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木の葉燃朗のばちあたり読書録

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■著者別「お」

大久保亜夜子『KITEKI奇的』 / 大沢啓二『OBたちの挑戦X』 / 大城 ゆか『山原バンバン』 / 大住良之・大原智子『がんばれ!女子サッカー』 / 太田垣晴子『オトコとオンナの深い穴』 / 太田垣晴子『くいしんぼマニュアル』 / 太田垣晴子『サンサル@A』 / 太田垣晴子『焼酎ぐるぐる』 / 太田垣晴子『小さなモンダイ』 / 大月隆寛『瓦礫の活字を踏みならし 乱調、このニッポンの歩き方』 / 大山のぶ代『ぼく、ドラえもんでした。 涙と笑いの26年うちあけ話』 / 岡崎武志『気まぐれ古書店紀行』 / 『ぐるり 2006 4 特集:岡崎武志』 /岡崎武志『読書の腕前』 / 岡崎武志『古本生活読本』 / 岡崎武志『古本極楽ガイド』 / 岡崎武志・角田光代『古本道場』 / 岡崎武志『古本屋さんの謎』 / 岡田忠『観戦論。』 / 岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』 / イビチャ・オシム著・長束 恭行訳『日本人よ!』 / 織田淳太郎『審判は見た!』 / 織田正吉『笑いとユーモア』 / 尾辻克彦『超プロ野球』 / 小野博通『サーロインステーキ症候群』 / 小野塚 謙太『カラー版 超合金の男 -村上克司伝-』 / パトリック オリアリー(中原 尚哉訳)『不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ』 / 恩田陸『小説以外』 / 恩田陸『蛇行する川のほとり全3巻』 / 恩田陸『図書室の海』 / 恩田陸『麦の海に沈む果実』 / 恩田陸『ロミオとロミオは永遠に』 / おおこしたかのぶ・ほうとうひろし『昭和ちびっこ広告手帳 〜東京オリンピックからアポロまで〜』

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2004.7.25(日) 芸術よ爆発せよ
・大久保亜夜子『KITEKI 奇的』(2004年,青林工藝舎)オンライン書店ビーケーワン:奇的
 漫画です。この漫画を中心とした作品(パフォーマンスなども含むらしい)が、 2003年度の東京芸術大学の卒業制作で主席になった。そしてそのうち漫画作品 は、東京芸術大学の美術館に収蔵されている。
 とはいえ、漫画の内容はそんなに難解ではない。芸術の素人の俺にも読める。し かし、奥が深いことはたしか。内容は下記の三章に分かれている。
1.STUDENT TEACHER
 著者が教育実習中の日常を綴ったもの。
2.SUCK TIME
 著者が突然の頭の病に見舞われ、その頃の心の悩みを、心の中を舞台とした物 語として描く。
3.SLACKERS TRIP
 病気から復帰後まもなく、友人と南米へ二人旅を敢行した際の様子。
 先ほど「それほど難解ではない」と書いたが、2.だけは著者の精神世界をむき出 しにしたような内容なので、俺は感覚的にページを追っていました。しかし、怖さだ けはひしひしと伝わってくる。
 1.と3.に関しては、淡々としているが細かな日常のシーンが描かれていて面白い。 自分もなにか表現したくなってくる。
 しかし、絵で表現できる人はつくづくうらやましい。

2002年10月9日(水)
・大沢啓二『OBたちの挑戦X』(2001年,マガジンハウス)オンライン書店ビーケーワン:OBたちの挑戦X
 野球ファンには「親分」の愛称でおなじみ、大沢啓二によって、自身の野球半生 と、プロ野球マスターズリーグの紹介が語られる。
 おなじみでない方に説明すると、大沢氏は現役時代南海ホークス(ダイエーホー クスの前身)・東京オリオンズ(千葉ロッテマリーンズの前身)で活躍し、ロッテオリ オンズ(千葉ロッテの前身)・日本ハムファイターズで監督も務めた。1993〜94年に かけての監督時代は、記憶に残っているファンも多いのでは。
 そして、プロ野球マスターズリーグというのは、昨年から行われているプロ野球O Bによるリーグ戦。イベントとして数試合だけ行うのではなく、5チームによる全40試 合の真剣勝負である。昨年、村田兆治が50歳を超えながら140キロを超えるスト レートを投げたことが話題にもなった。
 説明が長くなってしまったが、この本は昨年のマスターズリーグ開幕にあわせて 書かれた本。親分独特の語り口(べらんめえ口調)で全文が書かれている。口述 筆記なのかもしれないが、親分がしゃべっていると思って読むと、非常に面白い。
 しかし、この人の野球半生は、まさに波乱万丈である。型破りだが、そこが人を ひきつける魅力なのだろう。
 そして、マスターズリーグに参加するプロ野球OBたちにも、様々なドラマがある のである。現役時代選手として活躍した者、監督・コーチとして手腕を発揮した者、 期待されたものの志半ばで引退した者。様々な人がいるが、共通するのは野球が 好きだということ。そうした人々が集まって、ふたたび野球をやる。素晴らしいじゃ、 ありませんか。
 野球が好きな人は、どのチーム・その選手のファンかにかかわらず、楽しめるの ではなかろうか。

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2008-05-14 (水) 独特のリズムとおおらかさ

大城 ゆか『山原バンバン』(ボーダーインク) Amazon.co.jp楽天ブックス

 沖縄の山原(やんばる)を舞台にして、女子高校生とその家族の日常を描いたマンガ。初刷が1994年で、この本は2004年に出た2刷。10年ぶりで、あとがきと書き下ろしページが追加されている。
 絵も、作中の時間もリラックスした雰囲気なので、ゆっくり読める。ただし、読む側も作中のゆっくりした時間の流れにあわせるつもりで読まないと、テンポがずれてくる。台詞にも沖縄の方言が使われている(欄外に注で標準語も書かれているけれど)ので、沖縄の方言に詳しくない人は、ひとつのページを読む時間は長くなるだろう。だから、あまり忙しくない時間に、ゆっくり読むつもりで読むといいと思う。

 色々興味深くて、まず、地方や地域が持つリズムを感じた。音楽がその地方や地域ごとに独特のリズムを持っているように、文章やマンガを書く場合でも、その土地のリズムが流れるのだろう。例えば東京で生まれ育った人が沖縄に取材旅行をして、あとから資料を調べて小説やマンガを書いても優れた作品になる可能性はある。でも、そこで沖縄のリズムを再現することは、難しいと思う。これは沖縄の人が東京を取材した場合も同じだろう。
 このマンガからは、山原で生まれ育ち、マンガを描いた当時も(そして現在も)山原で暮らす著者だからこそのリズム、特におおらかさを感じる。

 もうひとつ、テレビの番組やCMが那覇の話題中心なのを、うらやましがったりうらやんだりするシーン(p.45)が印象的だった。沖縄といっても、那覇と山原では暮らしている人の考え方や環境が違うのだろうということを感じた。たしかに同じ東京といっても、例えば繁華街と住宅街では雰囲気はまったく違うものなあ。

 読んでいると、なんとなく一度は沖縄に行ってみたくなる。

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2004.11.25(木) 女子サッカーについてコンパクトにまとまっている本
・大住良之・大原智子『がんばれ!女子サッカー』(2004年,岩波アクティブ新書120)オンライン書店ビーケーワン:がんばれ!女子サッカー
 アテネオリリンピック女子サッカーの感動が覚めないうちに、一気に読み終えた。 新書版で小さい本だけれど、世界と日本の女子サッカーの様子がうまくまとめられ ている。
 内容は下記の五章に分かれている。
1 ここまできた! 日本の女子サッカー
 代表チームを中心に、日本女子サッカーの歴史を紹介。1960年代の女子クラブ チームの創設から、1980年代以降の女子代表チーム、1989年の全国リーグ誕 生、そして記憶に新しい女子ワールドカップ、オリンピックなども紹介されている。
2 世界の女子サッカー
 世界から見たオリンピック、ワールドカップ。各国の女子サッカーリーグ、スター 選手の紹介。
3 日本の女子サッカー事情
 Lリーグ以外のクラブチームの組織について。若年層の育成、生涯スポーツとし ての女子サッカー。
4 日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)
 各チームの紹介。
5 対談 澤穂希選手・酒井與惠選手
 男子サッカーに比べて、女子サッカーについて一般向けに書かれた本は、まだま だ少ない。そんな中で、新書としてこの本が出たことは、画期的だと思う。
 分量の面では少し物足りないが、女子サッカーの現状を知る意味では参考にな る本。

