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木の葉燃朗のばちあたり読書録

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■著者別「む・め・も」→「ま・み」

桃井 はるこ『アキハバLOVE 秋葉原と一緒に大人になった』 / 森達也『放送禁止歌』 / 森村稔『クリエイティブ志願』 / 森村泰昌『超・美術鑑賞術見ることの突飛ズム』 / 森村泰昌『時を駆ける美術』 / 諸岡達一『死亡記事を読む』

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2007.03.02(金)ブームになるずっと前から秋葉原を愛し、信じている方の記録と記憶が詰まった本
オンライン書店ビーケーワン:アキハバLOVE・桃井はるこ『アキハバLOVE 秋葉原と一緒に大人になった』(2007.1,扶桑社)
 歌手、作詞・作曲、コラムなど、マルチに活躍する桃井はるこさんの初の著作。目次は下記のとおり。

第一章 想い出と、思うこと
第二章 インターネット日記
 「バーチャリアンコ☆日記」一九九六年〜/「モモイハルコ秘密の日記」一九九八年〜
第三章 モモーイ on column
 桃井はるこの移動式女子大生(モバイルプレス)/桃井はるこ新聞(月刊アスキー)/ほっとマーク(朝日新聞)/桃井はるこのモモイズム・萌えイズム(電撃萌王)/放課後、アキバ通い(ゲームジャパン)/モモーイのヲタ川柳に萌え〜っ(サンケイスポーツ)/桃井はるこの今さら人にきけないヲタんご辞典(サンケイスポーツ)/桃井はるこのアキバヲタんご辞典(サンケイスポーツ)

 桃井さんを紹介する上ではずせないキーワードは、「秋葉原」と「オタク」。今でこそ、どちらの言葉も多少は認知され、受け入れられているが、1990年代までは、今よりずっとネガティブなイメージがあった。その頃から、桃井さんは秋葉原やアイドル・アニメ・ゲームに愛情とこだわりを持ち、その思いを表に出して(「オタク」として)活動してきた。その記録と記憶の一端が、この本に綴られている。
 読んでいて印象深いのは、やはり秋葉原に関する部分と、桃井さんが行ってきたインターネットによるコミュニケーションの部分。そうした点を中心に、いくつか印象に残った部分を紹介していきたいと思います。

 第一章は、子どもの頃から現在までの思い出や出来事を記している。その中で一番印象的だったのは、高校生の頃に秋葉原のジャンクショップでアルバイトをしていた思い出を描いた「秋葉原でバイト」(pp.43-78)。1990年代半ばの、秋葉原が家電の街からパソコンに街に変わり、更におたくの街としての要素が入り込みつつある時代の雰囲気を思い起こさせてくれる。「一本裏通りに入ると、白装束を着た数人の男女五人ほどが私たちを見つけるなり、チラシを差し出してくる。/『激安ですよ〜!!』」(p.62)とか、「うちの店よりもあやしいともいえる店があった。窓には、「黒地に赤で『特殊漫画』と書いてあるシートが貼ってある」(p.73)、「わたしの周辺の昔からのアキバ友達の間からは『ついにこんな店ができちゃったか』という喜びなのか悲しみなのかわからない感想が漏れ聞こえてきた」(p.74)、「その店の名前は『とらのあな』という」(p.74)とか。ちなみに前者の白装束を着た人とは、オウム真理教が経営していたマハポーシャの店頭呼び込みの様子です。

 他に、桃井さんのパーソナルな話で言えば、憧れのアーティストとして挙げている中に戸川純の名前があったのが、少し意外で印象的だった(p.130)。また、「わたしには『黒歴史』はない。はちまきをしてアイドルの応援をしていたことも。セーラー服を着て秋葉原の路上で歌っていたことも。メイド服を着てコミケで歌ったことも、一見おかしな行動だが、わたしにとっては全部誇りだ」(p.158)というのは、かっこいい。ちなみに「黒歴史」というのは、アニメ『∀ガンダム』で使われたの用語が発祥で、「なかったことにしたい過去の経歴」を意味します。そうしたものがないと明言できるところに、桃井さんが愛している様々な文化が、今の活動の礎になっているのだということを強く感じる。

 第二章は、webサイトに掲載していた日記からの抜粋。今は公式サイトはシンプルな内容になっているのですが、かつては日記・掲示板とも活発に更新されていた。1990年代半ば、まだブログもSNSもなければ、インターネットの常時接続もない頃から、桃井さんは自分自身でwebサイトをつくり、運営していた。
 こうした活動から、私は桃井さんを「インターネットの可能性を信じている人」と思っていたが、この本を読んで、その考えはちょっと違っていたと思った。たしかに桃井さんは高校生の頃、それまで同じ趣味について話ができる人がいなかった状況からパソコン通信を通じて様々な人と知り合い、webサイトをつくり、活動の幅を広げていった。しかしそれを、桃井さんは次のように書いている「わたしをあの時、救ってくれたのは、インターネットじゃない。『人』だ。わたしを励まし助けてくれた、人だ。ネット上で会えた、人だ。隣で応援してくれた、人だ。今、わたしは強くそれを言いたい」(p.181)。ネットがなければ出会えなかった人もいたかもしれないが、大切なのは、あくまで人とのコミュニケーション、ということ。この部分は印象に残る。いま、公式サイトに「オフラインでがんがりまーす!!」と書かれていることの意味も、この部分を読むと分かる。

