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木の葉燃朗の読書録

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パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』 / 芳賀健治『インターネットで古本屋さんやろうよ』 / 萩本欽一『快話術』 / 萩原修『9坪の家』 / 萩原百合『9坪ハウス狂騒曲』 / 爆笑問題『爆笑問題のザ・コラム』 / 爆笑問題『爆笑問題の死のサイズ』 / 白楽ロックビル『脱力系女子大教授』  / 初見健一『まだある。』 / 八本正幸『怪獣神話論』 / 花輪 和一著『刑務所の中』 / 早川義夫『ぼくは本屋のおやじさん』 / 早草 紀子『あすなろなでしこ』 / 林丈二『犬はどこ?』 / 林田 賢太脚本・平田 拓朗著『ブリュレ』 / 原田 勉『メールマガジンの楽しみ方』 / パラダイス山元『ガチャ! マン盆栽』 / パラダイス山元『ザ・マン盆栽2』 / 銀色夏生・HARCO『メール交換』  / 林芙美子『放浪記』

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・パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』(2007.2,ちくま新書) (2007.02.26読了)

2003年4月17日(木) インターネットの可能性を考える2冊(のうち1冊)
芳賀健治『インターネットで古本屋さんやろうよ』(2003年,大和書房)
 著者は「せどり」での仕入れを専門としたオンライン古本屋「古本うさぎ書林」の店 主。それもほとんどがブックオフなどの「新古本屋」からの「せどり」である。ちなみ に「せどり」というのは、ある店で安く売られている本を、別の店でより高い価格で 売ることを意味する。これは別に詐欺でもなんでもなく、古本に関する知識がある からこそできることである。
 この本は、著者がいかにして古本屋をはじめたか、そしてこれからはじめたい人 はどうしたらよいのかをくわしく書いている。本の仕入価格・販売価格・さらに仕入 れのルート(古本を買っている古本屋)まで書いているのは、ちょっとすごい。
 要点がまとめられているので、本当にオンライン古書店をやってみたい人にも参 考になる。また、俺のように古本を買う専門の人間にとっても、読み物として面白 い。
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2005.08.30(火) 読み方によって評価に揺れが生じる本
・萩本 欽一『快話術』(2000.12,飛鳥新社)

  副題が「誰とでも心が通う日本語のしゃべり方」。欽ちゃんこと萩本欽一氏のしゃべった内容をまとめた本。はじめに、気持ちのいい会話は芸であって、それを覚えると「何もかもがうまくいく人生にはならないだろうけど、相当楽しく生きられるとは思うよ」(p.4)とある。
 しかし、これはあくまで俺個人の感想だが、あまりこの本の真似をしようと思わない方がいいと思う。この本の中に出てくる「気持ちのいい会話」には、たしかに誰でも使えるものもあるけれど、一方で欽ちゃんだからこそ使えるものもある。
 だから例えば、独自の方法で成功した社長さんの回顧録とか成功哲学とかを読んでいる時と同じような気持ちになる。参考にしようとしても、「それは無理だろう」と思う部分も多い。
 その代わり、欽ちゃんの半生記だと思って読むと、非常に面白い。

 とにかく、「この人は一般的なビジネスの考え方とは無縁のところで成功した人なんだなあ」と思う。その分、笑いのセンスと運を引き寄せる力というのが群を抜いているのだろう。
 例えば「英語を頭から訳すようなしゃべり方をした方がいい」(p.17)という話がある。これは、
「『私、500円玉を落としちゃったのよ。どうしよう〜』
 って言うよりも、
『どうしよう、私、落としちゃったのよ〜、500円玉』
 のほうが話の終わりのほうまで、興味をひけるでしょ」(pp.17-18)
 ということ。ただこれ、ビジネスではダメだと言われるんですよね。「報告は結果から、自分の感想はその後に」という原則からいうと。ただ欽ちゃんは、「英語を頭から訳すようなしゃべり方」で成功したのである。これが、この本を真似することの難しい部分。欽ちゃんの成功が例外的なのかどうかがはっきりしない。

 ただ、無理に真似しようと思わなければ、読んでいていい話、面白い話はたくさんある。例えば「初めて出会った、大人のカッコいい言葉」(pp.40-45)。
 高校生の頃、家計を助けるために様々なアルバイトをしていた萩本少年。飲食店の出前をしていた頃、自転車で車の横に傷をつけてしまった。
 そこで車に乗っていたおじさんから働いている店の名前、家の住所を言えと言われる。
 しかし、萩本少年は言わなかった。店については「店のオヤジさん、いい人だから、僕のかわりに払ってくれると思うけれど、小さな店だし、そんな大金を払ったら、大変なことになっちゃうよ。オカミさん、泣いちゃうよ。だから、店の名前は言えないよ」(p.42)と答え、更に「おじさん、むちゃなこと言わないでよ。ウチの親から取ろうとしてるでしょ。親が困らないようにボクがアルバイトしてるのに」(p.42)と言った。
 そして、「ボクをおじさんの会社まで連れていって、その分だけ、働かせるのが一番いい方法だと思うんだよ。どれだけでも働くからさ」(p.43)と言ったそうだ。
 この若き日の欽ちゃんの言葉もいいのだが、それに答えたおじさんが「キミの言っていることが正しいな。ボクの言っていることは間違っていた」、「オレもキミみたいにアルバイトをして、頑張った頃があって、今、車を変えるようになったんだ。そのことを思い出した」(p.43)と言い、名刺を置いて去っていったというのも、またいい話だ。
 何十年かして、その人から手紙が来たときは、「すっごいでかい会社の社長さんだった」(p.44)そうだ。
 なんというか、俺には想像もつかないようなやりとりだよ。

