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木の葉燃朗のばちあたり読書録

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■著者別「い」

飯島 洋一『キーワードで読む現代建築ガイド』 / いがらし みきお『ワタシ いがらしみきおの日記』 / 池谷伊佐夫『神保町の虫』 /  井崎博之『エノケンと呼ばれた男』 / いしいひさいち『文豪春秋』 / いしい ひさいち『ユーアーマイ参議院 PNN(ポッキリ・ニュース・ネットワーク)』 / いしいひさいち『ロスタイム17分』 / 石上三登志『地球のための紳士録』 / 石黒 正数「ネムルバカ」 / 石原 明『営業マンは断ることを覚えなさい』 / 石森章太郎『世界まんがる記』 / 泉麻人『コラム百貨店』 / 泉麻人『泉麻人の僕のテレビ日記』 / 泉麻人『おじさまの法則』 / 泉 麻人『電脳広辞園』 / 泉麻人・いとうせいこう『コンビニエンス物語』 / 泉麻人『散歩のススメ』 / 泉麻人『地下鉄100コラム』 / 泉麻人『東京23区物語』 / 泉麻人『なぞ食探偵』 / 泉麻人『なつかしい言葉の辞典』 / 磯田和一:絵・文『書斎曼荼羅1・2』 / 磯田和一『東京[23区]でてくちぶ』 / イッセー尾形『イッセー尾形の人生カタログ』 / イッセー尾形『イッセー尾形の都市生活カタログPART2』 / イッセー尾形『イッセー尾形の遊泳生活』 / 井田博『日本プラモデル興亡史』 / 糸井重里:監修『言いまつがい』  / 糸井重里『インターネット的』 / 池谷裕二・糸井重里『海馬 脳は疲れない』 / 糸井重里『ほぼ日刊イトイ新聞の本』 / いとうせいこう『ワールドアトラス』 / 井上理『任天堂“驚き”を生む方程式 The philosophy of Nintendo』 / 岩波書店辞典編集部:編『ことわざの知恵』 / 一瀬 大志・児玉 修一『ハイパーヒッチハイカーズ―炎のインターネット冒険旅行日記』 / いしいひさいち『ちゃっかり社長とうっかり社員』


2008.09.09(火) 1990年代以降の日本建築

飯島 洋一『キーワードで読む現代建築ガイド』 (2003年、平凡社新書)  Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 主に1990年代の日本の建築を、建築の専門用語だけでなく各分野のキーワードとともに紹介する。1990年代日本全体のキーワードを「崩壊」と「再生」と定義し、そのテーマに沿った建築物を取り上げている。
 「崩壊」とは、世界的にはベルリンの壁の崩壊、湾岸戦争、そして2000年代に入るが2001年9月11日のアメリカでの同時多発テロ。日本では、バブル経済の崩壊、自民党一党支配の崩壊、そして阪神・淡路大震災が挙げられる。この本では触れられていないが、オウム真理教による行動も、崩壊というキーワードに含まれるだろう。
 それに対し再生は、「re」の付く言葉の流行に象徴される。「リニューアル」、「リフォーム」、「リメーク」、「リミックス」などなど。そしてそれは、「記憶」を残したいという思いの表れだと、著者は言う。そして「この場合の記憶とは、もっと大きくいえば『歴史』と読み替えてみてもいいだろう。都市の歴史、共同体の歴史を、蘇生させて残そうというのである。それが『再生』という言葉となって、いま人々を強く引きつけているのだ」(pp.21-22)。そして私は、ここ数年の昭和30年代ブームを思い出す。

 序論で提示されるこのテーマは興味深いのだが、各章に入ると、『日本経済新聞』を中心に掲載された文章をまとめていることもあってか、論点がややぼやけてしまう。建築物に対する評価も、良い・悪いが明言されていない場合があり、著者の主張が見えにくい。

 それでも、建築にあまり詳しくない私にとっては、日本の建築物が紹介されているのを読むだけでも興味深かった。例えば「有期限付き」の建築物。建築当初から、一定の年数後に取り壊すことが決まっている建物がある。例えば「ティーズ原宿」(渋谷区神宮前4-30-2)。明治通りと表参道の交差点にある、「GAP」が入っている建物です。あの建物は、1999年から10年間の期限限定の建物だという。それからJR亀戸駅近くのショッピングセンター「サンストリート」(江東区亀戸6-31-1)も1997年開業で、15年の期限付き。
 建築物、特に商業施設の中に、出来た時点で壊す日時も決まっているものがあるのは、ちょっと驚きだった。閉店や閉鎖の可能性はあると思っていたが。