2003年5月27日(火) 「太田垣晴子 小特集」の2冊(の1冊)
・太田垣晴子『オトコとオンナの深い穴』(2001年,メディアファクトリー)オンライン書店ビーケーワン:オトコとオンナの深い穴
 タイトルから想像できるかもしれませんが、性に関するエッセイマンガ。前半は、 雑誌『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)に連載された、色々な場所をレポートした 内容。ホストクラブにはじまり、SMクラブ・キャバクラ・ストリップ劇場・テレクラなど に潜入した様子を紹介している。後半は、いまはなき雑誌『マルコポーロ』(文藝春 秋)に連載された、女性ならではの疑問・悩みを取り上げた内容。むだ毛の処理 や、月のものの話など。
 取り上げている対象はなかなかきわどいのだが、読んでいていやらしい感じはな い。たぶん、太田垣氏は探究心が先に立って物事を見ていること、それから氏独 特のほのぼのした絵のおかげだと思う。
 あまりよく知らないけれど、かといってなかなか人には聞けない話題について知 ることができるので、勉強になりますよ。俺も「へえ」とか「ほお」とか言いながら読 んでいました。いわゆる下世話な好奇心よりも、知的好奇心の方が満たされる1 冊。

2004.5.14(土) おなかの減る本
・太田垣晴子『くいしんぼマニュアル』(2001年,竹書房)オンライン書店ビーケーワン:くいしんぼマニュアル
 色々な料理を紹介したエッセイまんが。食べに出かけたり、自分でつくってみた り、色々です。和・洋・中華・エスニックの各ジャンルごとに紹介されている。
 しかし、おいしそうだ。料理そのものの絵をリアルに描くというより、食べる様子を 細かく描いている。これがいい。実においしそうに見えるのである。
 あとがきに、「『食』をおいしくするのは『食べる意欲』次第。それは食へのイマジ ネーション、あるいは好奇心」(p.177)とあるが、この本を読んだ後だと、なるほどと 思わされる。

2003年5月27日(火) 「太田垣晴子 小特集」の2冊(の1冊)
・太田垣晴子『サンサル@A』(2003年,メディアファクトリー文庫)
オンライン書店ビーケーワン:サンサル 1@   オンライン書店ビーケーワン:サンサル 2A
 もともと1992年から1993年まで雑誌『話の特集』(話の特集)に連載され、1996年 に単行本化された(廣済堂出版)。現在色々なジャンルのエッセイ・ルポのマンガで 知られる著者のデビュー作。今回全編が文庫化された。
 内容は、著者が大学院生だった頃の日常の記録。はじめは、本当に著者の身辺 雑記のような内容で、正直に言うとちょっと興味をそそられなかった。俺の勝手な 印象だが、「いかにも芸術系の大学にいそうな、自分のセンスに疑いを抱いていな いような人」の書いたもののように感じた。
 しかし、1巻の中盤くらいから、徐々になんともいえない味があるエッセイになって くる。今の太田垣氏のエッセイマンガにある雰囲気が徐々に現れてくる。そして、途 中から掲載され始める考現学がまた面白い。考現学の説明は難しいが、現代の 人間の行動・服装・住居を調べる学問といった意味だと理解してください。この本に ある具体例を挙げると、「近所の公園がどんなかたち・大きさで、そこにはなにがあ るか」とか、「電車で座っている人にはどんな人がいて、なにをして時間を過ごして いるのか」とか、「近所のマンションにどんな洗濯物がどのように干されていたか」と かを調べ、集計し、イラスト入りで掲載している。対象への注目の仕方も面白いし、 そもそもこうした調査そのものが読んでいて非常に面白い。太田垣氏の労を惜しま ない姿勢は素直にすごいと思う(なにせ「深夜にコンビニの雑誌棚で立ち読みする 人々の様子を1時間に1回見に行く」ような調査もひとりでやっているのである)。
 また、全ページが(文字も含めて)手書きで、雑誌のような書式で書かれているの も独特の雰囲気を出している。読み進めるにつれて面白くなる本。

2005.1.6(木) どんな生活?
・太田垣晴子『こんな生活』(2002年,メディアファクトリー)
 著者はエッセイ・レポートマンガを多く手がけるマンガ家。
 この本は、過去色々な雑誌に掲載したエッセイマンガをまとめたもの。初出は 1994年から2001年までと幅広い。次の五編に分かれている。

・わたしの暮らし編
 部屋の様子、一人暮らしについて、食べ物の話、など。
・調べもの編
 アンティーク、文房具、西荻窪の紹介、通信販売の話、銭湯の様子の観察、な ど。
・モジモジちゃん編
 懸賞の商品紹介。彼女のマンガには珍しく、擬人化された犬のキャラクターが登 場する(それがモジモジちゃん)。半分はお酒関連の話。
・お楽しみ編
 音楽の話と、1999年・2000年のマンガベスト3の紹介。マンガは、桜玉吉氏の作 品が入っていて、ちょっと意外だった。
・かわいいもの編
 タイトル通り、かわいいグッズを紹介したマンガ。

 書かれた年代によって絵の雰囲気も違うし、内容にもそれほど統一感はない。で も、ちょっとずつ読むのにはいい本だと思う。マンガの根底にある「晴子節」とでも 呼ぶべき雰囲気は、どの作品からも感じられる。
 俺は寝る前にちょっとずつ読みました。

2004.8.31(火) たまには一杯やってみたい
・太田垣晴子『焼酎ぐるぐる』(2003年,ワニブックス)オンライン書店ビーケーワン:焼酎ぐるぐる
 マンガ家の太田垣氏とライターの秦マユナ氏が、九州にある焼酎の製造元(「蔵 元」と呼ばれている)をめぐったレポート。全編太田垣氏の手書きの文字とイラスト で構成されている。
 焼酎だけでなく、食べ物や町・温泉などの紹介もある。九州地方の旅行ガイドとし て読んでも面白い。
 しかし、なんと言っても焼酎です。特に訪ねていくふたりがお酒が大好きなので、 両氏の視点から語られる酒の魅力は興味深い。俺も思わず焼酎を飲みたくなっ た。しかも渋くお湯割りなどで。

2004.5.8(土) なんだかのんびりできる本
・太田垣晴子『小さなモンダイ』(2000年,NHK出版)オンライン書店ビーケーワン:小さなモンダイ
 雑誌『H2O』の1997年1月号〜1999年1月号に連載された「小さなモンダイ」と、同 誌1998年2月号の「女の大研究」を1冊にまとめたもの。著者お得意の、日常のささ いな出来事を考察したエッセイマンガだ。
 面白いなあと思いながら読んでいたら、読み終えてしまった。これがこの人の本 の魅力なんだと思う。毎回毎回、本当に身近なところからネタを見つけてきて、な かなか鋭い考察を加えている。
 第1回が「お椀とみそ汁」、第2回「ビョーキこわい」、第3回「おいしいお米」、…… といった具合に続いていく。特別な話ではないのだが、いつの間にか夢中で読んで いるのであった。
 また、各回の最終ページに、その回のテーマに関連した料理のレシピがあって、 これがまたつくってみたくなる。それから、「チイちゃん」という4コマまんがも掲載さ れている。各回のテーマに沿った、ほのぼのとしたユーモアのあるまんが。これも またいい。

3月9日(火) 言葉を発することに覚悟を持たねばと意識させられた1冊
・大月隆寛『瓦礫の活字を踏みならし 乱調、このニッポンの歩き方』(1994 年,図書新聞)
 大月隆寛氏といえば、NHK-BSの「BSマンガ夜話」の司会として知っている人が 多いのだろうか。正直なところ、俺もそれくらいの認識だった。氏が民俗学者という ことは知っていたし、『別冊宝島』などに掲載されていた文章もいくつか読んだこと があった。しかし、単行本を読むのは初めてだった。
 結論を先に言ってしまえば、自分がものを考える、そして考えたことを口に出す、 という行為について、結構刺激を受けた。20代前半から中盤くらいの歳の、ある程 度本を読んでいる人間にとっては、自分の言葉の選び方や話し方について考えさ せられるかもしれない。「檄文」という感じですよ。
 内容は、執筆当時(1990年代前半)の問題に対し、1980年代への反省をもとにど う向き合うか、という形式のものが多い。一貫していると感じたのは、ありものの考 え方・制度に無批判に乗っていること、自分ではなにも考えずにいることの否定 だ。これは俺も心当たりがあるので、自分に対する反省の気持ちを抱いた。
 元々あるものに付いて行くのは、非常に楽である。自分のしていることに疑問を 持つ必要もないし、行動の根拠に「昔からそうだったから」という理由をつければ、 大抵の場合は乗り切れる(今の日本だったら、という条件はあるにしても)。でも、 それはまずいと思う。
 これが著者の伝えたかったことなのかどうかはわからないが、俺はそれを強く感 じた。この本の中からひとつ例を挙げよう。「『異文化』なんて忘れちまいなよ」(pp. 122-128)から。
 「たとえば、眼の前に日本語の話せない、なんだか知らないけれど皮膚の色のま っ黒い人間がいる」(p.123)として、「そんな人とあなたが、たとえば一緒に食事をし なきゃならなくなったとする。料理が運ばれてくる。いきなりその人は手づかみで料 理を口に運び出す」(p.123)。このときに、「そうやって眼の前に現れてしまった『違 い』ってのは、本当に『文化』によるものなのだろうか、って疑問は当然あっていい よね。だって、それはその人が単にそういう性格の人ってだけだったのかも知れな いし、あるいは、たまたまその人がその人がその時突然そういう風に食べてみたく なっただけかも知れない」(p.125)。更に言えば、その人の肌の色も、言葉も、その 人個人の特徴かもしれない。
 だから本当は、「眼の前の具体的な『違い』はひとまず『違い』でいいんだよね。そ の『違い』をちゃんと具体的な『違い』として具体的な言葉にしようとすること。それ が必要」(p.128)なのだが、こういうときに、「文化が違う」という表現をしてしまいが ちなのである。
 しかし、「その『違い』を『異文化』なんて抽象的なもの言いに置き換えちゃったら、 じゃあその『違い』てどういう種類の『違い』でどういう原因に由来する『違い』なの、 ってことすらわからないまま」(p.128)になってしまう。
 これを元からある「文化が違う」という考え方で処理するのは楽である。一体なに がどう違うのかを自分で考えるのは大変だと思う。でも、考えなければいけない。こ の本を読んだ後では、俺はそう思うね。

