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木の葉燃朗の読書録

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藤井孝一『週末起業』 / 藤井孝一『週末起業チュートリアル』 / 藤井孝一『情報起業』 / 藤子不二雄A『Aの人生』 / 藤子不二雄A『トキワ荘青春日記』 / 藤沢太郎『ぼくらのメイドインジャパン』 / ジョン・ボイントン・プリーストリー:著・安藤貞雄:訳『夜の来訪者』 / 古舘伊知郎『ハシモトシノブ人』 / ブルボン小林『ぐっとくる題名』 /  ブルボン小林『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 / ブルボン小林『ブルボン小林の末端通信』 / ジョン・フレイヤー『僕の人生全て売ります』 ブルボン小林『ゲームホニャララ』(エンターブレイン)

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2003年10月9日(木) 仕事に疲れている時にこの1冊
藤井孝一『週末起業』(2003年,ちくま新書)
 「週末起業」というのは聞き慣れない言葉かもしれないが、これは会社に勤めな がら、アフターファイブや休日に自分で事業を起こすことを意味する。著者も実際 に会社勤めをしながらコンサルタントとして週末起業し、そこから独立した。
 働きながら起業する時間、資金なんてあるのか、そもそも勤め先が許可してくれ るのか、そんな疑問を持った人は、この本を読んでみるといい。そういうふうに思っ たということは、週末起業に対する興味があるということだから。
 第一章で、「会社勤め」が持っている問題点が挙げられ、「それではどうするか」 という方法として、会社勤めをしながらローリスクで起業することが提案される。
 第二章で、もう少し具体的な週末起業の内容が紹介され、第三章では、どうすれ ば週末起業で成功できるかが解説される。
 第四章では税金について、第五章は法人化についてと、更に実践的な内容にな っていく。このあたりは、起業後に出くわす壁を乗り越えるためのヒントですね。
 週末起業を考えているかどうかは別として、会社勤めをしている人にはおすすめ できる本。会社以外で、自分の価値をどうやって見つけるかということについて、と ても参考になる。
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2004.6.1(火) 全国のサラリーマンよ、奮起せよ!
藤井孝一『週末起業チュートリアル』(2004年,ちくま新書)
 まず、「週末起業」とはなにか、という話から。週末起業とは、会社に勤めながら 起業をする、ということ。といっても大袈裟な話ではない。著者の根本にあるのは、 働きながら起業をすることで、お金・時間・気持ちの面で会社に依存するのをやめ ましょう、という考え方。
 なぜなら、「今、危機にさらされているのは雇われるという生き方」(p.60)だから。 この点をもう少し詳しく説明しよう。「昔は時間の経過に従って組織が大きくなった ので、従業員全員が出世できた」(p.17)が、今では「時間が経過しても組織が大きく ならなくなったので、従業員の一部があぶれるようになった」(p.17)のである。「こう して日本のサラリーマンは、会社で生き甲斐を見出しにくくなっていきました」(p.19) というわけだ。
 さらに、「これまでは、会社が生涯面倒をみてくれる、いずれは厚遇してくれると いう、見返りが期待できた」(p.50)ので、突然の転勤のような「会社が決めた処遇 を当たり前のように受け入れる悪習」(p.50)がまかり通っていた。しかし今では見 返りがないにもかかわらず、サラリーマンへのひどい仕打ちだけは相変わらず残 っているのである。
 と、ここまで読んで、「甘ったれるな」とか「自分は会社での仕事に生き甲斐を感じ ている」と思った方は、この文章も、更にはこの本も、今のところは読まれる必要は ないかと思います。会社での仕事に本当に生き甲斐を感じている方はうらやましい と思うし(これは皮肉でもなんでもなく、本当にそう思う)、生き甲斐を感じていると 信じ込んでいる方も、少なくともご本人は幸せだと思うので。
 その上で話を続けます。会社での仕事に生き甲斐を感じていない人、会社に対し て釈然としない思いを抱いている人にはぜひこの本を読んで欲しい。著者はこの 本の第1章「会社依存から卒業しよう」で、サラリーマンを、経済的・精神的に会社 に依存しているかどうかで、「A:ぶら下がリーマン」・「B:資産家サラリーマン」・「C: 週末燃焼系サラリーマン」・「D:大人サラリーマン(週末起業家)」の四つに分け、A 〜CがDになるためのヒントを示す。そして続く各章で、週末起業のための具体的 な方法論が紹介される(各章の題名は次のとおり)。