 他にも、関西のテレビ番組の楽屋で、香川登志緒先生に「55号がやってるのは、昭和2年のネタや」(p.93)なんて言われて、他の芸人がみんな逃げても話をしていたら、「こういう話をしても、いなくならんヤツは誰やろなぁ、と思って、やってみただけなんや」、「楽屋に残ったのは、55号だけか。20年後、この世界に残ってるのも、55号だけや」(p.94)と言われたそうだ。こういうエピソードは、本当に面白い。

 ただ、「こういう話し方をしよう」という部分には、やはりちょっとなあと思うことが多い。
 例えば「『知らない』と『わからない』はルール違反」(pp.254-256)という部分に、こんな言葉がある。
「『知らないなら知らないと正直に言いなさい』だとか『知ったかぶりをするな』だとか、そういう学校教育からは、つまらない会話しか生まれない。
 学校教育とは正反対のルールから、気持ちのいい会話が生まれるの」(pp.256)
 でも、この「気持ちのいい」って、あくまで「欽ちゃんにとっての」ってことなんだよな。だって、「第七代の徳川将軍は?」(p.255)と訊いて「徳川家康……、じゃないですよね、たぶん」(p.256)という答が出てくるのが気持ちいいかどうかは、人によるでしょう。
 「知らないとか分からないと言ってはいけない」ということで、欽ちゃんが薦めるようになんでもいいから答えてみるのではなく、「調べてきます」と言うのだって、答えとしてはあるでしょう。

