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世界の終わりを見る時は、きっとこんな気分なんだろう

木の葉燃朗

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連載第一回

「あと三か月もたねえかもしれねえぞ、ここ」
 カウンターに缶コーヒーを置きながら、雁津(がんつ)さんが言った。「…まじっすか?」
 コーヒーに手を伸ばすことも忘れ、俺は呆けたように言った。読みかけの本のページがぱらぱらとめくれるのを止めることさえしなかった。
 あくまでも噂として、そんな話は聞いていたものの、いざ雁津さんの口から直接聞くと、「そうなのか」という思いが強く襲ってきた。「ああ。まだ決まったわけじゃないが、七対三で危ないらしい」
 そして雁津さんは、ため息とともに周囲を見渡した。人は一人もいない。平日の昼間とはいえ、いくらなんでも寂しすぎる風景だった。「そうしたら俺もクビかなあ…」「まあ、まだ閉鎖するかも決まってないうちからそんなことまで考えなくていいよ。それにあきちゃんはうちの店に雇われてるわけだから、別の売り場に行くかもしれないし、ここが閉まった後にできた施設でそのまま働いてもらうかもしれないし…。まあ、やめようや、こんな景気の悪い話」
 そう言うと、雁津さんは一方的に話を切り上げてしまった。俺は、ここが閉まるんだったらそれをきっかけにやめよう、と思っていた。たしかに形としては、俺はこのスーパーマーケットに雇われている。でも、俺が働いているのはあくまで「ひばりが丘遊園」だ。
 だがこんなことを言えるのは、俺が根無し草のようないいかげんな生活をしているからだろう。そう、例えば雁津さんは? 雁津さんは正社員である。しかも、施設のメンテナンスと、施設の安全管理を行う専門職だ。ここが閉まったとき、雁津さんの専門性が生かされる場所はない。いくら規模が大きいとはいえ、スーパー「リブス」はひばりが丘の駅前にしかない。他の店の遊園施設で働くわけにはいかない。しかもアルバイトのように、「じゃあ他の仕事でもするか」というわけにもいかない。背負ってるものが違うのだ。
 まあ、俺がそんなことを心配しても仕方がない。どうなるかわからない3ヵ月後のことよりも、日々の仕事のことを考えなくてはならない。「まずは俺が大物をチェックしてくるわ。その後カウンターでつり銭確認するから、その間にあきちゃんは筐体のチェックしてくれ」「わかりました。じゃあ雁津さんが大物やってる間に、両替機を見ときますね」
 ひばりヶ丘遊園には、都心のデパートの屋上に比べても自慢できるものがある。俺たちが「大物」と呼ぶコーヒーカップとメリーゴーラウンドだ。普通の遊園施設なら、一定のスペース内で走らせる電気自動車だとか、ぐるぐる回るミニチュアの電車くらいが関の山だろう。しかし、ここには小ぶりとはいえ遊園地にあるような遊具がある。オープンした頃――俺が生まれるより十年近くも前だが――には、話題になり、行列ができたらしい。
 しかし、今じゃ珍しくもない。都心の遊園地に行けば、もっと大きくて派手なジェットコースターやら観覧車やらがある。じゃあ、もうひとつのビデオゲームの筐体はといえば、これも大きなゲームセンターに比べたら見劣りする。最新鋭の様々なゲームをそろえたゲームセンターには勝てない。
 要するにどうにも中途半端なのだ。昔は、たくさんの楽しいことが詰め込まれた空間だったのだろう。しかし、今はなんとも寂しい。
 …そんな場所で、俺は働いている。

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連載第二回

 その夜、俺は久々に雁津さんと酒を飲みに行った。それ自体は、珍しいことじゃない。でも、俺の方から、「雁津さん。よかったら行きませんか?」
 と言ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。それでも雁津さんは、「そうか、今日はあきちゃんのおごりか」
 などと言いながら、やけに楽しそうに了解してくれた。
 駅前にある居酒屋「鳥吉」が、雁津さんと俺の行きつけだった。大きな店ではないが、うまい焼き鳥とうまい焼酎で一杯やれるので、だいたいここに通っている。「雁津さん、実は、教えて欲しいことがあるんですよ」
 テーブルに焼酎のお湯割りを置いて、俺が話を始めた。「なんだ。俺にわかることだったらなんでもいいぞ」
 砂肝の串を口元に持っていきながら。雁津さんが答えた。「いやあ、実は俺、ここのことあんまり知らないなあと思って」「ここって、ひばりが丘のことか」「ええ。ひばりヶ丘遊園だけじゃなくて、街のこともよく知らないなあと思って」
 雁津さんは、「同じの、もう一杯」とウーロン茶割りのグラスを持ち上げてから、俺の方に向き直った。「あきちゃん、ここに住んで何年になる?」「ちょうど、来月で5年と半年ですね」
 自分で言ってから、少し驚いた。もうそんなに時間がたっているのか……。「そうか、もうそんなになるか。そういえば、最初にうちに来たときはまだ学生だったもんなあ」
 雁津さんも懐かしむように言う。俺は大学入学と同時に、このひばりが丘で暮らし始めた。俺の通う学部が、ちょうどひばりが丘に新しい校舎を作った。そんな偶然と言ってもいい理由からだった。そして入学と同時に、ひばりが丘遊園でアルバイトを始めた。あの頃は、大学を出たら当然この街も出て行くつもりだった。しかし、根が生えたように、俺は卒業から1年以上経ってもこの街にとどまり続けている。「しかし、5年程度じゃ、もうほとんど今のひばりが丘しか知らんよなあ。あきちゃんのいた大学ができたのが、一番最近の大きな出来事だったしなあ」
 たしかに、俺がこの街に来てから、大きな変化はない。小さな変化はいくらでもあるが、一目見て「街が変わった」と思えるような変化はなかった。
 雁津さんはグラスに口をつけて、おしぼりで両手を丁寧に拭いた。そしておもむろに話し始めた。「ひばりヶ丘ってのは、駅からできた街なんだよ」
 30年近く前、東京の都心から西に向かって伸びる私鉄が開通した。ひばりが丘は、その私鉄の下り電車の終点、都心から各駅停車で30分くらいのところにある駅だった。「最初はなんにもなくてなあ。駅前のマンションと、少し歩いたあたりにできかけていた分譲住宅くらいしか建物がなかった。そこに、『キタダヤ』ができたんだな」
 「キタダヤ」というのが、今俺たちが働いている「リブス」の前身になったスーパーである。「まあ、食料品と日常品を並べただけの普通のスーパーだったが、そこに簡単な遊園施設を作った。それが今のひばりヶ丘遊園のもとだよ」「ふうん。でも、そういう土地があるんだったら、駐車場でも作りそうなもんですけどね」「そうだなあ。ただ、当時は『キタダヤ』しかなかったからなあ。わざわざ遠くから車に乗って来る人は少なかった。むしろ、電車に乗って近くの駅から来たり、なによりこの街に住み始めた人たちのためのもんだったんだよ。それに……」
 そこで一旦話を止め、グラスに口をつけ、イカの塩辛を口の中に放り込む。俺はグラスに口をつけず、運ばれてきた肉じゃがにも手をつけず、話の続きを待った。「当時はレジャーって言葉が使われ始めた頃で、休みの日になると、こぞってどこかへ出かけるようになった。しかし、いつもいつも遠出するのは金も時間もかかって大変だ。そこで、身近なところで楽しめるように、という考えもあったらしい。当時の経営者にな」「なるほど……」「その後は街に人が集まりだして、そうなると色々な建物ができてくる。そうして徐々に今のひばりが丘ができたわけだ。ただなあ、そうなると今度は昔からあるものがだんだん古くなってくる。『キタダヤ』も、名前を『リブス』に変えて、中身も変えた。平屋だったのが3階建てになって、遊園も屋上に移動した。でも、古くなるもんは古くなっちまうんだよ……」
 そこまで一気に言ってから、雁津さんは急にばつが悪そうな顔をして、「ここで俺とあきちゃんがぐたぐた言っても仕方ねえやな。とにかく、俺たちは俺たちにできることをやる、と。そういうことだ」「そうですね。でも、ありがとうございました」
 俺は思わず雁津さんにそう言っていた。「どうしたんだよ、改まって」「いやあ、この街にも色々なことがあったんだなあと思って……。俺、そういうのなんにも知らないで過ごしてたから」「なあに、若いうちはそんなもんだ。昔を懐かしむようになっちゃ、もう年だよ」
 雁津さんは、グラスに残っていたウーロン茶割りを一気に飲み干した。「さあ、明日も仕事だ。もう一杯ずつ飲んで帰ろうか」
 そう言われて、俺もわずかにグラスに残っていたお湯割りを飲み干した。

