特別企画! 東京タワーで江國香織『東京タワー』を読む
(2005.1.29) 2005.08.20掲載

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  思い起こせば2005年の1月のことでございます。俺がコラムを書いている、『日刊 耳カキ』から、この本が送られてきたのでございます。

・江国 香織『東京タワー』(2001.12,マガジンハウス)
オンライン書店ビーケーワン:東京タワー
「待つのは苦しいが、待っていない時間よりずっと幸福だ−。ふたりの少年・透と耕二。そして彼等の年上の恋人。恋の極みを描く長編恋愛小説」(オンライン書店bk1の紹介文)

  この本を読んで感想を書きなさいというわけです。ちょうど映画化もされて、この原作も随分売れていた時期です。
 このサイトを読んでいただいている方の中には、お分かりの方もいらっしゃると思いますが、俺の読書傾向からは思い切り外れている本です。
 それでも、やっぱり読んでしまう貧乏性な俺。早速読みはじめました。

 ……。

 ……うーん。うーん。
 ダメだダメだダメだ!

 と、思わず本を放り投げそうになっってしまいました。しかし、ふと、「これはこの本の内容に問題があるわけじゃないのかもしれない」と思いました。
 もちろん、俺に問題があるわけでもない。
 じゃあ、なにに問題があるのか?
  本を読む環境です。
 そこで、この本を読むのにふさわしい場所に行くことにしました。

 
 ……。
 着きました。

東京タワー01  

 これが、「東京タワーで『東京タワー』を読む」の始まりだったのです。

  しかし、東京タワーにやってきたのは、物心ついてからは初めてじゃないかなあ。子どもの頃に家族で来た記憶はあるが、蝋人形館が不気味だったことしか覚えていない。

 
 地下鉄浅草線の大門駅を出て、ぶらぶらと15分くらい歩くと、東京タワーに到着します。

 入口のそばには、「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」も展示されています。
 そんな風景を見ながら、入口へ。土曜日の午前中だったか、外国人観光客の方を中心に、結構な人出である。そんな中を、エレベータに乗って展望台へ。


 ここからは小説『東京タワー』の感想と、「東京タワー」そのものの感想が交互に出てきます。本の感想を青、その他を黒で書きます。

 主人公は、友人同士の二人の大学生。しかし、俺はこの二人のどちらにも全く共感できない。これは、多分俺が大学生の頃に読んでも同じことを思っただろう。一番接点を持ちたくないタイプだ。
 あ、読む人が読んだらネタバレになるようなことも書くかもしれませんので、読みたくない人は飛ばしてください。あと、江國香織さんのファンも読み飛ばしてください。江國香織さんも読んで
らしたら、読み飛ばしてください。

 一人目の大学生は「透」。こいつは、年上の人妻「詩史さん」とお付き合いしている。肉体関
係もある。要するに不倫ですな。それで、この詩史さんにどっぷりと依存してしまって、すべてを詩史さんにゆだねることが幸せだと思っている。
 例えば、詩史さんと過ごすことで「自分だけの生活が見つかった」(p.47)とか、「自分は詩史さ んによって存在させられている」(p.47)だの、「詩史さんに与えられる不幸なら、他の幸福よりずっと価値がある」(p.57)、更には「詩史とでなければ言葉をかわしても意味がない、という気がした。詩史に対してしか、自分の言葉は上手く機能しないのだ。詩史とでなければ、食事などしたくなかった」(p.141)。

 くわー。なんなんだおまえ。

 しかもこの詩史さんというのも、ちょっとどうかと思うタイプの女性。まず、「代官山」にある「セレクトショップ」を経営していて、大晦日には親しい友人を家に招いて「年越しパーティ」をしちゃったりして、更に透と二人で「軽井沢」の別荘に旅行しちゃったりなんかしちゃったりする。
 そんなセレブでハイソな(自分で言っていてあんまり意味はわからない)方なのに、しゃれた中料理屋で、透に「行ったことはないけれど、東南アジアっぽい店だね、ここ」(p.161)と言われて、「日本も中国も東南アジアも、アジアだもの、似てるわ」(p.161)なんて答えたりする。

 「日本も中国も東南アジアも、アジアだもの、似てるわ」
 素晴らしい言葉ですね。まともな知性では到底思いつきません。

 ああ、疲れる。久々に読書で気力体力を消耗している。東京タワーまで来てなにをしておるのか俺は。こんな時は、東京タワー展望台からの景色を眺めて気分転換しよう。
東京タワーよりお台場を臨む
 わー、あれはお台場だー。
  
