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「木の葉燃朗のがらくた放送局」三周年にあたり
 「がらくた放送局」誕生秘話〜実は俺は二代目木の葉燃朗だ〜(2005.4.1)

 どうも、木の葉燃朗です。おかげさまで、この「木の葉燃朗のがらくた放送局」も、四年目に突入しました。これもひとえに、一生懸命更新を続けた俺の努力のたまもの……、ではなく、もちろん読んでいただいているみなさんあってのことであります。

 この区切りの時期に、今日は、ちょっといつもと雰囲気の違う文章を載せます。
 まあ、この話は読んでもあまり面白くないだろうし、俺もこれまでほとんど書いたり話したりしたことがないのですが、このタイミングで文章にまとめておきたいと思いまして。
 やたら長い上に読みにくいので、あらかじめご了承ください。

 話はタイトルの通りの内容です。実は、木の葉燃朗という名前を、俺の前に使っていた人がいます。といっても、昔の作家や役者の名前を俺が拝借したとか、そういう話ではないです。そして、この話は、この「木の葉燃朗のがらくた放送局」の誕生と深いかかわりがあります。

 いきなりあれこれ書いても読む人が混乱すると思うので、順を追って書きます。

 そもそも、木の葉燃朗という名前は、俺の知り合いの女性が使っていました。その人は、大学時代の同じ学部の同期生で、同じ文芸部にいました。彼女とは、サークル内で知り会ったんです。
 で、学部も同じだったので、お互いが書いた小説を読んで感想を言いあったりとか、本を貸し借りしたりとか、そんな感じの仲でした。別に付き合っていたとか、そういうのではなくて、普通の友達ですね。その彼女が、男性っぽい(男性のふりをして)文章を書くときに使っていた名前が、「木の葉燃朗」だったんです。

 その名前を、俺が今使っているのはなぜか? それには、下に書いたような理由があります。

 彼女とは、卒業してからは会うこともなかったんですが、俺がパソコンを買って、インターネットをやるようになってから、再会しました。俺がメールアドレスを取得した時に、アドレスを知っていた友人のほとんどにメールを送って、その中に彼女もいたわけです。
 しばらくメールで文通みたいなことをしていたんですが、その中で、彼女がホームページをつくる計画があるって話が出ました。で、彼女から、そこに俺が書いた小説を載せないかと誘われたんです。
 当時(2001年頃)の俺は、ホームページをつくるなんてことは全然頭になくて、さらに今みたいにブログもない時代で、そもそも俺はネットにはPHSをモデム代わりに使って接続している状態だったんで、書いた文章を彼女のホームページに載せてもらうことにしたんです。

 実際は、彼女もまだホームページの構想を練っている段階だったんで、俺も手伝って、一緒にあれこれアイデアを出して、それでできたのが、「がらくた放送局」という名前のサイトです。
 これが、今俺が運営している「木の葉燃朗のがらくた放送局」の原型というか、もとなんです。今の「がらくた放送局」とはURLも違うし、載せている文章も、旧サイトから転載したものはほとんどないですけれども(俺の書いた小説のいくつかを載せているくらいです)。

 そのサイトには、最初は彼女の書いた日記とか、彼女や俺が書いた小説を載せていて、その時にふたりで使っていた名前が「木の葉燃朗」なんです。ふたりでといっても、俺の小説以外はほとんど彼女の文章だったので、実質は彼女の名前でしたが。
 俺も当時いい名前が浮かばなくて、かといって本名をサイトに載せるのも不安だったので、「とりあえず後で変えるとして、しばらく俺の書いたのも木の葉燃朗名義で載せてよ」という感じだったと思います。
 だから、このふたりで共有していた時期を二代目とすると、正確には俺は三代目とも言えます。