 もうひとつ、2000年代にはいってからの都市再開発について、著者の見解が述べられている。具体的には、「汐留シオサイト」や「六本木ヒルズ」について。著者はそこに、「これからの都市生活を占う意味で二つの大きな特徴がある」(p.219)という。「一つは海外の有名建築家がこぞってこうした高層ビルのデザインに参加していること」(p.219)。「もう一つはそこに建てられるのがオフィスビルだけではなく、高層住宅も加えられている点」(p.220)。
 こうした点から、一部の人に限定してだが、「都心で暮らし、都心で働き、さらに都心で遊ぶことが、二十四時間体制で十分に可能になる」(p.203)し、「仕事と遊びの境界自体がますます見えにくくなり、ライフスタイルもその意味では大きく変わることになる」(p.21)と予測している。
 しかし、この予測は外れたと、私は思う。たしかに再開発地域に住み、働く人は、「ヒルズ族」に代表されるようにもてはやされた。だがヒルズ族の代表である堀江貴文がなにをして、結果どうなったかはご存知のとおり。

 私は、再開発された地域を見て、また自分の生活からの実感からも、住む場所と働く場所、遊ぶ場所はちょっとずつずれていた方がいいように思う。東京の再開発が一通り済んだ今、著者は新しい街々とそこに建つ新しい建築物をどう捉えているのか、興味があります。

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2007.03.12(月)『ぼのぼの』のいがらし氏の昭和最後の年

・いがらし みきお『ワタシ いがらしみきおの日記』(1989.5,白泉社)
(2007.03.02読了)(Amazon.co.jp)(bk1
 『ぼのぼの』などでおなじみの漫画家いがらしみきお氏の1988年の日記。
 印象に残るのは、映画をビデオも含めてよく見ていること、パソコンを中心にゲームをよくされていること、それから当時の時点でパソコンをかなり使っていること。パソコン通信も当時既に始められています。
 逆に、下記七つをあらかじめ心構えとして決められたそうなので、下のような話は出てこない。

一、知られては困るプライベートなことは書かない。
二、マンガの制作についての突っ込んだことは書かない。
三、他人のマンガの感想は書かない。
四、買った本をいちいち書いたりしない。
五、買ったレコードをいちいち書かない。
六、ワタシ以外の人物は、全てイニシャルか仮名で表記する。

(pp.5-6)

 結果として、あまり時事的な話は登場しない。
 それでも、1月には事務所を開業し、5月には『ぼのぼの』が講談社漫画賞を受賞し、7月には初の海外旅行に行き、11月には結婚をするという、なかなか色々なことがあった一年ということが分かる。こういうことが分かるだけでも、著名人の日記って面白い。
 また、仙台在住のいがらし氏が、仕事で時々東京に来ては秋葉原でパソコン関連の商品を買うのも、好きなのだなあと思う。

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2005.5.9(月) 久々に、古本熱が高まる一冊
・池谷伊佐夫『神保町の虫』(2004年,東京書籍)オンライン書店ビーケーワン:神保町の虫
 神保町にまつわるエピソードや、神保町の古書店のイラストを掲載した本。著者は古本屋に関する著作が数多くあるが、この本は比較的新しい神保町の姿を描いている。 エッセイを読んでいると、だんだん神保町へ行きたくなってくる。「そうそう」と思うような話が色々と登場する。
 例えば、著者が初めて神保町へ行った高校生の頃、当時の国電神田駅で降りてしまい、古書店街を探してうろうろしたという、古本好きならうなづく人も多いだろうエピソードも紹介されている(p.25)。
 一方で、目録で本を注文する場合の抽選についての話とか(pp.46-48)、主に古書展で並ぶ本につけられる短冊(書名・著者名・価格などが書かれる)のコレクションの公開とか(pp.111-113)、古本・神保町に精通した著者ならではの話もある。 また神保町の古書店のイラストレポートも面白い。斜め上から見た店の様子を描いている。この店の紹介を見ると、それまであまり知らなかった店にも行ってみたくなる。

 本の最後には、「あなたも神保町の古書店主に」という文章があり、これが神保町で店を構えるために必要な手順や、最近神保町に出店した古書店主へのアンケート結果を記載していて、興味深い。
 最近、ネットでの古書店開業のノウハウを紹介した文章は比較的多く、それももちろん面白いけれど、やっぱり古本好きにとって、神保町に店を持つのも一つの夢だろうなあ。