 第三章は、各種メディアに連載したコラムをまとめたもの。その当時の時事的な話題が取り上げられていて面白い。
 例えば、セガが発売していたゲーム機「ドリームキャスト」を取り上げて、「インターネットをもっと身近で、一般的なものにしてくれるのは、きっとドリキャスなんじゃないかって思っている」(p.273)と書いている。1998年時点の文章です。今ならゲーム機をインターネットに接続するというのも当たり前の考えだけれど、ネットの常時接続が普及していなかった当時を考えると、桃井さんの考えの先見の明を感じる(ただ、早すぎた。ついでに、セガの構想も早すぎた)。
 それから、「雑誌や漫画ならパラパラめくればいい。しかしインターネットって、こういうあいまいな楽しみ方がしにくい。アドレスを打ち込んだり、検索したい言葉を入力しないと何も出してくれない」(p.288)というのも、懐かしい(既に懐かしい)。かつてはインターネットは能動的でないと楽しめなかった。しかしいまや、他の人が次々と提供する情報をぼんやり見ているだけでも、瞬く間に時間が過ぎてしまう。これ、インターネットでやり取りされる情報の変化のひとつだよなあ。

 一方で、秋葉原の懐かしい風景も登場する。特に2006年に連載された「放課後、アキバ通い」が面白かった。今の秋葉原とはちょっと雰囲気の違う、少し前の秋葉原が描かれていて、自分の記憶とも重なり、色々なことを思い出す。例えば、駅前にあった「ソフトターミナルシントク」というCDショップ(pp.314-315)。懐かしいなあ。私が高校生の頃にインディーズ盤や輸入盤のCDを知ったのは、タワーレコードでもHMVでもなくこのソフトターミナルシントクだった。
 それから、秋葉原に行く時は、桃井さんの頭の中で「A列車で行こう」が流れ、「わたしにとって中央総武線は『”A”train』だったんです」(pp.306-307)という表現、好きです(言わずもがなですが、「A」は「Akiba」のAですね)。

 そして、秋葉原についての話のクライマックスといえるのが、「あとがき」で書かれた光景。2006年12月31日、アキハバラデパートが55年の歴史に幕を下ろし閉店する日、桃井さんは店に赴き、閉店時に次のような行動を取る。「シャッターがゆっくりと下りていく。わたしはそれを目に焼きつけながら、力の限り、その場で手を叩いた。すると、つられて周囲の人がパラパラと拍手してくれた。(中略)これが、わたしのここでの最後の想い出になるだろう」(p.369)。
 秋葉原に色々な思いがあり、この日もアキハバラデパートから歩いて10分もしない電気街の中で仕事をしていた身としては、自分も立ち会いたかったなあと思う。秋葉原に遊びに来ていた頃から、働いている現在まで、アキハバラデパートには何度となく行っていたので、非常に感慨深い。
 秋葉原を紹介している、語っている本は多数あるが、著者自身の記憶や強い愛情を元に書かれているという点で、この本は面白いと思う。

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2003年10月4日(土) 読み応えのあるノンフィクションを1冊
森達也『放送禁止歌』(2003年,光文社知恵の森文庫)
 「放送禁止歌」という言葉を聞いて、なんとなくイメージはわくと思う。でも、改めて 考えると正体不明な感じがするのではないだろうか。著者は、フジテレビの 「NONFIX」において「放送禁止歌〜唄っているのは誰? 規制するのは誰?」 (1999年)を制作するために、放送禁止歌について調べていく。この本はその時の 記録である。
 まず意外だったのは、「放送禁止歌」という規制がないこと。実際は、「要注意歌 謡曲指定制度」というガイドラインがあるだけで、ある歌を放送するかどうかは各放 送局が決める。ガイドラインなので、「要注意」とされる曲をテレビやラジオで流した からといって罰せられることはない。しかし、テレビを見る側もつくる側も、あたかも どこかになんらかの規制があるように、特定の歌は流されないものと考えている。 これは思考停止の状態だ。
 このことがわかっただけでも、俺にとってはこの本を読んだ価値があった。それ から、俺にとってはまったくに近いくらい実感のない部落差別についての話を読め たことも貴重な経験だった。
 テーマは重いのだが、非常に興味を惹かれる内容。著者の考えに必ずしも賛成 できない部分もあるが、その賛成できない思いを持つことも含めて、著者の考えを 知る意味があると思う。
 最後に大まかな内容を紹介しておこう。
 第1章・第2章:「放送禁止歌」をめぐる番組制作をする中でのインタビュー・取材 の様子。なぎら健壱・高田渡など歌い手の他、部落解放同盟へも取材をしている。
 第3章:アメリカと日本の放送規制の違い。デーブ・スペクターとの対談。
 第4章:同和地区への取材。再び部落解放同盟へのインタビュー。
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2003年2月26日(水) "知的生産"のための2冊(の1冊)
森村稔『クリエイティブ志願』(1986年,ちくま文庫) 古本
 著者は、東大文学部卒業後、博報堂を経て、日本リクルートセンターの取締役に なった(当時)ばりばりのビジネスマン。その上、読書や文章についてのエッセイ集 も刊行している。この本もそうしたエッセイ集の一冊。
 「知的生産をいかに行うか」という、1980年代らしいといえばらしい内容。しかし、 15年近くたった今読んでも参考になる部分が多い。さすがちくま文庫に入るだけの ことはある。
 短い文章を積み重ねて書かれているので、興味があるところから読んでいくこと も、はじめから通読することもできる。内容は大きく分けて、ものの考え方や会話 の仕方を中心とした「頭の章」、文章の書き方についての「手の章」、読書・本につ いての「目の章」の三章からなる。
 エッセンスを凝縮して書いているので、「なるほど」と思って、すぐに真似したくなる 部分が多い。これは大切なことだ。仕事でビジネス書を読まされることもあるが、つ まらないビジネス書というのは、内容が抽象的で、その上よく考えると当たり前のこ としか書いていない(まあ、今読まされている本がそうなのですが)。その点この本 は興味が引かれる事例・エピソード・引用が多く、読んでいて飽きない。この本に書 かれている「いい文章を書くためのコツ」が、そのままこの本の書き方に実践され ていて、コツが本当に有用なことが実証されている。

