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木の葉燃朗のばちあたり読書録

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■著者別「ま・み」→「む・め・も」

牧伸二『牧伸二のウクレレ人生』 / 増田剛己『ビジネスエキスパート時間3倍活用術』 / 益田 ミリ『結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日』 / 串間努・町田忍『ザ・ジュース大図鑑』 / 町田忍『痛快「捨てない!」技術』 / 町田忍『文化天然記念物絶滅危惧浪漫昭和博物館』 / 町田忍『昭和レトロ商店街』 / 松田哲夫『編集狂時代』 / 真鍋博『発想交差点』 / 眉村卓『出たとこまかせON AIR』 / みうらじゅん『アイデン&ティティ』 / みうらじゅん『グレイト余生』 / 南伸坊『5年1昔』 / 南伸坊『モンガイカンの美術館』 / 南伸坊『笑う街角』 / 宮脇修『創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある』 / 宮脇修一『造形集団海洋堂の発想』 / 三善里沙子『中央線なヒト』

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2002年8月31日(土)
牧伸二『牧伸二のウクレレ人生』(1995年,みくに出版) 古本

牧伸二が、若き日に出会った芸人、そして今(といっても1995年当時)の芸人に ついて語る。語られる対象の芸人の選択(特に若き日に出会った芸人)と、語り手 が牧伸二ということだけで、面白さは保証されたようなものだ。当時を知っている人 の話というのは、重みがある。
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2004年1月18日(日) 知的に生きてみようか! と思わされる1冊
増田剛己『ビジネスエキスパート 時間3倍活用術』(2003年,日経ビジネス人 文庫)
 著者はライター下関マグロ氏。ビジネス書は本名で書いているようだ。内容は、 ビジネスマンが効率よく仕事をするにはどうすればいいか、という話が中心。もとも とは1993年に出版された本だが、文庫化にあたってかなり手直しをされているらし い。また、具体的な内容が多いので、役に立つヒントも多い。各章ごとに印象に残 った部分を挙げてみる。

 第一章 まずはスケジュール作りから:1日になにをしているのかを全部書き出 してみる。仕事は終了時点を決めて、それから予定を立てる。手帳の選び方。手 帳とパソコンのデータの連動。
 第二章 仕事を2倍の速さでこなす:朝15分早く起きて、すべて15分前倒しで行 動する。タイマーで時間を管理して、時間を気にせず没頭する。伝言メモのとり方。 ポストイットの使い方。資料のまとめ方(A4サイズ統一法)。
 第三章 ネット時代の情報管理術
 第四章 素晴らしい発想を生み出す:発想のための時間・場所作り。細切れの 時間をどう使うか。発想のヒントを探すためのパソコンソフト。新しい視点を得るた めの通勤方法。
 第五章 人脈を広げるために:インターネットでの交流のメリット。インターネット 上のマナー。コミュニケーションの取り方(共通の話題の見つけ方)。
 第六章 オフタイムの楽しみを広げる:仕事以外に一生懸命になる(副業のき っかけ)。仕事とは別の考えで動いてみる(デジタルではなくアナログ。情報のシャ ットアウト)。

 人によって取り入れられる部分は違うと思うが、少なくとも俺は真似できそうな部 分が多かった。
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2008-01-31(木) 30代の切実な不安

結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日益田 ミリ『結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日』(2008/01、幻冬舎) Amazon.co.jp で詳細を見るオンライン書店bk1楽天ブックス(2008.01.27、オンライン書店bk1より購入)

 四コママンガ、と紹介されているようですが、正確には四コマで完結するマンガではなくて、一ページ八コマが数ページに渡って続く形式のマンガ。
 正直に言って、絵はそんなにうまくない。でも、読んでいると気にならなくなってくる。それくらい内容に引き込まれる。

 主な登場人物は、まず、すーちゃんと呼ばれる女性。35歳で独身、カフェで店長をしていて、貯金もそこそこあるけれど、将来のことを考えると不安を感じる。もう一人は、さわ子さん。もうすぐ40歳になる。彼女も独身で、実家でお母さんと、「寝たきりで/いろんなことを忘れてしまっている」(p.20)おばあちゃんと暮らしている。
 ふたりは、かつてバイト学生と社員という関係だったが、13年ぶりにヨガ教室で再開し、近所に住んでいることが分かる。