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連載第三回

 ひばりヶ丘遊園の客は、少ない。まあ、別に基準はなく、俺がそう思っているだけなのだが。それでも、駅前の中規模スーパーの屋上にある遊園施設としては、どう贔屓目に見ても客は少ない。
 それだけに、顔なじみの客も増えてくる。顔なじみという言い方も変だが、「ああ。あの人、また来てるわ」と思う人は何人かいる。
 そのうちの一人が、今日も来ていた。

 ……まず、ポケットから500円玉を出して、両替機に放り込む。新500円玉の場合は、見事に10枚の50円玉になって戻ってくる。旧500円玉なら、残念でした。同じコインが一枚、「カラーン」という音を立てて、返却口で踊る。すると、その500円玉を握りしめて、俺のいるカウンターにやってくる。「すいません、全部50円玉にして下さい」
 俺は50円玉を5枚ずつ重ねて、2本の塔をカウンターにつくる。その1本を取って、5枚あることを確かめ、ポケットに入れる。そしてもう1本も同じように確かめ、今度は4枚をポケットに入れる。そして1枚は握りしめたまま、50円玉でポケットをぱんぱんにして、お目当てのゲーム機に向かう。
 俺はカウンターに置かれた、握りしめられてぬるくなった500円玉をレジの中にしまう……。

 多分、小学生だろう。そこそこおとなしそうで、そこそこがさつそうな、最近はあまり見ないタイプの子どもだ。だいたい、1人でここに来ることが変わっている。子どもだったら親に連れられるか、何人かで連なってやってくるのがほとんどだ。しかし、その子どもはいつも1人だ。見ていると、色々な想像が浮かんでくる。

 親はスーパーで買い物をしている間、子どもを屋上へ追いやっているのだろうか。それともそばにある美容室に行っているのか。もしかしたら親はここで働いているのかもしれない。だが、5時前には帰っているから、違うか。いや、パートさんだったら、それくらいに終わる人もいるはずだ……。しかし、小学生が500円を持って歩くというのは大金じゃあないのか。無論、1日分のこづかいではないだろうが。そういえばあいつ、どのくらいの割合で両替してたっけ……。それで1日いくらくらい使っているかわかるよなあ。そうそう、1日500円といえば、俺も大学時代にそんな過ごし方をしたこともあったっけ……。

 どうでもいい想像だけに、どこまでも果てしなく広がっていく。我に返って子どもを見ると、いつものビデオゲームに熱中していた。俺にとっては非常に懐かしいゲームだ。もう10年以上前のシューティングゲーム。戦闘機で空から襲い掛かる敵を打ち落とし、地上から攻撃してくる砲台をミサイルで撃墜する。単純な内容と、単純な操作方法。そして単純な音楽。それなのにいつまでもいつまでも遊んでしまう。俺は「あの頃だったから夢中になれた」と思い込んでいた。今はもっとすごいゲームが、家のゲーム機で遊べるのだ。ゲームセンターまで、ましてや古びたゲーム機の多いここまで足繁く通うのは、理解できなかった。
 だが、そうではないのかもしれない。単純な遊びには、原始的だがそれゆえに魅力的な快楽があるのかもしれない。小難しいことを考えるつもりはないが、筐体の前で集中している子どもを見ると、そんな風に思う。
 そういえば、なぜあのゲームはいつまでたってもここにあるのだろう? 前にふとそんなことを疑問に思って、雁津さんに聞いたことがあったっけ。

「そりゃあ、基盤を買い取っちまったからなあ」「買い取った、って、どういう意味ですか?」「ゲームはよ、普通はレンタルするもんなんだよ。だから、時々業者がきて中身を替えていくだろ。古くなった奴や、回転率の悪い奴は、新しいのにしてもらうのさ」「ふうん。でも、これは買い取ったんですか」「そう、中古だけどな。昔あんまり人気があったんで、レンタル料を払い続けるより買っちまった方がいいと思ってな。今ではあんまり売上もないが、捨てちまうわけにもいかねえし。それに、これは十分元を取ったゲームだから、俺も置いておきたいんだよ。労をねぎらうじゃないけどさ」

 以来、このゲームは片隅でひっとりとではあるが、今も現役で動き続けている。プロ野球に例えれば、「いぶし銀」と呼ばれるベテランが、ベンチの隅に陣取るようなものだ。そうして、昔ものすごく流行したことを知らない子どもが、夢中になって遊んでいる。
 しかし、夢中に遊んでいるだけに、だんだんとうまくなっている。そのことは、ゲームの音だけでもわかる。
 このゲーム、自分の操縦している戦闘機が敵の攻撃にやられると、「バーン」という音がする。わりと大きな音なので、やられるとすぐわかる。その間隔が、徐々に長くなっていく。最近じゃ10分以上も敵にやられずに続くこともある。俺はそんな単純な電子音のリズムを聞きながら、客の少ない周囲を見つつ、今日も読書にふけっていた。

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連載第四回(2002.10.13)

 今日は久しぶりに、家でパソコンの前に座っていた。店は月に一回の定休日だ。他の売り場の人たちは、棚卸があったり商品の並べ替えがあったり、まあ色々あるようで出勤する人も多いらしい。しかし、アルバイト、パートはだいたい休みになる。特にうちの場合は、マシンのメンテナンスも普段から行っているから、定休日に特になにをするわけでもない。雁津さんは仕事の場合もあるが、俺はいつも休みだ。
 休みの日といっても、いつもいつもどこへ出かけるわけでもないし、なにをするでもない。金も暇も、中途半端に持っていない俺にできることは限られるし、たいていの用事は駅周辺で住んでしまう。今日も、昼近くに起きて、駅から少し離れた幹線道路沿いのスーパーマーケットみたいな古本屋(新古本屋と呼ぶらしいが)をうろついて、帰りに駅前の商店街で朝昼兼用の食事のための惣菜を買ってきて、食事をしたところだ。
 今の時間は午後三時すぎ。なにかをするには遅すぎて、このままなにもしないで一日を終えるには早すぎる時間だ。テレビをつけても、平日のこの時間には頭の悪い人間がつくった頭の悪い人間向けの頭の悪い番組を見せられるのが関の山だ。かといって古本屋で買ってきた本に手が伸びるでもなく、昼寝をするには寝すぎている。俺に残された選択肢は、パソコンの電源を入れることくらいだ。
 パソコンといても、そんなに性能がいいものではない。買ったとき既に、少し型遅れだった。それだけにずいぶん安くなっていたのを、友人に薦められて買った。まあ、ワープロ代わりにしか使っていないので、支障はない。その前に使っていたワープロ専用機は、中学生の頃に親父から譲り受けたものだった。かれこれ十年近く頑張ったが、本体そのものはおろか修理用の部品まで生産終了になり、故障しても直してもらえず、残念ながら使えなくなってしまった。言い回しは少しおかしいかもしれないが、手になじんだワープロだったので本当に残念だった。というわけで、その壊れたワープロは今も俺も部屋の押入れにしまってある。
 まあ、型遅れとはいえ、このパソコンもなかなか快適だ。友人によると、買った時と同じ金を今出せば、この倍くらい性能のよいものが買えるらしい。それだけ技術の進歩が早いということだが、機械の進歩にこっちがあわせるつもりはない。
 パソコンで俺がなにを打ち込んでいるのかといえば、小説である。小説を書くようになったのは、自分で本を買って読むようになったのとほぼ同時だった。ちょうど高校に上がった頃だ。通学の電車で本を読むようになり、自分でも書いてみたくなった。以後、現在まで細々とではあるが小説を書くという趣味は続いている。そんなものを書いてどうするのかといえば、友人が作成しているホームページに載せてもらっている。特に締め切りもなく、書けたらフロッピーディスクに保存して、友人に渡す。それを掲載してもらい、なんらかの感想がくれば、それを印刷したものをもらう。そんなことを学生時代から続けている。
 今なら、電子メールで文章をやり取りするのが普通なのだろうが、俺のパソコンはインターネットにつながっていないし、電子メールもできない。だから、いまどき珍しくフロッピーディスクでデータをやり取りしている。話によれば、最近はフロッピーを読み込む装置がついていないパソコンもあるらしい。フロッピーでやりとりする程度の大きさのデータは、メールでやり取りすればよいということだろう。
 しかし、フロッピーでのデータのやり取りも、特に不便と思わないので、しばらくはインターネットに接続するつもりはない。