 ちなみに、いつも「がらくた放送局」を読んでいただいている方にもう少し詳しい話をしますと、フリートークは当時も載せていて、俺はそこで「へっぽこ」役をやっていました。当時から「木の葉燃朗」と「へっぽこ」がしゃべるスタイルだったんです。
 今のフリートークは、俺が一人二役で全部書いていますが、はじめは本当に二人の会話でした。チャットとか、メールのやり取りとか、実際に会ってしゃべった内容とかをまとめていました。

 で、まあ、ページの開設準備の頃から、再び彼女と実際に会うようになって、その頃は付き合っているといえばそういえるような関係でした。お互い仕事の後や休日にかなり頻繁に会っていたので。
 半年くらい、ふたりでサイトを運営していました。俺も小説以外に読書感想文とか、エッセイのような文章とか、色々書かせてもらうようになって、ふたりの文章の比率は半々くらいになったかと思います。だから、その頃になると「木の葉燃朗」は実際にふたりのユニット名のようなものでした。特にそれで不便もなかったし、「木の葉燃朗」という名前はそのサイト以外では使いませんでしたから(他のサイトで掲示板などに書き込むときは、俺は本名の名字をカタカナにしたのをハンドルネームにしていました。彼女も別のニックネームを使っていたと思います)。

 それでしばらくたってから、俺もそろそろ自分でサイトをつくろうかと思ったんですが、その頃彼女が事故で亡くなりまして。2001年の末ですね。

 しばらくの間は相当なショックで、当分の間ふたりでつくったページを見るのも嫌だったんですが、人間って時間が経つと気持ちが日常に戻ってきて(これはいいところでも悪いところでもあると思う)、やっぱり元々計画していた自分のサイトをつくろうと思うようになりました。
 その時に色々考えたんだけれど、「木の葉燃朗」と「がらくた放送局」という名前を引き継いだというか、借りたんです。俺は著作権とかの詳しいことが分からないので、もしかしたらそれは問題があったのかもしれません。でも、その名前を使っていれば、彼女のことを忘れないような気がして。
 どっちかというと、忘れたくなかったんですね。彼女がいなくなったことはつらいけれど、彼女と過ごした時間は楽しかったわけで、やっぱりそれはずっと忘れたくなかった。

 それで、「木の葉燃朗のがらくた放送局」という今のサイトを始めたのが、ちょうど三年前、2002年の3月30日です。だから毎年今くらいの時期になると、彼女のことを思い出します。

 「俺が二代目木の葉燃朗である」というのは、こういう理由なんです。

 この文章を書いている途中で、開始当初の文章を読み直してみたのですが、初期のフリートーク(2002年の4月くらいまで)は昔のサイトの雰囲気を残しているなあと思いました。なんとなく燃朗・へっぽこの関係が今と違うんです。他の人には分からないことなのですが、俺自身は改めて読んで、そのことを感じました。
 ちなみに、フリートークに「木の葉萌美」というキャラクターがいて、これも俺が書いていますが、このキャラクターは彼女の印象をかなり極端にした感じになっています。わざと風変わりな部分ばかり強調していますが、実際面白い人だったし、色々なことを知っていた人だったなあ。俺、彼女のことが好きだったんだと思う。そういう話は真剣にしなかったけれど。

 なんか、変な話で、かつおセンチな感じになってすみません。最近ちょっと心が弱っているので、なんとなく昔を思い出したくなったのかもしれません。
 ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。書いた勢いでいったんアップしちゃったけれど、恥ずかしくなったら近いうちに消しちゃうかもしれません。

 

 

 …まあ、全部嘘ですけれど。話に出てきた「彼女」は架空の人物です。当然彼女にまつわるエピソードも俺の作り話。「木の葉燃朗」を俺の前に使っていた人は(俺の知る限り)いないですし、「がらくた放送局」も俺が作ったページが最初です。
 最近、小説を書いていなかったので、なんとなく架空の文章を書いてみたかったんです。まあ、掲載した4月1日はエイプリル・フールでもあるし。

 気を悪くされた方がいたら、ごめんなさい。



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