2004.1.16 恵比寿でファミコンを懐かしんできた
〜「レベルX テレビゲームの展覧会」レポート(2004.1.27掲載)
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 今日は、恵比寿でやっているファミコンの展覧会に行ってきました。タイトルは、「レベルX テ
レビゲームの展覧会」。ファミコンの全ソフトが展示されていて、一部は実際に遊べるらしいと
いうことで、発表された頃からずっと楽しみにしていたのだ。
 簡単に「ファミコンの全ソフトが展示」と書きましたが、こりゃすごいことですよ。なにせ1200本
以上あります。いまや倒産しているメーカーもあるし、著作権が明確でないゲームソフトもあ
る。中には、現在中古ゲームショップで当時の価格よりも高く売られているものもある。それが
全部揃うというのは、ものごころついたころに俺には感慨深いなあ。
 ということで、行ってまいりました。それでは、レポートのはじまりです。

 JR山手線を恵比寿駅で降り、会場の東京都写真美術館がある恵比寿ガーデンプレイスに向
かって歩く。10分くらい歩いて、到着。恵比寿ガーデンプレイスに来るのは、前に映画「テルミ
ン」(1993年,アメリカ)を見にきて以来だなあ。あれはもう2年以上前だ。
 そんなことを思いながら会場へ。入場料250円を支払って、中に入る。しかし、一般250円、学
生200、中高生・65歳以上120円、
小学生以下は無料というのは、安い。さすが公立の施設だ。こういう所でこういう催しをやってく
れるのは、嬉しい。
 なお、ここから先は撮影禁止なので、写真はおしまい。後は文章で中の模様をお楽しみくださ
い。

 中に入ると、いきなり大スクリーンにナムコのシューティングゲームの「ギャラガ」(1985年)
映っている。これは、実際に遊ぶことが出来る。このスクリーンでは、週替わりでナムコのゲー
ムが遊べるようになっているようだ。俺も前の人が終わったのを見計らってコントローラを握
る。久々にやったが、5面までいけました。いやあ、もうこの時点で懐かしさがこみ上げてきて、
楽しくなってきた。
 続いて、今回の展示の目玉のひとつ、「ファミコンソフト全展示」をじっくりと見る。ファミコン本
体と同時に任天堂から発売された「ドンキーコング」「ドンキーコングJR」「ポパイ」(1983年)
らスタートして、全部で1252本のソフトがすべて外箱も含め展示されている。しかし、見ていて
半分くらいはどんなゲームか思い出せたなあ。特に、1990年くらいまでに発売されたゲーム
は、8割くらい記憶に残っていた。いかに自分があの頃ファミコンにどっぷり浸かっていたかが
改めてわかったよ。

 また、任天堂が発売したハード・周辺機器も、主要なものはほとんど並んでいた。ファミコン
「光線銃」(1984年)「ロボット(ブロックセット・ジャイロセット)」(1985年)はもちろん、「ファミ
リーベーシック」(1984年)「データレコーダー」(1984年)もあった。このあたりは、もう知らな
い世代の人もいるかもしれないね。「ファミリーベーシック」というのは、ファミコンでプログラム
を組むためのキーボードと専用ソフトのセット。データレコーダーは、自分でつくったプログラム
を記録するためのカセットレコーダー。フロッピーディスクが普及する前は、カセットテープにデ
ータを保存していたのだよ。
 ちなみに書いておくと、一番初期のファミコンは、A・Bボタンが四角でしかもゴム製でした。つ
まり、A・Bボタンもスタートボタンと同じような材質だったのである。だから連射がうまく出来なか
った。こんな話も、俺たちの世代(1970年代後半生まれ)には常識(というか共通の認識)でも、
今10代の人たち(1980年代後半生まれ以降)は初めて知ることなんだろうなあ。
 それだったら、ファミコン用にネットワーク接続のためのモデムが発売されていたことなんて、
冗談としか思われないかもしれない。しかし、本当にあったのである。なにをするためかという
と、株の取引ですよ。ううむ、1980年代後半といえば、バブルでトレンディでマネーゲームだった
時期だからねえ(このあたり、自分でも書いていて意味不明)。まあ、当時は俺も子どもだった
から、ファミコン雑誌で見るくらいで、本物は今日初めて見たんけれどね。
 個人的に興味深かったのは、「なんてったって!!ベースボール」(1990年,サンソフト)だった。
これ、「親ガメ子ガメカセット」という方式を使用していた。なにかというと、通常の大きさのファミ
コンソフト(親ガメ)の中に、小型のソフト(子ガメ)が入れられるようになっている。新しい年にな
ると、新データの子ガメを出す、という企画だった。そうすれば、ソフトの値段も安くて、新しいデ
ータでゲームが遊べる。これはゲームのジャンルによっては有効なシステムだと思う。残念な
がら、1991年に「子ガメカセットOBオールスター編」「子ガメカセット'91開幕版」が出たくらい
で、他に同じ方式を使用したソフトもなく、あまり普及しなかったけれどね。

