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木の葉燃朗のばちあたり読書録

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■著者別ら・わ行

田山三樹:編著『NICE AGE YMOとその時代』 / 渡部 昇一『発想法 リソースフル人間のすすめ』

2007.03.08(木) 周縁から見るYMOの面白さ

オンライン書店ビーケーワン:NICE AGE田山三樹:編著『NICE AGE YMOとその時代』(2007.1,シンコーミュージック・エンタテイメント)
Amazon.co.jpの紹介ページ)(bk1の紹介ページ

 本の内容は下記のとおりです。

・リーディング・ヒストリー
 1978年〜1984年までの、YMOおよびメンバーのソロでのリリース、ライブ・イベント出演、メディアへの登場を記録した年表。あわせて、著者の田山氏による解説や当時の記憶なども記されている。

・インタビュー・対談
 渡辺香津美
 土屋昌巳
 鮎川誠&シーナ
 市田喜一(アルバム『増殖』ジャケットの人形制作を担当)
 松武秀樹×寺田康彦(レコーディングエンジニア)
 クリス・モスデル
 後藤美孝(坂本『B2-UNIT』を共同でプロデュース)
 北中正和(音楽評論家)×田山三樹

 あとがきにあたる「後奏」によれば、「YMO本体に切り込んでいくようなスタイルの評論は、ここしばらくは先へ行けないかな、無効かな、という個人的な読みというか、感触もあって、こんな形の書籍の企画を思い付いた」(p.186)という。
 ということで、読み物の要素も持ったYMOの年表(「リーディング・ヒストリー」)と、当時YMOに極めて近い場所で仕事をされていた方々へのインタビューという二本の記事を柱に書かれている。

 面白かったのは、あえて周縁から見ることで、当時のYMOの姿がより生き生きと感じられたこと。これは多分、YMOのメンバーご自身が語るよりも、関係者から見た様子の方が、ファンから見た姿により近いからではないかと思う。特に私のように、再生前後(1990年代前半)にYMOを後追いで好きになった者としては、散開前のYMOとその周囲の空気というか雰囲気を感じることができて、興味深かった。

 例えば「リーディング・ヒストリー」内では、ライブやテレビ番組、雑誌やテレビのコマーシャルについても細かく紹介されていて、その多くに解説や田山氏の感想が付記されている。このような、感想なども併せて書かれた形式の年表は、私はあまり読んだ経験がなくて、面白かった。これだけ夢中で読める年表というのは、あまりないと思う。

 それから、インタビューでも色々と興味深い話が出てくる。特に印象に残った話を紹介します。

・ライブ・アルバム『公的抑圧』から、渡辺香津美氏のギターがカットされた(坂本氏のシンセサイザーがオーバーダビングされた)件。
 渡辺氏の証言によれば、当時渡辺氏が専属契約を結んでいた日本コロムビアと、YMOの音源をリリースしていたアルファレコードとの関係が原因だったらしい。坂本氏はコロムビアから『千のナイフ』をリリースしたものの、その後YMOとしてアルファレコードからリリースをしたことで、「コロムビアとしては坂本さんがアルファに行っちゃった上に渡辺香津美までYMOの流れでアルファから何かの形でガーンと出ちゃったりするとマズイだろうと判断したと思う」(pp.82-83,渡辺氏)とのこと。渡辺氏は「既にやっちゃったことなんだからよく話し合っていい形に落ち着けてくれ」(p.83)とコロムビアに伝えたが、結果は『公的抑圧』という結果になってしまったようです。
 ただ、「リーディング・ヒストリー」の『公的抑圧』の部分(p.30)を読むと、坂本氏の証言はまた違っているようでもあるし、真相は今となってははっきりしないのかもしれない。
 ただ、1991年に渡辺氏のギターも入ったライブ盤『フェイカー・ホリック』が出たときのエピソードは、「なるほど!」と思いつつも「なんだかなあ」と思ってしまった。
 というのは、「僕が原宿の駅の辺りを歩いていたら偶然コロムビアの人とすれ違って」(p.83,渡辺氏)、「『今度アルファのディストリビュート(編註:販売経路を担当する業務)がウチになりましたから』って」(p.83,渡辺氏)言われて、渡辺氏も自身のギターが入ったライブ盤の発売を初めて知ったのだという。そういう事情でリリースされたものだったのか、『フェイカー・ホリック』って。

・YMOのアルバムごとの雰囲気の違い
 YMOのアルバムは、アルバムごとにかなり雰囲気が違うのですが、この点についての土屋昌巳氏の指摘が興味深い。
 「『はらいそ』にも『ソリッド〜』にも、後の『BGM』や『テクノデリック』の要素はちゃんと入っていて、後ろの方で鳴っている」(p.95,土屋氏)らしく、『BGM』収録の曲に「つけようと思えば『ライディーン』みたいに分かりやすい音色でポップなメロディをつけられる曲がいくらでもある」(p.95,土屋氏)のだという。これは、プロのミュージシャンならではの視点という感じだなあ。

