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ナルシシズム・エゴイズム

木の葉燃朗


一、少女の日記

<六月十七日>
 一週間くらい前から、よく夢を見る。とてもこわい夢だ。どんな夢かというと、わたしがだれかに首をしめられる夢だ。わたしは夢の中で、首をしめられて殺されてしまいそうになる。だから大き な声で「たすけて!」とさけぶ。そうすると、夢からさめる。でも、目がさめてからも息が苦しいこともある。そんな時、わたしは本当に首をしめられていたのではないかと思う。それがすごくこわ い。
 そういうことがあるから、わたしはねむるのがいやだ。でも夜ふかしすると、お母さんが怒る。だからむりやりねむるようにしている。
 今日はこわい夢を見ないでねむれるだろうか。

<六月十八日>
 やっぱり、昨日も夢を見た。でも、昨日のはその前までとは違っていた。昨日は、わたしがだれかの首をしめていた。それがだれかはわからなかった。顔は見えなかったし、声も聞こえなか った。でも、たぶんわたしと同じくらいの年の女の子だろう。なんとなく、そんな気がした。ということは、今までの夢でわたしの首をしめていたのは、わたしだったんだろうか?なんだか、よくわ からない。気持ちが悪いな、わたしがわたしの首をしめるなんて。

<六月十九日>
 昨日は久しぶりに変な夢は見なかった。だから今日は一日元気にすごした。でも、また夢を見るかもしれない。思い切って、今日お母さんに、「なんだか、最近変な夢を見るの」と言ってみた。 お母さんは、
 「あらあら、大変ねえ」
  と、ちっとも大変ではなさそうに言った。きっと、お母さんが心配そうにすると、わたしがもっと心配になると思ったからだろう。そしてお母さんは、
 「いったい、どんな夢を見るの?」
 と わたしに聞いた。わたしは、「だれかに首をしめられたり、だれかの首をしめたりする夢」と言うのはなんだかいけないことのような気がした。うそをつくのはいけないことだ。でも、この時は本 当のことを言うのはもっといけないと思った。だから、
 「よく覚えていないんだけど、変な夢だった。目がさめると全部わすれちゃうんだけど、でも変な夢だったことは絶対わすれないの」
 と言った。お母さんはわたしの話を聞いて、
 「ふーん」
 と言った。そしてお母さんは、変な夢を見ないためのおまじないを教えてくれた。
 「いい?ねむる時にあおむけになって、おなかの上で手を組むの。そのままねむれば、きっと夢は見ないわ。でも、注意してね。その手がむねの上に来てしまうと、こわい夢を見てしまうか ら。これはね、お母さんが子どものころ、おばあちゃんに教えてもらったおまじないなのよ」
 わたしは、「お母さんもこわい夢を見たんだ」と思った。お母さんも首をしめたりしめられたりする夢を見たんだろうか。それとも、そんな夢を見るわたしは変な子なんだろうか。
 なんだか、今日はつかれてしまった。夢を見ないくらいぐっすりねむれるといいな。

 二、少女の心情

 私は、世の中は不公平に出来ていると思う。もちろん、ほとんどの大人たちは「人はみんな平等です」と言う。特に学校の先生は、いじめがある度にそんなことを言う。でも私は、それはす ごく嘘っぽいと思う。「人はみんな平等です」と言っている先生が、授業をして、テストをして、私たちに成績の順序をつけるのだ。それは人を不平等にしていることと同じじゃないのだろうか。 勉強だけじゃない。スポーツでも、普段の生活でも、なにをしていても、私たちはいつでも順番を決められている。それなのに、いじめがあった時や、道徳の時間だけ、先生は「人はみんな 平等です」という。
 私は、「人がみんな平等だなんて、嘘だと思います」と言ってみたい。でも、そんなことは言えない。「人がみんな平等だなんて、嘘だ」というのは、本当のことだと思う。でも本当のことを言 っても、先生は怒るに決まっている。本当のことが、正しいこととは限らない。
 でも、私は、「人間は平等じゃない」と思う。
 例えば、すごい金持ちの家に生まれた子どもと、普通の家に生まれた子どもでは、絶対に違う人生になる。普通の家に生まれた人には、できないことがある。逆に、金持ちの家に生まれ た人にできないこともある。どっちがいいかなんて、わからない。
 でも、今の私にはできないことが多い。それができる人のことは、すごくうらやましい。そんな人たちのことを考えると、やっぱり世の中は不公平だと思う。