 本の話の続きに参ります。

 透とともに、もうひとりの主人公が、同じく大学生の耕二です。これがまあ透よりもたちが悪い。

 あ、ネタバレの可能性もありますので、これから小説を読みたい、映画を見たい、そして泣きたい、という方は、どうぞ読み飛ばしてください。

 こいつは、高校生の頃に同級生女子の母親と不倫した経験を持つ。その後、現在は喜美子さんという人妻と付き合い、一方で由利ちゃんという女子大生とも付き合っている。そして、父親は「かなり政治的な部類の医者」(p.170)で、就職を前に企業の重役と会食をしたりする。
 それだけでもいけ好かないのだが、こいつの女性に対する考え方がもう。

・女性を「捨てるのはこっちだ、と、決めている。/いままでもそうだったし、これからもそうだ。」
(p.45)
・由利ちゃんといるときに喜美子さんから電話がかかってきて「女は、いったいどうしてこう身勝手なのだろう。人間にはそれぞれ個別の事情があるということをまるで無視して生きているのだ」(p.123)
 いや、おまえの方が身勝手だろう。

 他にも、「大学の奴らってさ、なんか刹那的じゃない?」(p.39)、「なんていうか、いましかたのしめねえみたいなさ」(p.40)なんていう台詞の後に、「たのしく生きるには金が要るし、たのしく生きられなければ生きる意味がない」(p.44)なんていう独白が入ったりする。「刹那的な大学の奴ら」と、こいつはなにが違うのだろう。

 だんだん、読むのがつらくなってきた。
 ということで、気分転換に、ガラスの床から地上を覗いてみました。
こういう風に、床がガラスになっていて下が覗ける場所があるのです。
東京タワーガラス床1
 うひー、怖い。

 しかし、勇気を出して片足をガラスに乗せてみました。それでも一分くらい逡巡しました。
東京タワーガラス床2
 ひゃー。

 でも、思い切ってもう片方の足も乗せてみました。
東京タワーガラス床3
 ひょえー。

 ……そんな様子を、外国人観光客の方に笑われました……。 多分、「オーウ、ジャパーンのファットボーイがファニーなことやってるゼ! アーハッハッハ」などと思われていたんでしょう。完全な想像、というか妄想ですが。

  いよいよ物語のクライマックスを紹介します。ここからは、本当にネタバレの可能性もありますので、十分ご注意ください。

 まず、透のクライマックス。詩史さんの軽井沢の別荘に旅行に行き、二人で泊まります。その翌日、来るはずのない詩史の夫が来る。
 すわ、修羅場! とりあえず服を持って、風呂場に隠れます。
「透は、自分がふるえていることに気づいた。言われるままに風呂場に隠れ、夫の襲来に備えた。無事にきりぬけることなど不可能だった」(p.167)
 しかし、詩史さんと夫は、なにごともないかのように二人で別荘から出て行きます。その後、透も一人で別荘から出て、帰ります。

 以上。どうですか。その後、透と詩史さんは何事もないかのように会います。そこでこいつがなんと言うかと思ったら。
「一緒に生活しないで一緒に生きるっていう、条件をのむことにしたよ」(p.244)、「店に就職させてほしい」(p.245)

 くわー。なんなんだおまえ(あ、これ二回目だ)。そんなに「日本も中国も東南アジアも、アジアだもの、似てるわ」なんて言う女性(あ、これも二回目だ)のそばにいたいの?

 まあ、これで透の話は本当におしまいです。一方、耕二の方はどうかというと。

 由利ちゃんとの二股がばれたわけではないが、喜美子さんからの電話に出なかったことで、喜美子さんに捨てられる。さらに、高校の頃の同級生吉田(不倫した最初の人妻の娘)に付きまとわれ、由利ちゃんとの関係もぎくしゃくする。
 つまりですね、これまで女性を人扱いせずにわがままを通してきたら、すべての女性に人間らしく怒りをぶつけられて鼻っ柱を折られるという、身の程知らずにふさわしい最後を迎えます。