 色々なことを考えつつ、小説を打ち込んでいた。今は推理小説を書いている。読む本のジャンルが決まっていないので、書く小説も、特定のジャンルに当てはまるものではない。しかし、偶然トリックが思いついたので、そのトリックを使って短い推理小説を書いてみようと、今は思っている。
 少し書いては考え、また少し書いては、部屋にある本をぱらぱらめくる、などということをしていたら、夕方になっていた。夕飯にはスパゲティをつくって食べる。それほど上等なものは作れないので、茹でたスパゲティとたまねぎ、ソーセージを一緒に炒めて、トマトケチャップで味付けし、喫茶店で出てくるナポリタンのようなものをつくる。
 夕食後も引き続き小説を書いていたが、適当なところで切り上げ、昼に買ってきた文庫本を読んでいた。

 こうして、いつもとあまり変わらない俺の平凡な休日は終わっていった。明日はまた仕事だ。

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連載第五回(2002.12.30)

 その日も、ひばりが丘の客は少なかった。少しずつ暖かくなる陽気が、客の少ない寂しさを一層強く感じさせる。そんな午後の太陽の下、俺は今日もカウンターの中で本を読む。
 その時、売り場から続く階段を上ってくる人影が見えた。「ああ。あの子だ…」
 下の階にある本屋に勤めている女性だ。服装は私服だが、青地に「Booksビブリオ」と白く書かれたエプロンで、店員であることがすぐにわかる。しかし、「Booksビブリオ」というのは妙な名前だ。「ビブリオ」というと、コレラや腸炎ビブリオなどの菌を思い浮かべる人もいると思うが、ここでいうビブリオは聖書、そして書物一般を表す言葉である。そのように聞けば、書誌学を意味するビブリオグラフィーや、愛書家を意味するビブリオマニアなどの言葉を思い出す人もあるだろう。
 つまり、「Books」も「ビブリオ」も、同じことを別の国の言葉で言い表したものに過ぎない。だから俺はその本屋へ行くたび、そしてあのエプロンを見るたび、「魚フィッシュ」という名前の魚屋だとか、「レストラン食堂」といった名前の食堂を思い浮かべては、内心にやにやしているのである。
 しかし、そのエプロンはともかく、それを身にまとった女性の方はなかなか魅力的である。あくまでも見た目の年齢から推理したに過ぎないが、この近くにある大学に在学中といったところだろう。もしそうだとすれば、アルバイトをしているということは地方から出てきてひとり暮らしなのかもしれない。そう考えると、なんとなく、知らない土地に出てきたばかりの人が持つ緊張感をかもし出している気がする。
 顔にも化粧っ気はないが、それでも彼女は俺にとって好感を抱かせる雰囲気を持っていた。長くて黒い髪がその理由だろうか。茶色はもちろん、赤や金色も珍しくない最近の女性の髪の色だが、彼女は真っ黒で長い髪をしていた。
 まあ、俺が好感を持っているのは、彼女が休み時間になるとよく屋上に上がってきて、いつも本を読んでいることも一因かもしれない。このスーパー「リブス」の屋上にある、通称「ひばりヶ丘遊園」で本を読んでいる。それだけが今のところ俺が知っている俺と彼女の共通点だが、そのささいな共通点が、彼女に対する根拠のない親近感を俺に抱かせていた。
 彼女はいつものベンチに腰をかけ、エプロンのポケットから文庫本を取り出した。ちょうど、レールの上をぐるぐると回る電気機関車の前にあるベンチだ。俺のいるカウンターからは、はす向かいの位置になる。俺は、本を読む合間合間に、彼女の姿をちらちらと眺めていた。

 その時である。おそらく幼稚園に上がるか上がらないかであろう、まだ小さな男の子が、彼女のいるベンチに近づいてきた。そして彼女のジーパンをつかんだのである。「かあちゃん」
 たどたどしいが、その子はそう言って、彼女のジーパンをつかんだ手を振る。彼女はどうすればよいのかわからず、文庫本を握ったままおろおろとしている。こういう時に対応するのが、俺の仕事だ。読みかけの本をカウンターにふせて、二人のもとに駆け寄る。「ぼくは、どうした?」
 しゃがみこんで、子どもと同じ目線になるようにし、話し掛ける。「かあちゃん」
 同じようにつぶやき、先程よりも強くジーパンをつかむ。まさかとは思ったが、そのまま子どもから彼女へ目線を上げると、彼女はおどおどと首を振った。どうやら驚きの中で、自分はこの子の母親でないことを表現しているらしい。「そうか、かあちゃんか」
 子どもに言って頭をなでると、「かあちゃん」
 となおも繰り返す。これ以上この子と話してもらちがあきそうにない。本当の母親を捜したほうがよさそうだ。このくらいの年の子がひとりで歩き回ることは、まずないだろう。そう思ってあたりを見回す。すると、売り場から続くエレベーターが開き、その中から、まだ若そうな女性が二人出てきた。ひとりは、赤ん坊の乗ったベビーカーを押している。女性のうち一人がこちらに気付いたようで、歩みが速まる。ベビーカーを押していない女性は、最後の方は駆け寄ってくるように、こちらにやってきた。「ああ、ゆうくん。よかったわあ」
 女性が子どもに声をかける。子どもはさっきまでジーパンをつかんでいた手を離し、しゃがみこんだ彼女に、「かあちゃん」
 と言って、抱きついた。女性は安心したように、自分の息子を抱きしめた。それから子どもの手をしっかり握ったまま立ち上がり、「すみません。ありがとうございました。この子ったらちょっと目を離したすきに……」
 と、俺と、先程まで子どもにジーパンをつかまれていた彼女に対して言った。俺は、「いやあ、よかったです。迷子にならなくて」
 と答えた。しかしジーパンをつかまれた彼女は、立ち上がったもののなにも言わずにうつむいていた。俺はその場をとりなすように、再びしゃがんで、子どもの頭をなでながら、「もう勝手にかあちゃんのところを離れるなよ」
 と言った。子どもはそれが解ったような解らないような顔をして、母親の後ろに隠れてしまった。そんな様子を見てみんなが軽く笑った。それをきっかけにするように、「それじゃ、本当にすみませんでした」
 と、若い二人の母親は再び、今度はゆっくりと、下の階へ向かうエレベーターに向かって歩いていった。

「あ、あの…」
 二組の親子連れを乗せたエレベーターのドアが閉まった後、彼女が小さな声で言った。「あ、ありがとうございました」「え? ああ。こういうことも仕事だから。まあ、あまり気にしないでよ」
 そう言ってカウンターへ戻ろうとした俺に、「いつも、いますよね?」
 彼女は小さい声ながら、なおも話し掛けてきた。はじめ、なんのことかわからなかったが、俺のことを言っているのだと気がついた。そこで、「うん。ここが俺の仕事場だからね。それに、あなたのいる本屋さんと違って、ここ、社員の人と俺の二人しかいないんだよ。だから、いつもいるように見えるかもしれないな」
 と、俺は何気なく答えたのだが、彼女は驚いたように俺のことをじっと見た。「知っているんですか、私のこと?」「いやいや、でもほら、あの店のエプロンしてるから。俺、結構行くんですよ、本買いに。だから」
 そう言うと、彼女は安心したような表情をした。たしかに、知らない人間に自分のことを言われると驚いてしまうだろうなあと思った。しかし、あんなに驚くとは思わなかった。あのエプロンは本屋にとっては制服みたいなものだと思うが、着ている人にはそうした意識はあまりないのだろうか。
 そんなことをぼんやり考えていたら、妙な間が空いてしまった。このままふたりとも突っ立っているのも変なので、「ここ、屋上の遊園地のわりにあんまりにぎやかじゃないけれど、嫌じゃなければこれからも来てよ。やっぱり、人がたくさん来てくれる方が俺もうれしいし」
 そう言って、俺はふたたびカウンターへ戻ろうとするしぐさを見せた。すると彼女も、「はい。私、そろそろ休憩終わりなんで、戻ります。あ、私、これからも、来ますから。よろしくお願いします」
 そう言って、階段の方へ戻ろうとした。俺は、「うん、じゃあ、また」
 と声をかけた。

 たいしたことではなかったが、その日はずっといいことがあったような気分だった。

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連載第六回(2003.12.2)

 時間はゆるゆると流れていた。雁津さんから、このひばりが丘を閉めるかもしれないと言われたのは、いつだったろうか。閉鎖するかもしれないと聞かされてからも、特になにができるわけでもなく、かといって不安な気持ちだけは常に抱き続けているような、そんな状態のままずいぶん長い日々を過ごした気がする。
 だが、雁津さんからここの今後についての話が出ることはなかった。俺も、雁津さんにあえて聞くのはためらわれた。そんなふうにして、今までと同じようでありながら、今までとはなにかが違うような雰囲気で、俺たちは働いていた。