 そして最後に、どうしても紹介したいエピソードをひとつ。高橋幸宏さんのソロライブツアーに参加した土屋昌巳氏氏が、打ち上げ時に見た細野さんの姿。「フロアでライブをやったら、一番最期のアンコールの曲で突然、細野さんが客席の方に飛び出して一人でツイストを踊り出した」(p.99,土屋氏)らしい。打ち上げなので、周りは関係者だけなのだが、その中で一曲分踊りきったとのこと。それを見た土屋氏は「絶対にこの人にはかなわない」(p.99)、「もうこの方に追い付くとか考えるのはよそう、と思いましたよ(笑)」(p.99)という感想を持ったという。
 なんだか、細野さんの底知れないすごさを感じるなあ。

 このように、色々な話があって面白い。どの時代からYMOを見ていて、誰のファンかによって、それぞれ面白いポイントがある本だと思います。

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2007-06-14(木) テクニックではなく、もっと根本的な意味でアイデアを生み出すための方法

渡部 昇一『発想法 リソースフル人間のすすめ』(1981年,講談社現代新書)Amazon.co.jpbk1
目次
はじめに/1−リソースフルとは/2−発想の井戸を掘る/3−自分の経験をみがく/4−発想の泉としての語学/5−井戸の深さが自信を生む/6−カンを養う/7−異質の目をもつ/8−天からの発想・地からの発想

 「はしがき」によれば、「電通の夏期大学で編集者やコピーライターなど、物を書くことに関係する人たちのために、何か発想法に関係あることを一時間半くらいしゃべるように頼まれた」(p.3)という講義内容に加筆したもの。
 最初に書いておくと、かなり難がある内容。著者の思いつきに当てはまる事例を持ってきただけのような部分もあります。
 特に「8−天からの発想・地からの発想」は、「地からの発想」は仕事の中からアイデアが生まれるということで、これはいいのだが、「天からの発想」の部分がひどい。「アイデアの根源的故郷として、あるいは尽くることなき水源地としてのオカルトの世界」(p.222)、つまり霊感について考察しているのである。このテーマは、本来なら相当な調査の上で書くべき内容である。しかし著者は、自分の伯母が「突如千里眼の能力が生じ、未来を予言することができた。そしてそれがずばずばと当たった」(p.232)ことを子どもの頃に見て、「この伯母にはインチキがいっさいなかったことは確実」(p.232)と理由もなく断言している。そしてこれを根拠にオカルトの存在を前提として考察しているのである。
 また、外国語をマスターすることや留学することなどで、異質な視点を持つことを薦めておきながら、突如「昔は欧米を見れば日本の未来がわかったが、今では東京を見れば、そこ以外に未来を求めることはちょっとできないであろう」(p.217)という一文が登場し、「結局どっちなのだ」と読んでいて混乱する。

 しかし。参考になる部分もあった。そうした部分をいくつか紹介します。

 まずは、resourcefulの意味を井戸に例えた話について。「例えば井戸から水を汲む。いくら組んでも後から後から滾滾と湧き出てくる感じ、あるいは倒されても倒されても、再び立ち上がってくる感じがresourcefuという単語の根にある」(p.15)。そしてresourcefulは、「大きな備蓄という物質的な意味にもなるし、豊かな予備軍という軍事的な意味にもなるし、さらに、次から次へと窮することなく妙策を出す頭脳の働きという意味にもなるのである」(pp.15-16)。
 そして「リソースフルになる一つの道は、自分の井戸の数を増やすことである」(p.32)という。これはその通りだと思う。自分が詳しかったり、興味を持っている分野が複数あれば、それらの分野から要素を組み合わせてアイデアを生むことができる。例えば(極端な例ですが)、日本史にしか興味がない人、物理学にしか興味がない人よりも、日本史と物理学にそこそこの興味がある人の方が、面白い発想ができる。あるいは文学と音楽でもいいし、美術とコンピュータでもいいのだが、興味や知識のある分野の多い方が、組み合わせによる発想が多く生まれる。

 上の話とも関連するが、江戸川乱歩が堅実な生活をしていたことも印象的である。乱歩が「大阪の貿易商に勤めた時も、重役に能力を認められて、年末には多額のボーナスをもらったりしている」(p.73)し、「小説が売れるようになると、彼は下宿屋をはじめるのだ。今ならマンション経営というところであろうか」(p.73)。つまり、現実的な生活をしながらでも、作家として名を成すことができる。これは勤め人にとっては、勇気付けられる。もちろん、乱歩には相当な英語の語学力があった。また、休筆期間に読書に時間を割いたり、旅行に出たり土蔵を書斎にしたりという、時間・空間的な逃避をする工夫もしているのだが。

 最後に、「広大な分野にまたがる仕事をし続けて、質・量ともに巨大な業績を残しえた」(pp.158-159)学者を考察する中で挙げられているポイントを紹介しよう(pp.159-163)。
(1)”自信”
(2)四十歳までにいちおうの成果を
(3)多くの分野へ踏み込む
(4)日本への関心
 補足として、三十代までに世界に通用する仕事をしなかった人は「専門を狭くする」(p.162)か「ジャーナリズムの仕事に転ずること」(p.163)、あるいは「そのほか個人の資質や好みに応じて多くの道が可能」(p.163)という。

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