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木の葉燃朗のばちあたり読書録

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■著者別「と」
戸井十月『植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」』 / 戸田覚『あの人の「手帳」が見たい!』 / 富田勝『だんぜんタブチくん!』 / 外山滋比古『文章を書く心』 / 外山滋比古『ユーモアのレッスン』 / とり・みき・田北鑑生『ブックマン(THE LAST BOOKMAN)』 / とり・みき『遠くへいきたい』 / とり・みき『パシパエーの宴』 / とり・みき『とりの眼ひとの眼』 / とり・みき『とり・みきのしりとり物語』 / 鳥海 忠『ほしい「モノ」大全』

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2008-03-03(月)真面目に、真剣に、仕事を追及した人。

植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」戸井 十月『植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」』 (2007/12、小学館) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 植木等氏へのインタビューを元にまとめられた評伝。最後のインタビューになってしまったが、植木氏が「何でも喋りますよ。この齢になりゃ恐いもんなんてなーんにもないんだ」(p.9)とインタビューを受けたこともあり、父の思い出から生い立ち、クレージーキャッツを中心とした芸能生活など、様々な話が語られる。また、著者による稲垣次郎・谷啓・小松政夫の各氏へのインタビューも掲載されている。
 植木氏やクレージーキャッツのファンの人なら馴染みのあるエピソードも多いのかもしれないが、私はほとんど知らなかったので、新鮮な話が多かった。

 まず初めが、植木氏の父のエピソード。父の徹誠氏(徹之助より改名)はかなり変わった人だったらしい。キリスト教の洗礼を受けた身で僧侶になり、更に社会運動にも関わったり、若い頃に義太夫語りを志したという。
 印象的だったのは、植木氏が「スーダラ節」を歌うことになった時、自分は歌いたくないということで悩んでいた時のエピソード。父上の前で歌ったところ、「等、これはヒットするぞ」(p.15)と断言したらしい。「わかっちゃいるけどやめられない」という歌詞が素晴らしく、これは親鸞の考えに通ずるのだという。
 その徹誠氏は、戦時中思想犯として検挙される。そして植木氏は、小学校を出て東京の寺に住み込み、学校に通いながら修行を行うことになる。その後、芸能界の道を歩む植木氏だが、芯の部分がぶれなかったのは、持って生まれたものに加えて、この僧侶としての修行の影響も大きかったのではないだろうか。

 そこからは大学で軽音楽同好会をつくり、終戦を経て、楽団のバンドボーイ時代に野々山定夫(後のハナ肇)と出会い、以降色々な楽団に参加しながら、徐々にクレイジーキャッツのメンバーとスタッフが集まっていく。この縁というのは非常に不思議である。これだけの才能が一つにあつまり、かつクレイジーキャッツは解散することなく続いているというのが。
 その後の植木氏の活躍は周知の通り。しかし、入院するほどの多忙を極め、給料が月給制から歩合制になって、驚くほどの収入を得たとき、植木氏はこんなことを考える。「”俺はそんな人間になっちゃったのか”というね、なんかとっても淋しいような恥ずかしいような、何とも言えない気持ちになったわけ。/人間というのはこういうものじゃない。人間というのは、骨を折りながらやっと生きていくものだ。なのに、芸能人だけ、どうしてこういうことになるのか、こういうことが許されるのかという気持ちが、僕の心の奥にいつもあったのね」(p.166)。
 そしてもうひとつ印象的な言葉。売れっ子になる前に、植木氏は母を亡くしていた。そのことについて、「食えるようになったらお袋に幸せな思いをさせてやりたいと思ってきたけど、そうなる前に死んじゃった、お袋が生きている内にどうして食えるようにならなかったんだって、そのことが悔しくてね……」(pp.80-82)。
 こういう思いを抱いて生きた人だからこそ、映画や歌で調子よく無責任な男を演じていても、認められたのではないか。青島幸男氏が著作で回想しているのだが、植木氏の歌には次のような批判もあったという。「”あの唄をテレビでやるのをやめてくれ、俺は一生懸命やってるし、子供の手前もやりきれない……”といった苦情とも哀願ともつかない葉書がテレビ局に殺到したのも事実だった。/書いた私としては本当のところ会心の作とひそかにほほえんでいたのだ」(p.136)。植木氏自身が、こうした葉書を書いた人と同じような苦悩を抱きつつ、それでも歌いきったところに、プロとしての覚悟を感じたし、その覚悟が伝わったからこそ植木氏が受け入れられたのではないか。