 俺は買う方専門だから、古本屋開業を考えたことはないが、それでも神保町に店を出すのは憧れる。 また、本の話とともに、神保町の喫茶店「さぼうる」の名前の由来は、スペイン語の「味」のことだとか(p.159)、実は画家の安藤広重には未公認の四代目、五代目がいた(pp.69-71)とか、色々な分野での興味深い話が登場する。更にちょっと脱線すると、噺家の三遊亭円丈師匠にも、過去に無名ながら同名の噺家が二人いたらしい。 色々と新しいことが分かるし、神保町に行きたい気持ちもふつふつと起こさせてくれる、非常に面白い本。

2003年12月13日(土) エノケンこと榎本健一特集
・井崎博之『エノケンと呼ばれた男』(1993年,講談社文庫)
 戦後、エノケン劇団で脚本家となった著者による喜劇俳優榎本健一(エノケン)の 評伝。非常に丁寧に書かれており、面白い。エノケンの舞台を見るのは無理として も、映画だけでも見たいという気持になる。
 それから、当時の喜劇界の代表であるエノケンについて書くことで、戦前から昭 和40年代くらいまでの多くの喜劇人や、当時の浅草の様子、そして各映画会社、 芸能プロダクション(当時はそういう呼び方ではなかったかもしれないが)の様子も よくわかる。
 印象に残った部分を挙げるときりがないが、ここではふたつ紹介しておこう。
 昭和37年に、脱疽から右足を失ったエノケンに、アメリカの喜劇俳優ハロルド・ハ イドが見舞いに来て、自分も右手の親指・人差し指がないことを見せたという(p. 236)。俺は、この本を読むまでハロルド・ロイドにそうした身体的障害があることは 知らなかった。
 また、戦時中の映画や演劇についての検閲の話など、今から考えると信じられな い。さらに、エノケンとかロッパなどのカタカナは外国人に間違えられるからと、芸 名を変えるように指令が出たのだ。ただ、これに対する古川ロッパの反論が振るっ ている。「アスピリンやラジオ、ピアノはどうかえるんだ。感じにできるならお目にか かりたい。第一、片仮名というのは世界広しといえど日本だけの文字だ。日本製の 字を使ってどこが悪い。漢字はどこの国の字か知っているのか」(p.145)。笑いを 追及する人たちは、したたかだと思った。

2002年5月6日(月)4月に読んだ本(フリートークにて)
・いしいひさいち『文豪春秋』(創元ライブラリ)オンライン書店ビーケーワン:文豪春秋
「好きだよね、いしいひさいち」
「好きだねえ。この4コママンガ集は、文学界を舞台にしたパロディです。それと同 時に、登場人物が実在の野球選手のパロディなんだよ。『がんばれタブチくん』の キャラクターがたくさん出てきます。作家や編集者として。だから二重のパロディな んだな。」
「ちなみにこの本は『わたしはネコである』・『私はネコである殺人事件』(ともに講談 社)という2冊の本をまとめ、書き下ろしなどを加えて文庫化したものです」
「俺は2冊とも持っているけど、この本も買っちゃいました。だから読み返すという 形なんだけど、何度読んでも面白いんだよなあ」

2007-06-22(金)笑いには右も左もない

いしい ひさいち『ユーアーマイ参議院 PNN(ポッキリ・ニュース・ネットワーク)』(2007年6月,双葉文庫ひさいち文庫) bk1Amazon.co.jp

 帯には「内憂と外患とひさいち文庫/選ばれし者の恍惚が不安」。
 朝日新聞のwebサイトで(有料会員向けに)連載されている四コマのようですが、特に左寄りということはない。むしろ右も左もなく、日本や世界の政治について、ネタになりそうな人や出来事は茶化しておちょくる。例えば、

「モリアティ教授、/なぜ国民は/小泉を/支持/する/のでしょう」
「バカ/だから/ですよ」
「どっちがですか?」
「ハハハ」

(pp.15-16)

 ははは。あるいは、2004年に中国で行われたサッカーアジアカップでの観客の反日的行動の話を題材に、

「中国の人々に/フェアな/スポーツ/観戦とか/そりゃ/ムリですわ/なあ」
「ゲストの/ミヤザワ/さんです」
(中略)
「中国では/スポーツは/祭りの/演し物で/あって/スポーツでは/ないから/です」

(p.71)