・第2章 週末起業のマネー学/第3章 週末起業家の時間革命/第4章 ネットワ ークを手に入れる/第5章 週末コンサルタント/第6章 本業と週末起業の幸せ な関係

 とにかく、読んでいると気持ちが奮い立つ。実際に週末起業をするかは別として も、まず精神的な会社依存から抜け出す、ってことは大事だと思う。とはいえ闇雲 に会社に反発するのではなく、会社から距離を置き、対等な関係を築こうという意 味だ。これは精神的な面だけでなく経済的な面でも。
 会社についてぶつぶつ文句を言っている時間があるなら、この本を読んで自分 がやりたい、できることを考えましょう。
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2004.9.30(木) たまにはこんなビジネス書
藤井孝一『情報起業』(2004年,フォレスト出版)
 「情報起業」とは、「『情報を発信して自分のお客さんをつくる』もしくは『自分の商 品に情報による付加価値を付ける』ことで起業する」(p.3)という意味。
 胡散臭いビジネス書と思う人もいるかもしれませんが、著者は会社を辞めずに起 業をする「週末起業」を提唱している人。氏の『週末起業』『週末起業チュートリア ル』(いずれもちくま新書)は、会社の仕事に不満を持つサラリーマンなら読むべき だと思います。
 少ない資金・限られた時間で起業するにはどうするか、という点がポイントになっ ている。そのために、メールマガジンやwebサイトの作成を活用することを提唱して いる。サイトづくりやメールマガジン発行を考えている人、実行している人には、情 報発信をする際のヒントがちりばめられていて、面白くためになる。
 本の内容のさわりだけ紹介しましょう。

・情報を商品にすることの発展プロセス(p.51)
 「書く→話す・教える→相談にのる→発展させる」という順で、ビジネスのチャンス が広がっている。

・情報起業の7つのメリット(p.54)
 1.一粒で二度も三度もおいしい
 2.いきなりオンリーワン
 3.リスクがほとんどない
 4.高価格で売れる
 5.広く売ることができる
 6.どこに住んでもできる
 7.キャリアが活かせる

・情報起業のための自分の棚卸し(pp.109-113)
 ・好きなこと
  @何も準備しなくても、2時間以上しゃべれること
  A今までもっともお金をかけてやってきたこと
 ・得意なこと
  @どんな仕事をしてきたか
  A今まで誰かにしてあげて感謝されたこと
  B持っている資格
 ・体験について
  @これまでの体験
  A自分しか知り得ないこと

 どうでしょう。読みたくなった方は、書店で探してみてください。または、下のリンク 先からオンライン書店bk1にジャンプしてもらえれば、ネットで購入も可能ですよ。
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2002年5月6日(月)4月に読んだ本(フリートークにて)
藤子不二雄A『Aの人生』(講談社)
「この本でA先生の生活を読むと、こういう生き方をしたい、って思うよ」
「たしかに、A先生は今も現役ばりばりで仕事していて、すごく忙しそうだけど、すご く楽しそうだよね」
「俺はどちらかというとF先生のマンガの方を多く読んできて、F先生についての字 の本なんかも読んでいた。その分といっちゃなんだけど、正直A先生のことはあん まりよく知らなかった。でも、A先生の生き方もすごく面白いと感じたね」
「しかし、A先生とかF先生とかいう書き方をすると、イニシャルトークみたいだな」