 植木氏の芯の強さを感じさせるエピソードが、後半に紹介される。黒澤明監督の『乱』から出演を依頼されたときの話。後に出来あがった作品は評価しながらも、植木氏には注文をつけずに、乗っていた馬に「”そこの馬!”って怒ってるの。なんだ、こんなことで怒るのか、下らない奴だなあと思ってね。現場では、さすが黒澤明ってところは一つもなかったなー」(p.182)と回想している。更に「どうも、我々っていうのは淋しいもんだね」(p.183)、「朝早くから夜中までやって、へたすりゃその翌日まで仕事してさ。その上、スタッフに気を遣ったりしなくちゃならない」(p.183)と言う黒澤明を「何を甘ったれたこと言っているんですか。好きなメンバーを集めて好きな仕事ができているのに、どうしてそんなことをいうんですか」(p.183)と諌めたという。後半まで読み進めると、非常に植木氏らしいと思った。

 真面目に、真剣に、仕事を追及した人だったのだと思う。

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2002年12月22日(日) 「覗き見る」2冊(の1冊)

あの人の「手帳」が見たい!―覗いて盗め!名人たちのマル秘手帳術 戸田覚『あの人の「手帳」が見たい!』(1997年,ダイヤモンド社)オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス

 タイトルから想像できるように、ビジネス書である。しかし、実用性だけでなく、なかなか面白い。ダイヤモンド社には、「雑学ノート」シリーズや、「見たい!」シリーズなど、たまに面白い本がある。
 この本は、様々な人の手帳を覗き、それぞれのスケジュール管理を知ろうという内容。登場するのは大きく分けて「ビジネスマンとして成功している人々」「手帳や電子手帳をつくっている人々」「モデル・僧侶・マンガ家などの特殊な職業の人々」「学者・エッセイストなど、知的分野で有名な人々」。
 1997年という時代のため、デジタル的な情報管理の話は古い。なにせ、登場するノートパソコンや携帯電話・PDA(シャープのザウルスのような手帳サイズのPC)などがえらい古い。「本当に5年前かよ」と思うくらい。むしろ、紙の手帳にどんなものを使って、なにをどのように書くか、という話が非常に参考になる。自分の仕事用の手帳を見て、そのへぼさ加減にため息をつくとともに、来年こそは頑張ろうと思わず誓ってしまった。
 そろそろ来年の手帳を買う頃ですが、ちょっと読んでみるだけでも参考になるかもしれませんよ。

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2003年1月1日(水) 「人物を語る」2冊(の1冊)

・富田勝『だんぜんタブチくん!』(1983年,二見書房)オンライン書店bk1Amazon.co.jp

 「タブチくん」とは、ご存知田淵幸一氏である。著者富田氏は、法政大学野球部で、田淵・山本浩二の両氏とともに「法政三羽ガラス」と呼ばれ、プロ野球では南海-巨人-日本ハム-中日と渡り歩いた内野手。刊行時は引退し、野球評論家であった。
 田淵氏のそばにいた人間だから書ける様々なエピソードが興味深い。学生時代からプロ野球時代にいたるまで、たわいないものもあるが、それゆえ面白い話が数多くつづられている。
 実は、俺には田淵氏の現役時代の印象はほとんどない。1984年に現役を引退しているから、俺が野球を見るようになった頃には、既に見ることはできなかったわけだ。しかし、知名度や人気は同時代に活躍した選手に比べても引けを取らないと思う。それはいしいひさいちのマンガ『がんばれ!! タブチくん!』の印象も強いだろうし、現役引退後の評論家・監督(ダイエー)・コーチ(阪神)での活躍もあるのだろう。だけど、この本に出てくるような、誰からも愛されるキャラクターというのが最も大きな理由ではなかろうか。
 ……本の内容とは少し離れてしまった。この本は、スポーツ関係の古本を扱っている古本屋なら比較的手に入りやすいのではないかと思う。また、新書版の棚にひょっこりあったりもするので、興味がある人は探してみてはどうでしょうか。