 ちなみに「ミヤザワさん」は、どこかの国で総理大臣を務めた方とそっくりです。
 こういうスタンスは、まさにアナーキーな感じで、だからいしい先生って好きです。いしいひさいちが好きか嫌いかが、私がその人を好きになるかどうかのひとつのポイントになるかもしれないくらい。
 結構鋭いと思ったのは、「どうしてテレビを番組でなく放送時間で選ばにゃならんのでしょうね」(p.126)というキャスターのセリフ。そうだよな、その通りだよな。
 今回の『ユーアーマイ参議院』は、他の作品よりも毒が強いので、特定の思想に寄っている人は読むと怒るかもしれない。また、怒るとか笑うとか以前に、なにが書いてあるか分からない人は、失礼ながら頭脳がちょっと悲しい感じだと思う。
 ちなみに、asahi.comの連載は有料ですが、いしい氏の単行本の編集を行っているチャンネルゼロのサイトからのリンクで、PNNの絵に人工音声をつけて本物のニュース番組っぽくしている動画を見ることができます。これは、不自然な感じの人工音声が面白くて必見です。
PokkiriNewsNetwork

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2006.07.20(木) サッカーW杯の終わった今こそ!

オンライン書店ビーケーワン:ロスタイム17分・いしいひさいち『ロスタイム17分』(2006.6,双葉文庫 ひさいち文庫)
 双葉文庫で出ているいしいひさいち氏の四コママンガ傑作選。タイトルどおり、4分の3くらいがサッカー関連の作品で、残りもスポーツネタ。サッカーの話は、1993年〜1998年くらいの話題が中心。懐かしい。
 いしい作品は、実在の人物を茶化す(おちょくる)内容が多いのだが、ネタにする対象をよく分かっているよなあと思う。

 例えば、Jリーグの某クラブの呼び方をネタにしたマンガ(p.30)。某新聞社の偉い人が、当時のJリーグチェアマンと話をする、という設定。一コマ目で「今シーズンからチーム名を『ヴェルディ川崎』に統一します」といい、三コマ目「そこで『ヴェルディ』の名もかえて心機一転!」。そして出てくる名前が「ヨミウーリ川崎」。
 俺はこういうの、大好きです。

 それから、ひとひねりしてあるネタも好き。例えば、かつての日本代表監督ファルカン氏が代表メンバーを選ぶネタ(p.44)。三コマ目ピックアップされた選手の名前に「ベージョ/ディアス/ビスマルク/アルシンド」などの名前が並び、四コマ目で「帰化申請したら連絡してください」と去っていく監督。
 これだけでも平均以上の面白さなのだが、三コマ目のリストの一番下に「勝矢」と書かれているのが俺にはすごく面白かった。勝矢選手は、たしかに当時の名ディフェンダーなのだが、なぜ外国選手ばかりのリストに一人だけ。
 こういうのも好きだなあ。

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2002年8月11日(日) 一挙4冊を紹介であります(の1冊)
・石上三登志『地球のための紳士録』(1980年,奇想天外社)
 娯楽映画・SF小説・ミステリー小説を中心とした人物事典。最大の特徴は、連想 ゲーム的に人物が紹介されること。
 例えば、この本はオーソン・ウェルズから始まる。その次が、ウェルズの劇団で俳 優などをつとめたウィリアム・アランド。その次が、アランドがプロデュースした映画 の演出をした映画監督ジャック・アーノルド。そして…、といった具合に、人物の間 になんらかのつながりがあるのだ。さながら、インターネットでリンクをたどってネッ トサーフィンを楽しむような感じだ。紹介のなかには、フロイドや手塚治虫も登場す る。
 まずは読み物として楽しみ、その後人物事典として使うこともできる。巻末に人物 索引も載っているので、検索も便利。1粒で2度おいしい本。

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2009年04月01日(水) 青春は暴走するから面白い

石黒 正数「ネムルバカ」(徳間書店、RYU COMICS) オンライン書店bk1楽天ブックスAmazon.co.jp

 大学生を主人公にしたマンガ。この一巻で完結しています。
 寮が同室で、音楽に打ち込む先輩とやりたいことの見つからない後輩という、ふたりの女子大生を中心に話が進む。先輩の、一見冷ややかそうでいて、秘めている熱さに心惹かれる。音楽で有名になることへの壁の厚さを感じながらも、そこから楽な道に逃げずに、壁を叩き壊そうとする。