2006.08.02(水) 大山さんのドラえもんへの思いの強さがひしひしと伝わる本

オンライン書店ビーケーワン:ぼく、ドラえもんでした。・大山のぶ代『ぼく、ドラえもんでした。 涙と笑いの26年うちあけ話』(2006.6,小学館)
 目次は下記のとおり。

大山のぶ代グラフィティ
まえがき
第1章 運命の出会い
第2章 テレビ「ドラえもん」スタート!
第3章 『のび太の恐竜』公開!
第4章 映画ドラえもん時代・1〜怒涛のドラ波
第5章 藤本先生の思い出
第6章 映画ドラえもん時代・2〜先生の蒔いた種
第7章 ありがとう、ドラえもん。
第8章 伝えていきたいこと
あとがき
「ドラえもん」年表
大山のぶ代出演作品一覧

 タイトルどおり、大山のぶ代さんとアニメ『ドラえもん』との関わりの話が中心。だから、俳優・タレントとしての大山のぶ代さんについて深く知りたい人には、「もう少し詳しく知りたい!」と思うかもしれない。
 でも、『ドラえもん』で育った世代の俺にとっては、大山さんのドラえもんへの思い入れの強さが印象的。そして、感動的。ドラえもんを演じることを、ものすごく大事にしていたことを感じた。なんというか、まさにドラえもんと一心同体だったんだなあと思う。

 色々と面白いエピソードもある。例えば、ドラえもん初の長編映画『のび太の恐竜』の公開初日の話。劇場の周りを子どもたちが歩いているのを見ながら、客席の後ろから客席を覗いた大山さん。「がーんとなりました。席にまばらにしか人が座っていないのです。ところどころスクリーンのほうを向いて人の顔が見えているのに、誰も座っていない席が三分の二以上もあるのです」(p.64)。
 あわてて楽屋に入ると、関係者の方々が非常にうれしそうにしている。不思議に思った大山さんが、今度はスクリーンの方から客席を見ると「なんとシートに子どもたちがびっしり座っていて、横の床にも新聞紙を敷いて座っています」(p.65)。つまり、「後ろから見たシートには、小さな子どもたちが座っていて、シートの背もたれより頭が下だったので、空席に見えた」(p.65)という。
 なんだか、いい話だなあ。
 それから、1996年、NHKホールで行われた「ASIAライブ・スーパーコンサート」にドラえもんのレギュラー声優5人が出演した時の話。ドラえもんの着ぐるみが舞台に登場すると、「ホールの中はもう全員狂喜乱舞、立っている人もいて、すべてがウワンウワン言っています」(p.192)。そして、「気がついたら、舞台袖は各国の出演者でビッシリ。出演が済んだ人も、これから出演する人も、みんな空飛ぶドラえもんを見るために楽屋から飛び出して来ているのです」(p.193)。動き出したドラえもんの着ぐるみにあわせて大山さんが声をあてると、「今までのどの出演者のときより、ホール全体がこのまま空に向かって飛び立ってしまうかと思えるような騒ぎ」(p.193)。そして客席も出演者も一緒にドラえもんの歌を合唱したという。
 なんというか、ドラえもんってすごいなと、改めて思う。この部分は感動したなあ。

 また、大山さん自身の病気について書かれた「第7章 ありがとう、ドラえもん。」と、若い頃に亡くなられたお母様の思い出と、俳優を志した思いについて書かれた「第8章 伝えていきたいこと」は、テレビを見ているだけの者には分からなかったエピソードが紹介される。
 特に中学生の頃に、自分の声にコンプレックスを感じていた大山さんにお母様が話した話は、印象的。
「目でも、手でも、足でも、そこが弱いと思って、弱いからといってかばってばかりいたら、ますます弱くなっちゃうのよ。弱いと思ったら、そこをドンドン使いなさい。声が悪いからって、黙ってばかりいたら、しまいに声も出なくなっちゃうわよ」(p.232)
 この話を聴いた大山さんが、次の日に早速放送研究部に入部したという。
 そして、16歳の時にお母様を癌で亡くした大山さんは、「癌は遺伝するから、私が大人になって結婚して子どもを持って、その子が十五、六になったとき、私もお母さんみたいに癌で死んでゆくんだ。そんなかわいそうなこと、絶対したくない」(p.216)と思い、「一生ひとりで生きるために、私はなにか手に職をつけておかなくては」(p.216)と、俳優になる決意をしたのだという。この話には、大山さんの仕事にかける思いの強さを感じるなあ。

 ドラえもんの声優さんとしての活動は終了されたわけですが、これからも大山さんの末永い活躍をお祈りしたい。

・楽天ブックス>大山のぶ代インタビュー
http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/pickup/interview/oyama_n/

 ちなみに、今は絶版(品切れ)のようですが、大山さんの夫砂川啓介さんによる下記の本も、一緒に読むとより興味深いと思います。

オンライン書店ビーケーワン:カミさんはドラえもん・砂川 啓介『カミさんはドラえもん』(2001.10,双葉社)
「ドラえもんの声で知られる大山のぶ代の夫で、元体操のお兄さん砂川啓介が明かすドラえもんの真実!? 泣き笑い夫婦生活37年の軌跡」(オンライン書店bk1の紹介文)

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2006.04.12(水) まるで私小説のような古本エッセイ
岡崎武志『気まぐれ古書店紀行』(2006.2,工作舎)Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 本・古本に関する著作の多い岡崎武志による、全国の古本屋を巡るエッセイ。
 岡崎氏の古本エッセイを読むと、いつも古本屋に行きたくなる。この本を読んでいる最中にも、やはり古本屋に行きたくなった。それも、全国各地の古本屋が紹介されているので、「古本屋を回る旅をするのも、いいかもなあ」と思った。旅行嫌いで住んでいる東京をめったに出ないこの俺がである。それだけ、登場する古本屋も、店を訪れる岡崎氏の様子も、興味深い。古本に関するいい言葉もたくさん登場する。
 例えば「行きなれた古本屋も、いままでまったく見向きもしなかった山岳書コーナーを見るようになったためにひどく新鮮に映る」(p.206)とか、「本に対する愛情があるかないかで、古本屋の基本なんていうのは決まってしまうのではないかと思います」(p.125、川越の「坂井ぎやまん堂」店主だった故坂井由男氏の言葉)など、印象に残る。

 そして一方で、この本は岡崎氏の初の著作『文庫本雑学ノート』(ダイヤモンド社)が刊行された1998年から、雑誌『彷書月刊』(彷徨舎)に連載されている。そのため、岡崎氏の文筆業としての、更には日々の記録にもなっている。特に、東京以外の古本屋に出かける場合、家族旅行の途中に訪ねていることがあり、ここで古本好き、古本ライターとしての岡崎氏と、家族にとっての夫であり父である岡崎氏の両面の境が見える場面もある。こうした部分は、まるで私小説のようである。
 例えば、盛岡への旅行の途中、古本屋の雀羅書房に立ち寄った岡崎一家。奥さんと娘さんを店の外に待たせ、店内を見る岡崎氏。その後の情景を、引用します。
「外に出るとまず所在なく立ち尽くす妻の姿が目に入った。そして娘のほうは『雀羅書房』の隣にある駐車場で、雨に濡れながらしきりに石を拾っている。汚いでしょ、と妻が叱る。その姿を見たらさすがに胸が痛んだ。何が悲しくて盛岡まで来て、見知らぬ街の街角で石を拾わねばならないのか。無言で家族が私に抗議しているようで、古本屋めぐりもこうなると極道だ」(p.168)。
 なんだか映画の一シーンのようで、絵が浮かびます。こうした部分は、今までの岡崎氏の著作とちょっと趣が違うと感じた。
 ちなみにその後、もう一軒古本屋へ行き、そこで近くの公園で行われている古本市を偶然知り、行ってしまうのは、やはり岡崎氏らしい。「事実は小説より奇なり」とは、まさにこういうことなのかな。

