茶店」「迷路」などというものもある。昔から残る自然の 風景よりも、人工的に造られた風景が多い。しかし、俺のように1970年代の東京に 生まれた人間にとっては、これらの人工的な風景こそ懐かしく、いわゆる「東京の 原風景」である。
 文章も興味深いが、やはり写真の方に目が行ってしまう。当時から変わらない風 景もあれば、すっかり様変わりしたと思わされる風景もある。特に印象に残ったの は、池袋のデパートの屋上や銀座の夜景、新宿アルタ前、東京駅など。これらは 自分が実際に訪れた記憶よりも、写真で見た記憶の方が強い風景。こうした風景 を見ると、「当時の現物を見ておきたかった」という思いを強くさせられる。まあ、子 どもの頃の俺が見ても特になにも感じなかったとは思うけれど。

2003年2月11日(火) 旅に出たくなるかもしれない2冊(の1冊)
杉浦日向子『入浴の女王』(1995年,講談社) 古本
 1994年から1995年にかけて『小説現代』に連載された、東京を中心に銭湯・温泉 をまわるレポート。
 毎回話はあっちゃこっちゃに飛ぶのだが、基本は風呂に入り、その土地の女性 の特徴をつぶさに観察し、そののちその町ゆかりの男性にインタビューをする。更 にはその土地ゆかりのものを食べ、その土地ゆかりの酒を飲んだりもする。
 訪れた土地に思いをはせるかと思うと、気がつくと途中から本題からずれている 話になっている回もあったりする。しかし、それも含めて面白い。
 杉浦氏といえば、テレビ『お江戸でござる』(NHK)でおなじみだが、それはほんの 一面である。江戸時代を舞台にしたマンガ作品も多いし、江戸文化の紹介者として も知られている。そのためこの本でも、江戸のこと、当時の長屋のこと、江戸時代 の各地方の様子などがわかりやすく書かれている。
 東京生まれでない人や東京に住んでいない人には、文章から感じられる江戸っ 子らしさに好き嫌いが分かれるかもしれない。しかし、俺は東京生まれの東京育ち だから、なんとなく好感が持てる。なにより、この本を読んでいると銭湯に行きたく なってしまう。それくらい生き生きした文章。

2004.8.15(日) 個人的には賛否両論の本
杉山亮:選・解説『のどかで懐かしい「少年倶楽部」の笑い話』(2004年,講談 社)
 『少年倶楽部』は大正三年に創刊され、昭和二十一年に『少年クラブ』と改称後、 昭和三十七年まで続いた子供向け雑誌。その中に、読者投稿による笑い話のコ ーナーがあり、その中から選りすぐって紹介したのがこの本。
 掲載されている笑い話は、他愛ないものから、なかなかひねってあるもの、更に は今でも使われているような話もあり、面白い。例えば、次のような話(原文は旧か な旧漢字)。

昭和十二年三月号付録
 長い休
 歴史の先生、長らく病気で休んでいた太郎が、今日出て来たのを見て、
 『太郎君は、いつ頃から休んでいましたか。』
 太郎『はい、源頼朝が鎌倉へ幕府を開いた時から、ずっと休みました。』

 しかし、選者の解説が時に説教臭いのには興ざめする。まえがきで、この本を 「今が働きざかりの大人たちに、この本でひととき、くつろいでいただきたいと思い ます。/現在のひきつるような笑いと違う、いじめも下ネタも毒ガスも風刺もない、 のどかな笑いの中で、きっと気分がリフレッシュされるでしょう」(p.3)と紹介したり、 現在の「子どもたちの笑いは、しばしば攻撃的に過ぎたり、一部の者にしかわから なかったりします。ダジャレと下ネタをいう者が『おもしろい子』といわれ、笑いの背 景に子どもなりの教養を感じません」(p.264)などと書いたりしているのである。
 しかし、当時ボツになったネタまで調査した上でないと、選者が望んでいるような 子ども像は浮かび上がらないと思うんだよなあ。本当に昔の子どもは「いじめも下 ネタも毒ガスも風刺もない、のどかな笑い」だけを求めていたのかどうか、分からな いよなあ。
 そういう考えの選者が選んだ話だと思うと、選ばれた話の魅力までがかすんでし まう。それが非常に惜しいと思う。
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2006.09.20(水) このジャンルには、こういうガイドブックが頼りになる