 このマンガを読んだ誰もが言及したくなると思うエピソードに、「駄サイクル」がある。仲間内でお互いが作った作品を褒め合い、みんながいい気持ちでいる。そのサイクルを、先輩が「駄サイクル」と名付ける。
 そこではたしかに嫌な思いもしないし、自分の実力のなさを思い知ることもない。しかし、オーディションで点数をつけられたり、自分の作ったものが受け入れられない経験も必要だと、先輩は言う。どちらの道を選ぶかが、「自称アーティスト」と「アーティスト」の分かれ目になるのだろう。

 そういう熱さを持ちながらも、細かなギャグや仕掛けも多くて面白いし、「もっと長く続いても」と思うのだけれど、すぱっと終わったこともよかったかなと思う終わり方。

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2008-10-02(木) 本当に覚えることはそんなことじゃない

石原 明『営業マンは断ることを覚えなさい』 (三笠書房・知的生きかた文庫)   Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 タイトルを見ると、お客様の要望を断ると商品が売れるように思う人もいるだろう。また、この本の第1章・第2章にも、いかにしてお客様の要望を断るかが書かれている。

 しかし、断ることは物を売る手段ではなく、結果を示しているに過ぎない。これは「ある状態」を作れば、お客様に対して売る側が主導権を握れる、ということ。つまり、断るから売れるのではなく、売れる状態だから断れる、ということ。

 その「ある状態」とはなにか。この本に書いてあるポイントはふたつ。

1.見込み客(その商品を買いたい人)を集める。
2.販売する人間がその商品の高い知識を持って、お客様に自信を持って接する。

 では、そのためにはどうすればよいか。それはこの本には書かれていない。なぜならば、それが著者が本業である経営コンサルタントとして、お金をもらって教えることだから(そういう意味で、著者の会社の営業ツールのような本だと思う)。

 間違っても、「お客様の要望を断れば売れるんだ」と思ってはいけない。そんなことよりも、上に書いた二つを覚えることが優先。

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2002年8月31日(土)
・石森章太郎『世界まんがる記』(1984年,中公文庫)
 漫画家石森章太郎による、1961年8月からの70日間世界一周旅行の記録。当時 は、まだ自由に海外旅行もできない時代だった。そんな時代に、たった一人で各国 を渡り歩いたのだ。これはすごい好奇心だよなあ。また、今からすると驚くようなこ とも少なくない。自動販売機を初めて見て驚いた話なんかがある。そして東西冷戦 の色も濃い時代で、ドイツのベルリンには緊張感が漂っていることが文章から感じ られる。
 しかし、旅にともなう感動や楽しさというのは、いつの時代も変わらないのだと思 った。俺はあんまり旅行は好きではないのだが、この旅行記は面白く読めた。

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2004.9.20(月) こういう文章を書きたい
・泉麻人『コラム百貨店』(1994年,新潮文庫)
 1990から1991年に、色々な媒体に書かれたコラムを集めた本。特にテーマがあ るわけではなく、共通点は強いて言えば当時に書かれたという点だろうか。
 コラムの初出時を思い出す面白さ、今読んで新たに当時を知る面白さ、今も変 わらず通用する話題としての面白さと、色々な面白さが味わえる本。
 特に印象に残ったコラムを紹介。
 
・1990年の時点で、若い人に「断定口調が崩壊しつつある」(p.51)と指摘した「〜み たいなぁ……の人々」。
・「小学校の見える部屋」(pp.114-116)での、下校の時刻の校内放送がほとんど変 わらないという意見。今も同じような感じなのだろうか。
・「コラムニストの世界」(pp.117-123)での、当時の同業者の考察。出身雑誌、主に 書いている雑誌、文体からジャンル分けをしているのだが、これはなかなか面白か った。
・男のファッションについて、「社交の場数(仕事上の対人も含めて)を踏んで、とん でもない失敗をいっぱいして、箔をつける。箔さえつけば、卸紳士服屋の上下四ケ タのスーツもイングランド製の六ケタモノに見える」(p.159)と、山口瞳氏のようなか っこいい意見を披露してくれる「TPOってやつ」(pp.156-159)
・流行ものの人気の出方と滅び方を考える「トレンドの賞味期限」(pp.215-219)。こ れは、流行ものから脱していかに定番をつくるかのヒントにもなる。