 相変わらず客は少ない。また、訪れる人々は決まった顔がほとんどだ。だから、その日エレベータから出てきたスーツ姿の男には、ちょっと違和感があった。その男は、周囲をぐるりと見渡して、俺たちを見つけるとまっすぐに駆け寄ってきた。 「雁津主任、ちょっと」
 そう言ってスーツの男は雁津さんを呼んだ。なんだか、神経質な性格が体中からにじみ出ているような男だ。そういえば俺が高校生の頃、あんな感じの数学教師がいたなあ。
 雁津さんと数学教師ふうの男は、しばらく立ったまま話していた。そんなに深刻そうには見えない。雁津さんは俺と話している時と同じように見えるし、数学教師ふうも表情を変えずに話している。しかし、あの数学教師はきっとこのデパートの本社の人間だろう。雁津さんを「主任」なんて肩書き付きで呼んでいることからも、その可能性は高い。そういう人間がここに来ること自体が珍しい。なにかあるはずだ。
 しかし、ひばりが丘にスーツというのは似合わないなあ。やることがなくて時間をつぶしている営業マンみたいだ。そんな人が本当にいるのかわからないけれど。

 そんなことばかり考えていたので、読んでいた本は何度も同じ行を繰り返していた。いつの間にかスーツは姿を消していて、雁津さんがこちらに向かって歩いてきた。「どうしました、がんつしゅにん?」「よしてくれよ、あきちゃんまで」
 俺のおどけたような言い方に、雁津さんは笑いながら答えたが、目はいつものように笑っていなかった。どちらかといえば、これまで俺が見たことのないような厳しい目をしていた。 「どうしたんです? なにかあったんですか、雁津さん」
 俺はおどけるのをやめて、もう一度雁津さんに聴いた。「ああ、とりあえず、機械のメンテを先にやろう」
 雁津さんは俺の質問には答えず、先ほどまで続けていた遊具のメンテナンスを再開した。俺もそれ以上なにも言わず、ゲーム機のメンテナンスを行う。

 一通りのメンテナンスが終わった頃、雁津さんは俺に缶コーヒーを渡してくれた。二人とも、黙ってコーヒーを一口飲む。「さっきの男なあ、本社の人間なんだよ」
 雁津さんはひとりごとのようにつぶやいた。「なんか、そんな感じはしてましたよ」「まあ、こことか、それから店のまわりにある自動販売機だとか、その辺を担当している部署の人間なんだよ、あいつ。たしかどっかの商社から、うちに転職してきたかなんかで。まあ、入った当時から知っている、結構長い付き合いになるなあ」
 雁津さんは、わざとあまり関係ないような話を続けた。俺は、「あの人となにを話してたんですか」と聞きたかったが、なんとなくそれができない雰囲気で、ずっと黙っていた。「あきちゃん、リースって分かるか?」
 突然聞かれて、俺は「へ?」とまぬけな甲高い声を上げてしまった。「リースって、会社が机とかパソコンとか借りる、あのリースですか?」「そうだ。これは、前にも話したかも知れないけれど、ここに置いてある遊具だとか、ゲーム機だとか、ほとんどがリースだ」
 その言葉を聞いて、思わずぐるりとひばりが丘の中を見た。古びたメリーゴーラウンドやコーヒーカップのような大きな遊具から、100円を入れるとしばらくその場で前後に揺れる一人乗りの小さな自動車のような小さな遊具、さらにはビデオゲームの入った筐体や、ずっと前からあるもぐらたたきのようなゲーム。これらはほとんどが、借りているものだ。分かってはいたけれど、改めてそう思ってみると、なんだか急に寂しい気持ちになった。それは、次に雁津さんが言うであろう言葉を予想していたからからもしれない。「今後、リース契約が切れた遊具は、もう契約更新しないそうだ」
 雁津さんは静かにそう言い、俺も静かにそれを聞いた。「それから、新しい遊具やゲームの導入はしない。そういうことだそうだ、会社の考えは。さ、そろそろ今日も閉店だ。あきちゃん、ゲーム機の方から、電源落としてくれ」
 さっきまでのしずかな様子とは変わって、いつもどおりの声で雁津さんは言った。俺はそれにしたがって、閉店の準備をはじめる。でも、自分の心がそこにないような気分だった。さっきの雁津さんの話を聞けば、俺だってどういうことが起こっているのか理解できる。

 ひばりが丘が終わる時が、やっぱりやってくる。そんな現実を突きつけられた。自分にはどうすることもできない、既に決まったことが、この先に待っている。

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連載第七回(2004.5.4)

 天井を眺めていた。木目に沿って、視線を動かしていく。子どもの頃の迷路遊びを思い出しながら、ぼんやりと道筋を辿っていく。「うう、気持ち悪い」
 気がまぎれるかと思ったが、逆効果だった。半分這うようにして台所まで行き、流しの蛇口からコップに、そして口の中へと水を移動させる。一口目は口の中をすすいで吐き出す。二口目はちょっと飲み込む。三口目は、飲もうと思ったが途中で止めて吐き出す。
 気分も悪かったが、頭も痛い。酒を飲むのは嫌だと、こういうときは心底思う。再び這うようにして布団へ戻る。しかし、目をつむっても眠る気にはなれない。かといってなにをする気力もない。仕方ないので、また天井の木目をぐるぐると眺める。
 その途中、ふとカーテンに目が止まる。漏れてくる光から、もう昼近いことがわかる。時計を見るのもおっくうなので、力まかせにカーテンを引きあける。飛び込んでくる光。「うわー、まぶしいー!」
 ふとんの上でのたうちまわりながら叫んでみる。我ながら馬鹿みたいだが、ちょっと気分が楽になった。そうすると、昨日のことが思い出されてくる。同窓会とはいえ、久々に相当飲んだ。自分でも不思議だった。

「しかし、おまえはうらやましいよ」
 そう言ったのは、証券会社だか保険会社だかに入社した男だった。名前は、たしか相沢だったと思う。相川かもしれない。まあ、どっちだっていい。その程度にしか知らない男だ。そんな男が、いきなり俺に向かって言った。「へえ、どこが。時給960円で将来の保証もない生活だけど」「だって、自由だろうが」
 俺が自由かどうかなんて、なぜこの男にわかるんだろうか。そのことを聞く前に、相沢だか相川だかは自分のことを話し始めた。「だってよお、嫌ならやめりゃいいじゃんか。正社員なんて、なかなかそうはいかねえんだよ。わけのわかんねえ上司の下で、毎日面白くもねえ仕事してよ。このまま一生終わるのかと思うと暗くなっちゃうわけだ。そこいくと、おまえはうらやましいよ」
 そこまで一気に言ってから、タバコに火を点けて、煙を吐き出した。その一瞬の沈黙を縫うように、俺は言った。「心配するな。おまえみたいな奴は、一生会社で勤め上げるなんて無理だ。いずれどっかでつまみ出されるよ」
 はじめ、そいつは自分がなにを言われたのか理解できないようだった。それから、タバコを灰皿に押し付けて口をぱくぱくさせた。言いたいことが言葉になっていないようだ。俺は、えさを食べようとする鯉を思い出した。「会社の文句が言えるのも、会社があるうちだけだ。明日にも自分の勤め先がなくなりそうだったら、泣いてすがるんだろうが」「黙れフリーター風情が!」
 そいつはテーブルを叩いて言った。「本音が出たな。うらやましいだのなんだの言っていながら、結局は人のことを馬鹿にしているんだろうが。会社にしがみついて生きていける優越感か、それは。だいたいなあ、」
 そこまで言ったところで、俺とそいつは、何人かの「まあまあまあまあ」と言う言葉とともに引き離された。