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2003年10月3日(金) 俺はこういう本を参考にしています。

・外山滋比古『文章を書く心』(1986年,福武文庫):オンライン書店bk1Amazon.co.jp

 文章の書き方は、一冊本を読んだくらいで身につくもんじゃない。何人もの著作を何冊も読んで、そこから自分にあった部分を取り入れて、自分なりの文章のスタイルをつくっていくものだ、というのが俺の考え方である。そこで、これまでそれなりに「文章の書き方」や「知的生産」の本を読んできた。
 その中で、比較的信頼している著者に外山氏がいる。本職は英文学の研究者だが、文章の書き方、勉強の仕方に関する著作も多い。学生の頃から、文庫になった本をちょこちょこと集めては読んでいる。
 この本では、話題ごとに短いエピソードがいくつも掲載されている。
 例えば、「『白い』『よりいっそう白い』『もっとも白い』のうち、一番白いのはどれか」という問題がある。答えは「白い」である。奇妙に思うかもしれないが、「もっとも白い」は、黒と灰色を比べたときの灰色を表現するときにも使える。こんな例をきっかけにして、形容詞や副詞は少ない方がいいという話になる。
 その他にも、名文を素読する(ただ音読する)のは大事だという、ここ数年で斎藤孝氏が提唱して流行になった勉強法も、この時点で既に提唱している。
 こういう話が、非常におもしろく書かれている。このおもしろいというのが大切だな。自分でネタにしようと思うので、身につくのである。

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2003年11月2日(日) 笑いを知的に楽しむ1冊

ユーモアのレッスン 外山滋比古『ユーモアのレッスン』(2003年,中公新書)オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス

 具体的の定義を対話形式で考える「Tユーモア問答」と、具体的なユーモアの例を紹介する「Uユーモアさまざま」の二部からなる本。人によっては、Uを先に読んだ方が面白いかもしれない。ただし、Tにも笑いを分析するヒントがたくさんある。実例に触れた後なら、理論の部分も頭に入りやすいと思う。
 しかし、TもUも面白い事例がいっぱい出てくる。特にUは、バーナードショウ、内田百けん(「けん」は門の中に月)、落語、連句などから、一般の人々のエピソードまで、色々なユーモアの例が挙がっている。これらの例も、ただ面白いだけでなく、色々な発見もある。またTで挙げられた例では、「風に飛ばされた帽子を追いかける人がこっけいなのに、ラグビーで大勢の人がボールを追うのがこっけいでないのはなぜか」という問題が、なかなか興味深かった(p.16)。これは、客観性と笑いの問題である。
 まあ、俺の紹介文ばかり書いていてもあまり面白味が伝わらないと思うので、最後にこの本の中から俺がお気に入りのユーモアをひとつ紹介。
 長崎にある「佐世保」の読み方は「サセホ」と「サセボ」のどちらが正しいのかという質問に、地元の人が答えて「サセボですけれども、サセホという人もいます。どちらだっていいんです。ホボ同じですから……」(p.179)。

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2002年9月2日(月) 今日はマンガです。

ラスト・ブックマン とり・みき/田北鑑生『ラスト・ブックマン(THE LAST BOOKMAN)』(2002年,早川書房)オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス

 舞台は近未来、形ある本が消えつつある時代。そんな時代だからこそ、本を守る「書店管理官」という職業も生まれている。
 このマンガは、そんな書店管理官を主人公にしたSFコメディ長編である。
 メインとなるのは、本の内容である情報を収集し、そのデータを独占しようとする集団と、その集団から一軒の本屋を守る男の物語。そこに目一杯のSF的設定と、ギャグ、そして本への愛情が詰め込まれている。
 形ある本が消えつつあること、本を読む人が減りつつあることは、単なる絵空事でもない。そんなことを考えつつ読むと、また違った趣があるが、まあそんなことを考えずに読んでも充分楽しめる。

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2002年11月26日(火) とり・みき特集

遠くへいきたい (Volume 1) 遠くへいきたい (Volume 2) 遠くへいきたい (Volume 3) 遠くへいきたい (Volume4) とり・みき『遠くへいきたい』(河出書房新社)オンライン書店bk1Amazon.co.jp