オンライン書店ビーケーワン:テクノ・ポップ エレポップ・鈴木 祐監修 / ストレンジ・デイズ編 / 鈴木 祐〔ほか〕著『テクノ・ポップ エレポップ』(2000.9,エクシードプレス)
 目次は下記のとおり。ジャンルごとのディスクガイドと、コラムからなる本。登場するのは、洋楽のアーティスト限定です。

イントロダクション
おはなし1 テクノの先駆者たち
ディスク・ガイド1 先駆者
おはなし2 オールドウェイブのキーパーソン
ディスク・ガイド2 オールドウェイブ
おはなし3 時代の徒花"ニュー・ロマンティクス"
ディスク・ガイド3 ニュー・ロマンティクス
おはなし4 テクノ・ポップ黄金時代
ディスク・ガイド4 エレポップ
 ディスク・ガイド ディスコ
 ディスク・ガイド ノイズ
 ディスク・ガイド ブラック
 ディスク・ガイド 12インチ
 ディスク・ガイド ヴァリアス
おはなし5 テクノ・ポップからテクノへ
ディスク・ガイド5 90年代
あとがき
アーティスト・インデックス

 いやあ、こういう本を読むとまた色々CDが欲しくなっちゃうなあ。この本に影響されて、ホット・バター(HOT BUTTER)のベスト盤とか(もちろん「ポップコーン(POPCORN)」のオリジナルバージョンも収録)、ローリー・アンダーソン(Laurie Anderson)の1980年代のアルバムとか、買いましたよ。
 この手のテクノポップ、エレ・ポップとか、幅広い年代の電子音楽、90年代のテクノまで含めた音楽って、なかなかCDショップでもいちジャンルをつくっていることが少ない。一部はロック&ポップスの棚にあり、一部はテクノ、そして一部はオルタナティブやプログレ、現代音楽の棚、なんてこともある。
 それだけに、こういうガイドブックって頼りになる。一度通読して面白いのももちろんなのだが、手元においておいて、資料としてこれからも読み返して参考にするだろうと思う。

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2003年9月25日(木) あまり関連のない2冊ですがあわせて紹介(の1冊)
殊能将之『黒い仏』(2001年,講談社ノベルス) 古本
 推理小説なので、どこまで詳しく書いていいのかわからないのが難しいところ。し かし、この小説はミステリーの枠だけにとどまらない小説。幻想文学やSF、ホラー の雰囲気も感じさせる。
 一軒平凡に思える殺人事件の裏に、思いも寄らないような話が隠れている。推 理小説としての流れもしっかりしているし、トリックもすごく派手ではないが、きちっ とまとまっている。その話に平行して、びっくりするような話が進行する。この落差 がくらくらするような魅力をもっている。
 また、小説の中に登場する人々の様子やセリフなど、細かなネタも面白い。

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2002年7月18日(木)
殊能将之『ハサミ男』(1999年,講談社ノベルス) 古本
 想像した以上に面白かった。実は、真相の一部をあらかじめ知っていたのだが、 それでも面白かった。色々書くと、ネタをばらすことになるので、最低限の紹介しか できないのがつらい。
 ストーリーは、「ハサミ男」という名で呼ばれる殺人鬼が、自分の手口を真似た殺 人者を見つける、というなかなかひねくれた展開。サイコ・ホラーのような雰囲気も あるが、まぎれもないミステリーです。「ひねくれ」ってのが、キーワード。ああ、これ 以上は書けねえ!
 講談社ノベルスでは、「メフィスト賞」という賞を設けて、エンターテインメント作家 のデビュー作を発表している。第1回目の受賞者は森博嗣。2回目が清涼院流 水。受賞作・受賞作家には毀誉褒貶あるが、少なくとも第13回受賞作のこの小説 は評価したい。