 俺を抱え込むようにして、別のテーブルに連れて行ったのは、ラグビーをやっていた藤岡だった。なぜなによりもラグビーを真っ先に思い出したかといえば、俺を引き離すときのあまりに強烈なタックルのせいだ。「もう少し丁寧に扱ってくれよ」「だって、ぐずぐずしていたら喧嘩になりそうだったからさあ。しかし、おまえは相変わらずだなあ。妥協とか遠慮とか、あの頃からしなかったからなあ」「そうそう、あきぽは、ゼミの時なんかもすごかったからねえ」
 そう言って俺たちに割り込んで来た女性は、最初誰だかわからなかった。「お、『あきぽ』なんて、懐かしい呼び方だねえ」「誰?」
 俺と藤岡は、同時に言った。「ひどーい。たった三十人の社会学専攻で、わずか四人の鴨川ゼミの仲間に対して」
 彼女の答えは、俺のつぶやきに対するものだった。「平松だよ」
 藤岡が教えてくれた。「ああ、平松。覚えてる。思い出した」「本当にい? じゃあ私について他に覚えていることは?」「卒論は『現代イギリス喜劇におけるトリックスターの諸相』。それから、俺に寺山修司と夢野久作を読むよう、二年生の夏に薦めた」「お前、よくそんなこと覚えてるなあ」
 藤岡がちょっとあきれたように言った。「たしかに。まさかそんなことを覚えてるとは思わなかったわ」
 平松も同じように言う。「逆に言えば、そういうことしか覚えていない。学生時代の記憶そのものがそんなもんだよ。あ、ビール飲む?」
 俺は二人のコップにビールを注ぐ。俺は飲みかけのウーロンハイのグラスを持って、高く掲げる。二人もつられるようにコップを持ち上げる。コップに軽く口をつけてから、平松が言う。「しかし、懐かしいね。よくゼミのみんなで飲みに行ったのを思い出すね。ともちゃんや先生もいて五人でさ」「そう言えば、村上は今日はいないの?」
 俺の質問に、藤岡が答えた。「彼女、今じゃ一児の母だよ。だから今日は欠席。それから、名字も西野に変わってる」「ふうん。しかし、お前よく知ってるね」「あきぽが知らなさ過ぎるの。みんな今でも結構メールで連絡してるんだよ。はい」
 平松は話しながら、大皿から俺と藤岡に鳥のから揚げを取り分けてくれる。「ああ、ありがと。……そうか、なんかみんな色々変わっているんだなあ。俺だけ変わってないね」
 なんとなくそう思ったので言った。それを聞いて藤岡が「ところでお前は、今はどうしてるんだ? 今もあのデパートで?」
 と言った。「そう、学生時代と同じように働いてる。もう六年くらいになるな。そうか、卒業してからももう二年か。でも、あそこで働くのももうすぐ終わりだよ」「就職するの?」「いや、先のことは決まっていないけれど、職場はなくなる予定」「どういうこと?」
 平松はやけに詳しく聞きたがる。そこで俺は、二人にひばりが丘遊園が閉鎖される予定であること、当然自分の職場もなくなるだろうこと、その先どうするつもりかはまだ考えていないことを話した。

「しかし、お前これからどうするんだよ」
 ひととおり話を聞いたあとで藤岡が言ったのは、そんな言葉だった。客観的に見たら、そう思うのが当然だろう。特に、藤岡のように正社員として働いている人間からすれば、俺はずいぶん危なっかしく見えるのかもしれない。「でも、俺は不思議なくらいあせってないんだよ。まあ、あせる気持ちから逃げているのかもしれないけれどさ。とにかく働けるうちは今の職場で働く。その後どうするかはその時考えるよ」「まあ、あきぽらしいといえばらしいけどさあ」
 平松のその言葉の後、しばらくみんな黙ってしまう。「しかし、みんな立派だと思うよ」
 俺はぽつりと言った。これは心底思ったことだった。「だって、藤岡は正社員できちんと働いていて、平松も大学院で勉強を続けている。村上は母親としてがんばっている……。そうだね、たしかに俺もこれからどうするか、考えていた方がいいかもな」
 二人は黙って聞いていた。そのうち、幹事が「はい。そろそろお開きにしまーす」
 と言った。「なんか、俺のどうでもいい話だけしちゃってごめんよ」
 俺の言葉に、藤岡は「いや、気にするなよ。まあ、とにかくお前が元気なことがわかっただけでもよかった」
 と言った。そして平松は、「ねえ、どうせだから、わたしたちだけでもう少し飲んでいかない? まだ八時半だし、時間は大丈夫でしょ」
 と言った。
 それから俺たち三人は、別の居酒屋で、昔の話や今の話をしばらくしていた。
 「しかし、よく帰ってきたなあ」
 我ながらそう思ったので、口に出していってみた。新宿からは電車で一本とはいえ、帰ってきたときの様子はぼんやりとしか覚えていない。自分ではそんなに飲んだつもりはないし、二人と別れるときも大丈夫だった気がする。しかし、一夜明けてみたらこのざまだ。今日はせっかくの休みだが、明日に備えて家でゆっくりしておこう。
 その時、俺はふと思い立って、昨日着ていた服を見ておくことにした。万が一財布を無くしていたりしたら一大事だ。布団のそばに脱ぎ捨てられていたジーンズのポケットを探る。財布は無事にあった。よかったと思いながら財布を取り上げたとき、紙が一片足元に落ちた。どこかのレシートかと思いながら拾う。しかし、それはレシートではなかった。

「あきぽも立派な生き方ができるよう、ガンバるように。みんな心配しているよ。これからもたまには会おう。あやこ」

 その紙をしばらく眺めながら、平松の下の名前が綾子だったことを思い出した。
 なんだか、ちょっとだけ学生時代が懐かしくなった。

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連載第八回(2004.7.31掲載)

 人がものを食べるとき、最もおいしそうに聞こえるのは「ぱくぱく」だと、俺は思う。そんな話を雁津さんにしたら、「俺は『むしゃむしゃ』だな」と言っていた。「子どもの頃に、手塚治虫や、杉浦茂の漫画でそんな食べ方を見てなあ。あれはうまそうだった。あ、杉浦茂なんて分かんねえか」「知ってますよ。『猿飛佐助』は読んだことがあるし。まんじゅうや団子がうまそうなんですよね」「お、さすがだねえ」
 なにがさすがだかよく分からなかったが、とにかくものをおいしそうに食べる様子は人を幸せにする。
 彼女も、そんな雰囲気の持ち主だった。

 ここ一週間くらいだろうか。午後一番、この屋上にある一番日当たりのいいベンチに、いつも彼女は座っている。あの制服は、地下の食料品売り場にあるパン屋のものだろう。年は、高校生といわれればそんな気もするし、30代の主婦といわれればそんな気もする、不思議な感じだった。小柄でちょっとぽっちゃりしているが、なかなか愛嬌がある。
 しかし、そうした細かな点を注意して見るようになったのは、しばらく時間が経ってからのことだ。最初は、「よく食べる子だなあ」と、俺も雁津さんも思っていた。あるいは雁津さんは、今もその程度にしか思っていないかもしれない。
 大体いつも、おにぎりを二個か三個を、小ぶりのお惣菜のパックひとつとともに食べている。時にはそれに加えて、調理したパンを一個から二個、そして最後にデザートらしきもの。
 このフルコースを、実においしそうに食べる。「ぱくぱく」という音が擬態語になって、今にも彼女の周りに浮かびそうである。そして、彼女が昼食を終えて職場に戻る頃には、俺も雁津さんも「そろそろ昼メシにしたいなあ」と思うのである。

 今日もまた、俺はカウンターで本を読みながら、彼女が食事をする様子を眺めていた。雁津さんは先に昼食に出ている。「あー、おいしいものって幸せ。ぱくぱく」
 などと、彼女の動きにあわせて勝手につぶやくと、なんだかすごく楽しい気分になった。しかし、俺も仕事中にこんなことをしていていいのだろうか。ちょっと反省の念が頭によぎる。だが、既にいくつかの遊園具が動作を停止して、お客さんもますます減っている今の状況では、このくらいしか楽しみがないのである。

 そんな風に眺めていると、彼女が突然パンを食べていた手を止めた。胸の前でパンを抱えるようにして、空を眺めている。俺は、彼女をふざけて見ていたことに彼女が気づいたのではないかと思い、あわててカウンターの中を片付けるふりをした。片付けるふりをしながらも、気になって彼女を見る。
 しばらく放心したように空を眺めていた彼女だったが、やがて持っていたパンをベンチに置き、突然泣き出した。泣き声までは聞こえないが、うつむいてハンカチで目の辺りをぬぐっている。
 俺は心配になったので、彼女の方に近づいた。入園者の状態に気を付けるのは、ひばりが丘遊園で働く者としての大事な仕事だ。

「大丈夫ですか?」「あっ、え……」
 彼女の声は、想像していたよりも低く落ち着いた感じだった。「私は、ここの係のものです。具合でも悪くされたのかと思って」「あ、大丈夫です。すみません、ご心配かけて」
 ハンカチを「これで最後」というように両目に強く押し当てて、彼女は言った。「いえ、大丈夫であれば。最近、日差しが強いので、気分が悪くなる方も多いみたいで」「ありがとうございます。でも、もう大丈夫。なんか、色々考えちゃって……」「はあ」「あ、すみません変なこと言って」「いえいえ。それじゃ、ごゆっくり」
 俺はそう言って、カウンターの方に戻った。彼女は、しばらくぼんやりした後、エレベータで売り場に戻っていった。食べかけていたパンは最後まで食べなかったし、今日はデザートも食べなかった。
 見る人を幸せな気分にする人も、色々悩んだり考えたりするんだなあと、当たり前のことをぼんやりと考えていた。