 雑誌『TVBros.』連載の9コママンガ集。これがまあ変わっていて、セリフはないし、コマは9つとも正方形だし、時々どうやって読むのかわからなくなってしまうのである。しかし、あまり難しく考えない方がいいかもしれない。じーっと眺めて、にやりと笑う。あるいは読んでから何時間か経ってから、もしくは何度か読み直してから、「ああ」と思って、にやりと笑う。そんな風に、想像力が刺激されるマンガだ。
 雑誌でいつも読んでいる人も、まとめて読むと、また違った趣がある。雑誌への掲載時期にあわせてさりげなく季節感を出していることにも気付かされる。また、単行本だけに0コマ目や10コマめが掲載されたマンガもある。

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2006.07.13(木) シリアスな「とり・みき」の世界

オンライン書店ビーケーワン:パシパエーの宴・とり・みき『パシパエーの宴』(2006.2,チクマ秀版社)
「「くだん」に挑戦した表題作、映画「乱歩地獄」より「鏡地獄」を書き下ろしコミカライズした最新作など、全11話を収録したシリアス系伝奇・怪奇・SF作品集。須賀隆(撮影監督・映画コラムニスト)が書き下ろした解説つき」(オンライン書店bk1の紹介文)
 収録作品は下記のとおり。
 パシパエーの宴/レンタルビデオ/カラオケボックス/木突憑/宇宙麺/甕/冷蔵(庫)人間第一号/金玉人間第一号/day dream/望楼/鏡地獄

 とり・みき氏のシリアス系(SF・伝奇・怪奇もの)短編マンガを集めた本。
 感じるのは、テーマや舞台の設定がうまいよなあ、ということ。「件(くだん)」という妖怪をテーマにした「パシパエーの宴」、現代的流行の異常さを際立たせた「レンタルビデオ」、「カラオケボックス」、そのまんまなのがユーモアラスな「金玉人間第一号」などなど、バラエティに富んでいるが、いずれもアイデアやテーマの面白さが興味深い。もちろんそのテーマで、最後まで話を引っ張るストーリーの運びのうまさも。

 ちなみに「鏡地獄」は、江戸川乱歩の短編の漫画化。形としては、映画化した「乱歩地獄」の中の一編の漫画化となっている。
 俺も乱歩の「鏡地獄」は読んだ記憶があるが、ちょっと内容が異なるように思う。でも、鏡の持つ幻想的(あるいは不気味)な雰囲気って、絵で表現されるとより強く感じる。
オンライン書店ビーケーワン:鏡地獄・江戸川 乱歩〔著〕『鏡地獄』(1997.12,角川書店)
 角川ホラー文庫「江戸川乱歩怪奇幻想傑作選」。

乱歩地獄 デラックス版

乱歩地獄 デラックス版

posted with amazlet on 06.10.05

ジェネオン エンタテインメント (2006/05/25)


 ちなみに同じ出版社から、「レジェンド・アーカイブス」として、下記の二冊も刊行されています。これは過去に単行本化された作品に未収録作を加えたもの。こちらも気になる。
オンライン書店ビーケーワン:山の音・とり みき著『山の音』(2005.12,チクマ秀版社)
「南九州の山峡の村に一人の青年が赴く、恋人を探しに。「異人殺し」「入らずの山」「巨人の骨」と呼ばれるそこには、男女の究極の「愛」が秘められていた…。表題作のほか5編を収録した、シリアス系SF・ホラーコミック集」(オンライン書店bk1の紹介文)
オンライン書店ビーケーワン:トマソンの罠・とり みき著『トマソンの罠』(2006.5,チクマ秀版社)
「とり・みき版「トワイライトゾーン」! 表題作や書き下ろし新作「トマソン罠の風景」など、都市伝説や伝記ホラーをにまつわる全9編の作品を収録。映画監督・高橋巌による書き下ろし解説も収録」(オンライン書店bk1の紹介文)

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2002年8月26日(月)