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2002年8月11日(日) 一挙4冊を紹介であります(の1冊)
春風亭小朝『苦悩する落語』(2000年,カッパブックス)
 今後、落語はどうあるべきか、という提言。そこまで大げさではないが、落語界っ て大変な状況なんだ、と思わされる。
 内容は、まず小朝が入門から真打昇進までを振り返える。そして、落語の現状を 見て、このままではどうなるかが語られる。そして、落語を盛り上げるためにどうす るかが語られる。
 テレビ・ラジオでしか落語に触れていない俺は、なんとも申し訳ない気持ちにな る。寄席に行ってみたいと思って入るものの、料金がいくらで、何時間見られて、と いうことを調べる大変さを考えると、つい安易にテレビやラジオで、となってしまう。
 これが例えば映画なら、教えてくれたり連れて行ってくれる人がいるんだが、寄席 はなかなか…。まあ、ホールでの独演会などはコンサートのようなものだから、こ のあたりから見てみようか。
 あまり分厚い本ではないのだが、色々なことを感じさせられた。
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2002年9月27日(金) 久々に紹介です
春風亭昇太『楽に生きるのも楽じゃない』(2001年,新潮OH!文庫) 古本
 春風亭昇太といえば、春風亭柳昇の弟子であり、期待の若手真打ちである。19 59年生まれなので今年で43歳だが、落語の世界では若手なのである。それに昇 太はずいぶん若く見える。まあ、その辺の話はこの本の内容とはあまり関係ない ので割愛。
 この本はその昇太による、「おもしろエッセイ」である。これは俺が勝手に命名し ました。俺はテレビやラジオの中継を通してだが、昇太の落語を聞いたことがあ る。そのため、読んでいると昇太が話しているように思えて、面白い。文章にも話し 方のくせのようなものが見られる。
 だが、そうした先入観なしに読んでも、非常に面白い。なんたってひとつめのエッ セイのタイトルが「ママさんコーラス入門」である。そしてエッセイは、「僕はママさ んコーラスが嫌いだ。/だいたい自分たちのことに、さんづけするとはなにご とだ。若い者に意見できないぞ」と始まる。そこでママさんコーラスの会場に、わ ざわざ一般客として金を払って見にいき、色々とつっこみながら最後に昇太流「マ マさんコーラスマニュアル」を紹介するのである。
 この紹介を読んで面白いと思った人は、きっと楽しめるでしょう。新刊書店にも並 んでいますから、まずは立ち読みでもいいのでぜひどうぞ(以上、敬称略)。

2003年7月28日(月) 著者の朗読が聞きたかったこの1冊
春風亭柳昇『寄席は毎日休みなし』(1999年,うなぎ書房)
 先日亡くなった春風亭柳昇師匠の著作。次の4章からなる本。
 1.落語家への道/2.売れる人は何か光るものがある/3.落語家ほど素敵な商売 はない/4.落語家五十三年の知恵。
 前半は氏の若い頃の話。軍隊に入って戦争に行き、傷痍軍人となって帰ってき て噺家となるまでの思い出、そして噺家としての日々がつづられている。氏が両手 に負傷していたことや、少年時代の桂歌丸師匠が氏の高座を見ていた(柳昇氏は 歌丸氏よりも16歳年長)など、意外な話がたくさんあり、興味深かった。
 そして後半は、色々な人のエピソードを集めたものだが、全編これ名言集という 感じだ。印象に残った部分を引用しよう。
・「失敗話は味方をつくる」(p.88)
・松下幸之助は、部下に小言を言った後に、「部下の前に『ハイ』といって手を出す という。相手はびっくりして、/『何ですか』/『これだけいいいことを教えてやったん だから、いくらかくれ』/この一言で小言を言われた部下は一気に救われるのであ る」(p.117)
・「小言はまず先にほめてから」(p.120)
・「親というものは、子どもができたらどんなことがあっても別れてはいけない、自分 のお父さん、お母さんに育ててもらえれば、子どもはどんなに貧乏したって幸せだ と思ったものである」(p.148)
・「遊んでいるよな小鳥でさえも生きる為には苦労する」(p.206)
・「月謝を払わなければ、よいものはおぼえられない」(p.213)
 なんというか、こうした言葉が「すっ」と入ってくる。これが氏の人間としての魅力 だったのかなあと思う。