「あきちゃん、中華料理屋の日替わり、今日はあきちゃんの好きなホイコーロ定食だったぞ」
 戻ってきた雁津さんの言葉を聞いても、俺はなんだか食事に行こうという気が起きなかった。

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連載第九回(2004.10.27掲載)

 ひばりヶ丘で働く者にとっては、くもりの日が一番落ち着かない。
 「ひばりヶ丘で働く者」と言っても、雁津さんに確認したわけではない。でも、少なくとも俺はそう思うし、雁津さんもそう思っているんじゃないだろうか。

 つまり、こういうことだ。
 雨の日は、屋根のない場所の遊具にはビニールシートをかけてしまう。当然といえば当然である。電気で動く遊具を雨ざらしにするのは危険だし、ほとんどの遊具は、屋根のないところに置いてある。傘でも差せば乗れないでもないが、そんなに酔狂な人はいない。したがって、雨が降ればビニールシートをかぶせて、その遊具はお休みである。
 しかし、くもりだとこのビニールをかぶせるタイミングが難しい。雨が降ってない以上、お客さんが乗りたいと思ったら乗れるようにしておかないといけない。そのためには、ビニールははずしておく必要がある。ただし、雨が降ってきたら一気にシートをかけないといけない。いつも以上に神経を使うのである。
 実際の話、雨が降りそうなときに遊具に乗ろうとするお客さんは、ほとんどいない。それでも、ちょっとでも太陽が見えなくなったらシートをかぶせておしまい、とはしない。それが、雁津さんと俺の間でなんとなく決めていたルールだった。

 だから、この梅雨模様の空の下では、両替カウンターに座っての読書にも身が入らなかった。自然に、上ばかりちらちらと見てしまう。「おや?」
 手元の本と、くもり空を交互に見ているうち、いつの間にか誰かがこのひばりヶ丘遊園に入ってきたのが目に入った。
 その雰囲気は、なんだか怪しげな感じだった。年齢は、おそらく四十代から五十代くらいだろう。痩せ型の体型で、頭にはハット。肩からはショルダーバッグをかけ、カメラを手に持っている。明らかに、勤め人という感じではない。
 そのまま見ていると、男はこちらの視線も気にならない様子で、遊具をカメラで撮影し始めた。俺は一応話を聞こうと思い、椅子から立ち上がった。遊具や建物を取るのは自由だが、こっそり人を取られるのは困る。まあ、今日は人はほとんど来ないだろうが。
 しかし、そんな俺の動きを予測しているかのように、その男はカメラを手に持って、雁津さんの方に近づいていった。

 男は、雁津さんになにか渡している。雁津さんが受け取った後、しばらくふたりは話をしている。そして、雁津さんも同じように男になにかを渡す。「ああ、名刺交換」
 俺はそこでようやく気がついた。すると、雁津さんと男は、俺のいるカウンターに向かって歩いてくる。「あきちゃん、一応伝えておくわ。こちら取材に来られた」「どうも。物書きをやっています、松田と言います」
 雁津さんの言葉をついで、男は俺に名刺を手渡した。「あ、どうも。すいません、俺バイトなもんで名刺持っていなくて。いただきます」
 こういうのには慣れていないので、動きがぎこちなくなってしまう。それでも、両手で受け取った名刺を改めて見てみる。肩書きは「街角研究家」となっており、その横に少し大きな文字で「松田信」と書かれている。
 名刺から顔を上げると、帽子を取った「松田信」さんがにっこりと笑っていた。ちょっと髪の薄い頭、四角いフレームのメガネ、口ひげ。怪しさはさっき遠くから見たときと変わらないが、なんとなく悪い人ではなさそうだ。「どうも、まつだ、のぶです」
 松田さんは、「のぶ」にアクセントをつけて名乗った。「あ、『のぶ』さんなんですね」「そうなんですよ。よく『しん』さんとか、『まこと』さんとか呼ばれるんですけれどね」
 だから、名乗る際に、自然と「のぶ」と強調しているのだろう。「松田さん、うちの写真を取りたいそうだ。」「うちのって、ひばりヶ丘の?」「そうなんです」
 答えたのは松田さんだった。「今、各地の建物の屋上にある遊園地を取材しているそうだ」
 これは雁津さんの補足説明。「いやあ、こちらには一度伺いたかったんですよ。今、都内の屋上遊園地でこれだけの施設が残っているところは少ないですからねえ」
 そう言って、松田さんはぐるりとあたりを見渡す。「そうしたら、先に写真を取られたらどうですか。雨になる前の方がいいでしょう。お話しするのはそれからということで」
 雁津さんの提案に、松田さんは、「よろしいですか。それでは、お言葉に甘えて」
 と言って、遊具や全体を撮影し始めた。

 そんな松田さんのことを見ながら、雁津さんは、「今のうちに撮っておいてもらった方がいいよな。いつどうなるか分からないしな」
 と、誰にとなくつぶやいた。
 その言葉を聞いて、俺は雁津さんの覚悟を感じた。もっと正直に言えば、雁津さんは俺の知らないことも知っているんじゃないかと思った。

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連載第十回(2006.2.1掲載)

「やはりねえ、景気回復には個人消費の拡大ですよ」「はあ、個人消費」「そうです、我々は、できるところから実行せねばならんのです」「はあ、できるところから実行」「では早速、個人消費の拡大を実行しましょう」
 なにをするのかと思ったら、「おねえさん、お銚子もう一本ね」
 と、そのおじさんは空のお銚子を振りながら言った。

 そもそもこのおじさんのことを、俺は知らない。今日は休みの前日だったので、仕事の帰りになんとなく居酒屋に寄ってみた。駅前にはチェーン店の居酒屋もあるが、ああいうところは酒を飲みに来るのではなくただ騒ぎに来る連中も多く、一人の客は歓迎されないので、まず行かない。
 小さくて個人経営だが、それだけに一人でいても気が楽な店の方に行く。この日も、カウンターで煮込みや焼き鳥(砂肝・皮など)などを食べながら、レモンサワーから熱燗へと差しかかったところだった。
 俺のお銚子が、宙に浮いた。その中の酒が、俺のではないおちょこに入る。そして俺ではない男がそれを飲んだ。
 しかし、その一連の動作があまりに自然で、俺はしばらくじっと見ているだけだった。ようやく声が出たときも、「おっ、あっ、おっ」
 と言葉にならない声を出すだけだった。それを聞いて、相手のおじさんも、「あっ、おっ、こりゃ、こりゃ、どうも」
 といいながら拝むように手をぶんぶん振り、「おねえさん、お銚子もう一本ちょうだい」
 と言ったかと思うと、今持っているお銚子から「いやああ、失礼失礼。間違えちゃった」
 と、俺のおちょこに酒を注いだ。

 そのまま、なにも話さないのも変なので、なんとなく二人で話しながら飲むような雰囲気になった。
 だが、政治やら経済の話がやけに多い。とはいえ、どこか床屋政談のような、無責任な話ばかりだった。「あんな大臣は運がいいだけだ」とか、「最後はちゃんとものをつくる仕事が残る」とか。「やっぱりものづくりですか」
 俺が訊ねると、おじさんは目をつぶったまま顔をしかめている。俺は寝てしまったのかと思い、それ以上話し掛けるのはやめ、また少し酒を飲んだ。「ものづくりじゃなくてもいいんです」
 強い調子の声がしたので、びっくりして立ち上がりそうになった。なんだ、聞こえていたのか。「どんな仕事でもいい、長く勤めた人は、それだけで立派です」「はあ」
 こちらを見ずに、おじさんは目の前を見ながら話し続ける。「それが分かるのは、勤め上げた人だけです。若い人たちが株をやったり、会社をつくったりするのもいい。でも、会社で働くことも、それと同じくらい立派です」
 なんだか、聞いていて居心地が悪くなってきた。学生時代からのアルバイトを続けて、その職場もなくなるかもしれないのに、新しい仕事を探すこともなく漫然と日々を暮らしている俺。
 まだ20代だから可能性があるという言葉を言い訳に、なんとなく逃げるような生き方をしている俺。「まあ、他人のことをとやかく言っても、しょうがない」
 またぽつりと、おじさんが言った。「自分が死ぬ時に、自分の一生を思い返して、よかったと思えるかどうか。結局そのために、嫌な毎日でも生きるわけです。頑張って、生きるわけです」「はあ」
 俺は黙って話を聞きながら、酒を飲んでいた。この人は、今どんな仕事を、どんな思いでしているのだろうか。見たところ、年の頃五十代。会社の重役としてバリバリ働く、というよりは、なんとなく大学教授や作家のような雰囲気をしている。
 色々聞いてみたかったが、初対面であまり色々話すのもためらわれた。
 そんなことを考えながら、黙々と酒を飲んでいると、突然おじさんが言った。「やはりねえ、景気回復には個人消費の拡大ですよ」「はあ」
 そしてお銚子をもう何本か追加して、ふたりでぽつりぽつりと話しながら、ずいぶん酒を飲んだ。