 そのふたりの日常が描かれていく。これが、それぞれの切実な不安が描かれていて、読んでいると色々なことを考えてしまう。
 すーちゃんは、このままひとりで暮らして老いて行くことへの不安。特に「このまま/おばあさんになって/仕事もお金もなくて、/寝たきりになって/頼る人もなかったら/そしたら、/あたしの人生は/歩いてきた人生全部が/台なしになって/しまうの?/って考えると、/震えてしまうんだ」(p.63)という部分は、30代を迎えて独身である私も、同じように感じる。女性でも男性でも、ひとりで老いて行く不安は共通すると思う。そして、それがうっすらではあっても感じられてくるのが、30歳という年齢ではないか。
 さわ子さんは、寝たきりのおばあちゃんと、その介護をする母親と暮らしながら、より現実的に老いについて考える。「恋がしたいんです/いや、/恋とゆうより/男が欲しい」(p.17)という率直な欲望もあり、会社の先輩の紹介で男性と付き合ったりもするのだが、そんな時も家のことを考えてしまう。さわ子さんには兄がいるが、結婚して時々家にくる程度で、またさわ子さんの父親は、理由は描かれていないが不在である。祖母・母・自分の三人で、どうやって生きていくのか、それを考える中で、祖母も母も、ひとりの人間として生きていることを感じる。「そうなんだ、/おばあちゃんは、/赤ちゃんではなくて/ひとりの/『大人なんだ』」(p.84)とか、「そうだった/お母さんは/自分のお母さんに/忘れられているんだ/それが、どんなに/淋しいことか、あたし/考えたことなかった」(pp.113-114)とか。

 一方で、結婚して妻・母になることが、そのまま幸せになるのかという不安も登場する。それを象徴するのが、すーちゃんの友人のまいちゃん。結婚して妊娠していて、「おだやかで/幸せな日々です」(p.65)。しかし、これまでの人生で大学・就職・結婚と選んできたまいちゃんが、「なぜだろう、/もう、なんにも/選べないような/気がするのは」(p.68)と思い、「さよなら/さよなら、/あたし/もうすぐ別の/あたしになる」(pp.68-69)と覚悟をする。

 どうやって生きるとしても、楽ではない。そんなことが、現実味を持って感じられる。

 話は少しずつ区切られているのだが、最後の三話は、読んでいてちょっと泣いた。さわ子さんとお母さんが温泉に行く話、さわ子さんが交際相手と別れることを決め、飼っていたネコを探す話、さわ子さんの家へ、すーちゃんがお呼ばれする話。どうやって生きるとしても楽ではないけれど、みんな幸せに生きて欲しいと思える終わり方だった。

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2006.03.08(水) ジュースにもちゃんと歴史がある

ザ・ジュース大図鑑 串間努・町田忍『ザ・ジュース大図鑑』(1997.2,扶桑社)Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 タイトルどおり、日本のジュースについての歴史をまとめた本。「日本コーラ史」、「日本炭酸飲料史」、「日本果実飲料史」という串間氏のみっつの記事に加え、町田忍氏によるコラムとコレクション写真が掲載されている。
 テーマがテーマなので、堅苦しくはなく楽しく読める。

 まず最初の「コーラ・コレクション」(pp.4-18)の、コーラのノベルティグッズの写真が面白い。コカ・コーラのデザインの電池なんて、欲しいなあ。それに続く「日本コーラ史」(pp.19-47。串間)も、日本へコーラが入ってきてから定着するまでが丁寧に紹介されており、興味深い。「ダイエットペプシ」は、昭和50年(1975年)にはすでに日本で発売されていたんだねえ。また、同時に掲載されている各社からのコーラの写真がまた面白い。「ジョルトコーラ」とか「カルピスソーダコーラ」とか、懐かしいなあ。
 また、大手メーカー以外のコーラについて(プライベートブランド=PBと呼んでいる)、写真と文章で紹介した「日本PBコーラ史」(pp.58-64。町田)にも、「まだまだこんなにコーラがあるのか!」と思わされた。無印良品のコーラもあったんだねえ(今もあるのだろうか?)。