 これは、なにが正しいかというよりは、好き嫌いの問題になってしまうけれども。
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2004年3月19日(金) もしも私が家を建てたなら、という本
萩原修『9坪の家』(2000年,廣済堂出版)古本
 著者は、住宅・建築デザインの展示・出版を行う会社(リビングデザインセンター OZONE)に勤めるサラリーマン。そんな氏が、ある時企画した展示会で出会った小 さな家に魅せられる。1階が9坪、2階が6坪という小さな家だ。そして、その家を実 際に建てて、住んでしまうまでを書いたノンフィクションがこの本。
 この家が、本で読むだけでも魅力的なのである。もともと、建築家の増沢洵(まこ と)氏の自宅として建てられ、同じデザインの家は、著者が建てる前は増沢邸を移 築した一軒だけ。その家の枠組みを利用し、リ・デザインした家を、著者は建てる ことになる。
 著者は、自称「ふつうのサラリーマン」。もちろん、一般的なサラリーマンとは異な るだろうが、それでもあらかじめ家を建てるだけの土地やお金を持っていたわけで はない。そんな氏が、とにかく夢中になって家をつくろうとする過程が、読んでいて 非常に面白い。
 俺は自分の家をつくる機会はこれまでなかったし、これからもおそらくないと思 う。そんな俺でも、この家ならつくって、住んでみたいと思わされた。それから、家を つくるデザイナー、大工さんがまたいい腕前と心意気を持っている。著者の言う「家 づくりにもっとも必要であり、大切と思われる『誰に頼むのか』という問題」(p.5)とい う言葉の意味が、よくわかる。
 それから、家に住む上で大事なことがもうひとつ。誰とどのように住むか、という ことだ。これは、大げさに言えば人の生き方そのものではないだろうか。著者の場 合は、奥さんとふたりの小学生の娘さんと一緒に、みんなが納得するまで考えて、 いい家を建てて、楽しそうに暮らしている。うらやましいね。
 建築に関しては素人の俺でも、特に難しいところもなく読むことができた。わかり やすくて、おすすめできます。
 最初に載っている、家の写真だけでも見て欲しい。
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2004.9.27(月) 家について考えてみましょう
萩原百合『9坪ハウス狂騒曲』(2004年,光文社知恵の森文庫)
 自分の家・部屋について考えたくなった。著者は一家四人で、一階が九坪・二階 が六坪、あわせて広さ約50平方メートルの家に住んでいる。しかもこの「9坪ハウ ス」のデザインは、既成のものである。もともとは、著者の夫が勤めるリビングデザ インセンターOZONEの「日本人と住まい」という企画展で紹介された、建築家増沢 洵氏の自宅として使われたデザインだった。
 そのため、まず家を買い、家の外枠にあわせて土地を決め、間取りを決めてい く。これは、通常家を建てる際の順序とは逆なわけです。普通は家を建てるとなる と、まず土地があって、それにあわせた間取りを考えて、家のデザインを決めるこ とになるのだと思うが、この家はそうではない。これが面白い。
 そのため、家づくりにおいて常識だと思っていた点を改めて考え、意外なことに気 づいていく。それを読むことで、自分も当たり前だと思っていたことがそうでもないと 思わされる。なかなか興味深かった。
 内容とともに、著者のしゃべっているかのような文体も面白い。見たことも聞いた ことも思ったことも、すべて地の文で書かれているので、テンポがいい。
 そして、「9坪ハウス」自体も非常に魅力的。9坪ハウスの公式サイト(http:// 9tubohouse.com/)で写真なども見ることが出来ますので、興味がある方はどうぞ。
 著者の夫の本、萩原修『9坪の家』(2000年,廣済堂出版)ともどもおすすめです。
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2002年12月1日(日) 「笑い」にまつわる3冊(の1冊)
爆笑問題『爆笑問題のザ・コラム』(2001年,講談社) 古本
 テレビ「秘密の爆笑大問題」(この番組も終わってしまったね)の1コーナーを本に したもの。コーナーは、爆笑問題の太田光がスポットライトを浴びて立ち、木村太 郎や筑紫哲也のようにあるテーマについて語る。たまに、後ろから田中裕二のつっ こみが入り、それが太田のとぼけた語り口とあいまって笑いを誘う。爆笑問題とし てはあまりない形での笑いが、番組を見ていて新鮮だった(見ていたのは時々だっ たが)。
 なんだかんだいっても、きちんとネタを作って披露している時の爆笑問題は面白 い。笑わせようとする努力が実を結んでいて、素直にいいなと思えますね。
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2002年12月29日(日) イマイチな3冊(の1冊)
爆笑問題『爆笑問題の死のサイズ』(2000年,扶桑社) 古本
 1950年〜1999年までの、新聞主要三誌(読売・朝日・毎日)の死亡記事の大きさ をランキングにして掲載し、それとは別に、テーマごとの死亡記事をもとに爆笑問 題が色々しゃべる部分がある、という本。なお、爆笑問題が話題にする死亡記事 は、ほとんどが産経新聞のもの。
 統一性のない本。ランキングのページと、爆笑問題のページにまったくつながり がなく、ちぐはぐである。まあ、ランキングと爆笑問題のページで、元にしている新 聞が違うことからして統一性のなさは明らか。
 更に、爆笑問題のトークも、単なるまとまりのない話に終始している。他の著作に 見られるように笑いを取るでもなく、本当に好き勝手に話しているだけ。それから、 トークに関係のある新聞記事も掲載されてるのだが、半分以上字がつぶれていて 見出し以外読めなかったり、ひどいものでは途中で切れているものもある。これで は意味がない。
 ついでに言ってしまえば、ランキングのページでは皇族と一般人は除外している のだが、例外として入っている人がいる。このあたりの基準もはっきりせず、作為 的な印象を受ける。
 死亡記事をもとに時代を見るという企画自体は面白いのだが、そこから先の作り 方がまずい本だと思うなあ。ただ、企画は本当に面白いと思う。それだけに残念。
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2006.10.05(木) 自然科学は苦手だが、こういう先生の下でなら勉強してみたいと思う
オンライン書店ビーケーワン:脱力系女子大教授・白楽ロックビル著『脱力系女子大教授』(2006.7,丸善)

 お茶の水女子大学の教授で、生化学・バイオ政治学を研究する著者によるエッセイ。理系の大学教授の日常や、いわゆる「女子大」についてなどが、ユーモアたっぷりに書かれている。『読売新聞』連載時から毎週読んでいたのですが、やはり面白い。連載時にはなかったえのきのこ氏によるイラストも、いい味を出しています。
 しかし、今回単行本として通読して印象的だったのは、ユーモアに包んでいながらも、まじめに主張している部分。例えば、同じ研究をするのでも、能力が低い研究者は多額のお金が必要だが、能力が高ければ使うお金は少なくて済む。しかし、ここで余ったお金は他の研究には使えない。この理不尽さを、タクシーの例を挙げて説明している。つまり、道を知っていて早く到着できる運転手さんよりも、道が分からず時間がかかる運転手さんの方が、同じ距離を走っても料金が高い(=その時の収入が多い)。まあ、タクシーの運転手さんは、早く着いた分、別のお客さんを乗せて、回転率を上げて収入を上げるという方法があるが、大学の研究の場合はそうはいかないらしい。
 他にも、なぜバイオ研究の論文は英語で書かれるのか、という話も興味深い。英語で書かれたものを高く、日本語で書かれたものを低く見る傾向が日本にあるのが問題だという。なぜ問題かというと、日本での研究成果が英語の論文で発表されると、「最初に英語国民が研究成果を利用してしまう。日本国民の多くは研究成果を利用できない」(p.57)のである。そして、日本語で書かれたマンガを読むために日本語を勉強する外国人がいる話を紹介し、「結局、漫画も論文も重要なのはないようなんじゃないか?」(p.57)という。なるほどねえ。
 それから、白楽先生はある年から卒業式の日の謝恩会には出なくなったと言う。そのきっかけになったのは、研究室にいた経済的に貧しい一人の学生。「研究室で一緒に食べる昼食は、何も入っていないパン一つ」(p.134)のその学生が、卒業の際に付き合いで謝恩会に出席する時の会費を聞き、無料で招待される立場の先生は出席できなくなったという。そして、謝恩会は卒業して十年経ち、自ら働いて得たお金で開いてくれれば、喜んで参加したいという。これは、なんだか心に残る話だ。
 しかし最後に、「卒業十年後? ハクラクなんか、忘れられてるよお」(p.135)と結んでいるのが、ユーモアを忘れておらず、らしいと思う。
 私は自然科学は苦手だが、こういう先生の下でなら勉強してみたいと思う。

