木の葉燃朗のがらくた書斎>>レポート>>第一回大江健三郎賞記念対談(大江健三郎・長嶋有)に行ってきました

 ||

第一回大江健三郎賞記念対談(大江健三郎・長嶋有)に行ってきました
(2007.05.18@講談社)

 5月18日(金)、講談社の社内ホールで行なわれた「第一回大江健三郎賞記念対談」、運良く抽選に当たって、行ってきました。この賞は大江健三郎氏が一名で選考を担当し、受賞作は英語(あるいはフランス語、ドイツ語)への翻訳・刊行が行なわれます。
 そして、第一回受賞作に、長嶋有氏の『夕子ちゃんの近道』が選ばれました。これを記念しての、大江・長嶋両氏の対談です。

大江健三郎賞 講談社「おもしろくて、ためになる」出版を
夕子ちゃんの近道長嶋 有『夕子ちゃんの近道』(2006年,新潮社) Amazon.co.jpbk1

 対談の模様は、6月7日発売の『群像 7月号』に掲載されるようなので、ここでは『群像』には掲載されなさそうな部分を中心に、極私的な感想とレポートを。

群像 2007年 06月号 [雑誌]
群像 2007年 06月号 [雑誌]
posted with amazlet on 07.07.06

講談社 (2007/05/07)
 

 まず、講談社の受付から、会場に案内されるまでがけっこう物々しくて、さすが某編集部が襲撃されたことのある出版社は違うと思った。
 というのは冗談で、今回は数百人の「部外者」が社内に入るのだから(ホールは別棟ではなく、社屋内にある)、出入りが厳重なのは当然ですね。
 会場は、学校の体育館を思い出させる雰囲気。やや厳粛な雰囲気で、客席の年齢層を見るに、大江氏のファンが多いのだろうと感じた。
 私が座ったのは「取材席」(マスコミ関係者や招待者の席)のすぐ後ろのエリアで、前の方に座ろうとしていた背の高い女性をよく見たら川上弘美さんだったなど、始まる前から色々な部分でわくわくする。

 講談社野間副社長のあいさつの後、大江・長嶋のお二人が登場。登場時に、長嶋さんがものすごくきょろきょろしていて、なんだか見ているだけの私も緊張してしまう。しかし、二人のお話はすごく面白かった。会場からも何度も笑いが起きるような面白さ。なんというか、大学のゼミの教授と学生さんがざっくばらんに話しているような感じだった。

*以下、便宜上お二人の言葉は「」でくくりますが、必ずしも一字一句正確でないことはあらかじめご了承ください(取材関係者以外は録音できなかったので、私のメモを元に書いています)。それから、大江氏の発言を「O」、長嶋氏の発言を「N」と表記します(「O・N対談」です)。

 いきなり大江氏が「この賞は、私が一人で選考できなくなったら終わりにすると言ってあるので、あまり長くは続かないですよ。そういう点では貴重かもしれません」と言い、長嶋氏が応えて「講談社の人も、最初はそれを守って、少しずつ方向が変わって続いていくと思いますよ」というやりとりで、会場から笑いが起きる。

●『夕子ちゃんの近道』について

O「『近道』をタイトルに使った小説はなかった」
N「じゃあ、『近道』は僕が押さえたということで」
*長嶋氏の、ブルボン小林名義の『ぐっとくる題名』という本に、題名にできそうな漢字二字は限られてくるので、早い者勝ちになる、という話がある。例えば「変身」や「明暗」や「斜陽」は、前例を考えると簡単には使えない。漢字二字ではないが、「近道」入りのタイトルを押さえたという長嶋氏の発言は、この考えに基づいているのだろうと思います。

●グッズ・読者サービスについて

*長嶋氏は、読者へのバッジや小冊子のプレゼントを行なったり、カバーの裏にも小説を印刷したりしている。これについて、
N「図書館で読む人にはない、買ってくれた人へのサービス」
O「これからはサービスをする作家が増えてくるかもしれない」
N「『サービスのいい作家』として選ばれますかねえ。
 こうしたサービスは、どこまでやったら怒られるか、文学で勝負している境界を探している部分もある。例えば僕はミュージシャンがCDの特典にステッカーをつけても、『音楽で勝負していない』とは思わない」

