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2018年ラジオ雑記

ブログに書いたラジオ関連の記事をまとめました。


「ラジオへのメールに必要なのは、愛と勇気だ」とはどういうことか(2018.03.21)

ちょうど一年くらい前に、twitterにこんなことを書きました。

ラジオにメールを送るのに必要なのは、たぶん文才やセンスじゃなくて、パーソナリティの方への愛と、勇気なのだと思う。というか、そうありたいし、そうあって欲しいよね。

? 木の葉燃朗(このはも) (@konohamoero) 2017年1月5日

これは、ほとんどリアクションのない私のつぶやきにしては、それなりに反響をもらった。まあ、「なに言ってんのぷぷー」みたいなリアクションもあった。考え方は人それぞれなんで、いいんですけれどね。

それで、あれから一年以上経ったのですが、今になっても、やっぱり「ラジオへのメールに必要なのは、愛と勇気だ」という思いは変わらない。
ただ、たしかに「愛と勇気」って感覚的で、なんとなく分かる人にしか伝わらないよなあとは思う。なにより、自分自身も「愛と勇気だぜっ!」と言いつつも、「どういうことよ?」と思う。

思うので、ちょっと考えてみた。

※ただし、どこまで行っても個人の考え方でしかないので、「なに言ってんのぷぷー」と思う人はいるだろうし、それは思えばいいし、言ってもいい。直接メッセージとかリプラとかで言われたら、たぶん「なにー!」と思うので、直接俺には言わない方がいいですが。

あと、あくまで「『パーソナリティの方への』愛と勇気」ね。メールを読んでもらえる自分への愛(もっと言ってしまえば自己顕示欲)じゃなくて。これを勘違いすると、「自分はこんなに愛があるのに!」ってことになってしまう。「相手を愛する自分を一番愛している」というか。

という前置きの元、本題に入ります。

 

●愛とは?

「愛とは、興味・関心である」ってことだと思う。

例えば、初めてお名前を知った方が、いつも聴いているラジオのゲストに来られるのでメールしてみようかなと思って、ネットで調べた情報を元にメールを書いても、それはなんだか表面的なものになってしまうのですよ。
逆に、知っている方がゲスト出演されるので、初めて聴く番組にメールをしようと思っても、今度は番組の雰囲気がつかめなかったりもする。
そういう時、分かっている人のメールが採用されて、話が広がるのを聴くと「いいなー」と思う。

ただ、調べる中で、自分の記憶なり、知識なりと結びつくと(例えば「この作品に関わっていたのか」とか)、手ごたえのあるメールが書ける。気がする。
もちろん、知っている方や番組なら、より踏み込んだメールになる。

という意味で、「愛があった方がいい」と思うわけです。

 

●勇気とは?

「勇気とは、行動力である」

これも具体例を出すと、「メール急募! 明日の午前10:00までにメールください!」という告知が、前夜の21時に発表されるとします。
そのスケジュールがどうなのよという話は置いておいて、そこで「いやそれ無理ですわ」となるのか、「よし、いっちょ書きますわ」となるのか。

一般的な「勇気」とはちょっと定義が違うとは思いますが、やるべき時にできる行動力は大事かなと。

あと、そうした情報をつかめるかどうか、そしてあまり時間がない中でメールの内容が浮かんでくるかは、興味・関心にも関わってくるのかなと。

もうひとつ、本来の「勇気」に近い意味としては、純粋に、「こういうメールでもいいのかしら?」とか、「自分の文章は変じゃないかしら?」とか、心配は尽きないわけです。そこを思い切れるかどうかもある。
まあ経験上は、採用されるかどうかは別として、自分が嫌な気持ちにならないメールなら、送って恥を書くことはないのかなと。だから勇気を持ってメールをするといいのかなと。

 

……結局、書いてはみたものの、他の人に伝わるかは分かりません。でも、自分ではなんとなくすっきりした気はします。ので、このまま公開します。


ラジオへのメールに「●●」は必要かを考えてみる(2018.04.04)

最近思っているのは、

「ラジオに投稿するメールには、●●は必要ないのではないか」

ということ。

最近は、実際にそういうメールを送っています。それで採用してもらえた経験もあるので、やっぱり●●はなくてもいいのだと思う。あってもいいと思うけれど。

もちろん、●●がないとなんとなく落ち着かない感じもあるけれど、番組やパーソナリティによっては書いてあっても省略して読まれることもあります。私も省略して読んでもらって気が付いた。

特にコーナーはそうかも。でもふつおたでも、なくてもそんなに不自然じゃないのよね。

●●を省略すると、その分メールを読む時間が確保できて、読む量も増えるし、「もう一通読もう」という時に採用してもらいやすい気がする。中には、●●にこだわる番組もあるので、一概には言えないですが。

