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旧行列車

2002.7.12 木の葉燃朗


 日常とは、なんだろうか。私たちは日常の中で生きている。そして私たちが生きている限り、日常は続いていく。なんだか、「ニワトリが先か、タマゴが先か」という議論のようだが、そんなどうでもいいことを考えている今も、間違いなく日常の一部である。
  「非日常」と呼ばれる世界には、どうやったら行けるのだろうか? こことは違う世界への扉は、案外どこにでもあるのかもしれない。ただ、その扉をノックし、異世界に旅立とうという勇気のない人間には見えないだけだ。しかし時には、異世界の存在を示すためだろうか、扉は突然に現われる。

「入り口はどこにでもあります。入場料はいりません」

  そんな文字の書かれた看板が、ふと頭に浮かんだ。

 どうやら飲みすぎたらしい。さっきから私の頭の中では、たくさんの言葉がとめどなく流れていた。それぞれの言葉の形はなんとなく解るのだが、その意味までは自分の中に届いて来なかった。だがそれも仕方がない。ここは難しいことを考えるのにふさわしい場所じゃない。
  私は最終電車の中にいた。時刻は午前零時二十八分。いくら郊外のベッドタウンへ向かっているとはいえ、平日のこんな時間では客は少ない。そして、その客たちはみな一様に眠っていた。しかし、酒を飲んだ帰りに電車に乗った経験を持つ人間なら、あの独特な電車の揺れが子守歌のように眠りを誘うことに同意してくれるだろう。誰もが眠っているのも不思議ではない。
 電車が駅に止まる。ここでは降りる人間も、乗り込む人間もいないようだった。線路を挟んだ向こう側にあるプラットホームには、もう明かりが灯っていなかった。上り電車は既に終わっていたのだ。電車のドアがゆっくりと閉じ、再び心地よい揺れが始まる……。

 最近、冒険をしなくなっていた。冒険といっても、そんなに大きな物じゃない。学生時代には、時々わけもなく突飛な行動に出たことがあった。いつも乗る電車とは逆方向に向かう電車に乗る。そして知らない駅で降りてみる。喫茶店で何時間も他人の話を聞いている。なにをするでもなく徹夜する。などなど。
 だが、気楽で幸福な学生生活は瞬く間に終わった。そして、あれほど嫌だったネクタイを首に締めて、サラリーマンとして生きることを決め、現在に至っている。そして結婚し、娘も1人できた。今、三十路を目前にして、私は冒険よりも安定を求め、いつしか安定の中に安住していた。
 しかし今でも、いつかまた学生時代のように冒険がしたいと思っている。それがいつになるかは分からない。また、できるという保証もどこにもない。けれども、いつか、いつか、とだけは思い続けている。
 少し、色々なことを考えすぎた気がする。まだ降りるべき駅までは時間がある。私は自分のからだと頭を、しばらく休ませることにした。

 突然、深い海の底から引き上げられた気がした。どうやらしばらく眠ってしまったらしい。降りる駅を寝過ごしていなければいいが……。私はすぐにあたりを確認した。
 しかし目を開けた私の前に広がったのは、深夜の電車からはとうてい見ることができない風景だった。窓の外は明るかった。しかもそれはネオンが作り出す不自然な明るさではなく、紛れもない太陽の光だった。晴れわたった青空、どこかで見たような数々の建物。私は、自分がまだ夢を見ているのではないかと思った。しかし先程の目が覚めた感覚は間違いなく本物である。私は反射的に腕時計を見た。
 時計は零時二十八分のまま止まっていた。

 私の混乱がまだ納まらないうちに、電車は止まった。私は衝動的に座席を立ち、プラットホームへと降りた。なんとなく、電車の中は息苦しい感じがして耐えられなかったのである。ホームに降りればなにかが変わると思ったのだ。
 その駅には見覚えがあった。そこは私が中学校に通うのに利用していた駅にそっくりだった。しかし、あの駅であるはずがない。先程まで私の乗っていた電車では、どのように乗り換えてもこの駅にはたどり着けない。なのになぜ……? それに、この駅は何年か前に改装工事が行われて、今では新しくなっているはずだ。しかしここは、私が中学生だった当時そのままの形を残しているのである。
  とにかく、私は気を落ち着かせるためにホームのベンチに腰掛けた。いったいなにが起こったのか? 時間や空間を飛び越えてしまったのだろうか? しかしそれではまるで、子供の頃に読んだSF小説のような話である。しばらく考えた後、私は今がいつで、ここがどこなのかよりも、これからどうするかの方が重要だという結論に至った。とりあえず、私はこの駅から出ることにした。
  ふと気づくと、私の手には一枚の切符が握られていた。それを改札口に座っていた駅員に渡し、駅の外へと足を踏み出した。