 続く「日本炭酸飲料史」(pp.77-132。串間)で面白かったのはジュースの商品名の由来。例えば「ファンタ」、「チェリオ」、「ミリンダ」の由来、ご存じですか。
 この本によると、ファンタは「ファンタジーの意で『夢見るようにおいしい』」(p.127)。チェリオは「英語で乾杯の意」(p.127)、これは「Cheers!」などとも共通する表現だろう。そしてミリンダは「エスペラント語で『幸せな・楽しい』の意」(p.127)。すげえな、しまいにゃエスペラント語まで出てきたぞ。
 ちなみに「リボンシトロン」のシトロン(citron)はフランス語でレモンのこと。リボンは当時(明治40年代)女学生の間でリボンが流行していたので名付けられた。それから、「7UP」には「特に意味はなく、語呂が良く歯切れが良く覚え易い」(p.124)ことで命名されたそうな。
 なるほどねえ。
 他にも、昭和24年までは、サッポロ・エビス・リボン・アサヒ・三ツ矢といった飲料のブランドは、すべて大日本麦酒という企業が使用していたことも分かる。大日本麦酒が日本麦酒株式会社と朝日麦酒株式会社に分割され、使用ブランドも分けられたそうだ(pp.103-104)。

 「日本果実飲料史」(pp.133-170)で興味深かったのは、「ジュース」という名称をめぐる業界と消費者団体の間の問題。果汁100%の飲料のみにジュースという名称が使用できることや、果汁の量(果汁○○%)の表記を10%刻みとすることが、いかにして決まって言ったかという経緯が丁寧に書かれている。

 見た目は小さな本ですが、中身はぎっしりと密度が濃くて面白いです。

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2002年12月26日(木) マニアックな2冊(の1冊)
町田忍『痛快「捨てない!」技術』(2001年,岳陽舎)
 完全に辰巳渚 『「捨てる!」技術』(2000年,宝島社新書)を意識した本。しかし、俺 は断然町田さんを支持したいね。そう思えるくらい、この人は面白いぞ。
 なんというか、みみっちさを伴なわない「捨てない!」なのである。また、無理して 取っておくわけでもない。なんとなく捨てないでいてたまったものを、自分の生活の 様々な場面で役立てているのである。捨てないことでどんなものが集まったか、そ れがどのように生かされているかが本書の半分ほどで語られる。
 この生活が、読んでいるとなんとも楽しそうなのである。「ぜひとも真似しよう」とま では思わないが、俺もどちらかといえば捨てない派だから、勇気づけられる。捨て ないことでいかに楽しく生きるかを教えてくれる。まさに「捨てない技術」だ。
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2002年11月15日(金)
町田忍『文化天然記念物 絶滅危惧浪漫 昭和博物館』(2002年,勁文社)
 タイトルから想像がつくように、懐かしい風景やものの写真とともに、それらにま つわる文章を掲載した本。A4サイズという大判であり、カラー写真も多数使われて いるので、ぱらぱらとめくって見ているだけでも楽しい。
 紹介されるのは、ホーロー看板に始まり、店の前にあるマスコット人形、屋上の 遊園地、映画館・食堂などの外観、さらにはチョコレート・バター・マッチ・納豆など のラベルが紹介される。
 とはいえ、体系立てた収集というよりも、あくまで著者自身の興味の範囲内のも の。だから、多少とっちらかった印象はある。あとは、誤字脱字が多い。これはちょ っと悲しいくらいに多い。
 しかし、そうしたことを差し引いても、なかなかいい本だと思う。発行していた勁文 社が倒産してしまったので手に入りにくいのが残念ですが。

2006.03.22(水) 「当たり前」で「記憶に残っているもの」こそ、記録する意義がある、と思わせてくれる本
オンライン書店ビーケーワン:昭和レトロ商店街町田 忍『昭和レトロ商店街』(2006.1,早川書房)
 食べ物や日用品などの中で、今でも身近にあり、かつその歴史の長さから懐かしさを感じさせるものにまつわるエピソードを紹介した本。
 最初が「ケロリン」の話。そして次が「正露丸」。その後も「のりたま」、「仁丹」、「グリコ」、などなど、取り上げられる題材はいずれも興味深い。