 でも、こいつは全然成長しません。つきまとう吉田に「お前さあ、俺に何か言いたいことがあるんならはっきり言えよ。何か言いたいことがあるんだろ? 昔のこと根に持ってさあ、つきまとうのっマズくない? 謝れって言うなら謝るし、土下座しろっているならするけどさ、あれはもう終わったことなんだよ。俺にとっては」(p.238)なんて言って、その後で透に吉田のことを「あいつガキなんだよ」(p.283)と言ったりする。

 挙句の果てに、ラストシーンで、バイト先の客である別の女と(年上の男と付き合う)とどう付き合うかを考える、という終わり方。


 はあ、やっと読み終えた。あまりに気分が鬱々としてきたので、別料金を払って特別展望台に登ってみました。
東京タワーより汐留を臨む
わー、あれが汐留シオサイトかー。
  特別展望台に登ると、通常の展望台からさらに風景が違って見えます。曇り空だったのはおしかったけれど、追加料金を払った甲斐がありました。

  

 そんなこんなの
「東京タワーで『東京タワ−』を読んだらなにか分かるんじゃないかなプロジェクト2005」(今考えました)、一応本の感想のまとめを書いておきます。

 結局読んで思ったのは、詩史さんに支配されて自分がない透、女性だけでなくなにに対してもわがままに振る舞い、自分が世界の王様のつもりでいる耕二、こいつらは人とのコミュニケーションの大変さも醍醐味も分からない不幸な人間なんだということ。
 俺は、コミュニケーションの醍醐味の一つには他の人間とポジティブな感情を共有・共感することがあると思う。この小説になんとなく面白さを感じないのは、登場人物のコミュニケーションがみんな一方通行だからじゃなかろうか。
 それを端的に表しているのが、本の帯のキャッチコピーにも使われている「恋はするものじゃなく、おちるものだ」(p.43)という透の言葉。

 いや、恋はするものだろ。

 あと、なぜタイトルが『東京タワー』なのか、最初理解できませんでしたが、東京タワーに来て分かりました。
 この小説での「東京タワー」は、男性のシンボルなんだわ、色々な意味で。
 主人公達が、最後まで眺めるだけで東京タワーに行かないのも(つまり、畏怖していて近寄れない)、大人の男性の存在が希薄、あるいは類型的な人物が多いのも、主人公が、言ってしまえば「だらしない子ども」なのも、すべて「男性のシンボルとしての東京タワー」との対比なんだ、きっと。
 まあ、多分作者も編集者も大多数の読者も、そんなこたあ考えてないだろうけれどね。


 とにかく、『東京タワー』の読書体験ではつらさが先に立ちましたが、東京タワーそのものは面白かった。東京に住んでいると、なかなか行く機会がないが、改めて遊びに行くのもいいものです。
 蝋人形館など、展望台以外の施設も健在です。また、ファーストフードなどが入った飲食スペースもできました。
 その一方で、なんともいい味を出したお土産屋さんがあったり、 昼間なのに不気味な工事中のスペースがあったりして、混沌とした感じがまた面白かった。下のような写真をわざわざ撮る俺もどうかと思うが、見方によっては廃墟みたいな風景だよねえ。

 
 それから、東京タワーにはイメージキャラクターもいます。左の「ノッポン」です。様々なグッズ展開もされています(写真は耳カキです)。
 また、ノッポンの着ぐるみが入口付近にいて、一緒に写真を撮ることもできます。
 さすがに俺は男27歳一人でノッポンと写真を撮る勇気はなかったけれど。

 そんな東京タワーを、親子連れや観光客で混み始めた昼過ぎに、出てきたのでした。
 帰りは右のとおり、バスで渋谷まで出ました。
 このルート、新橋と渋谷を結ぶ「渋88」系統の路線です。本数はあまり多くないですが、六本木通りや青山通りを通って渋谷に向かうのは、なかなか乗り甲斐のある路線かなと思います。
 そういうわけで今回の結論は、

 『東京タワー』の小説やビデオは、読みたい人が読み、観たい人が観ればよい。
 興味がなければ無理すんな。
 ただ、東京タワーには一度は登った方がよい。


 といったところでしょうか。
 なんの結論なんだ、こりゃ。

 参考まで本とDVDをご紹介。リンク先は、それぞれオンライン書店bk1とAmazon.co.jpです。
・江国 香織『東京タワー』(2001.12,マガジンハウス)
オンライン書店ビーケーワン:東京タワー


・DVD『東京タワー プレミアム・エディション』
東京タワー プレミアム・エディション


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