2005.6.8(水)  楽しい話の中で、生き方を学ぶ
・春風亭柳昇『寄席花伝書 人間社会の道しるべ落語道』(2000年,青也コミュニケーションズ)
 世阿弥が編んだ『風姿花伝』(花伝書)のエッセンスを元に、師匠自身の噺家としての経験もあわせて現代風に書かれた、「人生いかに生きるべきか」という本。
 名言と面白いエピソードにあふれています。いいなあと思った名言をいくつかご紹介。 「習慣は第二の天性なり」(p.111)。これは師匠オリジナルの言葉ではないらしいが、これを次のように表現している。「落語は今日勉強しても今日すぐうまくはならない。もっと困るのは今日怠けていても今日下手にならないことだ」(p.102)。
 だからどうしても怠け、気がつくと下手になっているということ。「継続は力なり」って、そういうことなんだよなあ。 他には、歳をとっても芸が新鮮なら売れる」(pp.131-133)という言葉がある。ここで出てくるのがこんな話。「早い話が毎日同じ道を歩いていれば目をつむっていても歩けるが、馴れない道だと地図を見たり、人に聞いたり、大変である。落語はその大変だがなくてはいけないのだ」(p.132)。
 芸事だけでなく、人生もそんな気がしますなあ。 それからエピソードもひとつ。
 かつて寄席では、前座には見出し(高座の脇にある、その出演者の名前を書いた紙)がなかった。これを書くようになったのは柳昇師匠が前座の頃に「自分で書いて出してしまった」(p.44)のが始まりだったとか。そこで文句を言われた時に用意しておいた返事がまたふるっている。
「自分は野戦帰りの重機銃隊員です。戦友も来れば元部下も見に来てくれます。名前がないと帝国軍人の威信にかかわるから出したのです」(p.44) よくよく考えると、あまり理屈が通っていない気もするが、それが全員に見出しの出る元になったのだから、すごいよなあ。 それから、師匠のプロ意識を感じたのが次の話。
 「私たちにとって何がやりにくいかと言えば、呑んだり食べたりしているパーティーのような催しの席上」(p.23)だと言う。なぜなら、誰も見ていないから。
 そのため、かつて知り合いの寿司屋のパーティーで一席演ってほしいと言われたときに、こんなやり取りをしている。
「『パーティーは演っても聞いていないから嫌です』と言ったら、『税金なしの仕事だからよいでしょう』と言う。
 『たとえ税金なしでも、自分が哀れになるから嫌です。落語会なら千円でも二千円でも行きます』と言って断ったことがある」(p.24) これが自分の仕事への誇りだと思う。
 面白くて勉強になる話が多く、楽しかった。
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2003年12月3日(水) 笑って身につける人生の知恵
春風亭柳昇『柳昇の新作格言講座』(2001年,講談社)古本
 落語家の、故・春風亭柳昇師匠のつくった格言・狂歌、そしてそれらにまつわるエ ピソードを集めた本。『寄席は毎日休みなし』(1999年,うなぎ書房) と重複する話 もあるが、面白い話は何度読んでも面白い。面白い落語が何度聴いても面白いよ うなものだろうか。そして、面白い話だからこそ頭の中に入ってくる。「なるほどな あ」と納得させられる。例えば、こんな格言がある。
 ・道を上手に教えられれば話術の名人(p.43)
 ・自分の寝顔は自分では見られない(p.64)
 ・子育ては何人でも手数は同じ(p.128)
 ・病気見舞いにもやっぱりお金(p.138)
 最後の格言は、山口瞳氏も同じような話を書いていた。しかし、この本を出版し たときすでに柳昇師匠は80歳。そう考えると、頭の柔らかさ、ユーモアはすごいな あ。俺もこういう年の取り方をしたいなあ。