あ、●●は「質問」ではありません。

質問も、たしかになくてもかまわない場合もありますね。書いてあっても、他のメールとの兼ね合いとか、全体に流れでも割愛してもらうことがあるし。

でも今回は別のもの。みんな、「これは書かないと」と思って、わりと必須として書いているものです。


それはなにかというと、



……もったいぶらなくていいや。

あいさつ

ですわ。

「ラジオに投稿するメールには、『あいさつ』は必要ないのではないか」

コーナーは、特にそうだと思います。大喜利みたいなネタだけでなく、エピソード募集みたいなコーナーでも、いきなり本題でいいと思うんです。

で、ふつおたも、あいさつがなくても不自然ではない。生放送とか、パーソナリティにスキルがある場合は、時間内に収めるためにあいさつを割愛して読むこともある。

中には番組固有のあいさつもあるのだけれど、それも「あいさつが書いてないとダメ」ってわけでもないですし。

個人的には、あいさつ抜きで、本題が書かれたメールをポンポンと読んでもらう方がテンポがよくて好きです。もちろん、あいさつ込みでリズムが出来ている番組もあるので、そういう番組にはちゃんと書きますけれどね。

(追記:2018.04.05)

芸人さんのラジオだと、「あいさつでボケる」というのもありますよね。例えばパーソナリティが二人いらっしゃって、「一人をわざと違う呼び方をする」みたいな。それはあいさつも含めて本文なので、やはり書きます。


一番の「理解者」は、ラジオのリスナー、なのかもしれない(2018.08.01)

自分で参加していたり、参加している人の感想を聞いたりして思うのは、なんとなく、ラジオ番組の公開録音とか、ラジオ番組のイベントが、一番の「理解者」のファンが集まるイベントって気がする。

前にある声優さんが、ラジオでは色々なことを語っているので、それも含めてファンになってくれる人はより一層信頼できる、みたいなお話をされていたのだけれど、それはたぶんリスナーにとってもそう。

ラジオの出演者を「パーソナリティ」ということが多いけれど、その言葉は個性とか性格をいう意味でもあるわけで、ラジオのパーソナリティ(出演者)を好きになるってことは、その人のパーソナリティ(個性・性格)を好きになるということなのかもしれない。

個人的な感覚としては、3ヶ月(1クール)ラジオを聴き続けて、「いいね」と思った人のことはずっと好きでいられる気がする。

もちろん、ラジオでも「よそいき」の人はいるとは思う。1、2回の特番とか、ゲスト出演だと分からないこともある。時々、ゲスト出演したのを聴いていて、「普段のご自身の番組とはだいぶ違うねー」と思うこともあるので。

それでも3ヶ月くらい聴いたら、だいたいポツポツと色々なことが分かってくる。そのあたりを全部ひっくるめてフィーリングが合う人なら、たぶんずっとファンでいられる。


聴いているラジオは等しく好きで、(2018.12.02)

聴いているラジオは等しく好きで、メールをお送りする時は同じくらいの思いを込めています。それでも、時期によって無意識に特に思い入れが出ている番組もあるのだと思う。なんとなく、自分でも感じることがある。

今でも、ふたつくらいの番組がそういうタイミングにあるという自覚がある。この番組はもう二年くらいずっと聴いていて、ずっとメールしている。

あとは、ここ一年くらいで始まった番組と、ここ半年くらいで始まった番組。この四番組が、今は特に入れ込んでいる番組というのが自分の印象。

それがどの番組かは、私自身は明らかにはできませんが。

(2018.12.08追記)

「明らかにはできませんが」と書いたけれど、のちのち(本当に数年後とか)自分が読み返して分からない気がするので、ちゃんと書きます。

「二年くらいずっと聴いていて」というのは、「大地・みなみのカレーチャーハン」「巽悠衣子の『下も向いて歩こう\(^o^)/』」

「一年くらいで始まった番組」は「指出毬亜と河野ひよりの「り」系ラジオ」で、「ここ半年くらいで始まった番組」というのは私の勘違いで、やはり一年前くらいに始まった「篠田みなみ・指出毬亜のちぐはぐ。」でした。

ただ、もちろん他の番組に思い入れがないというわけでは決してなくて、逆に今書いてみたら「いや、他にも思い入れのある番組いっぱいあるでしょ」という思いはある。3年半くらいずっと聴いている番組もたくさんあるし、メールをたくさん送っている番組もたくさん。


ラジオはしゃべる人、作る人、聴く人のバランスだと思う。(2018.12.03)

好きなラジオとか、長く続いているラジオについて考えていて。

声優高橋美佳子さんが、18年続くネットラジオ「美佳子@ぱよぱよ」で語っていた、ひとりラジオで心がけていることが「メールを大事に読むこと」で、パーソナリティの方もそう思ってくれていることが嬉しかった。

シンプルな仕組みだけれど、「番組を続けるための予算」がベースにあって、その上に「しゃべる人」、「作る人」、「聴く人」がちゃんとつながるラジオ、という感じがする。

図にするとこんな感じ。位置が固定しているのではなくて、相互に影響を与えている感じ。

やっぱり、このバランスなんだと思う。中には、パーソナリティがすごく人気者で、という点で持っている番組もあると思うし、あまりリスナーとのコミュニケーションを重要視していない印象の番組もある。でも、それはラジオでなくてもいいんじゃないかとも思う。


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