 泉氏が今も現役のコラムニストとして活躍している理由が分かる。文章のバラン ス感覚も絶妙だし、話題は古いものもあるが、文章は古い感じがしない。

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2004.6.28(月) ぼ、ぼ、ぼくらもテレビ探偵団
・泉麻人『泉麻人の僕のテレビ日記』(1994年,新潮文庫)
 思えば、俺が「泉麻人」という名前を知ったのは、「テレビ探偵団」(1986〜1992 年,TBS)というテレビ番組だった。この番組、懐かしのテレビ番組やCMのVTRを 紹介しながら当時を振り返る、という内容。
 そして、泉氏のこの本も、まさに懐かしのテレビ番組を振り返るという、「テレビ探 偵団」さながらの内容である。雑誌『TVガイド』(東京ニュース通信社)に連載され た、テレビと当時の氏の思い出をめぐるコラムを集めたもの。
 話は、氏の物心がついた昭和35年(泉氏は昭和31年生まれなので、3〜4歳のこ ろ)から始まる。初回のコラムのタイトルは、「象に踏まれたハリマオ」。これは、ヒ ーロー物ドラマ「快傑ハリマオ」が終わったのは、アフリカでのロケ中に俳優が象に 踏まれて死んだからじゃないか、という噂話の紹介。
 そこから大体時間順に、昭和55年(1980年)くらいまでのテレビ番組についての 思い出が語られる。
 俺にとっては物心がつく前の番組が多いのだが、それでも結構知っていた。見た ことはないけれどなんとなく知っている番組が多かった。懐かしいテレビを紹介する 活字やテレビ番組で、ずいぶん「学習」したんだなあと思った。

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2005.12.2(金) こういうおじさまに、私はなりたい。
オンライン書店ビーケーワン:おじさまの法則・泉 麻人『おじさまの法則』(2005.11,光文社文庫)

 雑誌『BRIO』に連載されたエッセイをまとめた本。「世間でいう『おやじ』とは一味違った、新しきおじさま像のあり方を提案していきたい」(p.15)ということで始まった連載だったようだ。おじさんになりつつある自分を見つめつつ、おじさんによくあるエピソードを紹介していく。
 まず印象に残ったのは、泉氏ももうすぐ50歳かあ、ということ。ただ、俺がテレビで泉氏を初めて見たのが、もう15年位前(『テレビ探偵団』という番組だった)だから、もうそれくらいの年齢でおかしくないんだよなあ。

 本の最初に、「以下のような症状が思いあたる素敵なおじさまたちへ」(p.3)として、20の項目がある。幸い、俺はまだ思い当たる項目はなかった。まあ、30前にして思い当たっても困ってしまうが。
 ただ「自分を『オヤジ』と称して若いもんと語るのがけっこう好き」(p.5)という気持ちは分かるし、「ベテラン、と呼ばれる力士や野球選手より年が上になった」(p.5)は、一部スポーツではベテランが同世代になった。

 エッセイの内容は、現在のおじさまとしての泉氏の日常と、1950年代に生まれた氏の若い頃の思い出話が中心。
 どちらも面白いのだが、思い出話については、俺には共通の経験がないので、あまり実感が湧かない。
 例えば、1970年後半にかかっていたようなナンバーで踊れるディスコへ行く「踊りに行かない?」(pp.90-94)などは、そういう夜遊びの経験がないので、多分将来懐かしむこともないだろう。
 なにしろ学生時代の俺には、そういうことに興味もなければ、そういうことをする金もなかった。社会人になっても、相変わらず興味はないし、そして時間がなくなった。
 ただ、例えば将来「疲れちゃうからね」なんていう理由でスタンディングのライブを見に行くことがなくなった時、今を懐かしむことはあるのかもしれないな。そういう意味では、自分のこれからに思いを馳せることができる。

 個人的には、国技館に千秋楽の大相撲を見に行って、テレビで中継されない儀式(序の口へ上がる力士による行事の胴上げ)を見るとか(「知られざる千秋楽のショー」pp.217-221)、銀座でぶらぶら買い物をして、洋食屋の「たいめいけん」で食事をする「師走の銀座歩き」(pp.227-231)などの今の泉氏の生活の方が、面白いと思えるのであった。
 俺も、こういう趣味の部分を忘れないおじさまになりたいと、切に思う。
 そのためにも、胃カメラの上手な飲み方(pp.14-17)とか、老眼についてとか(pp.60-64)、健康に関する話は今後のために覚えておこう。

 その他印象に残った話を紹介。
 仕事場の掃除をしていて、1988年に行ったイベント「メガリス88」の資料を見つける話は、面白い(「抽出しの中のバブル」pp.171-175)。
 当時貨物駅跡地だった汐留の仮説ディスコで、「何人かのギョーカイ人が持ちまわりで”責任プロデュース”を務めるという、まさにバブル最高潮期のイベント」(p.173)だったそうな。
 俺が1980年代の出来事を知った時に、決まって思うのですが、多分今同じような催しがあったって行かないだろう。
 でも、そのパワーはなんとなくうらやましいんですよねえ。

