この本を読んで感想を書きなさいというわけです。ちょうど映画化もされて、この原作も随分売れていた時期です。
このサイトを読んでいただいている方の中には、お分かりの方もいらっしゃると思いますが、俺の読書傾向からは思い切り外れている本です。
それでも、やっぱり読んでしまう貧乏性な俺。早速読みはじめました。
……。
……うーん。うーん。
ダメだダメだダメだ!
と、思わず本を放り投げそうになっってしまいました。しかし、ふと、「これはこの本の内容に問題があるわけじゃないのかもしれない」と思いました。
もちろん、俺に問題があるわけでもない。
じゃあ、なにに問題があるのか?
本を読む環境です。
そこで、この本を読むのにふさわしい場所に行くことにしました。
……。
着きました。
これが、「東京タワーで『東京タワー』を読む」の始まりだったのです。
しかし、東京タワーにやってきたのは、物心ついてからは初めてじゃないかなあ。子どもの頃に家族で来た記憶はあるが、蝋人形館が不気味だったことしか覚えていない。
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地下鉄浅草線の大門駅を出て、ぶらぶらと15分くらい歩くと、東京タワーに到着します。
入口のそばには、「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」も展示されています。
そんな風景を見ながら、入口へ。土曜日の午前中だったか、外国人観光客の方を中心に、結構な人出である。そんな中を、エレベータに乗って展望台へ。
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ここからは小説『東京タワー』の感想と、「東京タワー」そのものの感想が交互に出てきます。本の感想を青、その他を黒で書きます。
主人公は、友人同士の二人の大学生。しかし、俺はこの二人のどちらにも全く共感できない。これは、多分俺が大学生の頃に読んでも同じことを思っただろう。一番接点を持ちたくないタイプだ。
あ、読む人が読んだらネタバレになるようなことも書くかもしれませんので、読みたくない人は飛ばしてください。あと、江國香織さんのファンも読み飛ばしてください。江國香織さんも読んで
らしたら、読み飛ばしてください。
一人目の大学生は「透」。こいつは、年上の人妻「詩史さん」とお付き合いしている。肉体関係もある。要するに不倫ですな。それで、この詩史さんにどっぷりと依存してしまって、すべてを詩史さんにゆだねることが幸せだと思っている。
例えば、詩史さんと過ごすことで「自分だけの生活が見つかった」(p.47)とか、「自分は詩史さ んによって存在させられている」(p.47)だの、「詩史さんに与えられる不幸なら、他の幸福よりずっと価値がある」(p.57)、更には「詩史とでなければ言葉をかわしても意味がない、という気がした。詩史に対してしか、自分の言葉は上手く機能しないのだ。詩史とでなければ、食事などしたくなかった」(p.141)。
くわー。なんなんだおまえ。
しかもこの詩史さんというのも、ちょっとどうかと思うタイプの女性。まず、「代官山」にある「セレクトショップ」を経営していて、大晦日には親しい友人を家に招いて「年越しパーティ」をしちゃったりして、更に透と二人で「軽井沢」の別荘に旅行しちゃったりなんかしちゃったりする。
そんなセレブでハイソな(自分で言っていてあんまり意味はわからない)方なのに、しゃれた中料理屋で、透に「行ったことはないけれど、東南アジアっぽい店だね、ここ」(p.161)と言われて、「日本も中国も東南アジアも、アジアだもの、似てるわ」(p.161)なんて答えたりする。
「日本も中国も東南アジアも、アジアだもの、似てるわ」
素晴らしい言葉ですね。まともな知性では到底思いつきません。
ああ、疲れる。久々に読書で気力体力を消耗している。東京タワーまで来てなにをしておるのか俺は。こんな時は、東京タワー展望台からの景色を眺めて気分転換しよう。
本の話の続きに参ります。