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2002年11月28日(木) トキワ荘にまつわる2冊(の1冊)
藤子不二雄A『トキワ荘青春日記』(1996年,光文社) 古本
 この本もトキワ荘に関するものですね。しかし、この本のすごいところは、当時の 回想ではなく、トキワ荘で暮らしていた20歳から26歳にかけての藤子不二雄A(安 孫子素雄)が実際につけていた日記であるところ。苦労した時期を経て徐々に人 気を獲得しつつある藤子不二雄の様子がよくわかる。
 しかし、こまめにつけられた日記だ。誰とどこへ行ったのか。なにを食べたのか。 どんな本を読み、どんな映画を見たのか。そのようなことがつづられているのであ る。
 それとともに、若き日の安孫子氏の感じていた将来への不安、仕事がはかどら ないつらさなどもわかる。やはり、氏ほどの人でも若き日には悩んでいたのだとい うことを感じた。
 色々な角度から読めると思いますが、貴重な資料であり、面白い本。

2004年2月6日(金) モノへのごたわりを感じるこの1冊
藤沢太郎『ぼくらのメイドインジャパン』(1999年,小学館)古本
 タイトルのとおり、日本で生まれたさまざまな商品を紹介した本。とはいえ、その 商品を作った人に焦点を当てるというよりも、つくられたもの自体への思い出を語 っている。
 登場するのはこんな商品たち。
第一章:カメラ ニコンF・ペンタックスSP・オリンパスペン・ライツミノルタCC
第二章:家庭電化製品 ラジオ・テープレコーダー・テレビ・電気釜・電子ジャー・ エアーポット・電子レンジ
第三章:車 トヨペットクラウンRS・スバル360
第四章:オートバイ スーパーカブ号
第五章:食品 チキンラーメン・インスタント食品・かっぱえびせん・ボンカレー・クリ ープ
第六章:オーディオ スピーカー・プレイヤー・チューナー
第七章:ファッション ストッキング・合成繊維・クラリーノ
第八章:家と生活 ミゼットハウス・ごきぶりホイホイ
第九章:文具とおもちゃ ぺんてる鉛筆・マジックインキ・スチール製学習机・野球 版・超合金・リカちゃん人形
第十章:時計 セイコークオーツ
 正直にいうと、自分がどんなものが好きかによって面白い部分が大きく異なると 思う。俺は五章と八、九章などは非常に面白かった。一方で一、三、四章などは、 あまり詳しくないので、やや退屈だった。
 ただ、名前くらいしか知らなかった、「かつては一世を風靡した」ような商品につい て詳しく知ることができたのは勉強になりましたよ。写真も(モノクロが多いながら も)ふんだんに使われているので、眺めているとなかなか面白い。
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2007-09-21(金)推理劇の衣をまとった、階級闘争(格差告発)の書

夜の来訪者ジョン・ボイントン・プリーストリー:著・安藤貞雄:訳『夜の来訪者』(2007年2月、岩波文庫)Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 イギリスの文芸評論家・小説家のジョン・ボイントン・プリーストリーによる戯曲。2〜3時間で読めるボリュームだし、登場人物も多くなく、舞台も一場面なので、戯曲を読みなれない人でも読みやすいと思う。
 あらすじは、裕福なバーリング一家の食事会に、グール警部という警察官がやってくる。彼は、ある若い女性が自殺したことを告げ、一家の一人ずつに尋問をしていく。

 推理劇としても、非常に面白い。尋問される一家が追い詰められる様子や、最後に分かるひとつの事実、そして一番最後に明かされる衝撃的な事実。特にラストは、サスペンスとしての衝撃が十分である。

 しかし、この本の意味はもう一つある。それは、推理劇の衣をまとった階級闘争の書であるということ。階級闘争という表現が物騒であれば、格差を告発する書。
 自殺した若い女性は、自殺であることは明らかなのだが、ある意味で上級階級に殺された、とも言える。尋問の中で、上流階級の人間が、いかに無意識・無自覚に下流階級の人間を虐げているかが明らかになる。しかしそのことを告発された後も、上流階級の象徴であるバーリング一家は、自分たちを正当化しようとする。
 読みながらそのことに憤りを感じた人は、ラストに溜飲が下がるかもしれない。しかし私は、貧しい・裕福に関わらず、人が人に影響を与え、人から影響を受けていることを感じ、「自分はどうなのか?」と我が身を振り返ってしまった。その意味では、単純なカタルシスではなく、苦い感じのラストであった。
 この、格差の告発というテーマは、現代の日本にも通じると思う。今読んでも古い感じがしない本です。