駅の外も、私が中学生の頃と同じ町並みだった。その風景を見ているうちに、色々な記憶がよみがえってきた。実際の町は様々な開発が進み、随分と様変わりしたのだが、ここはなにも変わっていなかった。その点が疑問であり、不安でもあったが、懐かしい町並みはそんなことを忘れさせてくれた。
  駅前から少し歩いた所にある古本屋。ここでは色々な小説や漫画を買ったものだ。店のおやじは顔は怖かったが、親切な人だった。だが、数年前に亡くなったと聞いた。しかし店の中を覗いてみると、おやじはあの頃のように奥のカウンターで鹿爪らしい顔をして座っていた。また、本の位置もほとんど記憶のとおりだった。店の外と入口付近には雑誌や安売本が、そして店に入って右の棚には漫画が、左の棚には小説が並んでいた。私は小説の棚をしばらく眺めた後、一冊の文庫本を手に取った。中学生の頃に夢中で読んだ思い出のある小説である。今、突然欲しくなったのは、この小説の主人公と今の自分の置かれている状況や、感じていることが共通している気がしたからである。だから、この本が自分を守ってくれるような気がして、持っておきたいと思ったのである。
  それは広瀬正の『マイナス・ゼロ』だった。
  本屋を出てから、私は中学校に行ってみようと思った。三年間も毎日のように通っていた道だ。目をつぶってもたどり着けるはずだと思っていた。そう、次の角を曲がればそこに中学校の塀が見える、はずだった。
  だが、そこには中学校はなかった。それどころではない、そこは見たこともない場所だった。過去の経験から考えて、決してありえないことが起きていた。過去の記憶への確信が突然揺らぎ始めた。道を間違えたか? いや、どう考えても間違えようがない。角を曲がるまでは正しい道順だったのだ。それが曲がった途端に変わってしまったというのは、どういうことだろうか? そう思ってふと後ろを振り返ってみた。
「ああ、ここは……」
  それですべてが分かった。不思議なことだが、後ろにあったのは先程までの中学校に続く道ではなかった。そう、ここは私の通っていた小学校へ向かう道だった。いつの間にか再び時空を移動してしまった、そう考えるしかなかった。

 我ながら、この奇妙な状況がどうして素直に受け入れられるのか分からなかったが、とにかくここは小学校に向かうべきなのだろう。私は歩きだした。
  小学校は、家から歩いても十分ほどの所にあった。この道は中学校よりも更に長い六年間通い続けていたので、一目見ただけで道順を思い出した。この道にも色々な思い出がある。小学校のそばというと、必ずといっていいほど駄菓子屋と文房具屋が真っ先に浮かんで来る。どちらも古く、小さく、はたして儲かっているのだろうかと子供ながらに疑問だった。だが、駄菓子屋の方には放課後みんなが集まって色々なお菓子やちょっとしたおもちゃを買っていた。それに文房具屋では学校で必要な教材を置いていたし、朝早くから開いていたから忘れ物をした時にはよくお世話になったものだ。そんなこともあって、需要は結構多く、経営は意外と安定していたのだろう。
  そんな店を通り過ぎて、いよいよ小学校まであと少しという所まで来た。ただ不安だったのは、小学校も中学校と同様に角を曲がった所にあることだ。また違う場所に飛ばされたら……。だがここで迷っていても仕方がない。私は思い切って、少し小走りで小学校への曲がり角に向かった

  角を曲がると、そこは小学校ではなかった。失望が半分、後の半分はやっぱりという思いだった。だが、そこがどこであるのかに思い当たった瞬間には失望も何も吹き飛び、ただただ驚きで一杯になってしまった。
  そこは、先程小学校へと向かった地点だった。変な所へ飛ばされなかっただけありがたかったが、同じ所をいつまでも回ることになるのではないかと不安がよぎった。私は、再び小学校へと歩き始めた。