 帰る道すがら、普段入ることのない古本屋の明かりが目に入った。漫画と雑誌と文庫が中心の、リサイクルショップのような店だ。普段はあまり気が進まないが、なぜかつい足を踏み入れた。どんな店でもいいので、なんとなく寄り道がしたくなった。
 酔いが回っているので、真剣に本棚を眺める気にはならない。それほど広くない店の中をぶらぶらあるいて、写真集の棚の前に立った。
 こういう店で写真集といえば、男性向けの写真集だ。背表紙を眺めて、知っている名前があったら引っぱり出してみる。今それなりに名を知られている女優の若い頃とか、昔は結構テレビに出ていたのに今は見なくなったタレントとか、色々な人の色々な表情を眺めては「ふーん」と思う。
 その中で、偶然取り出した本があった。名前は聞いたことがない。顔も見覚えがなかった。多分十年くらい前の写真集だろう。いかにもバブルの頃らしい茶色でソバージュの長い髪の毛と、帯に書かれている「ダイナマイトボディーのフルヌード」というキャッチコピーが、今となっては恥ずかしい。この人、今何歳で、どこでなにをやっているのだろうか。
 だが、表紙の自信に満ちた挑戦的な表情と、ややウエストが太めだが、たしかに「ダイナマイトボディー」といえなくもない裸が、なんだか本を棚に戻したくない気分にさせた。
 裏を返すと、「¥800」というシールが目に入る。
 俺はその本をレジに持っていき、会計を済ませた。おそらくバイトだろう、小さいのにボーっとした印象を与える男に千円札を渡し、紙袋に入れた本と百円玉二枚を順に受け取る。

 店を出て少し歩いてから、言ってみた。「個人消費の拡大」
 最初は独り言のようにぼそぼそと言ったが、二度目は誰かに話し掛けるように言ってみた。「個人消費の拡大の実行だよ」

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連載第十一回(2006.03.02掲載)

 ひとことで言えば、「まずい」のである。
 しかし、話はそれほど単純ではない。順を追って話そう。

「あきちゃん、ファミレスができたぞ」
 雁津さんが、嬉しそうに言った。
「ファミレスっすか」
 今日び、ファミレスが近所にできることはそう珍しくない。特に、ここひばりヶ丘のようないわゆる新興住宅地には、近くにマンションができるにつれて、ファミレスもぽつぽつとできている。
「食事を頼むと、コーヒーとか紅茶とか、なんでも飲み放題だ」
「あ、ドリンクバー」
「それそれ」
 なるほど、雁津さんが嬉しそうなのはその店にドリンクバーがあるからなのか。
 たしかに、初めてドリンクバー付きのファミレスに行った時は印象的だった。「いいの!?」という、期待と驚きが入り混じった気持ちになったものだ。
 でも、今改めて考えると、セルフサービスだから人件費が削減できるし、飲み物の原価と一人が飲める量、ドリンクバー用の代金、それから一緒に注文するであろう料理の利益率などを考えれば、店にとっても十分得なのだろう。本来ならお客さんが減る時間帯でも、お客さんが入ってきて、客数を一定に保つ効果もあるだろうし。
 それでいてお客さんが喜ぶこの仕組みをつくった人は、なかなか偉大だと思う。

 そんなわけでその日の昼飯は、そのファミレスに行ってみた。
「いらっしゃいませ」
「一人で、タバコは吸わないです」
指を一本立てて言う。こういう場所でまず聞かれることは決まっている。本当は相手のリズムに乗って順番に答えてあげるのがいいのだろうが、それがなんとなく煩わしかったので、先に答えてしまった。
「かしこまりました、それではこちらへ」
 案内係は戸惑うこともなく席へと誘導する。マニュアルにない対応もできる柔軟性があるのか、あるいはこういう対応もマニュアルにあるのか。どちらなのか分からないが、気分は悪くない。
 店の中に一人用のカウンター席はないようで、四人が座れるテーブルへ案内された。店内は午後二時を過ぎているので、周りには暇そうなご婦人方の少人数のグループと、暇そうな大学生風の同性同士の二人組が、それぞれ数組しかいない。席も比較的余裕がある。こういう時は気分が楽だ。逆に、グループや家族連れでごった返しているファミリーレストランは落ち着かない。入口で入店待ちをしているグループがいたりしたら最悪である。
 お冷やに軽く口をつけてから、メニューをめくる。「イタリア風ハンバーグとピリ辛ソーセージ」に、ライス、そしてドリンクバーをつけてもらう。しかし、注文しておいて言うのもなんだが、いくらファミレスとはいえ「イタリア風」というのは漠然としている。せめて「ミラノ風」や「ヴェネチア風」くらいまではもう一歩踏み込んだ名前をつけるべきだと思うのだが。
 その「イタリア風ハンバーグとピリ辛ソーセージ」が来るまでの間、ドリンクバーでカフェラテを注いできて、飲みながら本を読んで待つ。まわりのテーブルのボソボソとした話し声と、BGMに流れるいかにも「シンセサイザーで最新ヒット曲やオールディーズを演奏しています」という感じの音楽が、心地よく眠気を誘う。
 本の同じページを何度も眺めてぼんやりしていたら、料理が運ばれてきた。「イタリア風」というのは、野菜を細かく刻んでトマトソースでからめたものが、ハンバーグの上に乗っているのが由来らしい。
 さっそくひと口食べる。

 ……まずいのである。ただこれは、決して食べられないという意味ではない。これを普通という人もいるだろう。ただ、うまいという人はほとんどいないと思う。そういう意味でまずいのである。
 ひとくちにまずいといっても、色々の種類がある。ここでの種類というのは、「すごくまずい」とか「ちょっとまずい」とかいった、いわば縦軸ではなく、横軸を意味する。つまり、同じ「まずい」という言葉で表現されても、心の針が振れるというか、いわばテンションが上がるまずさと、心が動かない、テンションが下がるまずさがある。
 この「イタリア風ハンバーグとピリ辛ソーセージ」は、明らかに後者だ。なんというか、他人に「この間こんなまずいもの食べちゃってさあ」と、話題にすらできないまずさである。地味に、そしてある意味で純粋にまずい。ただまずい。

 だが、根が貧乏性のため、そして子供の頃から食べ物は残さないようにしつけられたので、そのまま全部平らげる。つまり、「イタリア風ハンバーグとピリ辛ソーセージ」は、そのくらいにはまずくないのである。まずいまずいと言い過ぎると語弊があるかもしれない。つまり、あまりにも平均点なのである。いや、平均よりやや劣るか。「中の下の中」くらいの味だ。

 だが、こういう料理は、食べながら料理に集中できず、色々なことを考えてしまう。ふと、「ひばりヶ丘、どうなるんかなあ。あれから雁津さんから話がないなあ」と思った。そうなると、「もしもひばりヶ丘がなくなったらあのスーパーでは仕事がないよなあ」とか、「特別な資格もないし、別の場所で同じような仕事があるかなあ」とか、「そもそもひばりヶ丘以外の町に暮らすなんてもう想像できないなあ」とか、色々な考えがあふれるように浮かんできた。もはや「イタリア風ハンバーグとピリ辛ソーセージ」の味も、一緒についてきたライスがやけに水っぽいことも、ドリンクバーのメロンソーダの緑色がやけにどぎつかったことも、どうでもよかった。そういうあれこれは遥か彼方に行ってしまった。

 話し声やBGMは相変わらず流れているはずだが、そうした外からの音が耳に入ってこないくらい、なんだか自分と向き合ってしまった。

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連載第十二回(2006.04.02)