 特に、最初の黄色いケロリンの広告入りおけの話は面白い。睦和商事という会社が、風呂桶に広告を入れて全国の温泉や銭湯に販売することを考えたそうだ。元々はおけは「黄色ではなく白色であった」(p.14)とか、「大阪の銭湯に置かれたケロリンおけは、最初に作られたおけの大きさよりひとまわり小さいものだった」(p.15注釈)とか、色々なことが分かる。
 ところで睦和商事のwebサイトを見ると、ケロリングッズ(桶の他ストラップやタオルも)はロフトや東急ハンズで買えるらしい。あの桶も! ほ、欲しい!
 ケロリンについては、大阪の地下鉄の駅の階段に「ケロリン」と広告が書かれている写真も出てきます(p.17)。

 他の商品についても興味深いエピソードがたくさんあります。蚊取り線香の「金鳥」のブランド名は、「『史記』(司馬遷)の一節である『鶏口となるとも牛後となる勿れ』」(p.41)をもとに命名されたとか、消毒液の「マキロン」は「赤チン」と入れ替わるように普及した(p.151)とか。ちなみに赤チンは、今でも「マーキュロクロム液」の名前で、今も置き薬用に生産されているそうです。

 本の中に登場するいずれの商品も、人々の記憶にはしっかりと残っているし、今も多くの人が使っているものもある。しかしそれだけに、その存在が当たり前過ぎて、改めて記録したり、調べてみたりということを、なかなかしない品々でもある。このままだと、いつしか記憶からも消えていってしまうかもしれない。
 巻末の泉麻人氏との対談で、著者の町田氏は「大衆文化は消耗品でなりたってますからね、誰かが残そうと思わないと残らないわけです」(p.172)と話しているのだが、たしかに町田氏のような方がこういう品々を保存して、更に色々と調べた結果が記録としてまとめられるというのは、貴重だよなあ。

 ともあれ、あまり難しく考えなくとも、商品の写真を眺めながら色々なエピソードを読むだけで、とにかく楽しいです。
(参考)
・内外薬品商会>ケロリンファン倶楽部 http://www.naigai-ph.co.jp/fanclub/fun.html
・睦和商事 http://www.mintworks.com/mutuwa/

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2004.8.19(木) 編集者になりたいどうかは別として、面白い本
松田哲夫『編集狂時代』(2004年,新潮文庫)
 現筑摩書房取締役であり、今も編集者として活躍する著者による、編集者として の半世紀。各章のタイトルを紹介しながら、興味を惹かれた部分を紹介していこう と思う。

第一章 ぼくは、小学校低学年の頃から二十代なかばまで、ひたすら集める ことに熱中してきた。
→松田氏のマニアぶりと、「ただ集める」状態から脱却して編集を行うようになった いきさつ。
 種村季弘氏による「コレクターの三条件」の話(p.34)は面白かった。「一、お金が 沢山あること」、「二、時間や空間が自由になること」、「三、家族(特に配偶者)が いないこと」だという。たしかに、そうかもしれない。
 そして、松田氏が単なるコレクターから脱却するきっかけになった老人の話は、 それだけで短編小説みたいだった。新聞の記事を集め、スクラップし続ける老人 の正体が、また意外なのだ。

第二章 一九六五年秋、ぼくは高校三年生だった。ある日の昼休み、階段教 室で、捨てられていた一冊のマンガ雑誌にであった。
→高校生の頃、『ガロ』に出会い、青林堂でアルバイトをする話。

第三章 そこは留置場だった。目の前にボンヤリ鉄格子が見えた。昨日あっ たことが走馬燈のように、次々と浮かんでは消えていった。
→学生運動に参加して、その後筑摩書房に入るまで。

第四章 一部ゲラ刷りを貰い、それを持って飲み屋にいった。色校をチラチラ 眺めながらのむ酒は、格別においしかった。
→美学校や桜画報など、赤瀬川原平氏や南伸坊氏と出会い、ともに仕事をする 話。

第五章 この社の仕事をはじめて九年、倒産を機に、「筑摩の人間として生き よう」と密かに決意したのだった。
→雑誌『終末から』の編集への参加に伴う活動。筑摩書房の倒産。

第六章 そうしたある日、啓示のようにひらめいた。「そうか、外骨さんになっ ちゃえばいいんだ」
→1980年代の路上観察学会の発足や、ちくま文庫の創刊。ちくま文庫の最初の企 画書も紹介されている(pp.346-348)
 この章でも種村季弘氏の話が登場し、非常に興味深い。引用しよう。
「いまの時代、いまの社会では、一つのものが話題になると、みんなそっちに殺到 する。その時に、みんなが振り向かなくなった過疎の田圃にいって掘ってみると、 楽々と宝を手に入れることができるよ」(p.311)