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2005.10.29(土) 「懐かしい!」という感動と「まだ買える!」という驚き
・初見 健一『まだある。』(2005.7.1,大空ポケット文庫)
 1960年代〜70年代に発売されたものを中心に、今でも購入できるお菓子やインスタント食品を紹介した本。見開き2ページに、各商品のカラー写真、発売年・メーカーなどもちゃんと載っているし、その食品に関する細かなエピソードも紹介され、コンパクトにまとまっている。
 読んでいると、懐かしくて楽しくなってくる。定番商品としておなじみの「サイコロキャラメル」、「明治屋のマイシロップ」、「名菓ひよ子」などから、個人的に非常に懐かしさを感じる「ライオンバターボール」、「カンロ飴」、「ピッカラ」などなど、多数の食べ物が登場する。
 大人になってしまったが故に、なかなか手にすることがなくなっているものも中にはあるが、この本を読んでいると、そんな懐かしい食べ物が無性に食べたくなってくる。 そしてうれしいのは、登場する商品がすべて今でも販売されていること。メーカーからの通信販売中心など、ルートが限られているものもあるが、いずれも入手可能である。
 そういった意味では、カタログとしても価値がある。戦前の商品も紹介されているので、非常に幅広い年代の人が楽しめる本だと思う。
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2005.1.21(土) 懐かしい品々に出会える本(しかもすべて今でも買えます)
・初見健一『まだある。 今でも買える“懐かしの昭和”カタログ −文具・学校編−』(2005年,おおぞらポケット文庫)

 子どもの頃に学校などで使った文具の中で、今でも買える商品を紹介した本。見開き2ページで一商品ずつ、カラー写真と商品の情報、そして紹介文が掲載されている。

 色々な商品が今でも買えることが分かると同時に、値段も分かることがなかなか面白い。学用品が意外に高かったり安かったりする。
  「トモエそろばん」が3150円というのは、ちょっとびっくり。電卓の方が安くなっている。
 一方で「地球ゴマ」が安いものなら735円だったり、「肥後ナイフ」(「肥後守」という登録商標もある)が263円〜525円と、結構手ごろ。欲しくなる。
 それから、横断歩道用の横断旗はひとつ300〜400円らしい(pp.146-147)。個人への小売はしていないそうだが、欲しいなあ。なにに使うか自分でも分からんけれど。
 こういう学用品だけを小売する店はあるのだろうか? 「THE STUDY ROOM(ザ・スタディールーム)」などはちょっと近いけれど、もっと本当に「学用品専門店」って感じのお店。

 その他印象に残った話をいくつか。
 体育の授業で被った紅白帽に、つばのないものがあるとは思わなかった。
 1967年東京生まれの著者は、つばのないタイプの帽子を使っていたらしい。つばつきが70%のシェアを持っているが、「東京や愛知などでは、どういうわけか『ツバなし』が主流」(p.56)だったそうだ。そして、俺は著者のちょうど10歳年下の東京生まれだが、つばつきだった。これは年代の差だろうか、または東京の中でも地域によって使用している帽子が違うのか。
 「カスタネットの色はなぜ赤と青なのか」について。こういう疑問は、色々な説が想像ができる。「静脈と動脈を意味している」とか、「音のハーモニーを色で表現しているとか」。
 でも、いざ知ると意外と現実的な理由だったりもする。カスタネットは、「普及しはじめた当初、男の子用は青、女の子用は赤だったが、『同性の兄弟姉妹がいないと”おさがり”が使えない』と親からクレームが殺到」(p.65)したので、赤と青の二色になったとのこと。
 結構、こんなもんだったりしますね。
 そういえば、ネジにプラスとマイナスがあるのも、プラスネジで特許をとった会社にお金を払いたくないという理由でマイナスネジをつくったという説があるよなあ。
 「ダイモ」というプラスチックテープ印字機ははじめて見た(pp102-103)。でも、このテープは見た記憶があった。そうか、こんな機械で印字していたのか。

 他にも、「ロケットペンシル」とか「マジックインキ」とか「ポスターカラー」とか「チェックセット(マーカーで塗ってシートを置くと文字が見えなくなるというあれです)」とか、懐かしい品々が多数登場する。
 「上履き」や「ジャポニカ学習帳」、「クーピーペンシル」に「サクラクレパス」なども。