 あと、同窓会の話(「同窓会の熱病」pp.186-190)を読んで、そう言えば俺は同窓会に行ったことがないのを思い出した。多分、呼ばれていないだけなんだろうなあ。……さ、さびしい。

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2008-03-10(月) 2001年電脳空間の旅

泉 麻人『電脳広辞園』(2003年、アスキー) Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス

 色々な単語をネットで検索して、どんなサイトが出てくるかをネタにしたコラム。2000年〜2002年に『週刊アスキー』に連載されたものだが、既に懐かしい。なんとものどかでのんきなネットの使い方という感じ。検索するのが、「yahoo!」に「goo」、「インフォシーク」に「ライコス」というのが、まず時代を感じる。googleのグの字も出てこない。また、サイトやページの数が少ないこと、検索エンジンの精度が今よりも高くなかったことも、このコラムの執筆には味方しただろう。今だったら、ある単語について書いたサイトだけでなく、そのサイトに言及したサイトやブログ、サイトのオンラインブックマーク、サイトを機械的に引用したページ(アフィリエイト目的の中身のないサイト)などなど、余計なものまで見つかってしまうだろうし、本来とは違う意味で結果に出てくるサイト(「たきび」で検索して「お腰につけたきびだんご」が表示されたり)も少ないだろう。
 それから出てくるサイトは、多くがテキストのみ(あるいはプラス写真)の模様。音楽や動画はほとんどない。あるとしたらMIDIデータのアップロードされたサイトくらい。なにしろまだ常時接続もブロードバンドも普及していなかったのだから、これは当然といえば当然だろう。
 そういう意味部分に当時を感じさせるし、数年前がずいぶん前に感じる。

 それから、泉氏が良くも悪くもネットに疎いのがよく分かる。「掲示板方式の情報交換サイト」として紹介されたのが実は2ちゃんねるのいちスレッドだったり(編集部の注のURLでそれと分かった)するのだが、泉氏は2ちゃんねるには言及していないし、おそらく2ちゃんねのことも、少なくとも当時はご存知なかったのだろう。あまりネットに詳しくない人たちのネットの見方が感じられて、紹介されているサイトよりもその見方の方が面白い。
 ただ、泉氏のコラムの魅力は、webという題材ではあまり活きていない気もする。なんというか、webの情報に対する掘り下げ方が浅いというか。例えば、「ビル・ゲイツの秘密の日記」を本当にビル・ゲイツの日記だと思っている節もあり(p.254-255)、「”茂吉”という歌人の作品」(p.191)について評論したwebサイトに言及しているが、それが斎藤茂吉であることにはいっさい触れていなかったり、「もう一歩踏み込んで欲しい!」と思うところが多い。
 むしろ、旅先の郵便局で貯金をする「旅行貯金」のように、泉氏自身の興味の強い話題だと、webの紹介も冴える。

 ということで、本の内容というよりも、本が書かれた状況を思って楽しむ本、という感じ。

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2004年1月20日(火) 時代を映し出すのはこんな場所なのかもしれない
・泉麻人・いとうせいこう『コンビニエンス物語』(1990年,太田出版)
 1987年〜89年に、雑誌『テレビブロス』(東京ニュース通信社)に連載されたコラ ム。東京を中心に、日本各地、時には海外にあるコンビニエンスストアに行き、 色々なものを買った記録。
 もちろん、それぞれがあれこれ言いながら、どうでもいいちゃあどうでもいいよう なものを買う様子も面白い。しかし、それ以上にコンビニそのものがとても面白い のであった。
 例えば、連載当初は、2人ともコンビニエンスストアを「コンビ」と略している。後半 にようやく「コンビニ」という表記が出てくるが、これがまず意外であった。まだコン ビニが今ほど浸透する前の状況を感じさせる。
 それから、登場するチェーン店のコンビニも、セブンイレブン・ファミリーマート・ロ ーソンなどの今も知名度の高い店から、今では見かけないサンチェーン(当時は泉 氏曰く「大御所」p.36だったが、1989年ローソンに合併された)、ニコマート(今見な いのは東京だけだろうか)なども登場する。スリーエフ・サークルK・ミニストップは 当時は新参者であり、ampmやサンクスなどはまだ名前も出てこない。こういうコン ビニ業界の移り変わりも面白い。他に、個人経営のその町ならではのコンビニも 多く登場するが、これもまた味があっていいね。
 また、初めて訪れる土地に行った時、コンビニで買い物をするのも面白いかもし れない。コンビニのレシートは、住所も日付も書かれているし、保存しておくとその 時の状況が思い出せるのではないだろうか。