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2006.05.10(水) 岡崎武志氏の話から、古本の買い方に思いを馳せる
『ぐるり 2006 4 特集:岡崎武志』(2006.4,ビレッジプレス)
オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス
 中央線を中心とした音楽・演劇・映画などの情報と、コラム・特集からなる情報誌。今回の特集は岡崎武志氏で、田川律氏との対談が掲載されています。二人の関西弁での掛け合いも面白い。田川氏が大阪から東京に出て来た頃、「東京に出てきて大阪弁で喋っているのは当時の南海ホークスの鶴岡監督くらいしかおらんかった」(p.13、田川)というのが、急に意外な人物が出てきたのが面白くて、印象に残った。

 また岡崎氏による本の話も、もちろん色々と出てきて、これも面白い。
 特に、本を集めている人は「普通の人は、ミステリーならミステリー、明治時代の初版本なら、とか割と決まっているんですけれど」(p.4、岡崎)、岡崎氏にとっては「その時自分が一番面白いと思うもの」(p.4、岡崎)を集める、という部分が、興味深い。
 というのも、俺が本、特に古本を買う直接的な影響を受けた人々は、ほとんどが「その時自分が一番面白いと思うもの」を集めている人、言い換えれば自分で古本に価値観をつけている人たちだから。
 それは例えば岡崎氏であり、それから北尾トロ氏であり、唐沢俊一氏や横田順彌氏(横田氏の場合は明治関係の本が既にひとつの価値体系になっていると思う)なわけです。
 俺が古本を買うようになったのは、上の方々の本を読んだことが大きなきっかけなので、古本を買い始めた最初から「その時自分が一番面白いと思うもの」を買ってきているんですよねえ。

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岡崎武志『読書の腕前』(光文社新書)bk1Amazon.co.jp(2007-03-26読了)
 「はじめに」で、この本は「本は情報収集のためのツールとわりきって、なるべく新しい情報が取り込まれた本を、なるべく早く効率よく読もうというタイプの人には向いていないかもしれない。/そうではなく、これからもずっと楽しみとして本を読んでゆきたい、できるだけ読書の時間を多くとりたい、いろんな作家のいろんな本に触れてみたいと考えているような人に、少しは役に立つように書いたつもりだ」(p.6)とある。
 この部分を読むと、心強い気持ちになる。目的に沿った(もっと意地悪に言えば「下心のある」)読書ではない、純粋な読書をすることが間違いでないのだ、と感じることができる。

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2005.2.16(水) 「もう、古本ばっかり買って!」と責める前に、ぜひ読んでいただきたい。
古本生活読本 (ちくま文庫) 岡崎武志『古本生活読本』(2005年,ちくま文庫)
オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス
 古本に関する色々な話を集めたエッセイ集。古本好きにとっては、「そう! その通り!」と嬉しくなるような話がたくさん登場する。
 例えば、

 「十年前の本は古いが、三十年経てば新しい」(pp.233-238)というタイトルのエッセイ。これは、タレント名鑑や地図帖を例に挙げて、十年前のものは役に立たず価値もないが、三十年経つと価値が出てくる、という話。

 それから、

 古本にはさまった色々な物の話。「本の間には実にさまざまなものが挟まっているものなのだ。ほとんどが、しおりの代用として、紙類が挟まっている例」(p.249)で、こうした「さまざまな紙類は本に閉じ込められたままほぼ密閉状態で、数年後、あるいは二十年後、三十年後まで保存される。まさにタイムカプセル」(p.249)という話。

 また「古本に興味はあるけれど、よく分からない」という方も、色々なエピソードを元に古本の楽しさを教えてもらえます。例えばこんな話。
 朝日新聞本社、毎日新聞本社には、ビルの屋上に鳩のモニュメントがあるそうな。平和の象徴ということではないですよ。その理由を紹介したのが、「伝書鳩は空を翔るファックス」(pp.122-129)である。この話にはびっくりしますよ。

 最後に、古本好きの気持ちを代弁してくれるこんな言葉で、紹介を終わります。
「古本屋の特殊性、ということで言えば、無目的に訪れる客が圧倒的に多いことも他の商売ではあまり見られない」(p.16)。「たとえ十五分でも二十分でも、古本屋の棚の前をうろうろし、背文字を追い、ときに目に止まった本を抜き出し、ぱらぱらとページをめくる。また棚に戻す。/そうした一連の動作、本棚との対話にすでに本好きの客を慰安する力があって、それはほかのどの場所でも得られない」(p.17)
 そう、古本・古本屋の魅力はそこなんですよ。

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2004年1月9日(金) 古本魂に火をつけろ!

古本極楽ガイド (ちくま文庫) 岡崎武志『古本極楽ガイド』(2003年,ちくま文庫)オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス
 古本にまつわる著作の多い岡崎氏による、古本についてのエッセイ集。氏の本は、俺を古本の世界に呼び込んでくれたきっかけのひとつである。この本の内容は、下記のような感じです。
一、古書をめぐる秘かなる愉しみ
 ちょっと変わった切り口で古本の面白さを紹介している。例えば、リチャード・ブローディガン、せどり(価値ある本が安く売られているのを探し出し、価値の分かる店に高く売る職業)、恐妻家と軟派随筆の新書、パリ本、落語のスクラップ、など。
二、古本を探す旅
 均一台や古書展めぐりから、果てはベルギーの古本村行きまで、色々な本を探す旅。そして、文学作品の舞台となった都内の各所を歩く小さな旅(散歩)。
三、古本屋さんになった
 月の輪書林・古書日月堂・三茶書房・石神井書林のご主人と、なないろ文庫ふしぎ堂の店主であり、雑誌『彷書月刊』編集長である田村治芳氏へのインタビュー。
四、全面読書生活
 西日本新聞に連載されたコラム。若き日の古本の思い出から、現在の日々の生活まで、本にまつわる色々な話が書かれている。
 一部は、『古本屋さんの謎』(2000年,同朋舎)とも重複しているが、再読の部分も楽しめた。この本を読むと、またぶらぶらと古本屋を歩きたくなる。古本に興味はあるが、ちょっと近寄り難い、なんていう人にも、古本屋街・古書展での心構えなども書かれており、ガイドブックとしても価値があります。

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2005.6.4(土) この本で「古本って、なんかいいかも」と思っていただきたい
古本道場 岡崎武志・角田光代『古本道場』(2005.4,ポプラ社)
Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス
 古本に関する著作が多数あるライターの岡崎氏と、作家の角田氏による共著。岡崎氏が古本道場主となり、その道場に入門した作家角田氏が、様々な指令に沿って、古本屋を歩く、という本。
 角田氏が街や古本屋を歩く様子は、エッセイである一方で、短編小説のようにも読める。なにげない文章や、角田氏の出会うエピソードなどが、非常に面白い。

 例えば、東京古書会館での古書展(古本即売会)での話。角田氏が三島由紀夫の著作の並ぶ棚を眺めていると、見知らぬおじさんがある本を取り出し、すごく珍しい本だと言う。
「『いくらすると思う?』と訊くので、『うーん、一万円くらい』と答えると、『そんなもんじゃきかない。いい? 見せようか』と、箱から本を取り出している。けれど表紙を開かず、もったいぶって私をじいいいっと見る。『びっくりするよう』念押しして、ぱっと裏表紙を開いた。そこには『三五〇〇円』の値札が貼ってある。私とおじさんはしばらく見つめ合った」(p.206)
 この文章、なんともいえないユーモアがあって、大好きです。しかもこの後、別の本をおじさんがこっちはもっと高いと言うのだが、確認したら二〇〇〇円、というオチもついている。
 また、カウンターでお茶を飲みながら好きな本を読める古本屋では「今度弁当持参できていいですか。思わずそう言いそうになる」(p.46)と聞いたり、別の古本屋で『のらくろ』全巻をアメックスのカードで買っているのを見て、「私も年をとったら『ガラスの仮面』全巻、とか、『はじめの一歩』全巻、とか、大根買うみたいに買ってやろう、などと思う」(p.64)と思ったり、とにかく楽しそうである。
 一方で、従来のイメージとは異なる古本屋を訪ねたときの「ここには『私』をどかんと越えたものがうようよある」(p.42)とか「歩かなきゃ世界は広がらないんだなあ」(p.43)という言葉にも、角田氏が古本屋に感じた新鮮な感動ともあわさって、説得力がある。