・とり・みき『とりの眼ひとの眼』(1994年,ちくま文庫)オンライン書店bk1Amazon.co.jpの楽天ブックス

 文庫版の出版は1994年。単行本としては1989年。初出は記載されていないが、前書きに「過去七年間の文章原稿」とあるので、1980年代に雑誌等に掲載されたものだろう。原田知世主演映画『天国に一番近い島』(1984年)にエキストラとして参加し、小道具を作成するためにニューカレドニア島へ旅した記録が第1章。色々なテーマでのエッセイが第2章。映画に関するエッセイが中心となった第3章。いずれも今から10〜20年前に書かれたものだ。
 しかし、こうした一見なんでもないようなエッセイこそ、当時を知る貴重な資料になるのだ。とり・みきファンが読んでも、もちろん面白い。それだけでなく1980年代に青春を過ごした人、1980年代に子どもだった人には、当時に懐かしさやうらやましさを感じるのではなかろうか。俺はうらやましいですね、1980年代に青春を過ごした人々は。

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2002年11月26日(火) とり・みき特集

とり・みきのしりとり物語 とり・みき『とり・みきのしりとり物語』(1996年,角川書店)オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス

 とり・みきが、雑誌『ニュータイプ』(角川書店)に連載したエッセイ。月1回ずつ、足掛け7年の連載である。掲載誌から漫画やアニメーションの話が多いかと思いきや、そうでもない。時事ネタも多いが、時々まったく関係ない話もあり、一見ばらばらな印象を受けるが、それらも全部ひっくるめて「とり・みきの世界」なのである。
 しかし、氏の世の中の見方はなかなか鋭い。マンガ作品を読んでもそれは感じるが、エッセイなどの文章を読んでもそれは感じる。
 このエッセイの内容から、とり・みきの新しい仕事に広がったものもあるので、ファンの人はその辺りに注目するのも面白いかもしれない。

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2007-06-01(木) お金持ちの自慢話のように虚しく響く
鳥海 忠『ほしい「モノ」大全』(1997年,光文社文庫)
Amazon.co.jpbk1
 この本では、著者曰く「私自身がこの四半世紀にわたって、それなりに調べ、これならよさそうだと思って使用してきたモノのうち、使い勝手のいいモノ、役に立つモノを紹介するならこれだと思う、というモノを選んで」(p.4)紹介していとのこと。そして、「この本は写真を見てくださり、私の文章を読んでくださる方々にお役に立つものと私は信じている」(p.6)というのが著者のまえがきにある。そして、100点の商品を、見開き2ページに写真と文章で紹介している。
 しかし残念ながら、読んでいても登場する商品が欲しくならない。自分でも不思議なくらい、欲しくならない。取り上げられているのは、洋服・靴・文房具・台所用品など、興味を惹かれてもおかしくなさそうなものもあるのだが、欲しくならない。
 これは、著者の紹介文に魅力を感じられなかったからだろうと思う。なんとなく、お金持ちの余裕のようなものを感じて(著者が実際お金持ちかどうかは書かれていないので分かりませんが)、読んでいて「ついていけないなあ」という気分になってしまう。
 例えば、「私はブランド志向はそんなにないつもりでいるものの、パイプについてはダンヒルが気にいっている」(pp.16-17)という一文があるのだが、著者はこの本で、モンブランの万年筆やブルックスブラザースのブレザー、L・Lビーンのコートなどを取り上げている。私は「それがブランド志向だから気に入らない」と言いたいのではない。「ブランド志向ではなく、いいものを探したらたまたまその商品だった」という感じが嫌味に感じるのである。
 他にも、「私はニューヨークのブルックスブラザーズ本店に立ち寄ったとき」(p.20)とか、「ロンドン・ピカデリー通りのフォートナム&メイソンの店の横に一頭立ての馬車がとまっているのを見たことがある」(p.42)とか、プーアール茶について「このお茶が手に入りにくかったころ、私は香港まで買いにいった」(p.71)とか、こういう文章が普通のことのように出てくるのも、著者は私とは遠い世界の人間だと感じる。
 そうした人から、さも啓蒙するような文章で色々なものの魅力を語られても、欲しくなれない。読む人の経済状況や年齢によっても異なると思いますが、30歳前後で、お金もない今の私には、「ほしい『モノ』」はこの本の中からは見つけることが出来ませんでした。

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