 駄菓子屋と文房具屋の横を通り過ぎ、再び小学校への角を曲がる。
「だめだ……」
  また、同じ地点に戻ってしまった。もう何度、堂々巡りを繰り返したか分からない。気持ちは焦るばかりだった。いったいどうすればいいのだろうか。ここは冷静に考えなければ……。
  その時唐突に、本当に唐突にある考えが浮かんだ。いったんその考えが浮かぶと、なぜ今まで思い付かなかったのかと不思議に思えてくる。それほど単純な考えだった。
(戻ればいいのだ!)
  小学校へ向かう道が堂々巡りになっていると気付いてから、とにかく先に進むことだけを考えてしまった。前を見るばかりで、振り向くのを忘れていた。そうだ、先程の中学校への道でも無意識に後ろを見て、小学校へ向かう道にたどり着いたのだ。しかし、後ろを振り向いた時なにが見えるか? これは運を天に任せるしかない。もしかしたらまだ堂々巡りの中にいるかもしれないし、まったく見たことのない所に飛ばされるかもしれない。これは一つの賭けである。とにかく、このままではなにも起こらない。
  私は振り向いた。そしてそこには、すべての予想を越えた光景が広がった。
「ここは……、どこだ? 」

 私は驚いて辺りをぐるりと見渡した。今までの光景は、一目見ただけで記憶がよみがえってきた。しかし、今回は違う。
  私は、広い、はてしなく広い草原に立っていた。見えるのは、はるか遠くの地平線。そしてその前にそびえ立つ大きな山。それだけだった。他には目印になるようなものはなにもなかった。これだけなにもなくては、私の記憶に残っていなくても無理はないかもしれない。しかし、ここにいると心の中がちくちくと刺激されるようだった。子供の頃、まだ小学校に上がる前の本当に幼い頃、こんな風景を見た気がする。それがいつで、ここはどこか? それはまったく分からない。だがデジャヴにも似た感覚が私を徐々に支配していった。
  とりあえず、ここでおとなしくしていては何も始まらない。しかし闇雲に歩き回るのも危険だ。とすれば進むべき道はただ一つだ。私は唯一の目的物である大きな山に向かって歩き出した。
  歩きながら、色々なことを考えた。なにしろ見えるのは草と空と山だけなのだ。ある意味で物事を考えるには最適の場所である。まず気になるのは、ここはどこか? そして、なぜ私はこの場所についてかすかながらも記憶が残っているのか? 更に、この先にはなにが待っているのか? すべてに答を与えてくれるのは、この先にあるはずのなにかだと思う。いや、そう思いたい。この先になにもなければ、もうどうしようもない。今度は振り返ろうとも、どこを見ようとも、同じ風景のパノラマが広がっているだけだ。
  だが、その風景に変化が見られた。今まで聞こえなかった音が聞こえてきた。川のせせらぎの音のようである。私は、知らず知らずのうちに足取りも軽く、歩みを速めていた。

10

 想像通り、少し歩くと川があった。小川というには少し大きいが、向こう岸はしっかりと見える。水面に光が反射し、眩しく輝いていた。私は川に駆け寄り、水に手を浸した。水は冷たかった。顔を洗い、少し飲んでみた。「生き返った気分」というのを、初めて実感した。
  私は川辺に座り込んで、向こう岸を見るともなく見た。ぼんやりとではあるが、誰かがいるようである。目を凝らして見ていると、妙な感じがしてきた。
「あれは、ひょっとして……」
  向こう岸には二人の男女が立っているようだった。二人とも、どこかで見たような気がした。そのうち、徐々に姿がはっきり見えてきた。そして私は確信した。
  あれは私の両親だ。それも私が子供の頃の若い姿の両親である。しかし、いったいこの風景はなんなのだろう? どこかで見たような、それでいて記憶にはないこの風景……。とにかくこの川を渡って、向こう岸に行けばなにかが分かるはずだ。幸いなことに、川は深さ、幅ともに渡れないほどのものではない。
  だがその時、私はなにか嫌なものを感じた。この川は渡るべきではない、自分の中からそんな言葉が浮かんで来た。そして、どこからか別の人間の声。誰かが私を呼び止める。

(ダメ、ダメ、イッテハイケナイ……)