 藤倉美帆子にとって、今の会社で働く中で、楽しみなことはたったふたつである。

 ひとつは、注文した文房具についてくるクーポン券をせっせと集めること。券が一定の枚数になると、色々な景品がもらえる。この営業所の「庶務担当」という雑用係の中で、なおかつアルバイトという立場の美帆子だが、人手の少なさから文房具やその他生活用品の注文はほぼ任されている。営業所内からくるメモやメールの内容をまとめて、インターネットで注文するのが、ほぼ毎日の午前中の日課だ。
 クーポン券は、はじめは大した量ではなかろうと思いつつ、美帆子はなかなか物が捨てられない性格だったので、そのままデスクの引き出しに入れていた。そのうち随分な量になったので、どんなものと交換できるのか、業者のホームページのカタログを見てみた。ボールペンやハンカチから、クッキーの盛り合わせやら文具券やら、わりと色々なものに交換できることが分かった。
 ただ、だまってポイントを使うのはためらわれたので、念のため庶務担当唯一の社員、美帆子の上司に当たる牧田主任にお伺いを立ててみた。
「いいんじゃなーい、別に。好きに使っちゃいなよ」
 返事は極めて適当なものだった。美帆子が聞いた噂によれば、牧田主任はそれなりの大学の商学部を出て、元々は若手の幹部候補として本社の経理部にいたらしい。仕事はそつなくこなしていたらしいが、なにしろ会社への忠誠心がなかったという。たしかに、牧田主任は誰よりも遅く会社に来て、誰よりも早く会社から帰る。しかし、決して遅刻や早退はしない。また、自分が社内にいる間にやるべき仕事は、ひょうひょうとしているがてきぱきとこなす。
 だが、普通の会社のサラリーマンというのは、それでは駄目なのだろうと、美帆子は漠然と思う。こなしていては、駄目なのだ。誠心誠意向き合わなければ、結果が同じでも、評価されない。
 結局牧田主任は、いつしか都心から少し離れたこの営業所に転勤になり、「庶務担当」というよく分からないポジションにいる。

 もちろんこれは、ただの噂である。この会社で働いてもう一年近くになるが、最初の頃は美帆子も色々な人にランチに誘われて、色々な噂を聞かされた。
 しかし、美帆子にとってそれは苦痛なだけだった。それほど親しくない人と食事をすることも苦手だったし、そこで聞かされる、会社の中だけが世界のような話の数々が、輪をかけてつらかった。そんな話を嬉々としてしゃべる人たちが、理解できなかった。その人の生き方すら疑ってしまう。会社帰りに飲み屋で上司や同僚の悪口を言い合うおじさんたちと、根は同じだろう。会社以外の社会がないのかもしれない。
 美帆子にとって、今の仕事はお金を得るための手段でしかない。自分で働いて自分で稼いだお金で、誰に咎められることもなく自分のしたいことをする。これは嫌なことも多い「社会人」の生活の中で、何物にも変えがたい喜びのひとつだった。とはいえ、せいぜい好きな映画を見て、興味を持った美術展に行き、時々好きなミュージシャンのコンサートに行く。それくらいだ。これなら、月二十万弱の手取りで、家賃五万のワンルームマンションで、一人でつつましく生きていく分には生きていける。
 そもそも、美帆子は高い服や化粧品には手を出さない。もちろん、それなりの年齢にはなったので、身なりには気を遣う。でも、ブランドものはいらない。学生時代から最初に正社員として働き始めた頃、日本は不況の真っ最中だった。もう少し前ならバブルで浮かれていたし、もう少し後ならコギャルがもてはやされた、その谷間の世代だ。社会は不況だし、自分たちの世代もなんの注目も浴びなかった。せいぜい、就職などが難しく、色々なことが大変な世代と思われただけだった。
 まわりの女性社員と馬が合わないのは、同世代がいないこともあるかもしれない。バブルの時期に散々遊んでおいて、ろくな仕事もせずに給料が少ないと嘆く人たち、「最近の若い人は」というようなレベルではなく、本当になにをしゃべっているのかすら理解できない子たち。そんな人たちから聞かされるのは社内の話ばかり。しかも、他人もみなそんな話が好きだと信じて疑わない。
 それが嫌で、美帆子は誰かとランチに行くのをやめた。

 そして彼女にとって、昼休みにひとりでデパートの屋上に行き、そこにある遊園地の遊具を眺めながら時間を過ごすことが、もうひとつの楽しみになった。

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連載第十三回(2006.05.04)

「松田映子は、ひどい女だった」
 藤倉美帆子は、今でも時々そう思う。そして、ひとりでいらいらするのである。

 面倒な職場の人々から離れて、一人きりで過ごせる昼休み。デパートの屋上のベンチに腰かけていると、穏やかな気分になれるはずなのに、時々彼女のことを思い出しては、むしょうに腹が立つ。思い出し笑いというのはよく聞くが、思い出し怒りというのは、あまり聞かない。そんな思い出し怒りをするほどに、松田映子はひどい女だった。

 そもそも、転勤してくる人間がいること自体が不思議だった。もちろん、四月は入社や転勤の季節だから、そうしたことがあるのは分かる。しかし美帆子は、まさか自分の職場に人が来るとは思わなかった。
 まず、人は過不足がない。暇ではないが、激務でもない。ぼんやりせずにやるべきことを次々とこなしていけば、終業時間が来て帰れる。時々は突発的な仕事で残業することもあるが、それだって一時間程度だ。そんな職場である。辞める人間でも出なければ、人を増やす必要はない。
 そして、正直に言ってしまえば重要な部署でもない。いち営業所の庶務担当部門である。もしも庶務担当が全員いなくなったら、他の部署にとって面倒なことは増えるだろうが、困ることはないはずだ。電話やお客さんはその時出られる人間が出ればいい。お茶やコーヒーは自分でつくって飲めばいい。コピーは必要な人間が自分でとればいい。文房具も各自で買ってくるか、当番を決めて通信販売で頼むか、どうしてもできなければ近くの営業所の庶務担当に頼めばいい。営業の人間が持っていく資料は、社内で統一したものを使うようにルールを変えればいい。
 今だって、改善しようと思えばいくらでもできる。ただ、みんなそういう改善に取り掛かるのは面倒だし、なにかが変わることが不安なのである。だからずっとそのまま。ただそれだけ。会社にとって、いなくなると困る人間はいないのである。
 美帆子にとって、そんな今の仕事はまったく楽しくないが、嫌いでもはない。異常に忙しくなくて、それなりの給料がもらえていれば、それでいい。やりたいことは会社の外にいくらでもある。

 だからこそ、転勤者が、しかも本社から来ると聞いて、美帆子は不思議に思ったのである。
 久々の新入りなので、来る前から早速色々な噂が飛び交った。当時はまだ美帆子も週に二、三回は営業所内の誰かのランチに付き合わされていたので、本人が来る前から随分と話は聞いていた。
 役員のコネクションで入社してきたこと、どの部署でも手に負えず、あちこちをたらいまわしにされていること、仕事ぶりだけでなく、性格にもかなり問題があること、などなど。
 中でも記憶に残っているのは、「ダブルボギー」というのが、各部署でずっと彼女に付いて回っているあだ名らしい、ということ。

「『パー』よりもう二つくらい成績が悪い、ってことらしいよ」
 誰かがそんなことを言って、他のみんなが笑った。しかし美帆子にとっては、笑っているみんなも「ボギー」ぐらいだと思った。
 美帆子は、実際に本人と会って、しばらく仕事をするまでは、先入観を持つのはやめようと思っていた。先入観は時として危ない。特に人間を相手にする場合はなおさらだ。
 そうしてやってきた四月一日、朝礼で挨拶をした松田映子は、あまり覇気はないが、大人しそうな普通の女の子だった。少なくともその時はそう見えた。先入観を捨てて見ていたのだから。

「どうだったよ、ファミレスは?」
「うーん、……。ファミレスでしたよ」
「なんだそりゃ」

 遊具を眺めながら、だんだん映子のことを思い出して、だんだん腹が立ってきていた美帆子は、そんな会話と、それに続く笑い声を聞いて、我に返った気分になった。
 屋上遊園地の手前の方にあるカウンター。そこには、親子ほども年の違いそうな二人の男性が働いている。年配の男性は、背は低いががっしりした体つき。若い方も、柔道かアメフトでもやっていそうな体格だった。美帆子はいつ来ても、あの二人しか見かけなかった。「おそらく、ここで働いているのはあの二人だけなのだろう」と美帆子は思う。ついでに「ここ、あまり人気なさそうだし」とも。

「あの人たち、なんとなく楽しそうだな」
 突然、美帆子は思った。世の中には楽な仕事も、楽しい仕事もないと、美帆子は信じている。自分が好きなことを仕事にしたって、仕事になった時点で楽しくなくなる。だから美帆子は、お金をもらうために我慢して働いてきた。今も、我慢して働いている。
 でも時々、すごく楽しそうに働いている、と思える人に、美帆子は出会う。そんな時は、ただただうらやましいと思う。そして少し、うらめしい、とも思う。そして自分のことが、みじめに思えてくる。
 そして美帆子は、ちょっと泣きたくなった。

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