●「余談」の面白さ

O「余談にあなたの世界がある。『夕子ちゃんの近道』は10回くらい読んだので、影響を受けて、あなたが書きそうなことが思い浮かんだ。
 東大で『普遍的知性』をテーマに講演をするため、地下鉄に乗って向かっていた。その時、電車の中に『マンツーマンなのでセックスしやすくいい関係ができあがる』という英会話教室の広告があった。けしからんと思ったら、」
N「『あ、いいですね』と思っちゃいました。『一緒に行きましょう』と言いそうになりましたが、それはけしからんです」
O「よく見たら、『リラックスしやすく』だった。これはあなたの影響です」
*この話は、対談を聴いた多くの方の印象に残ったと思いますが、二人の話の間も絶妙で、ものすごく面白かった。その後に、大江氏が小川洋子氏の『妊娠カレンダー』を「セックスカレンダー」と言い間違えたのも、笑ってしまった。

●「文学的栄養」について

O「あなたからいただいた手紙のリズムが不思議で、どんな言語生活をしているのか興味があった。僕は本を読むことでしか情報が入らないので、あなたが言う文学的栄養の満たし方が知りたい」
*受賞の内定、または決定の時点で、長嶋氏から大江氏へ手紙が送られたようです。長嶋氏は大江氏が読むのみと思っていたら、対談の中で一部読み上げられ、また講談社の人もコピーを読んでいたことを事前に知り、そのことを嬉し恥ずかしという感じで話していた。
N「山奥に住む人が魚に代わる栄養を摂るように、文学のために情報を摂取してきた」
*長嶋氏はこの言葉の前に、「大江さんの本を読んでいなかったし、大江さんの教養にも触れていなかったけれど、でも賞が欲しかったので」(文学的栄養という表現を使った)と、正直に述べる(ということは手紙は内定の時点で書かれたのかな)。この屈託のない感じ、好きです。
N「両親が読んでいたマンガが栄養になった。父の店につげ義春が来ていたり、母が持っていたスヌーピーの翻訳が谷川俊太郎だったり、子どもの頃好きだった絵本が矢川澄子訳だったり。後から『そうだった』と思うことがあった」
O「それは大きい影響があるだろう。特に谷川訳の『ピーナッツ』は」

N「他にも、母は『パタリロ!』を率先して読んでいた」
O「私も『パタリロ!』を娘に買い与えていた」
*大江氏と長嶋氏の共通の読書体験に『パタリロ』があるというのが、なんとも不思議だった。

●読書と集中すること

N「文学的な歌詞を書くロックミュージシャンが、申し訳なさそうに『本を読まない』という話をしていて驚いた。別のロックミュージシャンに詳しく質問され、『本を読むと集中して恐い』、無防備で現実に対処できない、と話していた。読書中に襲われたら逃げられない。
 音楽なら聴きながら別のことができるが、読書は他のことができない、没入せざるを得ない。この、文学にしかできないことを、大江さんに聞きたいと思っていた」
*ちなみに、文学的な歌詞を書くロックミュージシャンとは奥田民生、詳しく質問をしたのはスピッツの草野マサムネ。
O「私は音楽を聴きながら別のことができない。小説を書いていると音は耳に入らない。集中してやってきたのが原点」
N「コーヒー飲みながら音楽聴くこともないですか」
O「コーヒー飲みながらもないですねえ」
*この後、大江氏が文学は読むのも書くのも集中するという話の後、「集中は?」と長嶋氏に聞き、「集中しないです。落ち着きがない」と想像どおりの回答。
 でも、長嶋氏の「小説を書く時は音があっても平気だが、読むときは周りに左右される」という話は興味深かった。「ながら」は、インプットとアウトプットの両立は可能だけれど、インプット二つは難しいのだと思う。歌詞のある曲、ない曲、英語の歌詞の曲など、どんな音楽を聴いて本を読むかというのは、改めて考えてみると面白い。

●自分だけが発見していることをそう思っていない面白さ

*大江氏から、読書への集中に関連して「殺人事件で加害者がどういう本を読んでいたかは調べられるが、被害者が読んでいた本は調べられない」という話があり、これはうまく表現できないのだが、なんとなくテーマとして興味深く感じた。
O「あなたしか発見していないことをそう思わずに書いている面白さがある。僕は好きな本のサイズがあるのだけれど(ラルースの辞典のうちのひとつと同じサイズのようです)、これを書きたいがサイズがうまく言えない。でもあなたはベランダで洗濯物を干す道具を『夕子ちゃんの近道』で登場させている。名前の無いものを書いている」
N「用途がひとつしかないものについて書くのが好き。『バターナイフ』とか『風呂の掻き混ぜ棒』とか」
O「『夕子ちゃんの近道』の洗濯物を干す道具の部分を、妻が洗濯物を干している前で朗読したら、『よく書けている』と言っていた」
N「あ、そこを世界に発信しようと」(*「賞を下さったんですね」というニュアンス
O「それから一つの物事を、二回描写して、しかも同じ場所からは書かない。
 そういう点はモラリスト。モラリストとは、道徳的なだけでなく、細かなことを書く人もいう。ラ・ロシュフーコーなどもそう。あなたの小説にはフランスの風俗小説のような観察力がある。フローベールを読んでみるといいかもしれない」