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2004.11.17(水) 爆笑しそうで電車の中で読むのを断念
・古舘伊知郎『ハシモトシノブ人』(2004年,ワニブックス)
 言い間違いを集めた本。それも、すべてひとりの人物から発せられたもの、らし い。言葉の主は、タイトルにもなっている橋本忍氏(男性)。CM制作会社の社長 で、古舘氏の20年来の友人。その他の登場人物は、テレビプロデューサーの菅賢 治氏、小林宏充氏、放送作家の岩立良作氏。この4名に古舘氏を加えた5人の会 話の中で飛び出した橋本氏の語録が、この本の中に収録されている。

 糸井重里:監修『言いまつがい』(2004年,東京糸井重里事務所)と同じような内 容の本だが、よくあるアイデアだと思うので、どっちが先かとか野暮なことは考えま せん。とにかく、面白かった。
 これ以上色々説明するよりも、いくつか引用した方が分かりやすいと思う。
 ちなみに俺は、はじめ電車の中で読んだのだが、爆笑しそうになって途中でやめ た。

「オレはあいつをいつも目を細めながら、陰ながら目の前で応援してたわけさ」(p. 60)
「大丈夫、オレは去るものは及ばざるがごとし」(p.106)
「明日ゴルフだと思うとね。今から血騒ぎ、肉騒ぐよ」(p.146)
「オレは鍋大名だから」(p.166)
「おまえはすぐ、そうやって友達のアゴアシを取る!」(p.233)
「臨機を待って、天命を待つ」(p.247)

 どうですか。これがすべて一人の人間から発せられたとすれば、それはある種の 才能だと思う。
 なお、正しい言葉の注釈も入っているし、つっこみの文章も入っている。これらを 古館氏自身が書いていることはまずないと思うが、まあ誰の著書と考えても面白か った。
 しかし、著者と書名だけじゃこんな本だってわかんないよなあ。
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2006年11月3日(金) どんな感想文の題名をつけるか、プレッシャーがかかる。
オンライン書店ビーケーワン:ぐっとくる題名・ブルボン小林『ぐっとくる題名』(2006.9,中公新書ラクレ)
 目次は下記のとおり。

第1章 ロジック篇:1 助詞の使い方/2 韻とリズム/3 言葉と言葉の距離(二物衝撃)/4 題名自体が物語である/5 濁音と意味不明な単語/6 アルファベット混じりの題名/7 古めかしい言い方で/8 命令してみる/9 パロディの題名/10 関係性をいわない

第2章 マインド篇:11 先入観から逸脱する/12 日本語+カタカナの題名/13 いいかけでやめてみる/14 いいきってしまう/15 漢字二字の題名/16 長い題名/17 続編の題名/18 題名同士が会話する/19 洒落の題名/20 読むと、愛情が生じてしまう/21 人気歌人に学ぶ/
22 ぐっとくる題名とは

第3章 現場篇:実用書の題名が決まるまで/小説・コラムの題名が決まるまで

 コラムニストブルボン小林氏(=小説家長嶋有氏)による、様々な題名を考察したコラム。中公新書ラクレという体裁と、上の目次を読むと、非常にまじめな、マーケティングに役立ってしまう本を想像するかもしれない。また、ブルボン小林氏の他の著作を読んでいる方は、いつもどおりのユーモラスな文章を想像するかもしれない。
 どちらの想像も、あたりです。非常に鋭い指摘や考察があり、取り上げられている題名を見るだけでも、自分が何らかの題名をつける時に役に立ちそうである。一方で、氏のこれまでの著作のようなユーモアにもあふれている。