 三、少女の日記

<六月二十五日>
 変な夢は、まだ見る。お母さんのおまじないは、あんまりききめがないみたいだ。夢の中では、あいかわらず首をしめたり首をしめられたりしている。それどころか、起きている間もだれかに見 られている気がする。それも、わたしを見ているのがわたしのように思えるのだ。すごく気持ち悪い。夢だったら、起きてしまえば全部終わってしまう。でも、本当の出来事は、いつまでも終わら ない。
 どうしたらいいんだろう……。

<六月二十八日>
 今日、お父さんと色々な話をした。夢のことも、わたしがわたしに見られていることも話した。お父さんは、学校の先生をしている。でも、毎日は学校に行かない。お父さんは、「大学の先 生」だから、毎日学校に行かなくてもいいみたいだ。大学は、頭のいい人が行く学校だから、多分大学の先生はえらいのだろう。だからきっと毎日行かなくてもいいんだ。
 でも、お父さんは家でも勉強をしている。お父さんの部屋には、たくさんの本がある。お父さんの部屋はこわい。天井まである本棚に、ぎっしり本がつまっているからだ。わたしはいつも、その 本たちに押しつぶされてしまうのではないかと思う。だから小さいころはお父さんの部屋に入るとずっと泣いていた。いまはさすがに泣かなくなったけれども、部屋にはあまり入りたくない。
 だけど、お父さんなら変な夢のことやわたしを見ているわたしのことについてなにか知っているかもしれないと思ったので、お父さんの部屋で話をした。
「ほお、そんなことがあったのか」
 と言ってから、お父さんは、
「それはひょっとしたら、『どっぺるげんがあ』かもしれないな」
 と言った。わたしは、「どっぺるげんがあ」というのがなんのことかわからなかったので、「それってなあに?」と聞いた。「どっぺるげんがあ」というのは、外国の言葉らしい。自分に似た人とか、 もうひとりの自分という意味だとお父さんは教えてくれた。それから、「どっぺるげんがあ」に会った人は死んでしまうと言って、わたしをおどかした。
「まあ、死んでしまうというのは昔の人の迷信だよ」
 お父さんは笑って言った。それから、
「でも、自分がもしふたりいたら、こわいだろう?どっちが本当の自分かわからない。本当の自分がわからなくなるというのは、死ぬよりこわいかもしれない」
 と、ちょっと真剣に言った。でもわたしは、本当のわたしはわたしだと思った。そのことを言うと、
「もうひとりの自分も『本物はわたしだ』と言ったら、どうする?それでも自分が自分だという自信を持てるかい?」
 と聞かれた。わたしはわけがわからなくなった。そして、わたしがわたしだと証明する方法なんてあるのかと思って、こわくなった。
「まあ、そういうことを考えるには、この本を読んだらいいんじゃないか?」
 と言って、お父さんは本棚から小さな本を持ってきた。お父さんと話すと、最後には本を読みなさいと言われる。わたしはそんなに本がきらいじゃないけれど、本がきらいな人だったら大変 だろう。
 本は、エドガー・アラン・ポーの書いた本だった。この人の本は「黒猫」とか「モルグ街の殺人」とかを読んだことがあった。お父さんは、本を開いて、「ウィリアム・ウィルソン」と書かれたページ をわたしに見せた。
「この話が、『どっぺるげんがあ』の話だ。ちょっと難しいかもしれないが、読んでごらん」
 それから、わたしはこの小さな字で書かれた本を読むことになった。