第七章 「頓智」での布石とその後の時間にはじめたことが、ぼくの編集者人 生を大きく展開させることになったのだ。
→雑誌『頓智』の失敗と、テレビへの出演。そして赤瀬川原平『老人力』がベストセ ラーになるまで。
 本筋ではないのだろうが、坪内祐三氏が暴行を受けて大怪我を追った事件の様 子が書かれていて、ちょっと驚いた。あのときに松田氏が坪内氏と一緒だったとは 知らなかった。というよりも、前に読んだ坪内祐三『三茶日記』(2001年,本の雑誌 社)にも書いてあったのに、すっかり忘れていた(坪内氏の本を読み直したら、イニ シャルではあるがまあ解るように書いてあった)。

「編集者ってどういう仕事?」
→「編集者は○○である」という13のキーワードが載っている。なるほどなあと思 う。

 俺の好きな人名や本・雑誌の名前が頻繁に登場して、面白く読めた。氏の考え 方に全面的に賛成することは出来かねるが、一人の編集者の半世紀としては、非 常に興味深かった。
 それから、本の最後に新潮文庫の広告が載っているのだが、これが最新刊を除 いてはこの本に登場した人々の著作で占められている。これは面白かったなあ。 細かいところまで手を抜いていないことを感じた。
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2002年4月5日(金)3月に読んだ本(フリートークにて)
真鍋博『発想交差点』(中公文庫)古本
 星新一のショートショートの挿絵を描いていたイラストレーターといえばわかっても らえるだろうか。1テーマ1000文字で書かれたエッセイ集(1977年〜1980年に かけて書かれたもの)。イラスト同様文章もシャープな印象を受けた。テンポよく読 めるが、考えさせられる部分も多い。

2004年3月12日(金) こういうエッセイを書いてみたい
眉村卓『出たとこまかせON AIR』(1979年,角川文庫)古本
 SF作家である氏によるエッセイ集。タイトルのとおり、ラジオのDJのしゃべりのよ うな文章。当初書く予定でなかった(であろう)脱線・アドリブも含めて、一気に書い ているのではないかと思うくらい、文章のリズム・店舗に統一感がある。カギカッコ や「―(ダッシュ)」を多用して挿入される注釈の数々、漢字をカタカナで書いて普通 なら読むスピードが鈍るところも同じ速さで読ませる、など、適当なようでいて丁寧 に考えられた文章ではないかと思わされる。
 内容は、SF作家のエッセイらしく、普通とは発想・視点が異なる考え方がどんど ん出てくる。それから、想像力の巧みさというのもすごい。たとえばこんなところ。

「日本では、道具というものは貴重であり、その道具を使いこなせるようになるた め、血みどろの努力をするというところがあった。つまり、人間の努力で、道具や機 械に、合わせるのですなァ。
 それに反して、アメリカ流の考えかたというのは、道具や機械を、別に特別な訓 練を受けた人ではない、ふつうの人、誰にでも使えるものへと、改良して行くのだ」 (p.149)。その一方で、「好きだからわざと技術を要する機会を求め、そんな機械に 熱中する、マニアなりプロが存在するに違いありませぬ」(p.152)。

「もっと別の、決定的伝達事項――自分の感情、思想をそのまま記録、相手に伝 える方法が発明され、それがマスプロでどんどん売り出され、利用され……とはな らないだろうか?」(p.191)。「こんな風になったら、今以上につまらぬ結果にもなる のでしょうなァ。今でも本屋映画や番組やらがハンラン、ハンランで、何を見聞きす るか頭がチリチリするのに」(p.191)。

 この文章など、今のインターネットでなんでもかんでも表現されていることを予言 し、皮肉っているようにも読める。
 もう20年以上前の本だが、日常の話と想像の話が多いので、古びていない。そう 思うと、世の中色々変わっているようで、実はそんなに驚くほど変わっちゃいない のかもしれない。