 一人で読むのもいいですが、同世代、あるいは別の世代間で読むと、色々な思い出話に花が咲くのではないだろうか。
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2003年8月6日(水) たまにはいいよね、こんな1冊
八本正幸『怪獣神話論』(1998年,青弓社) 古本
 タイトルから想像できるように、特撮の映画・テレビ番組に関する評論集。ハリウ ッド版『GODZILLA』(1998)、北朝鮮版のゴジラとも言われている『プルガサリ』 (1985)を紹介する「第1章 怪獣世界大戦」にはじまり、つづく「第2章 神々の黄昏、 人間の解体」では東映の怪獣映画からフランケンシュタインの怪物、『ブレードラン ナー』(1987年,アメリカ,リドリー・スコット監督)や『エイリアン』シリーズ、果ては夢 野久作の小説『ドグラマグラ』まで話が及ぶ。
 「第3章 電脳・超能力少女の未来型」では雰囲気が変わり、ホラーやSFのテレビ ドラマ・映画を中心に、そこに表れる少女について考察する。ここで少女は、怪獣と 人間を媒介する巫女として注目される。ここで紹介されるドラマには、1990年代も のが多く、リアルタイムで見ていたものとしては懐かしく、興味深かった。「エコエコ アザラク」(1997年,テレビ東京系列)、「七瀬ふたたび」(1998年,テレビ東京系)な んて、懐かしいなあ。
 「第4章 特撮の世紀」・「第5章 光の巨人伝説」は、それぞれ円谷英二とウルトラ シリーズについての考察。
 全体的にちょっと文章が口語的で軽い感じがするのは、好みが別れると思う。し かし、なかなか面白い本だった。自分が見た記憶のあるドラマや映画はその記憶 と照らし合わせて、見たことのないものについては想像しながら、楽しんで読めた。
 子どもの頃、特撮ヒーローもののテレビ番組や、怪獣映画についての本を読んで いたのを思い出した。あまり記憶には残っていなかったが、そういう本が好きだっ たのを思い出しましたよ。
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2006.11.25(土) 静かで、かつ興味深い生活の記録

オンライン書店ビーケーワン:刑務所の中・花輪 和一著『刑務所の中』(2006.5,講談社)
 漫画家花輪和一氏が銃砲刀剣類不法所持・火薬類取締法違反で懲役3年の実刑判決を受け、拘置所・刑務所に入っていた間の記憶を元に描かれた漫画。
 一気に読んでしまった。まず、事前に他の方の感想などで読んでいたことなのだが、たしかに淡々とした生活が絵がかれれている。刑務所といえば、暴力やいじめが日常茶飯事、というイメージをどうしても抱くが、この漫画を読む限りでは、そうしたことはない。
 ただこれは、収監されていた刑務所やその時期、著者の性格にもよるのではないかと思う。
 例えば、下記のページで作家の安部譲二氏と花輪氏が在監時の経験を話しているが、やはりふたりの話の内容には異なる点もある。

・法務省>行刑改革会議 第3回会議(平成15年6月16日)議事録: http://www.moj.go.jp/KANBOU/GYOKEI/KAIGI/gijiroku03.html

 それでも、花輪氏が過ごした日々は穏やかであったのだろうという印象を持つ。
 しかし、規則は厳しい。工場での作業中はもちろん、房(部屋)の中でも行動が事細かに決められている。読んでいると、私は絶対に刑務所に入りたくないと思う。私自身は怠惰な人間だから、1日24時間に規則が定まった生活をずっと続けるというのは耐えられないだろう。規則に違反した場合、懲罰房の中で一人で作業や食事を行うこともあり、更に房の中で作業の代わりにずっと正座か安座をしなければならない「軽へい禁」という懲罰が課される場合もある。

 もう一つ印象に残ったのは、食べ物、特に甘いもののことをよく考えているということ。それだけに、食事の場面はおいしそうだ。中でも、月に6回のパン食の、中でもパンとマーガリン・小倉小豆・サラダ(フルーツカクテル)を食べるシーンは、「ああ、これはなんとも言えないほどにおいしかったのだろうなあ」と感じた。
 こういう、自分ではしたくない(またできそうにもない)経験をした方の記録を読むというのは、本を読む一つの醍醐味だなあと、改めて感じた本。本当に記録に徹していて、良いとか悪いとかの感情が露わでないのも、個人的には魅力的だった。