2002年4月5日(金)3月に読んだ本(フリートークにて)
森村泰昌『超・美術鑑賞術 見ることの突飛ズム』(日本放送出版協会)
 NHK教育「人間講座」のテキスト。薄い本ですが、「美術って、あまり難しく考えなく てもいいんだ」と思わせてくれます。テレビの放送が終了したので、テキストも書店 には並んでいないかもしれません。興味がある人には同じ著者の『踏みはずす美 術史 私がモナ・リザになったわけ』(講談社現代新書)や『美術の解剖学講義』(ち くま学芸文庫)もおすすめします。
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美術の解剖学講義

2005.8.8(月) 美術が分かろうと分かるまいと、面白がったり感動したりできる。そんなことに気づいて勇気が出る本。
・森村 泰昌『時を駆ける美術』(2005.7,光文社知恵の森文庫)
 美術について「知ることにあまり重点をおかず、それでも美術にわくわくできる別のルートはないものかと探り、これを具体的に書き表してみよう」(p.4)ということで書かれた本。
 難しいと思っていた美術も、自分の分かる範囲内で感じれば、色々と面白いところが見つかることが分かった。
 例えば、美術の専門用語に「オイル・オン・カンバス」というものがある。これは「油絵」のこと。
 しかし森村氏は、これを「要するに『布に顔料がのせられたもの』である」(p.129)と言い、「たとえばカーテンでもハンカチでも服地でも、それにTシャツだって、みんな布に顔料でプリントすることで、出来上がっているではないか」(p.130)と言う。
 そして、抽象画を「あれは、布に顔料で染められたプリント『柄』なのである」(p.130)と続く。
 そう思うと、難しいと思っていた抽象画が違って見えてくるから不思議だ。
 他にも、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の中央にいる人物が「戦時下なのにオッパイ丸出し」(p.22)だったり、左下に倒れている人物が「靴下とシャツだけ身につけて、下半身がスッポンポンなので、見るからにとても恥ずかしい」(p.22)なんて話が出てくる。
 岡本太郎作「太陽の塔」から、ウルトラマンと埴輪のふたつを連想する、なんていう話も出てくる。
 こういう話は、美術の授業では出てこないだろうが、面白いなあ。
 一方で、それぞれの作品の図版、そして作者名・制作年代などの基本データも掲載されているので、いわゆる教科書的な知識も知ることができる。
 美術を知っている人には新しい見方を、美術に詳しくない人には美術への興味を、それぞれもたらしてくれる本です。
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2003年10月14日(火) 新聞を読む楽しみが増えるかもしれない1冊
諸岡達一『死亡記事を読む』(2003年,新潮新書)
 死亡記事というのは、新聞の社会面の下の方に小さいながらもほぼ毎日掲載さ れている記事である。また、時には社会面、一面に一般のニュースと同じように著 名人の死亡が報じられることもある。そんな死亡記事の実例を挙げながら、あれこ れと解説したのがこの本。
 例えば、そもそも毎日多くの人が亡くなっている中で、どういう人が新聞に掲載さ れるのか。また人によって、いわゆる死亡記事となる場合と、一般のニュースとし て扱われる場合があるのはなぜなのか。新聞によって記事の内容や人物の選択 が違うのはなぜか。更に同じような知名度の人が同時期に亡くなった時、どんな取 り上げ方をしたのか(有名な「パンダのランラン」と「三遊亭円生」が同日に亡くなっ た時の話もある)、などなど。
 いやあ、新鮮な面白さがあった。この本を読んでから、それまであまり気を付け て読むことのなかった死亡記事に思わず目が行くようになってしまった。
 著者の文章の書き方も、あまり堅苦しくないコラム風で、好き嫌いはあるだろう が、個人的にはなかなか興味深く読めた。
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