2004年1月29日(木) 「世界は女で回っている」とは、ウディ・アレンの映画だ ったか
みうらじゅん『アイデン&ティティ』(1997年,角川文庫)古本
※この感想は、映画を見に行く前に書いたものです。
 せ、せつねえ。この本は、バンドブームの真っ只中から終焉に至る時期に音楽を 続ける男を描いた「アイデン&ティティ」と、その3年後に、同じ主人公が芸能界の 流れの中でふんばりながら様々な愛に悩む「マリッジ」の2本のマンガを1冊にまと めたもの。「アイデン&ティティ」ではボブ・ディランが、「マリッジ」ではジョン・レノン とオノ・ヨーコが、それぞれ主人公にだけ見える人物として登場し、心の支えにな る。そして、彼らとともに、あるいはそれ以上の存在として支えになるのが、主人公 の彼女の存在だ。
 俺は、バンドを組んだこともないし、音楽をつくる才能もない。でも、主人公が彼 女のためになにかをつくろうとする、という設定が、すごくよかった。主人公が彼女 を前にして思う「ぼくは/やっぱり/この人に/ホメてもらう/のが/一番/うれし いんだ」という言葉で、ちょっと泣いた。
 こういう女性がそばにいて、それこそ主人公が神のように思うディランやレノンと 同じくらいの影響力のある言葉を与えてくれる、自分が前に進むための感情を呼 び覚ましてくれるというのは、ひとつの理想だよなあ。俺、主人公と彼女の会話の シーンや、主人公が彼女を思うシーンは、必ず「じーん」ときたね。
 ということで、早く映画が見たい。特に、彼女を演じている麻生久美子という女優 さんは、かなりぴったりの役どころじゃないかと思うのだが。
 もちろん、みうらじゅん氏の実体験も活かされているのだろうし、1980年代の音 楽、バンドブームってこんなだったなあという懐かしさもあると思う。でも、当時をあ まり覚えていない俺のような人間も、充分に楽しめる。世代によって色々な読み方 ができると思う。
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2004.11.5(金) なかなかに赤裸々
・みうらじゅん『グレイト余生』(2001年,ヌーベルグー)
 1999年春から2001年夏にかけての日記と、10代の頃の日記をまとめた本。
 みうら氏の交遊録わかって面白い。いとうせいこう、山田五郎、安斎肇、田口トモ ロヲ、泉晴紀などの面々が登場する。
 それから、日記に書かれていることが後のみうら氏および周辺の方々の仕事に つながっていて、これも興味深い。
 例えば、みうら氏の『アイデン&ティティ』の映画化に関連して、たびたび田口トモ ロヲ氏が登場する。ちなみに、みうら氏はエレファントカシマシの宮本浩次氏に『ア イデン&ティティ』の主役を演じてしてほしかったらしい(p.34)。
 伊集院光氏との『D.T.』(2002年,メディアファクトリー)につながる童貞話や、後に 『新「親孝行」術』(2002年,宝島社文庫)となる「プレイとしての親孝行」の話も出て くる(本のリンク先は、すべてオンライン書店bk1)。

 しかしまあ、そういう興味とは別に、ほめ言葉として「みうらさんって、変なおじさん ね」と思ってしまうのであった。陶器雑誌のインタビューで「どうしてみうらさんのマイ ブームに陶器は入らないのですかね?」と聞かれて、「割れるから」と答えるところ なんて、面白かったなあ(p.74)
 あと、みうらさんが飛行機嫌いというのは、この本を読んで初めて知った。
 
 おまけとして、中学三年(1973年)、高校一年(1974年)、浪人生(1977-78年)の 頃の日記の一部も掲載されている。これは、読んでいる方が恥ずかしい。
 これを公開してしまうみうら氏は、かっこいいといえばかっこいいよなあ。

2004.12.14(土) 言葉をめぐる2冊(の1冊)
南伸坊『5年1昔』(1991年,小学館) 古本
 言葉についてのエッセイ集。1984年から1990年の流行語の考察。文章の雰囲気 などは軽く、簡単に読めるのだが、内容はなかなかスルドイ。
 1988年の時点で「コンピューターウィルス」を取り上げていたり、1989年に「ディベ ート」の流行を予想していたりする着眼点は、さすがと思わされる。
 登場する言葉の中には、消えた言葉もあれば、定着した言葉もあり、それらの言 葉を眺めるだけでも面白い。「DINKS(子どものいない共働き夫婦のこと)」なんて、 みんな覚えて(それ以前に知って)いるかなあ。しかし、わずか10年程前の言葉や 事件が、非常に古く思えるのは興味深かった。