 『刑務所の中』は、下記のとおり映画化もされています(監督: 崔洋一、出演: 山崎努・香川照之・田口トモロヲ・他)。

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2003年11月13日(木) 本好きの本屋さんが書いた本にまつわる本2冊(の1 冊)
早川義夫『ぼくは本屋のおやじさん』(1982年,晶文社)古本
 シリーズ「就職しないで生きるには」の1冊。このシリーズは、自ら店を開いている 人が日々の様子を書いたもの。著者は、かつてジャックスというバンドを結成して いて、今もミュージシャンとして活躍している。その早川氏が、一時神奈川県川崎 で書店を経営していた。これはその頃の記録である。
 住宅街の駅前にあるような中小規模の書店の大変さがよくわかる。出版社や取 次(本の問屋)から、本はどのように送られてくるのか(あるいは送られてこないの か)。送られてこない本はどうやって手に入れればよいのか。こうした話から、書店 が本を注文したり、神保町の取次まで直接買いに行ったりする様子がよくわかる。
 もちろん、店には色々なお客さんがやってくる。本が好きな人もそうでない人もい る。中には変わった人もいる。そうした人々と話をするのも大変である。例えば、お 客さんの欲しい本が手に入らないことには、流通システムなどの問題がある。しか し、お客さんにとっては本が手に入らないのは書店のせいと言われてしまう。こん な苦労も、普段客である自分にとってはうかがい知れない部分だった。
 しかし、そんな大変な日々でも、本が好きな著者の持つ独自の雰囲気が感じられ る。本が好きな思いが文章からにじみ出ているとでもいうのだろうか。この本を読 んで、例え小さな店であっても、店の人やお客さんが本好きな店なら、そこには本 好きにとって面白い店なのではないかと感じた。
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・早草 紀子『あすなろなでしこ』

2009-01-25(日) 日本女子サッカーの貴重な記録

あすなろなでしこ早草 紀子『あすなろなでしこ』(出版 : ソル・メディア・発売 : ランダムハウス講談社)  Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 1996年から日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンを務めている著者による、日本の女子サッカーの写真集。また、北京オリンピック代表の18人へのインタビューも掲載されている。

 日本女子代表が「なでしこジャパン」として注目された、アテネ、北京のオリンピックの写真も、それ以前、1990年代の代表やLリーグ(なでしこリーグ)の写真もあるので、1990年代以降の女子サッカーの雰囲気が分かる。かつての名選手の姿もあるし、女子サッカーの場合、10代でリーグデビューする選手も多いので、今の代表の選手のより若い頃の姿を見ることもできて、興味深い。

 もっとボリュームがあってもよかったと思うけれど、貴重な記録であることに違いはない。

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2004.10.12(火) 路上観察者的視点で眺めると、町は違って見えてくる。
・林丈二『犬はどこ?』(2003年,講談社文庫)
 著者はイラストレーター、エッセイスト。路上観察でも有名で、特にマンホールの 蓋のデザイン収集で知られている。
 この本は、そんな著者が1971年から1998年までに撮った様々な犬の写真と、そ の写真にまつわるエッセイを集めた本。日本だけでなく、海外で撮影したものもあ る。
 俺はどちらかというと、著者の路上観察学の視点が面白くて読んだ。普通の道端 の、でもよく見るとちょっと変わった「犬のいる風景」を集めている。例えば、なぜか 塀の上や屋根の上につながれている犬や、犬に比べて非常に大きい犬小屋とか、 常識的な「犬の姿」にとらわれないところがいい。
 もちろん、犬が好きな人にも十分楽しめると思う。
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2008年11月26日(水) 双子の神秘性

林田 賢太脚本・平田 拓朗著『ブリュレ』(2005年07月・プラネットジアース) オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天市場

 映画『ブリュレ』(林田賢太監督)のノベライゼーション。映画の完成、初公開の2005年にあわせて出版されたもの。

 四歳の時に起きた火事が原因で、離れ離れに親族に引き取られた一卵性双生児の姉妹、水那子と日名子。十三年の時を経て、十七歳になった妹の水那子は、日名子が暮らす東北の街にやってくる。
それぞれに問題を抱え、それを埋めるために互いの存在が必要だと思っていた水那子と日名子は、幼い頃に育った鹿児島を目指して旅に出る。

 双子の神秘性を強く感じさせる物語。現実には、双子といえども普通のきょうだいと大きな違いはないのかもしれない。しかし物語の中では、しばしば「二人で一人の存在」とか、もう一人の自分である「ドッペルゲンガー」などと関連づけたテーマとして取り上げられることが多い。

 この小説でも、「双子って、心中したもの同士が、来世で出会うための生まれ変わりなんだって」(p.106)と日名子が語っているように、水那子と日名子の間には、家族愛よりもさらに強く激しい愛情と、憎しみが描かれる。
 これは、互いに相手がいなければ生きて行けないというある種のエゴイズムと、それだけに相手に対して自分ができることはなんでもしたいと思う献身さという、二つの矛盾する感情から来る愛憎なのだろう。そのふたつの思いが入り混じる水那子と日名子の不安定な様子、そしてふたりの絶望的な逃避行の様子は、悲しくも美しい。

 ラストも悲劇的なのだが、読み方によっては水那子と日名子がひとつになり、報われたようにも感じられる。不思議な読後感を残す小説。

 と、いうところまでが、小説単体の感想として書いてみたもの。ただ、2008年に公開されたバージョンの映画版を見たものとしては、小説単体としての感想ではなく、映画とあわせての感想を書きたい。
 ということで、以下映画とあわせての感想です。