四、少女の心情

 双子というのは、どんな気持ちなのだろう。自分と同じ年で、同じような外見の人間がもう一人いるのだ。しかも、中身は同じじゃない。みんな、双子って普通のことのように考えているけ れど、私には不思議だ。きょうだいだって比べられるのに、双子だったらもっと比べられてしまう。私はそれが嫌だ。他の人と比較されて、悪く言われるのは悔しい。同じように、私が他の人 より良く言われるのも嫌だ。私が良く言われる時、悪く言われる人が必ずいるはずだ。その人にうらまれるとしたら、私なんかほめられない方がいい。
 でも、人間は平等じゃない。だれもが同じなら、他の人をうらやましく思ったり嫌だと思ったりすることもないだろう。でも、そんなことはありえない。みんなだれかを嫌いになって、そして同 時にだれかに嫌われて生きていくしかないのだ。
 いっそのこと、私に似ている人が、みんないなくなってしまえばいいのに。

五、少女の日記

<七月五日>
 一週間くらいかかって、「ウィリアム・ウィルソン」を読んだ。とても難しかった。そして、変な話だった。主人公ウィリアム・ウィルソンは、生きているうちに何度か自分にそっくりの人間、つまり「ど っぺるげんがあ」にあう。その「どっぺるげんがあ」は、ウィリアム・ウィルソンが悪いことをすると、それを止めようとする。本当に自分そっくりの人間が出てくるのは不思議だけど、悪いことをした 時もう一人の人間に注意されるというのはなんとなくわかる。マンガなんかでよくある、天使と悪魔みたいなものだ。人が悪いことをしようとすると、天使の自分と悪魔の自分が出てくる。悪魔は 「悪いことをしたって大丈夫だ」と言い、天使は「悪いことはしちゃいけない」という。そして人は悩むのだ。
 でも、お父さんはどうしてこの本をわたしに読むように言ったのだろう。ひょっとして、夢の中に出てきたわたしは、天使のわたしと悪魔のわたしなんだろうか?首をしめられている時が天使 で、首をしめている時が悪魔なのかもしれない。
 わたしだって、嘘をついたりいたずらをしたりすることもある。その時は、悪魔のわたしの言うことを聞いてしまっている。でも、悪いことはしちゃいけないと思うし、なるべくほめられるようなこと をしたいと思う。だからこれからは天使の自分の言うことを聞くようにしたい。だけど、そうしたら首をしめられる夢を見ることが多くなるんじゃないだろうか。それもこわい。
 ……なんだか、よけいにわからなくなってしまった。

<七月九日>
 そういえば、二、三日前から夢を見なくなった。七夕の時に「変な夢を見ませんように」という秘密のお願いをしたのがよかったのかもしれない。でも、だれかに見られているような感じはなくな らない。ひょっとして、夢の中の悪魔のわたしが現実の世界に出てきたんじゃないだろうか。そう考えると、夢よりもこわい。天使のわたしも、夢の中から助けに来てくれないのだろうか。それと も、天使のわたしは悪魔のわたしに首をしめられて殺されてしまったんだろうか。もしそうだったら、わたしはどうなってしまうんだろう……。そして、わたしにはなにかできることがあるんだろうか ……。

六、少女の心情

 やっぱり、私はこの世界に二人もいらない。私とそっくりの女の子が、私より幸せそうにしているなんて、許せない。もう一人の私には、いなくなって欲しい。今の私が幸せかどうかは、関係 ない。まず、私が私であることに安心したい。そのためには、私がたった一人の私であることがどうしても必要だ。
 自分勝手、わがまま、悪い子……。自分でも自分をそう思う。でも、今の私はいい子にしていてもつらい気持ちになるだけだ。……行動するしかない。

七、邂逅

 午後七時。夏場であっても、もう陽は完全に暮れている。彼女は、商店街などのまだ明るくて人通りのある道を選んで、塾からの家路を急いでいた。一人での塾帰りの道には、彼女が「悪魔のわたし」と呼んでいる何者かに見られていると感じることが多かった。今夜も、たくさんの人の中を歩いているのに、一人ぼっちでいるような不安な気持ちがつきまとっていた。
 しかし、彼女の家が近づくにつれその不安感も収まってきた。家まであとわずか、近くの公園を過ぎるところまできた。彼女はいつものように公園の入り口から中を覗き込んだ。公園といっ ても、ほんの小さな空き地にわずかな遊具が備えつけられているだけなので、入り口から全体が見渡せる。
(よし。今日はだれもいない、と)
 公園を通り抜ければ、家までは一分もかからない。だが、夕方以降は人がいる時は通らないようにしていた。ガラの悪い高校生が群れていることがあるからだ。誰かがいれば、足早に公 園の前を過ぎ、少し遠回りになるが住宅街を通って家に向かう。しかし今夜は、誰もいなかった。彼女は駆け足になって、自宅へと急いだ。