2003年1月17日(金) 芸術への扉を開く2冊(の1冊)
南伸坊『モンガイカンの美術館』(1997年,朝日文庫) 古本
 初出は一編を除き、美術雑誌『みずゑ』(美術出版社に掲載されたもの。1978 年から1981年にかけて連載され、1983年に単行本としてまとめられた。あとがきに は、この連載が「私が原稿料をいただいて作文をするようになった最初期のもの」 (p.389)とある。
 内容はというと、タイトルどおり、モンガイカンであるシンボー氏が、この、シロート なりのビジュツヒョーロンをすると、マアこういうわけなんですネ。
 …ええと、伸坊氏の文体を真似して紹介してみましたが、俺がやるとどうにも下 手ですな。真面目に紹介しよう。
 紹介している美術は、特定のジャンル・時代に限られていない。図版も全部につ いてではないが、比較的多く掲載されているので、興味がある人には面白くてため になると思う。
 収録された文章は、伸坊氏の若い頃のものだが、この頃から考え方や文章の特 徴は一貫しているなあと感じた。特に、「観察する人」として才能には、すごいなあと 思わさせる。読んでいて、「あ、そうか」と思わされるものの見方をしている。俺に美 術についての知識がほとんどないにもかかわらず、面白く読めたのは、伸坊氏の ものの見方の面白さによるのだろう。
 俺は、はじめの「芸術はUFOである」というタイトルの、マルセル・デュシャン (Marcel Duchamp,1887-1968)とジョージ・アダムスキー(George Adamski,1891- 1965・空飛ぶ円盤と宇宙人に「出会った」と証言し、有名になった人ですね)の類似 性について書いた文章を読んで、俄然興味を惹かれ、一気に読んでしまった。
 本屋で見つけたら、まずは目次のタイトルを見てみよう。そして、気になるタイトル があったら、そのページだけでも立ち読みしてみよう。それが面白ければ、他の部 分もきっと面白いだろう。
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2004年2月27日(金) 目のつけどころがシンボーです(我ながら意味不明)
南伸坊『笑う街角』(1993年,ちくま文庫)古本
 街の中にある、ちょっと変わった看板・建物・オブジェ(ほとんどは偶然出来たも の)を集めた本。シンボー氏(あえてこう書く)には、『ハリガミ考現学』(1990年,ちく ま文庫)という、変なハリガミを集めた本もあるのだが、これはその続編のようなも の。ただし、途中で路上観察学会の発足があったため、対象はハリガミに限らず、 「トマソン」(氏はこの本p.62で「無用の長物」と定義している)に広がっていく。
 しかし、面白いねえ。それぞれの物件について、シンボー氏のイラストが書かれ ており、それとともに独特の視点から見た文章も載っている。それほど分厚くはな いが、なかなか贅沢なつくりの本。それでいて、紹介されている物件が「電車の中 の『ノリホ入れ』、『戸じめ改良』という謎の文字」だったり、「新宿歌舞伎町の『超安 売奉仕』のウカンムリが取れた『超女売奉仕』の看板」だったりする脱力ぶりもまた いい。
 ちなみに「ノリホ入れ」っていうのは、乗客の数を書いた報告書(これをノリホとい うらしい)を作成し、それを入れる箱らしい。またひとつ、勉強になりましたな。