 特に興味深かったのは、「言葉と言葉の距離(二物衝撃)」(pp.28-39)の部分。「二物衝撃」というのは俳句の用語で、次のような意味がある。「伝統的な俳句というのは『季語』『切れ字』『それ以外の叙述』で構成される。このうち切れ字をのぞく二つの要素がぶつかりあって、衝撃をもたらす。それが二物衝撃だ」(p.28)。この二物衝撃の題名での例として、「人間ドック」・「天才バカボン」などが挙げられている(p.30)。
 そして、「天才えりちゃん金魚を食べた」という絵本のタイトルのすごさを、同シリーズの「天才えりちゃん月に行く」とともに「天才」・「えりちゃん」・「金魚を食べた(月に行く)」に分解し、それぞれ組み合わせることで考察する。この部分を読むと、「天才えりちゃん金魚を食べた」という題名がいかに「ぐっとくる」かがわかる。
 また続いて「部屋とYシャツと私」(歌のタイトル)を、三物の衝撃の例として挙げている。「部屋とYシャツと私」という単語の並びは、一見意味が通じるのだが、よく考えると視点がぼやけている。しかし実は、「三つの事項をみつめていたのはあなた(歌われている対象者)だった!」(p.37)、つまり「あなたの部屋とYシャツと私」であると考えると、三物の関係性が明確になる。さらに、「部屋とYシャツと私」を見ているあなたを想像する「私」がその外側にいる、という構造になる。この構造と、選択された三物のバランス、これもまた「ぐっとくる」。

 他にも、「アルファベット混じりの題名」(pp.54-57)での、「アルファベット化は『匂わせる』と『隠す』を同時に行う」(p.56)というのも興味深い。たしかに、人名をイニシャルにするのも、匂わせつつ隠しているということを感じる。
 また「漢字二字の題名」(pp108-113)での「ぐっとくる題名ということを考えたとき、我々の用いることのできる二字はかなり限られていると思っていい」(p.110)なども、題名を考える上で参考になる。紋切り型でもなく、使いようもないものでもないとなると、あとは早い者勝ちになってくる。例えば「変身」や「明暗」や「斜陽」は、前例を考えると簡単には使えない。しかしそうした中、「発表」(村田喜代子の同人誌の題名)のような、意表をついた題名は、やはり「ぐっとくる」。

 こうした部分の紹介だけだと、やや硬い内容という印象を受けるかもしれないが、笑ってしまう部分もたくさんある。そもそもこの本は、生まれた赤ちゃんに友人が釣りにちなんだ名前をつけたいという話からはじまる(p.14)。ブルボン氏は「疑似餌ちゃんは?」という提案をして、「人間というものはあんな怖い顔ができるのだな、と思ったぐらい」(p.14)怖い顔でにらまれたらしい。そんなエピソードから、人に名前があるように、「この世に生まれた表現行為にはすべて『題名』がつく」(p.15)というのが、この本の導入である。こんな話が随所に登場します。
 個人的に好きなのは、「古めかしい言い方で」(pp.58-63)での、「ツァラトストラかく語りき」が新たに「ツァラトゥストラはこう言った」と訳されたことを、「なんかもう、まるで違う作品みたいだ。絵柄でいうなら『北斗の拳』のようにハードだったツァラトストラが『ついでにとんちんかん』になったぐらいの落差がある」(pp.59-60)という箇所。私なんかは両方の漫画を知っているのでえらく面白かった。
 それから、本筋とはちょっとずれますが、「つげ義春全集」の自筆年譜に、「ある年など『スーパーマリオブラザーズ2をクリアーする』とだけ書いてあった」(p.20)というのが非常に印象に残ったなあ。

 しかし、この本の感想文の題名をどうするかは難しいですね。あまりに凡庸だと、「お前はこの本からなにを学んだのじゃ」と言われかねない(なぜか爺さんの格好をしたブルボン氏が思い浮かんだ)。
 結果として、その思いをそのまま題名にしてみました。

