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「木の葉燃朗のがらくた放送局」三周年にあたり どうも、木の葉燃朗です。おかげさまで、この「木の葉燃朗のがらくた放送局」も、四年目に突入しました。これもひとえに、一生懸命更新を続けた俺の努力のたまもの……、ではなく、もちろん読んでいただいているみなさんあってのことであります。 この区切りの時期に、今日は、ちょっといつもと雰囲気の違う文章を載せます。 話はタイトルの通りの内容です。実は、木の葉燃朗という名前を、俺の前に使っていた人がいます。といっても、昔の作家や役者の名前を俺が拝借したとか、そういう話ではないです。そして、この話は、この「木の葉燃朗のがらくた放送局」の誕生と深いかかわりがあります。 いきなりあれこれ書いても読む人が混乱すると思うので、順を追って書きます。 そもそも、木の葉燃朗という名前は、俺の知り合いの女性が使っていました。その人は、大学時代の同じ学部の同期生で、同じ文芸部にいました。彼女とは、サークル内で知り会ったんです。 その名前を、俺が今使っているのはなぜか? それには、下に書いたような理由があります。 彼女とは、卒業してからは会うこともなかったんですが、俺がパソコンを買って、インターネットをやるようになってから、再会しました。俺がメールアドレスを取得した時に、アドレスを知っていた友人のほとんどにメールを送って、その中に彼女もいたわけです。 実際は、彼女もまだホームページの構想を練っている段階だったんで、俺も手伝って、一緒にあれこれアイデアを出して、それでできたのが、「がらくた放送局」という名前のサイトです。 そのサイトには、最初は彼女の書いた日記とか、彼女や俺が書いた小説を載せていて、その時にふたりで使っていた名前が「木の葉燃朗」なんです。ふたりでといっても、俺の小説以外はほとんど彼女の文章だったので、実質は彼女の名前でしたが。 ちなみに、いつも「がらくた放送局」を読んでいただいている方にもう少し詳しい話をしますと、フリートークは当時も載せていて、俺はそこで「へっぽこ」役をやっていました。当時から「木の葉燃朗」と「へっぽこ」がしゃべるスタイルだったんです。 で、まあ、ページの開設準備の頃から、再び彼女と実際に会うようになって、その頃は付き合っているといえばそういえるような関係でした。お互い仕事の後や休日にかなり頻繁に会っていたので。 それでしばらくたってから、俺もそろそろ自分でサイトをつくろうかと思ったんですが、その頃彼女が事故で亡くなりまして。2001年の末ですね。 しばらくの間は相当なショックで、当分の間ふたりでつくったページを見るのも嫌だったんですが、人間って時間が経つと気持ちが日常に戻ってきて(これはいいところでも悪いところでもあると思う)、やっぱり元々計画していた自分のサイトをつくろうと思うようになりました。 それで、「木の葉燃朗のがらくた放送局」という今のサイトを始めたのが、ちょうど三年前、2002年の3月30日です。だから毎年今くらいの時期になると、彼女のことを思い出します。 「俺が二代目木の葉燃朗である」というのは、こういう理由なんです。 この文章を書いている途中で、開始当初の文章を読み直してみたのですが、初期のフリートーク(2002年の4月くらいまで)は昔のサイトの雰囲気を残しているなあと思いました。なんとなく燃朗・へっぽこの関係が今と違うんです。他の人には分からないことなのですが、俺自身は改めて読んで、そのことを感じました。 なんか、変な話で、かつおセンチな感じになってすみません。最近ちょっと心が弱っているので、なんとなく昔を思い出したくなったのかもしれません。
…まあ、全部嘘ですけれど。話に出てきた「彼女」は架空の人物です。当然彼女にまつわるエピソードも俺の作り話。「木の葉燃朗」を俺の前に使っていた人は(俺の知る限り)いないですし、「がらくた放送局」も俺が作ったページが最初です。 気を悪くされた方がいたら、ごめんなさい。 |
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