2003年9月13日(土) 働くことの楽しさを感じさせてくれる1冊
宮脇修『創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある』(2003年,講談 社)
 海洋堂代表取締役であり、社員からは「館長」と呼ばれている宮脇氏による、自 身の半生及び海洋堂の歴史をつづった本。ちなみに「館長」とは、海洋堂がかつて 大阪に解説した「ホビー館」の館長、という意味。このホビー館の話も登場するの だが、レーシングサーキットや模型用プール、さらには造形用の工作室もあったか なり巨大な建物(もとは倉庫)だったらしい。
 また海洋堂は、もともとプラモデル屋から始まり、現在はガレージキット、アクショ ンフィギュア、食玩(お菓子についてくるおまけのおもちゃ)の制作で知られている。
 しかし、この海洋堂、面白いなあ。そもそも、プラモデル屋の開業を決めたのは、 木刀の倒れた方向というところからまずすごい。もしも倒れた方向が違っていた ら、海洋堂はうどん屋になっていたのだ。その後も、館長の行動力にはかっこよさ を感じる。色々な失敗もありながら、次々と新しいことに挑戦し、現在の海洋堂が あるのだ。
 つい最近も、あれだけヒットした「チョコエッグ」に、いまや海洋堂のおまけが入っ ていない、という「事件」が発生した。お菓子会社の内部問題で、海洋堂は「チョコ エッグ」という名称を使えなくなってしまった。しかし、現在も海洋堂は食玩でヒット 商品を出し続けている。この逆境をものともしないものづくりへの情熱と、それを実 行する行動力には、ただただ驚くばかりだ。こういう生き方、あこがれるよなあ。仕 事をすることに対して希望が湧いてくる。
 さらに、現在75歳にして館長にはこれからも多くの夢がある。そのひとつとして、 ジュール・ヴェルヌの小説『海底二万マイル』の映画制作や、新しい本社ビルの完 成についても書かれていて、海洋堂も館長もこれからどんどん突き進む、という感 じだ。
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2002年10月6日(日)
宮脇修一『造形集団 海洋堂の発想』(2002年,光文社新書)
 海洋堂は、今は一世を風靡した「チョコエッグ」などのおまけをつくるメーカーとし て一般には知られているのではないか(注:2002年10月現在販売されているチョコエッグの おまけフィギュアは、海洋堂の制作ではありません)。しかし、もともとガレージキットと呼ば れる模型のメーカーとして有名であり、更にその前は大阪の模型屋だったのです。
 この本では、現海洋堂専務の宮脇修一が、自身の生い立ちとともに海洋堂の歴 史をつづっている。そもそも、海洋堂は修一氏の父、修氏(現海洋堂代表取締役 社長)が創業者である。そして、修一氏は中学生の頃から模型店だった頃の海洋 堂の店先に立つようになる。という訳で、修一氏の自伝=海洋堂の社史と言っても 過言ではない。
 海洋堂の商売の仕方には、賛否両論あるだろう。俺も完全には賛成しない。しか し、ものづくり集団としての海洋堂の存在は本当に興味深い。このこだわりは並じ ゃないなと思う。
 海洋堂という名前は聞いたことがあっても、くわしくは知らない人から、海洋堂マ ニアを自認する人まで、おすすめできる本です。
 ちなみに、俺は修氏の自伝も読んでみたいなあ。だいたい、海洋堂が模型屋を はじめたのは、修氏が木刀の倒れた方向で決めたからである。もしも違う方に倒 れていたら、海洋堂はうどん屋になっていたのである! こんな人の自伝、読んで みたくはないだろうか? 実は、俺は修氏が半生をつづった『七十才は鼻たれ小 僧』という小冊子を持っている(数年前ホビーロビー東京と海洋堂のギャラリー件 小売店舗でもらった)。ここで語られる修氏のものづくりへのこだわりが相当なもの なので、ぜひ自伝も読みたいと思うのである。
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2003年10月21日(火) ちょっと変わった東京案内の1冊
三善里沙子『中央線なヒト』(2000年,ブロンズ新社)古本
 東京を東西に横切るように走るJR中央線の、主に新宿以西の街(または町)を 案内した本。非常に限定された範囲を扱っている本だが、どうしてなかなか面白 い。そもそも俺自身が、1年位前までは中央線沿線は自分に縁がないと思ってい た。それが今では、時間を見つけては沿線の古本屋をまわっているのである。こ れこそ中央線の持つあやしい魅力のなせる業であろう(これはちょっと大げさ)。
 この本は、面白おかしくではあるが、なかなか詳しく中央線沿線について書かれ ており、改めて知ることも多い。中央線の起源や、なぜあんなにもまっすぐ(中野か ら立川まで、24kmの直線に線路が敷かれている)伸びているのか、そして新宿より 西の高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・西荻窪・吉祥寺などの町々は、どうしてあんなに独特 の雰囲気を持っているのか、そして、他の沿線の人々は、中央線をどう思い、中央 線沿線の人々は他の地域をどう思っているのか、などなどが語られる。
 中央線沿線在住の著者だからわかる、どうでもいいといえばどうでもいいのだ が、それゆえに密度の濃く、面白い話がぽんぽん飛び出す。
 文章にはちょっとクセがあって、好き嫌いがあるかと思う(正直に言って俺は苦 手)が、内容の面白さで読ませてくれる。太田垣晴子氏のイラストも、いい味を出し ている。
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