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2005.2.9(水) 「子供がゲームばかりして心配」とお悩みの親御さんにもおすすめ!(か?)
ブルボン小林『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』(2004年,太田出版)
 ゲームに関するコラム集。1980年代の懐かしのテレビゲームから、最近のゲー ムまで、幅広く取り上げている。ちなみに、著者ブルボン小林は、小説家長嶋有氏 の別ペンネーム。
 基本的にユーモアコラムなのだが、着眼点が独特で、鋭い指摘も多い。
 例えば、かつてのゲームが「単純」だけれども「奥が深い」という、一見矛盾する ような特徴で記憶に残るのはなぜかを、次のように考察している。

「ゲームのルールには必須のものと、守らなくてもいいルールとある。
 リスキーだが高得点を狙える、低得点だが安全に遊べる。昔の優れたゲームは どちらにもなるようデザインされていた。そして多くのプレイヤーは『自発的に』リス キーなルールを『己に課して』いくのである」(p.135)

 かつてのゲームを思い返してみると、たしかに多くのソフトについてその通りであ る。
 あるいは、誰もが知っていると言っても過言ではないファミコンソフト「スーパーマ リオブラザーズ」についての次のような考察。

「このゲームの『スーパー』たるゆえんは『舞台が昼だ』ということだ」(p.237)。という のは、「それまでのゲームの多くは、舞台は夜、もしくは地下、あるいは宇宙だっ た」(p.237)のだが、「『スーパーマリオ』は我々を暗い地下から青空の下にいざなっ た」(p.238)からである。

 俺は今まで考えたこともなかったが、これはなかなか斬新な意見ではなかろう か。
 また、かつてのゲームの「なにをもって『作品ぽさ』を感じていたかというと、それ はおおむね『メーカー』に依っていた」に納得した「メーカーで買うということ」(pp.142 -148)などというのは、俺にも実感として分かる。

 もちろんこうした真面目な部分だけでなく、懐かしいゲームの紹介や、思わず笑 ってしまう著者とゲームとのエピソードも満載である。例えば、ゲームの登場人物 が怒られることを楽しむ「怒られゲーのススメ」(pp.104-109)
  ゲームが好きな人はもちろんだが、ゲームはよく分からないという人にも多分楽 しめてしまうであろう不思議な本。

2004年3月5日(金) 俺はこういう人になりたいような気がする
ブルボン小林『ブルボン小林の末端通信』(2003年,光文社カッパブックス) 古本
 著者はWebコラムニスト。本名の長嶋有としては小説を執筆し、芥川賞も受賞し ている。しかし、この本はお堅い内容ではない。むしろ、ものすごくくだらないが、も のすごくおもしろかった。

 

もともとは、「めるまがWebつくろー」という、web製作者向けのメールマガジンに連 載されていたコラム。本人も「はじめに」で「『こんな馬鹿げたことをプロのWeb製作 者に向けて書いていたのか?』と呆れながら読みすすめてみてください」(pp.4-5)と 書いているが、俺もはじめはちょっとそう思っていた。
 しかし、くだけた話が多いが、その中に結構ホームページをつくるうえでのヒント になりそうな話もあって、なかなか読みごたえがあった。まあ、はじめの話題が、” 個人ページのような小さいページにバナーを置かせてもらおう、そう、田舎にあるオ ロナミンCの看板みたいに”という話というところで、既に読む人はブルボンワール ドに迷い込んでしまう。その次の話題が、”鳩とVAIO(ソニーのパソコン)はどちら がITツールとして優れているか”だからねえ。
 モットーが「なるべく取材をせず、洞察をたよりに」というのも、この人の文章では 魅力になっている。それだけに適当な話もあるが、なかなか鋭い話題もある。例え ばこんなの。