 また、岡崎氏による角田氏のレポートの解説・感想、そして次回の出題の指令の部分も、面白い。角田氏の文章とはまた違ったユーモアがある。
 例えば、子どもの頃に欲しくても買ってもらえなかった『わんぱく王子の大蛇退治』という本を見つけ、「年がいもなく『おおーっ!』と古本屋で大声を出して、店主を驚かせ」(p.30)、「『先生、なにか掘り出しものでもありましたか』と聞かれ、まさか『そうなんだよ、あの『わんぱく王子の大蛇退治』を見つけたよ』とも言えず、『いやあ、なあに』と照れてごまかした」(p.30)という話は、特に面白かったなあ。
 そして、岡崎氏の古本についての話には、経験から来る重みがある。特に、古本道の心得の其の一として挙げられている「わたしはわたしの風邪をひく」(p.7)、つまり「自分の趣味、興味、関心を第一の価値基準に置く」(p.7)古本の楽しみ方は、すべての古本好きにとって大切なことじゃないかと思う。
 その他の心得も、参考になることばかりなので、紹介しましょう(pp.8-12)。
 「心得 其の二 古本屋と新刊書店は別業種」
 「心得 其の三 買いたいと思ったときに本はなし」
 「心得 其の四 古本ファッション」
 「心得 其の五 万札は避けよ、小銭を用意」
 それぞれの内容の詳細は、本を読んでのお楽しみということで。個人的にはここに、番外の心得として「神田神保町の最寄駅はJR神田駅ではない」も勝手ながら加えたい。俺もそうだったので。まあ、「最初に神保町に行こうと思った時、JR神田駅で降りちゃってさあ」というエピソードも、また楽しいとは思いますけれどね。
 古本が好きな人も、これまであまり興味がない人も、「古本って、いいかも」と思える本だと思う。

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2003年9月11日(木) 「やっぱり古本だよ」と思うこの1冊
古本屋さんの謎 岡崎武志『古本屋さんの謎』(2000年,同朋舎発行・角川書店発売)オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス
 古本好きにはおなじみの、岡崎氏の著作。俺が古本好きになるのに影響を与えた本の中のひとつ。再読なのだが、2年前に初めて読んだ時の感想を引っ張り出してみると、こんなことを書いていた。
「古本屋ガイドを兼ねた、古本についてのやや啓蒙的な本。面白い。古本を買いたくなるし本が読みたくなる」
 なんだがよくわからん文章だが、ともかく面白く読んだらしい。まあ、当時は今よりも古本のことを知らなくて、多分神保町と家の近所の古本屋以外には行っていなかったし、古書展にもまだ足を踏み入れていなかった頃だったので、ずいぶん古本の世界が広がる気がしたのだろう。
 内容は全3章からなり、「PART1 『埋蔵本』が呼んでいる」は古本についての色々なエッセイを集めたもの。古本についての本を紹介したり、神保町の均一台・古書展をめぐった様子を書いたりしている。更には木山捷平の私小説「軽石」の舞台を訪ねて吉祥寺や西荻窪を歩いてもいる。これは最初に読んだ頃はぴんと来なかったが、今読むと「おお、あのあたりか!」と思う。
 「PART2 『古書グルメ』とっておきガイド」は、全国各地の古本屋探訪記である。昔は自分には縁がないと思っていた中央線沿線の店も何件か登場する。岡崎氏が古本屋をまわって、本を買っている様子を読んでいると、思わず自分も古本屋に行きたくなってくる。この、「自分も古本屋に行きたくなる」というのが氏の古本エッセイの魅力だ。
 「PART3 『達人』たちの技と哲学」は、古本屋のご主人へのインタビュー。月の輪書林・古書日月堂・三茶書房のご主人と、なないろ文庫ふしぎ堂の店主であり、雑誌『彷書月刊』編集長である田村治芳さんが登場する。いずれも名前を知られている東京の古本屋さんだ。初めて読んだときはわからない部分も多かったが、いま改めて読むと興味深く読める部分が増えていた。
 いやあ、再読しても面白かったなあ。また古本熱が高まりそうだ。

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2004.12.14(火) 日本の野球に対する希望は残っていますか?
・岡田忠『観戦論。』(2000年,海拓舎)オンライン書店ビーケーワン:観戦論。
 日本のプロ野球に関するコラムと、衣笠祥雄氏との対談が掲載されている。掲載 されているコラムは1995年から1998年頃のものが多いようだが、この頃指摘され ていた問題点が放置された結果が、今のプロ野球の状況という気がする。
 例えば次のような部分を読むと、今の日本プロ野球が面白くない理由が分かる。
・「日本球界は保守的で縮小安定型。経営基盤が薄く、人的資源も乏しい。しか も、球団の後ろには親会社がいて、赤字は宣伝費感覚で補填したりする『親方日 の丸型』」(p.23)。
・プロ野球の試合で発表される入場者数は、日本シリーズを除いて実数ではない、 という話(pp.28-29)。
・タイトル争いの際にタイトルを取るためのプレーを問題だと指摘した「タイトル争い を冒涜する醜い援護」(pp.168-169)、「盗塁王争いでのアンフェアなプレー」(pp. 174-175)。
・円熟期に入った選手を大金で獲得して短期活用する特定の球団を批判する「ご 都合主義の非常な世界」(pp.194-195)
 やっぱり、「スーパープレーには相手チームの選手にも大きな拍手を惜しまな い。偉大な記録の達成にもスタンディングオベーションで祝福する」(p.181)アメリカ のメジャーリーグにはまだまだ遠いよなあ。
 まあ、そういう話ばかりではなく、「戦争中は後楽園球場が高射砲陣地になり、甲 子園球場も軍需工場とイモ畑に化けていた」(p.206)なんていうエピソードもあり、ま た執筆当時の試合・選手ももちろん紹介されていて、面白い。

2002年7月9日(火)燃朗のばちあたり読書録(1)フリートークにて
・岡田哲『とんかつの誕生 明治洋食事始め』(2000年・講談社選書メチエ)オンライン書店ビーケーワン:とんかつの誕生
・小菅圭子『カレーライスの誕生』(2002年・講談社選書メチエ)オンライン書店ビーケーワン:カレーライスの誕生
「いやあ、読んでいるとおなかが減ってしかたがなくなる本です。特に『カレーライス の誕生』を読んでいたときは、カレーばっかり食べてたなあ」
「ふうん。で、どういう内容なの?」
「今、日本で食べられている洋食って、外国に元々ある西洋料理と比べても、微妙 に違うんだよ。うまく日本流にアレンジされたり、和洋折衷で新しい料理になってい たりする。そういう洋食がいかにして生まれたかを紹介している。まあ、タイトルど おりだと思ってもらって間違いない」
「たしかに、明治時代になるまでは、魚以外の動物はおおっぴらには食べなかった っていうしねえ。今普通に食べている洋食はほとんどなかったわけだ」
「そうそう。肉食がいかに広まったか、というところから2冊の本とも始まってる。『カ レーライス』の方は、そこから日本のカレーの歴史を紹介している。で、『とんかつ』 の方は、実際は近代日本の食文化について、比較的ページがとられている。あん まり日本史の知識がなくても、読みやすいぞ」
「なるほど。なぜそば屋のメニューにカツ丼やカレーライスがあるのかなんて、興味 深い話だねえ。だいたい、とんかつなんて日本に昔っからあるように思えるけれ ど、あれももともとは西洋料理だもんなあ」
「料理から見た日本近代史として読むと、とにかく楽しいですぞ」

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2007年7月13日(金) オシム監督の言葉に真摯に耳を傾けるならば、日本サッカーに関わるすべてが、一段階高いレベルに到達することができるだろう

日本人よ!イビチャ・オシム著・長束 恭行訳『日本人よ!』(2007年6月,新潮社)Amazon.co.jpbk1

 サッカーの現日本代表監督、イビチャ・オシム氏による日本サッカー論。他の「オシム本」と大きく異なるのは、オシム監督本人が語った内容をそのまま翻訳しているということ。この点が、オシム監督の言葉を、別の著者が解釈する本との大きな違い。
 目次は下記のとおり。

第一章 日本人とサッカー
第二章 代表が意味するもの
第三章 監督という仕事
第四章 進化するJリーグ
第五章 敵か味方か

 第一章で、オシム監督のサッカー観・日本観が語られる。第二章以降では、代表チーム・監督・Jリーグについて語られ、最後の第五章はメディア・マスコミに対する考え方である。

 読んでまず思ったのは、オシム監督が日本代表の監督であることで、選手や指導者だけでなく、メディア・サポーターなど、日本のサッカーに関連するすべての人間が、一段階高いレベルに到達することができるだろう、ということ。そこには、「オシム監督の言葉に真摯に耳を傾けるならば」という条件がつくけれども。
 私は、これまでオシム監督が記者会見やインタビューで語っていたことについて、この本を読んで改めて納得できる部分が多かった。

 例えば、オシム監督になってから、日本代表選手から「どんな相手でも自分たちのサッカーをするだけ」という言葉が出てこなくなっている。これについては、「リスペクト」という言葉と関連して書かれている。
 「リスペクト」とは、一般的には「尊敬する」と訳される。しかしオシム監督が使う時は少し異なり、「すべてを客観的に見通す」(p.27)ことを意味する。例えば、サッカーの実力を測る場合「人は客観的な価値以上にブラジルを過大評価してしまうし、客観的な価値以下にイエメンを過小評価してしまう」(p.27)。そうした過大・過小な評価をせずに、相手を客観的に見て、分析し、その相手とどう戦うかを考える必要がある。そして同時に自分たちの実力も、客観的に評価すべきなのである。
 だから、「自分たちのプレーをするだけ」というのは、「既に相手を過小評価しているということ」(p.29)なのである。