 映画の脚本・監督を担当した林田賢太氏(映画が一般公開中の2008年11月1日、病気のため急逝された)が、「水那子と日名子のように、小説と映画は互いを必要とし、つながりあう情意を持っている」(p.149)と本の中にコメントを寄せているけれど、まさに主人公の双子姉妹日名子と水那子のように、映画と小説も互いを補いあっているように思う。
 小説が、脚本や映画の初期公開版(120分あったという。ちなみに私が見たのは70分版)にどれくらい近いかは、私には分からない。でも、私が見た70分版の映画には登場しなかったシーンや、描かれなかった人物も書かれていて、「そういうことか」と思った部分もあった。
 例えば、途中から双子と旅をする怪我を負ったキックボクサー池澤の物語も語られているし、双子の両親についても言及されている。映画も小説も、物語の中に「死」の気配が漂っているのだが、最後は生きることへの希望を感じさせてくれる。

 こと『ブリュレ』については、映画と小説は、あわせて読み、見るべきだと思う。もう一度映画が見たくなった。

 それから、巻末にはこの映画の制作を援助したインディーズムービー・プロジェクト(IMP)のプロデューサー西村秀雄氏と林田監督へのインタビューも収録されている。IMPの監督への「援助」がどのようなもので、西村氏は監督のどこを見ているのかが分かる。具体的には、ビジネスとしての計算を突き抜けた部分(それは「クソー!」という思い、と表現される)を重視している。また林田監督亡き今、監督の映画『ブリュレ』についての考え、思いを知る貴重な内容にもなっている。

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あくまで「『私の』メールマガジンの楽しみ方」

原田 勉『メールマガジンの楽しみ方』(2002.10,岩波書店・岩波アクティブ新書)Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 74歳でインターネットを始め、メールマガジンを発行した著者による体験記。
 ただ、著者は日本農業新聞記者、(社)農山漁村文化協会での雑誌編集、制作管理などの経験がある方。つまり編集や執筆についてはまったくの素人ではない。

 メールマガジンの発行や、webサイトの管理のヒントになるかなと思って読んだのだが、そういう話は少なかった。
 著者がメールマガジンを発行してどんな人と出会ったかとか、どんな経験をしたかとか、そういう話が中心。もちろんその中で、著者が大事だと思うことは書いてあるのだが、あまりに一般的過ぎるか、個人的過ぎるかで、あまり参考にはならなかった。

 一般的というのは「編集者・発行者は、まめにメールする」(p.122)とか、「『好まれるメルマガの条件』として読者の声は必須条件」(p.120)とか。
 個人的というのは、読者の感想メールをメルマガに載せるにあたり、メールの「テーマは一つにしぼり、一回の分量は二〇行以内にして起承転結を考えて頂きたい」(p.127)とか、メールマガジンには「深刻な事実も気楽に表現できると言う特徴があるのではないでしょうか」(p.39)とか。

 じゃあ読み物として面白いかと言うと、これは個人の好き嫌いの問題。私はあまり楽しめなかった。

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2005.11.26(土) 異質なものが合わさる面白さ
・パラダイス山元『ガチャ!マン盆栽』(2003.11,扶桑社)

 パラダイス山元氏が始めた「フィギュアと盆栽の組み合わせ」(p.2)マン盆栽。この本では、盆栽にガチャガチャのキャラクターや食玩などを乗せ、撮影した写真を掲載している。
  動物のフィギュアが盆栽に合いそうなのは分かるのですが、意外とキャラクターフィギュアもマッチしています。プラモデルのジオラマみたいに仕上がっているものもあれば、盆栽とキャラクターという異質なもの同士が並ぶ、えもいわれぬ面白さがにじみ出ているものもある。
  いくつか印象に残る写真を紹介しましょう。

・レールと「きかんしゃトーマス」を並べた「きかんしゃトーマスと仲間たち」(pp.8-9)。松や苔の中に見える電車、味があります。
・高い松の木の上になぜかさつまいもが置かれ、それを取りに猿が登る「猿は木に登る」(pp.16-17)
・真柏を挟んでウルトラマンとバルタン星人が対峙する「シュワッチ」(pp.38-39)。ここに付けられた説明文がまたいい。
 「ウルトラマンのフィギュアを使うガチャマン盆栽は、特別に『ウルトラマン盆栽』といいます」(p.38)。
・「ショッカー登場」(pp.64-65)の松の木の下に並ぶショッカー戦闘員というのも、妙な趣が出ています。

 しかし、色々なフィギュアが発売されているんだなあということも分かる。ぱらぱらと眺めても面白いし、ひとつひとつの写真をじっくり見てもまた面白い本。
  なお、文章はすべて英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語・中国語・韓国語・アラビア語の翻訳がついています。

オンライン書店bk1の紹介ページオンライン書店ビーケーワン:ガチャ!マン盆栽

2005.1.1(土) はあー、うっ!
パラダイス山元『ザ・マン盆栽2』(2003年,文春文庫PLUS)
 マン盆栽を紹介した本です。面白かったです。終わり。
 ……そういうわけには行かないね。まず、「マン盆栽」について簡単に説明するの は難しいが、「盆栽にフィギュアを置いたジオラマのようなもの」と思っていただけれ ばいいかと思います。詳しくは下のサイトを見ていただくのがよろしいかと。
・日本マン盆栽協会公式サイト マン盆栽パラダイス  http://www.mambonsai.com/