・「モーニング娘。」に「。」をわざわざつけなくたっていい、という考えた方をきっか けに、パソコン関連の専門用語を正確に言ったり書いたりすることを強制しない方 が初心者の敷居は低くなるという話(p.31)。
・Webをつくる人は、本棚にあらゆる本を並べていて欲しい。「Webをそのものを扱う 我々の意識は『雑多』であればあるほどいい」(p.108)。
・ネット書店と実際の書店の違い。一人で自分の興味と向き合う空間を与えてくれ るのが書店の魅力(p.165)。
・「検索使うと心がなまる?」(p.202)。
・昔の知り合いとメールやWebで再会するのは敷居が低い(p.240)。

 なんとなく、Webについて傍から冷静に見ている人の意見という感じて、Web中毒 になりつつある俺には、参考になった。まあその一方で、「MAILER-DAEMON(存 在しないメールアドレスにメールを送ると返送されてくるメールの送信者名)」を「な んか僕の中ではDAEMONのEMONが『衛門』なんだ。DA衛門でござるって感じで」 (p.115)なんて話も随所に登場する。
  あと、「さくいん」がすごい労力を使ってくだらないことをしている。例えば「な」行は 「なんかこう/なんかもう/なんで/なんなんだか/Nijuudai/女体盛り/ぬくもり」 で、「や」行は「安ーい/よーいどん」である。で、書かれたページ数を見ると、本当 にその単語が載っているの。いやあ、すげえよ、これ。

2006.03.15(水)企画とともに、それを実行する力、本としてのデザインなど、全部興味深い
オンライン書店ビーケーワン:僕の人生全て売ります・ジョン・フレイヤー:著・古谷直子:訳『僕の人生全て売ります』(2005.8,ブルース・インターアクションズ)
 本の内容を簡単に紹介してしまうと、「著者ジョン・フレイヤーが自分の持ち物をすべてネットオークションで売った試みの記録と、その後その持ち物を買った人を訪ねた記録」である。しかし、話はそれほど単純ではない。

 そもそも著者ジョン・フレイヤーが持ち物を売り始めた目的は、溜め込みすぎてしまった物の中から、いらない物を売るためだった。ニューヨーク出身で、アイオワ大学の研究員だったジョンは、アイオワを引き払ってニューヨークに帰るべく荷物減らしをはじめたのである。
 しかし、「allmylifeforsale.com」というドメインを獲得し、知人の協力により家の棚卸をしてから、本のタイトルどおり「僕の人生全て」を売り始めていく。持ち物を次々と売り物にするだけでなく、その物にまつわる思い出や記憶を思い返し、それも含めて手放すような気持ちになる。「自分の持ち物の歴史にどっぷり浸かっていると、手放してしまったらどうなるんだろうという思いが頭をよぎった」(p.ix)という。また「何かを売るということは、僕の生活を微妙に変えること」(p.x)でもあった。例えばトースターを売ってしまえばトーストを食べなくなるように。

 だが、物を売ることで、新しい思い出や記憶ができていく。中でも一番大きなものは、物を買ってくれた人からの写真や文章でのその後の紹介であった。そして「allmylifeforsale.com」のプロジェクトがほぼ終了してから(それでも残ったものはあり、捨てたり友人に預けたようだが)、物を買ってくれた人たちを訪ねてアメリカ中を旅する。そして、たくさんの人に会い、2001年9月11日の世界貿易センタービルの爆破事件の日にニューヨークに滞在するなどの経験も経て、最後はアイオワに戻ってもう一度生活を送ることに決める。

 とにかく、まずは自分の持ち物をすべて売ろうと思いついたことが面白い。ただこのアイデア自体は、それほど珍しくはないかもしれない。アイデアだけだったら。
 しかし、それを実行してしまう行動力、更には買ってくれた人に会いに行こうと考えて、これまた実行してしまうところが、著者のすごいところであり、またちょっと変わっているところでもある。
 販売した物の記録も、たしかに洋服から食べ物まで様々で面白い。著者がグラフィックデザイナーの経験を持っていることもあり、本のレイアウトもカタログのようなつくりで、眺めているだけで面白い。
 でもなによりも面白いのは、持ち物を売る際に、ひとつひとつにまつわる記憶を著者が思い出していて、その品物を買った人に、また新しい記憶がつくられていくという部分。物の価値って、物自体の有用性とか価値だけでなく、そうした記憶や思い出にもあるよなあと思わされた。
 自分の持ち物について、改めて考えてみたくなりました。