 ……その時。
 それまで一つだった彼女の足音が、二つになって聞こえてきた。もう一つの足音は、次第に速度を上げた。それは後ろから誰かが近づいてくることを意味していた。彼女は、なぜか歩み を止めた。なぜそのまま走って逃げなかったのか、彼女自身にも解らなかった。ただ、そこで彼女のとった行動は立ち止まって振り向くことだった。それだけが事実だった。
 彼女が振り向いたその瞬間、大きな塊が彼女にぶつかってきた。その塊と彼女は一緒になって倒れ込んだ。彼女は最初、大きな犬かなにかが飛びかかってきたのだと思った。しかし、今 彼女の上に馬乗りになっているのは、彼女と同じくらいの背格好の人間だった。公園の電燈が後ろからあたっているため、顔ははっきり解らなかった。しかし、荒い呼吸に合わせて揺れる 長い髪、電燈と月明かりに照らされるシルエット、彼女と触れ合っている部分の感触……、そういったものから、今上にいるのは自分と同じ少女であると確信した。そして彼女が次に思った のは、
(ああ……、夢とおんなじだ……)
 ということだった。怖いとも、逃げなければとも思わなかった。ただ漠然と、
(夢とおんなじ場面だ。このまま首をしめられるんだ)
 と思った。そんなふうに考えているうちに、相手の両手は彼女の細い首にかかっていた。しかし、相手の腕も細いため、それほど苦しくはなかった。彼女は本当に不思議な気分だった。な ぜ恐怖心が涌いてこないのか?あれほど怖かった夢の場面。彼女の首を締める、もう一人の「悪魔のわたし」……。そうしたものも、実際に起きてしまうと特になんらの不安をも呼び起こ しはしなかった。むしろ、自分の想像通りに事が運んでいるという安心感さえあった。まるで、彼女がもう一人の自分に首を絞められるのが厳粛な儀式であるかのようだった。だから、彼女はまったく抵抗しなかった。

 いくら相手が細い腕の持ち主である少女だとしても、無抵抗で首をしめられつづけられれば、徐々に苦しくなってくる。彼女は薄れ行く意識の中で、まったく場違いなことを考えていた。 (夢だったら、大声を上げれば目が覚めた。いつも途中で夢は終わった。でも、これは現実だ。現実ではどうなるんだろう?現実は途中では終わらない。それとも、このまま私は死んじゃっ て、現実も終わってしまうんだろうか……。ああ、死んじゃうのは嫌だな……。もっといろんなことがしたかったな……。でも、いいか。それはもう一人の私がやってくれるんじゃないかな… …。)
 彼女の考えは、次第にまとまりのないものになって行った。本を読んでいて眠くなった時のように、たくさんの言葉が何度も頭の中で交錯した。
「おい!なにやってるんだ!」
 そんな声が、突然聞こえた。それから間もなく、彼女の上にかかっていた重みがなくなった。首にかかっていた手も離れた。半ば閉じていた目を開くと、そこには後ろから羽交い絞めにさ れた少女の姿があった。今は電燈の光に照らされて、その顔もはっきり見えた。
(ああ、やっぱり私だ……)
 そこにいたのは、彼女と瓜二つの顔をした少女だった。そのことを確認した途端、彼女の意識は遠く遠くへと落ちて行った。