●これからの作品について

O「若い人に、易しい言葉で複雑な表現をする人が増えている。マンガの原作を書いている人や、ジュブナイルを書いている人などの書き方は、日本文学にはあまりない。アメリカの短編小説や村上春樹のような、プロットが先にある書き方。
 これから小説の言葉の力を上向きにして欲しい。これからはどう考えていますか? 次は」
N「将来は、特に考えていないなあ。これまでは出版社に注文をいただけて、『はい』と応えて6年。ルーチン、漫然として長いスパンで考えられなかった。ただ、次はどんな場所でと考えて、同人誌に飛行機が舞台の小説を書いた。これから、乗客300人のモノローグを書いていきたい。
 なぜ飛行機が舞台かというと、個性的な人間は信じていないから。飛行機の中では個性がなくなって、思考が一様になるのではないかと思う。その中の微差を書きたい。
 自分一人でで300人分書く話題性も考えているし、300人の作家に書いてもらうことも考えている。大江さんにも飛行機に座って欲しい」
*ここで、大江氏の返答ははっきりは聴こえなかったが、長嶋氏から「あ、いいって!」と嬉しそうな発言。
 ちなみに「同人誌」とは、『メルボルン1』のこと。作品は「オールマイティのよろめき(2nd flight)」。2nd flightとあるように、「オールマイティのよろめき」という作品もあります(『文學界』2004年1月号に掲載)。

●戦場としての文芸誌

N「飛行機を舞台にした小説には、新しい文芸誌の可能性があると思う。かつて、初めて自分の名前が載った文芸誌の目次を見て、静かな興奮を覚えた。スポーツ、囲碁、将棋、落語などと異なり、小説は一人で、性差や年齢関係なく他の作家と戦う。また勝ち方にもあらゆる形がある。その点に興奮する。
 大江さんの最近の三部作を読んで衝撃を受けた。現役感や好き勝手な部分(キャラクターへの愛着やサービスを使わない部分)。大江さんに飛行機の席に座って欲しいのは、大きな賞を取った作家だからではなく、その現役感があるから」

●翻訳について

O「テレビやマンガの言葉ではなく、文学の言葉が、イギリスやフランスにどう受け入れられるか。
 最近、中原中也の誌の仏訳が、中也の望んだであろうとおりにされていて、今フランスで受け入れられている。そうしたことがあなたの小説にも考えられる。あなたの作品は翻訳しやすいと思う」

●質疑応答

・長嶋さんは若いのに、生活感のある描写ができるのはどこから?
N「なぜかそれが面白いことへの自信があります。例えばデビュー作で、蚊取りマットの交換用をなげてよこす描写を書いたとき、『活写した!』という思いがあった。蚊取り線香でも、ボトル式でもない、蚊取りマットだけに可能な表現」

●まとめ

N「翻訳されることについて、今は気持ちを持ちようがないが、デビューして自分の作品が載った文芸誌を初めて見たのと同じ、戦場であることへの興奮を覚えると思う。初めてのことなので、どんなものがもたらされるか。
 これまで台湾や韓国で翻訳されているが、例えば台湾は親日で日本の小説をとにかく翻訳していて、その中のひとつ。今回はそれとは異なる。色々と感じること、感受することがあると思う。
 あと、第一回受賞はミーハーに嬉しいです。アンケートを取ったら、『長嶋の受賞に、反対!』がこのくらい(円グラフの70%くらいのジェスチャー)になると思いますが、もうもらってしまったので」
O「翻訳を読むと、新しい光が当たると思う。だからまずは、英語の本を一冊読む練習をしておくといいですよ」
N「あ、じゃあさっきの『セックスしやすくいい関係』の英会話教室で」
*この最後のやりとりも、長嶋氏のサービス精神が出ていた。大江氏も、フリとして「英語の本を一冊読む練習を」という話をしたのかもしれません。見事に締めくくられた、という感じだった。

 いやあ、長嶋ファンサイドとしては、非常に興奮する対談だった。長嶋さんのいつもどおりっぷりと、大江氏の想像以上におおらかな感じが、ぶつかるようでぶつからないようで話が進んでいくのが、独特な緊張感を持っていた。

|| 

木の葉燃朗のがらくた書斎>>レポート>>第一回大江健三郎賞記念対談(大江健三郎・長嶋有)に行ってきました

inserted by FC2 system