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2009年09月29日(火):熱狂の一歩外から眺めて

ブルボン小林『ゲームホニャララ』(エンターブレイン)オンライン書店bk1Amazon.co.jp

 雑誌『週刊ファミ通』連載中のコラムから厳選し、加筆・修正してまとめた本。「はじめに」によると、かつてはゲームを遊びまくったが、「2000年代に入り、僕は疲れ果てて、ゲームをほとんど遊ばない」(p.4)という著者が、それはなぜなのかを考えるような内容になったという。
 収録されているのは、著者らしいユーモアエッセイである。『カルチョビット』というサッカーゲームを、どうしても『サッカルチョ』と呼んでしまうとか、「急に『ジャミラは人間です!』と攻撃しなかったイデ隊員みたいなことをいいだす女子」(p.41)という比喩とか。

 しかし、読んでいて意表を突かれるような指摘も随所に登場する。そしてその指摘は、今の著者がゲームを遊びまくっているのではなく、ほとんど遊ばないからこそ持っている視点から生まれているのだろう。
 例えば、『スーパーマリオ』の生みの親の宮本茂氏がフランスの芸術文化勲章(シュバリエ勲章)を受賞したニュースに関連して。宮本氏のことを「ゲーム好きという『内輪』にはいない『どこかの誰か』が認めたことを、我々(ゲーム好き)は喜ぶべき」(p.133)という意見は、宮本氏の偉大さを分かっているほど、忘れてしまいがちではなかろうか。
 もうひとつ。『Mr.Do!』というゲームを例に、「不可解さと、ゲームの面白さは両立する」(p.130)、そしてそれは、他の娯楽では例がないことを指摘している。「分からなくてもかまわないのは『娯楽』ではない『芸術』の領分だ」(p.131)から。これもまた、ゲームとその他の娯楽、そして芸術を比較できなければ出てこない意見。

 こうした意見は、ゲームに熱中している人にとっては煩わしいのかもしれない。しかし、ユーザーとして面白いゲームを生むために協力するには、ゲーム以外の文化からの視点でゲームを評価し、言及することが必要だろう。この本で登場する、著者からの意見・指摘を読むと、そのことを強く感じる。

 その他、細かな点で印象に残った部分を。

・ゲーム内の「お金」の多くが硬貨(コイン)であり、お札がほとんど登場しないという話(「コイン考」、pp.8-12)。この中に、ゲーム内のもうひとつのお金の表現として「ドル袋」が挙げられている。
 これを読んで感じたのは、私はゲームの「ドル袋」に価値を感じない、ということ。なぜなら、ゲーム内のドル袋は、点数がアップすること以外にアイテムとしての価値(パワーアップするとか残機が増えるとか)を持たないものがほとんどだから。だから、ドル袋って「見捨てる」アイテムの代表例なんですよね。

・ゲームセンターのクイズゲームで、回答をノートにメモして予習・復習して遊ぶことは「悪くないけど『格好悪い』こともたしか」(p.66)という意見に賛否両論があったらしい。これが(格好悪いというより)恥ずかしいと思えないのは、やはり内輪の視点しかないからだろう。それをどうやって書けば意識してもらえるか難しいけれど。
 例えば、ゲームのハイスコアを競うコンテストがあったとする。そこに、「ゲームはまったく遊んでいないけれど、ゲームのプログラムを解析しました」と公言して高得点の記録が投稿されたら、それを賞賛するのだろうか。プログラムの解析の能力と、ゲームをルールどおりに遊んで高得点を出す能力は、当然違う。それを、「プログラムを解析してハイスコアの画面を表示できることも才能」と言って、ゲームのハイスコアを競う中で認めてしまうのか。答えを記録してクイズゲームに勝つのは、そのことと同じ恥ずかしさがあると思う。

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