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2009年08月31日(月) ハイスピード・ハイテンション・ハイプレッシャー

ジョシュ・バゼル著、池田 真紀子訳 『死神を葬れ』 (新潮文庫) オンライン書店bk1Amazon.co.jp

 舞台はニューヨークのマンハッタン・カトリック総合病院。研修医であるピーター・ブラウンは、過酷な勤務業況の中をどうにか過ごしている。しかし、ある日入院してきた手術前の患者ニコラス・ロブルットは、彼のある秘密を知っていた。ロブルットが死ぬと、ブラウンの命も危ない。こうした状況で、病院内で起こる出来事と、ブラウンの過去が交互に描かれる。

 この医師のブラウンが、ただ者ではない。最初のシーンから、それが強く印象づけられる。チンピラに金をせびられたブラウンは、瞬く間に相手を叩きのめし、失神させてしまう。格闘技の心得があるか、軍人・警察官のような職業に就いた経験があるのではと想像が広がる。しかし、物語はその想像を遥かに超えている。それが少しずつ語られるのが、過去の回想のパート。ブラウンの生まれ育った環境や、どのような経緯で医師となったのか。目まぐるしく色々なことが起こり、その様子が適度な緊張感と、ユーモアもある語り口のブラウンの一人称とともに描かれる。

 一方、現在の病院でも、次々と色々な出来事が起こる。著者が現役の研修医ということもあり、病院の様子の描写にも臨場感がある。なぜ、ロブルットに死なれると困るのかは、過去の出来事から徐々に分かってくるのだが、それと並行してロブルットの命(ということはブラウンの命も)を懸けた手術の準備が進んでいく。ここでも、ブラウンに次々と困難が降りかかる。

 話の流れをつかむまでは読み進めるのに少し時間がかかるが、後半はどんどん読み進められる。病院での治療の様子や、過去の暴力沙汰の回想など、結構痛みを感じる文章も多いのだが(ラストでブラウンが武器を準備する場面の痛さなんてもうすごい)、そうした描写が苦手でない人には面白いと思う。映画化も決定しているそうだが、それもうなづける。スピードや派手さは、たしかに映像的。