 私は踏み止まった。目の前に自分の両親らしき人物を見ながら戻るのは忍びなかったが、私は決断した。
「ごめん、いつかきっと、また来るから」
  無意識にそうつぶやいて、私は二人に背を向けた。そして目を閉じたまま走り去った。途中何度も転びそうになり、実際に何度も転びながら、それでも私は走り続けた。
  その時、ふと思い出した。あの草原、そして川。あの風景はやはり私の過去の記憶の中にある風景だった。ただし、現実の体験ではない。だからどうしても実感が湧かなかったのだ。
  あれは私が幼い頃夢の中で見た風景とそっくりだった。小学校に上がるか上がらないかの頃だ。急に高熱を出し、生死の境をさまよったことがあった。その時に見た夢にそっくりだった。

11

「……た、き…つ………?」
「…パ、……」
  声が、聞こえる。ここは、ここは……。
  ここは!

  うっすらと目を開いて一番初めに見えたのは、真っ白な天井と二つの人影だった。そして、独特な消毒液の匂いが鼻を突いた。
(ああ、ここは病院か)
  なんとなくそう感じたが、本当に病院なのか、もしそうならなぜこんな所にいるのか、それはさっぱり分からなかった。
「あなた、あなた、気がついたのね!?」
「パパ!」
  また、声が聞こえた。今度ははっきりとした言葉となって聞こえた。この声は……! 意識がはっきりしてきた。先程はぼやけていた人影かはっきり見えた。ああ、
(妻と娘だ……)
  しかし、自分の目に見えるもの、耳に聞こえる音、すべてがばらばらだった。私がなぜ、今の状況におかれているのか、理解することは出来なかった。
「ねえ、僕はどうしてこんな所にいるんだい?」
「あなた、覚えていないの?」
 逆に質問されてしまったが、とりあえず「終電にのっていたことは覚えている」とだけ答えた。その先について話すのはためらわれた。その私に、妻は「これ」と言って新聞を差し出した。一面に大きく書かれた記事と、やはり大きな写真を見て、私は驚愕した。

12

 深夜の惨事、終電脱線事故
  二十日深夜、都内を走る**線の□□駅と△△駅の間の鉄橋で下り列車が脱線した。列車は鉄橋の下の川に転落し、現在までに確認されたところでは死者六名、重軽傷者二十七名。現在も数十名の乗客が行方不明とみられ、救出が続いている。また、この事故の影響で**線は本日始発から上り・下り両線とも不通。復旧の見通しは立っていない。

「これは、僕が乗っていた終電のことなのか?」
「そう。あなた二日間も意識不明だったのよ。でもよかった、無事で……」
  そこまで言って妻は声を詰まらせた。そうか、あれはすべて夢だったのか……。
「パパ、パパ」
  幼い娘が私に笑顔を向ける。私は娘を抱き締めた。よかった、帰って来れて本当によかった。
  その時、何気なくベッドの脇に目を向けて、私は動けなくなった。ベッドの脇に置かれていたのは、水浸しになった私のカバン。そして、水浸しでシワだらけになった文庫本だった。だが私にはそのタイトルがはっきりと見えた。
  『マイナス・ゼロ』と書かれていた。

13

 あの事故から一か月が過ぎ、二か月が過ぎた。私は幸い後遺症もなく、何事もない日々を送っている。しかし、あの夢とも現実とも区別のつかぬ体験は何だったのか、未だに解らない。ただひとつ確かなのは、あの文庫本は間違いなく私のもので、それは自分が中学生だった頃のあの町の、あの古本屋で買ったものとしか考えられない、ということである。

 あの文庫本は、今でも私の本棚で静かに眠っている……。

―― 完 ――


覚書

 この小説の原型は、大学生の頃に書いたものです。1997年か1998年だったと思います。
 この小説を書くにあたっては、広瀬正とジャック・フィニィという2人の作家の影響を大きく受けています。『マイナス・ゼロ』他の広瀬正の小説は集英社文庫で読めます。ジャック・フィニィは、短編集『ゲイルズバーグの春を愛す』(ハヤカワ文庫FT)・『レベル3』(ハヤカワ文庫SF)などがノスタルジーにあふれた小説です。タイムマシンで過去に戻る話や、現在と過去を行き来するような話が好きな人にはおすすめします。
 今読み返すと、文章のつたなさが恥ずかしい部分もありますが、明らかに変な部分を除いては当時のままにしてあります。当時の自分にしか書けなかった文章だと思うので。しかしまあ、昔の自分の考えていたことというのは、なかなか面白いものですね。



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