 それから、ビジネスがサッカーに影響を与えすぎることへの懸念も、この本の中でしばしば登場する。特に印象的なのは、「かつて、サッカー界には騎士道があった。負けることも許されたし、良い戦いもできた。現在は誰もそのように見ないし、考えもしない」(p.179)。なぜなら、「戦っているのはチーム同士ではないからだ。実は、スポンサーたちがサッカークラブを通してお互いに戦っているからだ」(p.179)。そして。この流れをくい止めることができるのは「サッカーを愛するあなた方だけだ」(p.179)と締めくくられる。
 とはいえ、オシム監督からも提案はされている。例えば、Jリーグのチームが世界の強豪クラブと真剣勝負をする場をつくること。「単なる親善試合やスポンサー絡みの試合はもう十分だ。ショー的な試合に日本人は食傷してしまっている。日本のチームはそんな扱いにふさわしくない」(p.138)。アジアのクラブ間では、真剣勝負が行われているが、他の大陸のチームともそうした機会を持つべきだという。
 また、サッカーを数字で計ることの弊害も指摘している。数字で計ろうとすることで、「サッカーの本質が少しずつ失われかけている。残念ながら、これはサッカーの商業化が原因」(p.51)だという。たしかに、ボール支配率が相手チームを大きく上回ろうと、相手チームの倍以上のシュートを打とうと、負ける時は負ける。しかし、だからこそサッカーは魅力的なのだし、サッカーを90分間見続ける意味は、数字で計れないものを見ることができる点にあると思う。

 そして、オシム監督とジャーナリストとの間で時にすれ違いが生じる点として、オシム監督が選手名を具体的に挙げずに話すことがある。特に、悪いプレーを振り返る時である。
 そこにはこんな意味がある。「名前は出さず、何が問題かも明言しない。それでも何の事かを読む者が察知できるように、もし新聞を通してならば、これはああすべきだったのか、そう監督は望んでいるのかなどと、選手が読んで自問できるように話す」(p.112)。注意すべき選手だけでなく、日本代表に招集される可能性のあるすべての選手に対し、オシム監督はメディアを通してメッセージを送っているのである。代表チームの監督はクラブチームと異なり、常に選手とコミュニケーションを取るだけの時間がないから、特にこうした必要がある。だから、メディアが質問するような「『誰なのか』が重要ではない。『誰かさん』なのだ」(p.121)。
 こうした目的があるからこそ、メディアにはオシム監督の意図を正確に伝える必要がある。そのためには、個々のジャーナリストも「事実上、監督のようになる必要があるのだ。それがプロフェッショナルというものである」(p.169)。オシム監督は、「あの選手はなぜゴールを決めたのか?」、「あの選手はなぜ失敗したのか」(p.171)といった質問を「子どものような質問」(p.171)とし、ジャーナリストならそうした質問は「私にしないで欲しい」(p.171)と明言している。
 このオシム監督の考えが理解できるジャーナリストが更に増えた時、日本のスポーツメディアはもう一段レベルが上がるだろうと思う(もっといえば、これまでのスポーツマスコミとは異なるメディアになるだろう)。

 最後に、サッカーに限らず「プロフェッショナルである」ことを考える際に参考になる部分を紹介します。

 人によっては厳しいと感じるかもしれないが、私は経験に基づいた、非常に説得力のある言葉の数々だと思った。

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2004.10.21(木) 別角度から見た日本プロ野球史
・織田淳太郎『審判は見た!』(2003年,新潮新書)オンライン書店ビーケーワン:審判は見た!
 審判の視点から、日本のプロ野球のエピソードを紹介し、球史をまとめた本。
 野球についての本は、選手・監督の側から書かれることが多い。しかしこの本を 読むと、その書かれ方は不公平であると感じる。名選手・名監督と呼ばれる人の 中に、とんでもない人間がいることが分かる。
 審判には、野球のルールはもちろん、体力、試合を読む力、演出力、人身掌握 術など、様々な能力が要求される。そして、日本の審判には、非常に高い能力を 持った人がいる。
 それなのに、待遇も決してよくないし、権限もない。アメリカの審判との比較を読 むと、その違いの大きさは想像以上だ。
 こうした点が、様々なエピソードから明らかになる。
 例えば、「同時セーフ」というルールがある。野球規則では、アウトについて「打者 が第三ストライクの宣告を受けた後、またはフェアボールを打った後、一塁に触れ る前に、その身体または一塁に触給された場合」(p.34)とあるという。
 しかし、このルールを把握できていなかった監督もいたという。しかも、「その一人 が、”三原マジック”の異名をとった三原脩」(p.34)だったのである。
 もう少し最近の人では、仰木彬がオリックスの監督だった平成八年の日本シリー ズ第五戦(対巨人)、フライの捕球をめぐって一度抗議に出ながらすぐに引き上げ たエピソードがある。これに対して仰木は「あのときは、監督としてこれ以上中断を長引かせてはいけないと判断しました」(p.62)と後にテレビで語ったらしい。しかし 実は、その試合の三塁塁審で責任審判だった五十嵐洋一が、「いまの巨人にこれ以上追い上げる能力があると思いますか? (中略) 逆転なんかできないです よ。それより、ここでスッと引き下がれば、監督、あなたの男が上がりますよ」(p. 65)と説得したのだという。
 いやあ、この話は興味深かったなあ。
 一方で、昭和四十年代後半のキャンプでの紅白戦の際、本塁クロスプレーのジ ャッジでマスクを取ったとある審判が、自分のカツラまでふっ飛ばしてしまった(p. 201)なんていう話もあって、難しい話一辺倒ではない。
 俺はもう日本の野球に興味を失って久しいけれど、こういう本は面白いな。

2002年6月3日(月) フリートークにて:5月にはこんな本を読んだ(前編)
・織田正吉『笑いとユーモア』(ちくま文庫)
「笑いを『ウイット』『コミック』『ユーモア』に分類し、考察していく本です」
「といっても難しい内容じゃない。落語・狂言からアメリカのコメディ映画まで、豊富な事例から 『人間が面白いと感じるもの』について考える本です」
「読んで面白く、ためになりますね」 

2003年3月16日(日) プロ野球開幕が待ち遠しい人にも待ち遠しくない人に もこの1冊
・尾辻克彦『超プロ野球』(1985年,朝日出版社) 古本   
 尾辻克彦というのは、赤瀬川原平氏が小説を書くときのペンネーム。ちなみに 1981年、第84回芥川賞を「父が消えた」(『父が消えた』1986年,文春文庫 に掲載) で受賞している。
 この本は、気軽に「おもしれえなあ」と思いながらだらだらと読んでいたら読み終 えてしまった。ちょっともったいなかったなあ。タイトルどおり野球の話で、プロ野球 にかかわらず色々な観点から野球を語るエッセイなのだが、そこは赤瀬川氏。一 筋縄ではいかない。
 自分の草野球の経験、犠牲フライについての話、ジャイアンツファン/アンチジャ イアンツと体制/反体制について、スポーツ選手の精神面の話からステレオグラ ムへ、野球の話から徐々に超芸術トマソンの話へ、といった具合で、次から次へと 話題があふれるように出てくる。
 ちなみにこの本、朝日出版社から出ていた「週刊本」というシリーズの一冊。最近 ちょっと興味を持っている。山口昌男『流行論』(1984年)は持っているが、坂本龍一『本本堂未刊行図書目録』とか細野晴臣+吉成真由美『技術の秘儀』とか、読ん でみたいなあ。

2002年12月4日(水) あまり関連性はありませんがとりあえず2冊(の1冊)
・小野博通『サーロインステーキ症候群』(1986年,ちくま文庫)
 これは、なかなかいい本ですよ。ダイエット本というと、めちゃくちゃなことが書い てあって、医者には相手にされないという印象がある。しかしこの本は、そうしたい いかげんなダイエットにうんざりした現役の医師がひとつの「病気」である肥満をど う「治すか」を書いた本。非常にわかりやすく、かつ論理的な内容である。独特の文 体には好き嫌いがあると思うが、書いてある内容については信頼できる。
 具体的な食事の方法や、運動法も書かれているので、実行しようという気になる と思う。俺は結構この本に影響を受けて、目下体重を減らすことにいそしんでいま す。
 減量の必要があると感じていても、なんとなくやる気が起きない人は是非読んで みてください。

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2009-05-02(土) 知られざる名デザイナー

小野塚 謙太『カラー版 超合金の男 -村上克司伝-』(アスキー新書) Amazon.co.jpオンライン書店bk1

 バンダイ・ポピーにて、様々な商品の開発・デザインに携わり、現在もデザイナーとして活躍する村上克司氏へのインタビューを元に、村上氏の半生、そして日本の玩具史の一側面を記録した本。元は雑誌『月刊電撃ホビーマガジン』(アスキー・メディアワークス)2007年5月号〜2008年12月号に連載されたもの。