 任天堂以外のメーカーが発売したゲームのハードも、すべて展示されていた。PCエンジン
(1987年,NECHE)メガドライブ(1988年,セガ)プレイステーション(1994年,SCE)なんかは
当然として、レーザーアクティブ(1993年,パイオニア)ピピンアットマーク(1996年,バンダイ・
デジタル・エンタテインメント)など、「なんですか、それ?」と思う人も多いだろうハードもしっかり
並んでいた。
 ちなみに、レーザーアクティブはLD(レーザーディスク)をソフトに使うゲーム機。ひょっとして
今やレーザーディクスも説明が必要なのだろうか。おせっかいを承知で、非常に大雑把な説明
を書くと、直径20cmくらいのCDを想像してください。それが、CDよりも大容量のデータが保存で
きるLDです。今のDVDみたいなものです。映像を記録して販売していました。レーザーアクティ
ブには、PCエンジン・メガドライブのゲームを遊ぶためのアダプタも別売りされていた。
 ピピンアットマークは、バンダイが発売したマッキントッシュの互換機のゲーム機。インターネ
ットもできた。俺は大学生の頃これをパソコンの代わりに買おうとして思い止まった記憶があ
る。もしも買っていたら、今は色々な意味で面白いパソコン生活をしていたかもしれないね。な
にせウィンドウズのパソコンより前にマッキントッシュ互換のゲーム機を買ったわけだから。

 しかし、ゲームのパッケージやソフトを見ているだけでも色々なことを思い出すよ。
 そして、展示を見た後はファミコンで実際に遊びました。今でも十分に楽しめるなあ。こんなゲ
ームをプレイしました。
メトロクロス(1986年,ナムコ):主人公が障害物をよけながらひたすら走るというゲーム。
ワルキューレの冒険(1986年,ナムコ):アクションRPGの中で、かなり早い時期に発売された
もの。子どもの頃、初めて友人の家で遊んだときは、ゲームのシステムがさっぱり理解できな
かったなあ。いきなり主人公が野原に立っているシーンからのスタートだったからなあ。今なら
結構楽しめそう。早過ぎた傑作だったと思う。
スターソルジャー(1986年,ハドソン):これぞ、ハドソンが開催した「全国キャラバン」というイ
ベントで、一定時間でいかに高得点が取れるかを競われたシューティングゲームだ。高橋名
人! 16連射! ゲームは1日1時間! いやあ、当時を思い出すなあ。
いっき(1985年,サンソフト):当然、発売されたすべてのファミコンソフトが名作なわけではな
く、中には「なんだこりゃああ」というソフトも数多く存在した。「いっき」もそのひとつだな。なに
せ、農民が悪代官を倒すため、カマを投げて忍者や妖怪と戦うアクションゲームなのである。し
かもえらく難しかった。今回も、1面でゲームオーバーでした。
スーパーマリオブラザース(1985年,任天堂):国内だけで600万本、世界中で4000万本近く売
れたファミコンゲームの金字塔。今遊んでも、指になじむ。子どもの頃はわからなかったけれ
ど、これってすごいゲームデザイン・プログラムの技術があるよなあ。ちなみに、ワープを使い
ながらですが4-3まで行けました。
ドラゴンクエスト(1986年,エニックス):これはファミコンのRPGの元祖、というより、日本人に
とってのRPG・ファンタジーの基礎となったゲームだよな。「ドラクエ」がなければ生まれなかった
作品って、ゲームに限らず小説や映画などでもあると思う。それくらいの影響力のあるゲーム。
今の視点で見ると、多少まだるっこしい部分もあるが、それは我々がこの方式に慣れたなによ
りの証拠だろう。誰かがレベル3まで上げていた勇者でちょっと遊んで、レベル4にしました。こ
うやってちょっとずつ色々な人が遊んで、最後はクリアできたら面白いね(1日ごとに電源切ら
れるから無理だろうけれどさ)。