 八、過去

 むかしむかし……、といっても、わずか十年ほど前のこと。あるところに一組の夫婦がいた。その夫婦には、一つ悩みがあった。妻の体が丈夫ではなく、子どもを授かることができなかっ たのである。そこで夫婦は、ある方法にすがることにした。妻の卵子と、夫の精子を人工受精し、別の女性の体で育てるという方法である。この方法は「代理母」と呼ばれている。
 問題はないはずだった。生まれる子どもは、夫と妻の遺伝子を受け継ぐことになる。他人の卵子や精子で受精するわけではない。生まれる子どもは間違いなく夫婦の子どもである。
 だが、問題が生じた。代理母の中で子どもが成長するにつれ、子どもが双子であることが解った。代理母の若い女性は、二人のうち一人を自分の子どもとして譲って欲しいと言い出した。 彼女の中に、生命を体内に宿した女性だけが持つ、不思議な愛情が芽生えたのだろう。彼女は、譲ってもらえないならば、おなかの中の子どもと一緒に自殺するとまで言いだした。その思 いに気圧されるようにして、夫婦は双子の一人を彼女に譲ることを約束した。
 そして十か月後、二人の女の子が生まれた。姉が「あかり」、妹が「かりん」と名づけられた。二人とも健康で、かわいらしかった。退院後、あかりは夫婦のもとに、かりんは養子として代理 母のもとに、それぞれ引き取られた。

 九、悲劇

 それから十二年。あかりは、両親のもとで幸せに育っていた。一方のかりんも、若い母親のもとで、彼女の愛情を一心に受けて育っていた。しかし、母一人子一人の生活は、決して裕福で はなかった。母親は、かりんを引き取ったことは決して後悔していなかった。しかし、自分達の境遇のつらさについてはいつも嘆いていた。母親は、幼い頃からかりんを抱き締めては、いつ も次のように語りかけた。
「……ごめんね。かりんも、本当のお父さんとお母さんと、それからお姉さんと一緒に暮らしていたら、こんなつらい思いはしなかったのにね。でも、いつかきっと幸せになれるからね。それ までママもがんばるから、かりんもがまんしてね……」
 だが、この言葉はかりんにとっては悪い影響を与えてしまった。物心がついて、母親の言葉が理解できるようになると、かりんは自分を「捨てた」夫婦を恨むようになった。そして夫婦のも とで幸せに暮らしているであろう姉のことも。もちろん、その恨みがただの八つ当たりであることも、恨んだって現在の自分の境遇が変わるわけがないこともかりんには解っていた。そして、 今の母親の愛情も、自分が母親を愛していることも強く感じていた。母と一緒に幸せになりたいとも思っていた。
 しかし、なにか不幸な目に遭った時には、どうしても「あの時引き取られたのが逆だったら」と思わざるを得なかった。そしてその思いは次第に、「双子の姉さえいなくなれば」という危険な 欲望になっていった。成長するにつれ、彼女は自分が不幸なのは姉がすべての幸運を持っていってしまったからだという考えに支配されるようになった。