 村上氏は、実はアニメや特撮ドラマのメカ・キャラクターデザインにも多数関わっている。しかし番組制作側ではなく、キャラクター玩具を作るスポンサー側ということもあって、ご本人がスタッフクレジットに名を乗せることをよしとしなかったらしい。そのため、あまり氏の名は知られていないが、手掛けた商品やキャラクターを聴けば多くの人は「おお」というだろう。

 例えば、「超合金マジンガーZ」をはじめとする「超合金」シリーズ、ロボットがライターの形状に変形する「ゴールドライタン」。例えばアニメ「勇者ライディーン」のメカニックデザイン、現在も続く「スーパー戦隊シリーズ」のキャラクターデザイン、「宇宙刑事ギャバン」から始まる「メタルヒーロー」シリーズのデザイン。
 一部を挙げただけでもこれくらいある。私(1977年生まれ)も、リアルタイム・再放送で見た番組や、子どもの頃に欲しいと思ったおもちゃも多い。ある年代以上の、特に男性には懐かしい固有名刺が、この本には次々と登場する。

 そうしたデザインを手掛ける村上氏がどのような人かといえば、とにかく妥協を許さない人だということが、この本の内容から伺える。それゆえに業界内では賛否両論あるようで、村上氏を揶揄する声や、伝説的なエピソードが語られることもあるようだ。

 しかし、それだけ妥協せず、またロボットやヒーローの玩具の先駆者としての責任感があったからこそ、今も記憶され、復刻もされるデザインを生んだのだろうと、私は思う。

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2008.02.21(木) 奇妙な世界で起こる、極めて個人的な物語

不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ (ハヤカワ文庫SF)パトリック オリアリー(中原 尚哉訳)『不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ』 (2003年、ハヤカワ文庫SF)Amazon.co.jp楽天ブックスオンライン書店bk1

 マイク(マイケル)とダニー(ダニエル)という、二人の兄弟に起こる奇妙な出来事をめぐる物語。
 最初は1962年、少年時代のふたりが登場する。そしてすぐに、2000年にCMディレクターになっているマイクと、大学教授になっているダニーを描く場面が、順番に登場する。二人は別々の場所で、ある組織の対立に巻き込まれて、徐々に互いに近づいていく。しかし、実はその対立の裏に、世界の秘密が隠されていた。これは裏表紙に書いてある紹介文の引用ですが、「二人とも死んでいた。だが、どちらも死んでいることは自覚していない」、なぜなら……、という話。
 読み進めると、舞台がどんどん壮大になっていく。そして、ちょくちょく前のページを読み直して、「ああ!」と思うこともしばしば。

 この、褒め言葉としての「大風呂敷を広げる」展開は、たしかに著者がP.K.ディックの後継者と言われることにも納得できる。一方、ストーリーや文体は特に似ていないのだけれど、読んでいる印象がなぜか村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にも共通する。これは、二人の登場する場面が交互に登場する構成のためかもしれない。それから、後半以降の場面転換のテンポの速さは、カート・ヴォネガットのような雰囲気も感じさせる。

 しかし、読後感はディックとはずいぶん違う。この小説は、舞台こそ壮大だが、中心となるのはマイクとダニーの、個人的な物語。そして、ファーストシーンと対称的なラストシーンで、物語は完結する。

 あまり色々と書くとネタバレになってしまうので、ちょっとあいまいな書き方で申し訳ありませんが、読んでいる間は非常に充実した気分だった。人によっては、内容を複雑に感じたり、ストーリーの幹以外の肉付けの部分が多いと感じるかもしれない。でも私は、この小説については長さ(文庫本で約500ページ)も大きな魅力だと思った。長いからこそ、読み進めるうちに色々なことが明らかになる醍醐味が感じられる。

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2005.6.14(火) 面白い舞台裏エッセイには、名店のまかない料理のような味がある
・恩田 陸 『小説以外』(2005.4,新潮社) オンライン書店ビーケーワン:小説以外
 作家恩田陸氏の、デビュー以来のエッセイ・コラムをまとめた本。
 色々と面白い話はあるのだが、まず気になるのが本・映画・音楽の話。
 特に「架空長編アンソロジー」(pp.214-220)という、長編小説10本の叢書を考えるエッセイや、「自分の葬式に流してもらいたい歌謡曲」(p.245-247)という、タイトルそのままのエッセイは、恩田氏がそれまで愛してきた読書・音楽の歴史になっていて、楽しい。真似をして、色々考えてみたくなる。
  それから、新古書店に対する「店内を歩いているときに感じる何ともいえぬ不快さは、本に対する愛情が全く感じられないせいだろう」(pp.173-174)という意見には、全面的に賛成である。
 他にも、「東京の隙間」(p.23-25)での次のような話には、共感できる。
「東京という町は、連続のようでいて不連続の町である。散歩を愛する方々ならば分かるだろうが、私鉄や地下鉄の駅から駅の間を歩くと、『こんなふうに続いていたのか』と驚かされることがある」(p.23)
 これは、思いますね。東京は歩けば歩くほど、意外な場所同士がつながっていることに気付く。
 また恩田氏は、2000年まで会社員と作家の兼業で活動していたため、兼業作家時代のエピソード、特に「二重生活」(pp.53-55)も面白い。
 編集者とよく行っていた店に、たまたま会社の同僚と行く羽目になり、店主に「恩田さん」と呼ばれてしまったり(この時は、会社の同僚がバツイチだと勘違いしてくれて、それ以上詳しくは聞かれなかったそうだ)。
 また、会社にかかってきた原稿の催促の電話に、ぺこぺこ頭を下げて「××日前に必ず送ります」と言っていたこともあるという。それをふと思い出すと、前に会社で見たサラ金に追われた人にそっくりだと気づいた、とか。
 色々な苦労があったんだなあ。金曜夜の会社帰りに買い物をして帰るまでの気持ちを綴った「週末の風景」(pp.47-48)短いエッセイが、会社員としてはよく分かる。
  その他にも、後に小説としてまとめられる物語について書かれているなど、小説家としての恩田氏の舞台裏が垣間見られて興味深い。根っこの部分で萩尾望都のマンガに影響を受けて書いた小説が多い(「『精霊狩り』から始まった、pp.128-130)という話なども、興味深い。
 あとがきには「当分次のエッセイ集はまとまりそうにないので」(p.312)とあるが、できたら小説とともに、エッセイ集も読んでみたいと、わがままな読者は思ってしまうのであった。
 でも、未完成の小説『ピースメーカー』(「日本の下町の町工場の人々が集まって地雷除去専門の戦車」p.165をつくるというアイデアらしい)なんかも読みたいし、小説もエッセイも、期待は尽きない。

2003年11月24日(月) 久々に一気読みした小説
・恩田陸『蛇行する川のほとり 全3巻』(2002年-2003年,中央公論新社)
オンライン書店ビーケーワン:蛇行する川のほとり 11   オンライン書店ビーケーワン:蛇行する川のほとり 22   オンライン書店ビーケーワン:蛇行する川のほとり 33  恩田氏の小説のエッセンスが詰まっているような小説。登場人物は高校生の男 女。舞台は、夏休みの両親が旅行に出た女生徒の家。そしてその家に集まった 人々から、その町で過去に起こった事件が語られていく。
 限られた時間・空間だからこそ流れる濃密な時間。そしてそこで語られる過去。 これこそ恩田陸作品の魅力だと、俺は思っている。
 それからもうひとつの大きな魅力は、登場する人物である。主人公の少女は大 人の女性と子どもの間くらいに位置し、まわりの人間からは魅力ある存在なのだ が、本人にはまだその自覚はない。そしてそんな主人公が憧れる年長で大人びた 少女達。舞台によってはリアリティがなくなってしまう存在だが、学園小説・青春小 説という大人の存在が希薄な作品では、そうした10代の人物もいきいきと動いてい る。特にこの小説では、少女から大人の女性への精神的な成長というテーマがあ るため、特に登場人物が魅力的に感じた。
 ミステリーと書かれているが、語られる事件に過去にないほど斬新な驚きはな い。しかし、犯人・トリックには意外性があり、真相の解明に至るまでの展開には夢 中になって読んでしまう。全3巻なので、まず1巻を読んでみるといいと思う。1巻を 読みとおした人は、きっと最後まで一気に読みとおしたくなる。

2005.08.13(土)贅沢な短編集を読む
・恩田 陸『図書室の海』(2005.7,新潮社)オンライン書店ビーケーワン:図書室の海
 作家恩田陸氏の短編小説集。収録作十篇の紹介と、簡単な感想を。