 これがデビュー作というのもなかなかすごいが、これから著者がどんな小説を書いてくれるかも楽しみ。

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2002年6月5日(水)5月にはこんな本を読んだ(中編)フリートークにて
杉浦茂・斉藤あきら・井上晴樹・後藤繁雄『杉浦茂―自伝と回想』(筑摩書房)
「今の若い人の中で、どれくらいが杉浦茂という漫画家を知っているのでしょうか」
「俺は夏目房之介の漫画評論で知った。児童漫画の主流である丸っこい描線なん だけど、絵もストーリーもナンセンスでシュールな印象を持っています」
「2000年に92歳で亡くなった杉浦茂の、自伝とインタビュー、かつての弟子によ る回顧録をまとめた本です」
「生い立ちや私生活を知ると、意外に思う点も多い。でも、そうしたことを知らなくて も杉浦茂の漫画は面白いし、そうしたことを知ってもその面白さには変わりはない ね」
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2003年7月20日(日) 山田風太郎を味わう2冊
関川夏央『戦中派天才老人 山田風太郎』(1998年,ちくま文庫) 古本
 作家関川夏央氏が、作家の山田風太郎氏のもとへ1年近く通って、語り合った様 子を「座談的物語」にまとめたもの。はじめに(p.9)にあるが、「インタビューのかた ちをとっているこの本だが、実はインタビューではない。長期間にわたって、清談雑 談冗談をとりかわし、そこから山田風太郎の浩瀚な著作に遡ってあたりつつ、座談 的物語にしたてたのである。山田風太郎のいわなかったこと書かなかったことはま ったく含まれてはいないが、ゆえにこの『物語』の文責はあげて関川夏央にある」と のこと。ううむ、関川夏央氏が聞いた話を再構成したと理解すればいいのかなあ。
 しかし、内容は色々な話が出てきて面白い。山田風太郎・関川夏央の両氏のファ ンはもちろんのこと、そうでない人も興味を惹かれるであろう話が多い。例えば戦 時中の思い出や、山田氏との交流から描かれる戦後日本の幻想文学・推理小説 の歴史(江戸川乱歩にまつわるエピソードも1章を使って紹介されている)など。
 更には老いや死についての話も多く登場する。これは亡くなった人々のエピソー ドを集めた『人間臨終図巻(T〜V)』(2001年,徳間文庫)などの著作のある山田 氏だけに、独特の死生観が現れている。臨終の言葉の考察も面白かった。ゲーテ の「もっと光を!」は「暗いから窓を開けてくれ」という意味だったとか、カントの「す べてよし(エス・イスト・グート)」も、ワインを飲まされて「けっこうな味だ」と言ったに 過ぎないとか、意外な事実を知った。それから、武者小路実篤が晩年に書いた、 ぼけてしまっているとしか思えない奇天烈な文章も紹介されている(p46)。ちょっと 引用すると、「僕は人間に生れ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方 をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世に生きたことは、人によっ て実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間 にはいろいろの人がいる。その内には実にいい人がいる」といった調子で延々続く のである。このとき昭和50年、実篤90歳である。色々考えさせられるよねえ。
 色々な角度から読めて、じっくり時間をかけて味わえる本です。
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2009-10-18(日) ひとまわり外からの視点

ポケットの中の宇宙 (中公新書ラクレ)アニリール・セルカン『ポケットの中の宇宙』(中公新書ラクレ)Amazon.co.jpオンライン書店bk1

 まず、これは著者が望むところではないのだけれど、著者がどのような人なのかを紹介しておく。本の内容を紹介する上で必要な情報なので。
 アニリール・セルカンは、ドイツで生まれたトルコ人。現在は東京大学で建築学を研究している。10代から20代にかけては、スキーのアルペンのトルコ代表として、オリンピックや世界選手権に出場し、2004年には、トルコの民間人として初の宇宙飛行士候補に選ばれている。

 この本では、セルカン氏のこれまでの履歴、自身が開いている講座で扱ったトピック、雑誌に掲載されたエッセイなどをまとめている。というと、「インテリによる鼻に付く内容の本」を想像するかもしれないが、まったく違う。インテリジェンスに溢れているのは事実だが、中途半端なインテリではなく、本当に頭のいい人の文章なので、分かりやすく、かつ刺激的。
 一番感じるのは、物事を見る視点が人とは(少なくとも私とは)違っているということ。一般的な見方の一回り外から見ているような客観性がある。

 例えば下記のような部分。

・「世界的に見て日本は、技術や研究が人間のために行われている点で魅力的でした。/例えば軍事です。他の国はどこも、軍や軍需が技術を引っ張っています。しかし日本だけは違いました」(p.42)
・「エコロジーに関するムーブメントの中には、イメージ先行のものがかなりあります。それに流されるのはインテリジェントではありません」(pp.140-141)
・「地球で、この先、エネルギー源が『足りない』という問題は起こらないと思います」(p.166)。「もしも、『世界に分配しても間に合わない』といったようなエネルギー問題が起きたら、人間はたちまち、次世代エネルギーを見つけるはず」(p.166)

 これからどんな分野で彼の名前を目にすることになるか、楽しみです。

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