 かりんはその頃から、母親が仕事に出ている間に「本当の」両親や姉について調べ始めた。母の部屋からそれらしき手紙やメモを見つけ出し、実際に見に行ったりもした。彼女の家族に なっていたかもしれない人々は、電車で三十分ほど離れた町に住んでいた。ごくありふれた家庭の姿だったが、かりんにとっては幸福に見えて仕方がなかった。そして、同時に自分の境遇 がみじめに感じられた。それが彼女にとっては例えようもなく悔しかった。母親との二人暮らしだって、決して嫌ではなかった。彼女のため、そして自分のために懸命に働く若い母親が、か りんは本当に好きだった。「絶対に母と二人で幸せになるんだ」という思いは、かりんの幼い心の中でも大きく育っていた。しかし、父がいて母がいるという家族の姿が、うらやましく思えてし まったのだ。かりんは、そのうらやむ気持ちを悪いことであるかのように感じ、母親に対して申し訳ない思いで一杯になった。
 こうした複雑な感情は、十二歳の少女にとってはまだ心の中で整理できるものではなかった。そのやり場のない感情は、自分と瓜二つの少女、あかりに向けられた。自分とまったく同じ 外見、同じ年の少女が、なにも知らずに幸せに過ごしている。その事実に対する怒りは、かりんの中で抑えられなくなった。
(せめて彼女の生まれた時になにが起きたのかを教えてやりたい。そうすれば、あんなふうになにも知らない幸せそうな顔なんてもうできなくなるはずだ!)
 初めは、あかりに本当のことを話すだけのつもりだった。しかし、その機会をうかがって何度か彼女をつけるうち、
(私があかりになったら……)
 ということを考えるようになった。彼女に事実を打ち明けても、なにも変わらない。あかりの人生には、なんらかの影響は与えるだろう。しかし、かりんがそれで幸せになれるわけではない。 それならば、いっそかりんがあかりになってしまえばいいと思った。「あかりがいなければ」というこれまでの思いと相まって、彼女はあかりを殺害することを考えるようになった。
 かりんのそうした気持ちが伝わったかのように、あかりは奇妙な夢を見るようになった。「自分が自分に殺される」。そんな夢の記憶とともに、誰か(それは明かりが考えたとおり、「もう一 人の自分」であるかりんだった)に見られているという現実の記憶を、あかりは日記につづり続けた。またかりんも、外に出すことさえしなかったが、自分の心の中でさまざまな心情を抱いて いた。
  しかし、二人の少女の思いは周囲に届かなかった。

 ……そして。
 ある月の晩。人通りのない公園で、かりんはあかりの首を絞め、殺そうとした。しかし、その試みは成功しなかった。かりんはかりんであり、あかりはあかりだった。それぞれに、代わりの 人間なんていない。二人を目撃した一人の会社員によって、かりんは抑えられた。気絶したあかりのために救急車が呼ばれ、彼女の両親とかりんの母親がやってきた。
  こうしてひとつの悲劇が幕を閉じた。

十、独白
 この物語がどんな結末を迎えるのかは、読者が決めればいい、と思う。ハッピーエンドを想像するのは難しいかもしれない。しかし、ハッピーエンドなんて安っぽいものだ。安易な結末を考 えてみればいい。きっとハッピーエンドになる。そして、それより安易な結末を考えると、きっと悲劇的な終わり方にたどり着く。
 だから僕は、どちらの結末も用意しない。二人の少女とその家族について語ることは、この物語の目的じゃない。僕が語りたかったのはただ一つ。最後にその文章を書いて、この不思議な お話に終止符を打とう。
 ――人はいつも、ナルシシズムとエゴイズムの危ういバランスの中で生きている。

―― 完 ――


あとがき 「ナルシシズム・エゴイズム」 2000年夏 執筆
 しかしなんというか、嫌な話です。もっと悲しくて美しいホラー小説が書きたかったのですが、私にそこまでの才能はありません。せいぜいこのくらいの悪趣味で意味不明な話が精一杯で す。
 影響を受けたのは、作中にもあるとおりエドガー・アラン・ポー「ウィリアム・ウィルソン」です。私が読んだのは岩波文庫の『黒猫・モルグ街の殺人』の中に収録されていたものです。この本に は「盗まれた手紙」なども収録されていますので、ポー入門編としてはおすすめです。
 それから、登場人物の「あかり」と「かりん」の名は旧約聖書の「アベル」と「カイン」から取りました。これは、この小説の裏テーマが「きょうだい殺し」であることからきています(表のテーマはも ちろん「ドッペルゲンガー」)。
 また、「代理母」をテーマにしたミステリーは今では結構あるので、この小説は二番煎じという印象があるかもしれません。しかし、私がこのテーマを一番最初に考えたのは1997年のことで した。当時、大学の民法の講義で、「人工授精や代理母で生まれた子どもの相続権」を考えた時に、この小説の骨組みも思いつきました。当時は「これは斬新だ!」と思ったものです。それ だけに人工授精、代理母をテーマにしたミステリーやホラーが出版されたときには「ああ、やられた!」と思ったものでした。
 ……いまさらなにを言っても仕方ありませんが。
 最後にもうひとつ。ラストの「十」の「無駄に気取った文章を書く癖」は直したいとは思っているのですが、なかなか直らないなあ。


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