・「春よ、こい」。時間SF。わりと複雑な話で、このテーマをこの長さ(文庫本で19ページ)でまとめるのは、うまいなあ。
・「茶色の小壜」。会社を舞台としたホラー。会社の日常が、細かな部分のリアリティをもって書かれているので、非日常的なホラーの部分が際立つ。
・「イサオ・オサリヴァンを捜して」。すごく壮大な話のプロローグといった雰囲気を持っている。これが長編になったら、読んでみたいなあ。
・「睡蓮」。『麦の海に沈む果実』と同一の主人公によるサイドストーリー。
・「ある映画の記憶」。変則的な密室推理小説。
・「ピクニックの準備」。『夜のピクニック』の前日譚。実は『夜のピクニック』は未読なのだが、この短編を読むと、面白そうな気がする。
・「国境の南」。ミステリー風のホラー。といっても、超常現象が登場するようなものではない。むしろ静かなサスペンスといった印象。短編映画にしたら面白そうだと思った。
・「オデュッセイア」。移動する土地(らしい)「ココロコ」と、そこに住む人を描いた話。恩田氏の魅力のひとつである、限られた時間・空間・ルールのもとで進行する話の魅力が味わえる。
・「図書館の海」。『六番目の小夜子』のサイドストーリー。これも、学校という限られた時間・空間・ルールの中での話。それとともに、恩田氏の書く中高生は、なんとなくリアルな青春を感じて、懐かしくなる。
・「ノスタルジア」。何人かが語る「懐かしい」風景に、友人に会いに行く女性のエピソードが挿入される。

 全体に感じたのは、ワンアイデアで書かれた短編というよりも、長い話の一場面のような短編が多いということ。そして共通するのは、物語としての面白さ。恩田氏の小説は久々に読んだのだが、やっぱり面白かった。
 これから、氏の小説の中で未読のものを少しずつ読んでいこうと思う。また、この短編集から生まれる新しい物語にも期待をしたい。
【参考】
・恩田 陸 『夜のピクニック』
(2004.7,新潮社)

オンライン書店ビーケーワン:夜のピクニック
・恩田 陸『麦の海に沈む果実』
(2004.1,講談社)

オンライン書店ビーケーワン:麦の海に沈む果実
・恩田 陸『六番目の小夜子』
(2001.2,新潮社)

オンライン書店ビーケーワン:六番目の小夜子


2002年8月23日(金)
・恩田陸『麦の海に沈む果実』(2000年,講談社)オンライン書店ビーケーワン:麦の海に沈む果実
 恩田陸の小説の魅力は、「時間的・空間的に限られた世界で起こる出来事を書 いたときの面白さにある」と俺は勝手に考えております。だから、学校を舞台にした 小説は特に面白い。『六番目の小夜子』(2001年,新潮文庫)しかり、『球形の季 節』(1999年,新潮文庫)しかり。
 この『麦の海に沈む果実』もまた、学校を舞台にしている。しかも、周りの世界か ら隔絶された謎の多い全寮制の学校。そこに暮らし、学ぶ生徒達は、みななんら かの秘密を抱えている。そんな学校の中で殺人事件が起こり、それを引き金にか つて消えて行った生徒達の噂が語られる。そして、奇妙な学校の謎が明らかにな る・・・。
 単純にジャンル分けはできないのだが、とにかく物語としての面白さが圧倒的。 導入部は少し冗長に思えるが、主要登場人物が出揃ってからの展開には一気に 引き込まれる。
 正直なところ、ラストがあっさりしすぎていて少し物足りない。しかし、それを補っ て余りある魅力がある小説。まだ文庫にはなっていませんが、単行本で読んでも 損はしないですぜ、きっと。
(2004.4.19追記)2004年1月に文庫になりました。

2002年11月16日(土)
・恩田陸『ロミオとロミオは永遠に』(2002,ハヤカワSFシリーズJコレクション)オンライン書店ビーケーワン:ロミオとロミオは永遠に
 個人的には、非常に面白かった。ひとつめに、俺が「恩田陸が書く中で最も魅力 的」だと思う「学園」を舞台としていること。そしてもうひとつ、20世紀後半の日本と 日本のサブカルチャーがふんだんに盛り込まれた内容であること。このふたつだ けで、「やられた!」と思ってしまった。
 舞台は近未来の地球。日本人だけが地球に残り、汚染された環境の後片付けを している。そんな日本人の中で、「大東京学園」を卒業した者だけが将来を保証さ れていた。その「大東京学園」に入学した少年たちが見たものは、学園内のあちこ ちに見られる20世紀末の東京の残骸と、かつてのサブカルチャーだった。ある者 はこの学園の総代として卒業しようとし、ある者はこの学園からの脱走を試みる。
 …ううむ、こう書くとちょっと陳腐かなあ。しかし、この「大東京学園」の雰囲気に はなんともいえないわくわくした気持ちになる。パロディとして、あるいはそのままで 登場する数々の固有名詞。名前こそ出ないものの、わかる人にはわかるように書 かれた様々な小道具・人物・出来事。こうした情報を読むだけで、俺は本当に楽し かった。
 小説の完成度は、他の恩田作品に比べれば少し落ちるかもしれない。やや意外 性に欠ける。しかし、そこに至るまでの面白さが群を抜いている。
 わからないところはインターネットで調べながら読んでもいいし、自分にわかる部 分以外は無視してもよいだろう。その人なりの楽しみ方ができる。
 でも、やはりサブカルチャーが好きな人が一番楽しめるのかもしれない。

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2009年06月30日(火) 意義深さと、それを考えずとも感じる面白さ

おおこしたかのぶ・ほうとうひろし『昭和ちびっこ広告手帳 〜東京オリンピックからアポロまで〜』(青幻舎)  Amazon.co.jpオンライン書店bk1

 昭和四十年代に雑誌に掲載された子ども向け広告を収集し、アーカイブスとして残すことを目的に作られた本。「まえがき」を読むと、この仕事の意義深さを強く感じる。書籍は文庫などの形で読み継がれ、かつてのレコードはCDに、映像もDVDとして現在でも視聴できるが、雑誌広告は手軽に閲覧できない。これをまとめて、一般書籍として刊行することで多くの人の目に触れてもらい、さらに子ども向け広告の回顧、研究のきっかけになって欲しいという思いがあったという(pp.2-4)。

 当時の広告を集め、スキャンして修正して、デジタル画像化して、という作業は、非常に手間のかかる作業だということは想像に難くない。

 ただ、そうしたあれこれを考えずに、掲載されている広告を眺めているだけでも十分に面白いというのがこれまたすごい。

 「お菓子」、「プラモデル」、「おもちゃ」、「食品・医療・医薬・出版」、「文房具・自転車・時計・その他」のジャンルごとに広告が並ぶ。現在も健在の商品・メーカーもあれば、名前だけ知っているものもあり。時代を感じる内容もあれば、今の広告でも通用するのではという洗練されたものもあり。
 生まれた前の(私は昭和52年の生まれ)広告なのだけれど、面白かった。

 いくつか興味深かった広告を紹介します。なお、構成上ノンブル(ページ数)の記載がない本なので、掲載ページは省略します。

・お菓子のプレゼントキャンペーンの商品がなかなか珍しくて、「カメ」(毎週3,000人に水族館から直送されたらしい)、「オウム」(当時は動物のプレゼントは多かったんでしょうかね)、「ケニヤ旅行」(なぜかオバケのQ太郎のお菓子のプレゼント)、「70万円」(ファッションのために使ってほしいという触れ込み)などなど。

・有名人の登場する広告も多くて、明治製菓のグループ・サウンズグッズのプレゼント(ザ・タイガースのグッズも)や、高さ30cmの「スター人形」(舟木一夫、梓みちよ、など)、手品用品の広告に登場する(初代)引田天功に、鉛筆削りの広告の水木しげる先生などが印象的だった。

・意外な名称が登録商標になっていることが分かる。「プラモデル」はマルサンが一時期商標としていて、マルサンの広告に「プラモデルと呼べるのはマルサンだけ」とあり、他のメーカーは「プラモケイ」、「プラ・モケイ」などの表現をしている。
 あと、「ラジコン」がマスダヤの商標というのは初めて知った。

・広告自体が珍しいものもあって、アメ横の中田商店のミリタリーグッズとか、預金を勧める銀行の広告とか、今ではあまり見ないものも多い。

 なお、もとは広告と原寸大のB5サイズで刊行されたが、文庫化にあたりサイズ変更、ページ構成の変更、モノクロ広告や解説文の割愛などがされている。その分価格がリーズナブルになったこともあり、この文庫版も重要な存在だと思う。

おおこしたかのぶ編『ちびっこ広告図案帳―ad for KIDS:1965‐1969』(おおこし たかのぶ オークラ出版) Amazon.co.jpオンライン書店bk1

 なお、元の本は1970年代版が続編として刊行されています。

おおこしたかのぶ編『ちびっこ広告図案帳70’s―AD for KIDS:1970‐1974』(おおこし たかのぶ オークラ出版) Amazon.co.jpオンライン書店bk1

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