 それから、「ゲーム機の進化における野球ゲームの映像演出」というテーマで並べられたゲ
ームでは、ファミコンの「ベースボール」(1983年,任天堂)「プロ野球ファミリースタジアム(通
称ファミスタ)」(1986年,ナムコ)「燃えろ!!プロ野球(通称燃えプロ)」(1987年,ジャレコ)
ら、PCエンジン・スーパーファミコン・セガサターン・プレイステーション・ゲームボーイアドバンス
にプレイステーション2まで、それぞれのハードの野球ゲームがいかに変化したかを実際に遊
んで確かめることが出来る。同じ野球ゲームでも、色々と違いはあるわけで、例えばどの視点
から見て遊べるかによって、操作方法も画面の雰囲気も全然違うわけですよ。キャッチャーの
後ろの上空から俯瞰したような「ベースボール」「ファミスタ」、ピッチャーの真後ろから見た「燃
えプロ」を経て、今は主審(キャッチャーの真後ろ)から見た「実況パワフルプロ野球」(コナミ)
シリーズの視点が基準になっている、なんてこともわかる。

 あとは、忘れちゃいけない映像資料の話を。ゲームクリエイターの面々へのインタビューと、
ファミコンの最終出荷の様子を映した映像が、随時上映されています。これもなかなか見ごた
えがありました。
 インタビュー映像が流れているのは、下記の方々。
宮本茂:「スーパーマリオブラザーズ」をはじめ数々のゲームソフトを作り出し続けている、日
本のゲームクリエイターの代表格宮本氏。
田尻智/杉森建「ポケットモンスター」シリーズを作り出したゲームフリークの代表田尻氏
と、同社アートディレクターの杉森氏。
糸井重里:コピーライターという枠にはまらない様々な活動を続ける糸井氏。ゲームでは、処
女作である「MOTHER」(1989年,任天堂)が代表作。
堀井雄二/中村光一:日本版のロールプレイングゲーム(RPG)の文法をつくったともいえる
「ドラゴンクエスト」シリーズのシナリオを手がける堀井氏、「ドラクエ」のプログラマー中村氏。
中裕司:任天堂のマリオに匹敵する知名度を獲得した「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」(セガ)シ
リーズを作り出したセガの中氏。
小島秀夫「メタルギア」(コナミ)シリーズなど、独特の世界観をもったゲームにファンの多い
小島氏。

 また、最後のファミコンが作られ、出荷される様子を淡々と映した「ラスト・ファミコン」を見る
と、「ハイテク」というイメージのあったファミコンが、いかにも日本の工場らしい雰囲気の中でで
つくられていたんだなあという印象が強く残った。ベルトコンベアに乗ったファミコンを、ひとつひ
とつ梱包して、トラックに乗せる、という一連の作業は、すべて人の手を介して行われていた。
これがまた結構感動を誘う。その映像とともに、ファミコンの歴史が字幕で表示されるのもよか
った。映像と字幕の両方をしっかり見るために、俺は2回見ました。しかし、ファミコンの販売台
数が6200万台、スーパーファミコンも4900万台というのは、すごいよなあ。

 ということで、開催は2月8日(日)までですが、機会と興味があれば是非行ってみてください。
休日は子ども連れや学生が多そうですが、平日は比較的人出も落ち着いていておすすめで
す。まあ、大声で色々なことをしゃべるグループや、ゲームにあわせて「おっ」「あぶない」などと
つぶやいているような人もいましたが、ゲームってそういうものだと思う。ですからあまり普通の
展覧会のようなつもりではなく、思い出に浸って楽しい時間を過ごすつもりで行きましょう。
なお、「行く余裕がない」という方には、この展覧会にあわせてつくられた東京都写真美術館企
画:監修『ファミリーコンピュータ1983−1994』(太田出版)という本がありますので、こちらを
おすすめします。税別2500円とちょっと高いですが、カラー写真をふんだんに使ってファミコン
の全ソフトを紹介していますし、先ほど紹介したクリエイターへのインタビューも活字になってい
ますので、内容を考えたらお買い得だと思います。少なくとも俺は、展覧会自体の入場料の安
さもあって、納得して買いましたね。

 最後に、おまけとしてこの展覧会で知ったファミコン豆知識をいくつか。

・ファミコン発売時のチラシに、発売予定ソフトとして「ドンキーコングの音楽教室」という名前が
載っている。しかしこれ、結局発売されず幻のソフトになりました。
・ファミコンで最後に発売されたソフトは、「高橋名人の冒険島W」(1994年6月24日・ハドソン)。
・2003年9月、ファミコンは生産中止となったが、その理由売れないからではなく部品が古くて調
達できないから。逆に言えば、発売から20年経ってもコンスタントに売れていたのだ。

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