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日本手帖の会開催「手帖供養」に参加(2014.09.14)


「手帖供養」って謎でしたが、参加してよかったです

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 9月14日(日)、日本手帖の会が開催する「手帖供養」に行ってきました。場所は大田区にある山王山 本寿院。天台宗の寺院で、人形供養や仏壇、遺品の供養も行っているとのこと。
 地下鉄浅草線の馬込駅から環状七号線に沿って歩いていくと、やがて右手に看板が見えてくる。ちょっと意外だったのは、寺院といっても会館形式という(ビルの中にある)こと。本堂も建物の中にあります。私は墓地があって、木造のお堂があってというのを想像していたので。

 今回の手帖供養は、人形供養と合同での開催。人形供養に参加する方も多く、また当然きちんとした行事なので、我々はもしかしたら場違いなのではないかと思って若干緊張する。しかし、そこは快く受け入れていただいたご住職なので、手帳も人形や仏壇や遺品と同じように祈祷が行われる。読経にあわせてお焼香をし、供養は終了。今回は手帳は参加者が持ち帰る。

 供養の後、ご住職を囲んで少しお話しを。最初に参加者から「どうして手帖供養を受け入れていただいたのか」という質問が。これについては、まず「供養というのは必ずしもお炊き上げのことではありません」とのこと。人形供養のほか、針供養や包丁供養、華供養などのように、長く使ってきた道具に感謝の気持ちを表すのが供養。その意味では、使ってきた手帳を供養するのは良いことだと思ったので、手帖の会の申し出に賛同していただいたとのこと。

 その後参加者から、供養・祈祷のため持参した手帳についての話が。

・亡くなったご友人のお墓に供えて、訪れた人たちが記帳するための手帳
・高校生の頃、生徒手帳以外で初めて手にしたという手帳。40年以上前の手帳で、これが残っていることがすごい
・手帳といえば、ご住職も色々な手帳をお使いで、現在はご自身で作ったレイアウトの手帳を印刷して使われているとのこと

 今回はメディアの取材もあり、記者の方から参加者に「手帳を捨てたり燃やしたりということには抵抗はないですか?」という質問が。
 手帖の会に参加する人々なので、基本的には捨てない派が多数。システム手帳を使う方には、捨てるリフィル(用紙)と捨てないリフィルとを決めて分けて書いている方も。また、たまってもかさばらないような薄い手帳を使われている方も。
 私がその話を聞いていて思ったのは、「自分が書いた手帳やノートは、その時々の自分である」ということ。だから捨てられないし、できれば自分が亡くなったときに自分と一緒に燃やしてらうのが一番良いのだと思う。私も大学生の頃にノートにあれこれ書き始めて(今のブログやwebサイトに書いているようなことを書いていた)、社会人になってから本格的に手帳を使い始めたのですが、これらのノートや手帳は一緒に燃やして欲しい。遺った人たちが読むために残したいのであれば、それはそれで構わないけれど。

 取材といえば、海外のメディアも人形供養を取材に来ることがあるようで、一様に不思議に思うそうです。欧米には、こうした習慣はないとのこと。たしかに、日本独特なのかもしれない。欧米でも、同じ仏教国であるアジアの国でもあまり聞いたことがないし。長く使ったものに魂が宿るという物語も、日本特有なのかもしれない。これは八百万の神という考え方にも通ずるのかな。

 最後にもうひとつ。ご住職のお話を伺っていると、なにかを伝えるときには「なにを伝えるか」と同じくらい「どう伝えるか」が重要なのだと思う。
 この日の説話でも、興味深いことが。昔々、あるお殿様に娘が生まれた。そこで懇意のお坊さんに一筆書いて欲しいと頼んだところ、お坊さんは「じじ死ぬ、ばば死ぬ、ちち死ぬ、はは死ぬ、むすめ死ぬ」と書いた。驚いた殿様は、「このめでたい席には逆のことを書いて欲しかった」と言った。お坊さんはそれに応えて、「むすめ死ぬ、はは死ぬ、ちち死ぬ、ばば死ぬ、じじ死ぬ」と書いた。ひとつの笑い話なのだけれど、ここには「年若い者が先に死ぬことはなんと悲しいことか」という思いが込められている。
 昔から、庶民に仏教の教えをいかに伝えるかという点で、培われてきたある種の話芸(あまり使われない表現だと思いますが)があるのだろうと感じる。
 いかに伝えるかという点では、いただいた般若心経にQRコードがついていて、インターネットに接続できたり、お寺がLINEのアカウントを持っていたりと、今この時代に縁をつなぐということについて考えられているのだろうと思います。

 といったところでお話も終了。最初、「手帖供養」と聞いて非常に謎だったのですが、参加して良かったです。供養を終えた手帳は、今までと同じ手帳なのですが、なんとなく雰囲気が違う気がする。
 次回、手帖供養の本供養(手帖供養のみを単独で実施)が2015年1月31日(土)に行われる。寺院で行われる行事ということで、宗教的な点に抵抗がある人もいるかもしれません。ただ、寺院の考え方が、宗派を問わず幅広く受け入れ、またなにかを強いるのではなく、あくまで参加する方に委ねられているので、あまり気構えずに参加すると良いのではないかと思います。もちろん、初詣やお彼岸のお参りにも宗教や宗派を気にするとか、教会での結婚式には参加しないとか、それくらい考えがある方は別かと思いますが。ちなみに私は次回も参加するつもりです。

・関東のお骨仏「本寿院」 : http://honjyuin.com/
・日本手帖の会 - 【手帖供養(祈祷)】 日本手帖の会から、新たな手帖との付き合い方のご提案です。... :
https://www.facebook.com/TechoSocietyofJapan/posts/768824469826264


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