 この本は、マン盆栽の創始者・家元であるパラダイス山元氏が、自作を紹介した 本。
 それぞれの写真から、色々な物語を想像させる。それとともに、写真についてい る説明文もいい味を出している。
 一輪だけ咲いている桜を、一足早く花見に来た夫婦の「一分咲き」や、仕事帰り に木のそばに腰掛ける出稼ぎ労働者の「本日終了」なんて、映画のワンシーンみ たいだ。

 それから、最後の方にある「資料編」が、本当の資料もあり、冗談半分もあり、面 白い。「マン盆栽とさまざまな建造物の比較」とか、「マン盆栽に与えたい水のヒエ ラルキー」とか、「[マン]のつくもの世界一決定トーナメント」(もちろん「マン盆栽」が 優勝)とか、面白いなあ。

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2006.05.17(水) ファンにとってはうれしい一冊
「メール交換」―銀色夏生×HARCO (角川文庫) 銀色夏生・HARCO『メール交換(角川文庫 GINIRO NATSUO COLLABO SERIES)』(2006.4,角川文庫)Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス
 詩人銀色夏生とミュージシャンHARCOの両氏のメールでの文通をまとめた本。2005年12月6日に銀色氏がHARCOさんにメールを送り、2006年1月25日までに交換されたメールを収録している。
 良くも悪くも「ノベルティグッズ」かな、という感じ。ファンにとっては(俺もHARCOさんのファンなので)、どんなメール、文章を書いているかが分かるのは興味深い。
 でも、特にテーマはなくお互いがやり取りするメールでありつつ、本として不特定多数の人が読むことを前提に書かれている(本にする事は、途中で銀色氏から提案される)というのが、なんとなく「立ち位置」が安定していない感じがする。

 それでももちろん面白い部分はあるわけで、例えばHARCOさんの「どこかでHARCOという女の人がライブをやっていて、それを僕がたまたま見に行って、、、ということが起こるかも」(p.42)しれなくて、そのときは「どっちが先だったか確認しあうとか。あとに付けた方がHARCO JAPANにするとか」(p.42)というのは、なんともいえない面白さがあったなあ。

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2009年08月23日(日) 恨みつらみも力に変えて

林芙美子『放浪記』(新潮文庫) オンライン書店bk1amazon.co.jp

 林芙美子による、実体験(日記)を元にした記録。20歳前後、大正時代の生活が描かれている。
 新潮文庫版は三部構成になっているが、これは発表時期の違いであり、同じ時期を書いた内容である。正確に言うと、元の日記から抜粋し雑誌に掲載する、ということが三回行われたため、このような形式になっている。

 読んでいると、当時彼女が非常に大変な時期を過ごしたことが良く分かる。生活の貧しさ、当時女性が就く仕事の質、交際・同棲した男性の問題点など、苦しさが文章から伝わってくる。
 芙美子はカフェーの女給や会社の事務員をしながら文学の勉強をするのだが、女給は今でいう水商売に近い。また当時のカフェーの女給は訳ありの女性が働くことが多い環境だった。一方、事務員も落ち着いた仕事ではあるが、待遇や人間関係など、芙美子には馴染まない部分も多かったようだ。職を転々、と表現できるくらい仕事を頻繁に変えている。また経済的事情や住み込みの仕事に就いたなどの理由で、住まいも変えている。時には父母の元へ戻り、しばらく行商をすることもある。子どもの頃から父母とともに行商で生計を立てたという生まれ育ちもあるのだろう、ひとつところに止まるのは性に合わないのかもしれない。

 ただ、そういう苦しい生活の中で、さまざまな執着心がある。その思いが、生きる強さとして感じられる。いつかは文学者として名を成そうという思い(その裏返しとしての、編集者や同業者への恨み)、報われない今の生活をなんとかしたいと、資本家や時には神や皇族などにも毒づくまでの権威や権力への憤り。そうした気持ちは、ネガティブなのだけれど、力強い。大正時代、一人で生きる覚悟を決めつつ日々を過ごす女性の迫力を感じる。

 なお、新潮文庫版には、『放浪記』出版後の状況を記した後記のような部分がある(第二部の最後)。ここを読むと、『放浪記』が話題になった後も、状況が劇的に変化したわけではないようだ。結婚し、生活は安定したようだが、一家の生計は彼女の文章に依存するようになり、家族を含む人間関係には相変わらず悩まされ(夫からも作品を非難される)、それでも家族が人並みに生活できることに喜びを感じている。

 ここにはカタルシスはないが、それが現実なのだろう。しかし、彼女が亡くなって数十年を経た今でも、作品が出版され続け、読まれ続けていることに、彼女の思いの強さが報われているように、私は感じる。

 ここからは本当に分かる人にしか分からない話を書きます。
 『放浪記』を読みながら思い出したのは、引退した歌手の倉橋ヨエコさんのこと。活躍した時代も、文学と音楽というジャンルも違えど、恨みつらみを創作の源にしていたのではないかという点に共通するものを感じる。ヨエコさんは林芙美子を読んでいただろうか。

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