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2004年1月15日(木) 本も面白いが、街もまた面白い
・泉麻人『散歩のススメ』(1996年,新潮文庫)
 1990年代前半に、東京を中心に色々な街を歩いた記録。この本を読むと、俺も 同じように街を歩いて見たくなる。
 ある街へ行って、大通りよりも裏の路地をぶらぶら歩いて、見つけた店でなにか 買ったり、昼食を食べたりする。そんな様子を淡々と綴っているのだが、これが実 に面白い。テレビ番組の「ぶらり途中下車の旅」(※1)をもっと素朴にしたような本当 に小さな旅だ。
 特に、自分が行ったことのある街は、自分の印象と比べてみるのも面白い。1990 年代初めとはいえ、もう10年前だ。ずいぶん様変わりした街もあるだろうし、変わっ ていない街もあるだろう。新宿・渋谷・池袋の裏道、中野ブロードウェイの話など、 読んでいるだけでも面白い。
 それから、一度も行ったことのない街も、また楽しそうに感じる。原宿の隙間の通 りとか、西武池袋線・東武池上線の沿線の街とか。俺にとっては、新宿・渋谷・池 袋の西って中央線沿線くらいしかなじみがないので、他の沿線にも行ってみたくな る。
 あとは、氏の一見なにげない街の様子から面白いものを見つけ出すセンスという のは、勉強になるなあ。

※1 日本テレビ系「ぶらり途中の旅」http://www.ntv.co.jp/burari/。東京都内を中心に、電車・バスの一路線に乗りながら、途中下車してその町その町にあるお店や面白い場所を見て歩く、という番組 (ひょっとしたら関東地方のローカル番組か?)。情報の密度もそんなに濃くないし、町を歩くレポーターも、知名度は高いけれどなんとなく(いい意味で)B級感の漂う人が多い(車だん吉・山口良一・太川陽介、などなど)、 のんびりした番組。滝口順平のナレーションも味がある。

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2004.11.28(日) ちょっと懐かしい「気になる言葉」
・泉麻人『地下鉄100コラム』(2002年,講談社文庫)オンライン書店ビーケーワン:地下鉄100コラム
 1997年〜1999年に『夕刊フジ』に掲載された、言葉に関するコラム集。気になる 言葉を取り上げて、あれこれと考える本。
 各回にしりあがり寿氏のイラストが添えられ、重松清氏との対談も掲載されてい る。
 はじめは、通勤通学の電車の「目に入ってきた看板やつり広告の活字、耳に入 ってきた会話のなかのフレーズ」(p.319)を紹介する、というテーマだったようだが、 実際は泉氏が興味を抱いた言葉の紹介となっている。

 登場するのは「たまごっち」、「バイアグラ」、「環境ホルモン」などの当時の流行り 言葉から、「ぼんのくぼ」、「溜池山王」、「登山駅伝」などの渋い言葉もある(ただ し、「溜池山王」は連載当時に新しくできた駅だから、流行り言葉とも言えるか)。
 中でも、当時流行していたわけではない言葉の選択は、泉氏独特のセンスが感 じられて面白い。例えば「博動停車」の回で、京成電車の「博物館動物園前」駅の 廃駅前の様子を取材に行くのは、言葉のエッセイというより、泉氏の東京町歩きエ ッセイの趣がある。

 あとは、連載の間にサッカーのフランス・ワールドカップがあったこともあり、加え て泉氏がかつてサッカー少年だったこともあり、サッカー関連の話題も多い。 「UAE」、「懐が深い」、「ダフ屋」、「君が代」など。この辺の話も、既に懐かしいな あ。

 あまり難しいことは考えずに、リラックスして楽しめる本。事実俺は、風呂に入り ながらちょっとずつ読んでいました。

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2004.8.25(水) これもまた1980年代の本
・泉麻人『東京23区物語』(1988年,新潮文庫)
 もともとは1985年に出版された本。当時の東京23区の特徴を考察し、紹介した 本。
 この本の面白さは、解説で川本三郎氏も書いているように「誰もが日常的には持 っているくせに公の席に出ると隠してしまうあの『地域差別』意識を堂々と、そして ユーモラスに明るみに出したところにある」(p.232)のだと思う。それによって、一見 あまり違いがないような各区の特徴が浮かび上がってくる。
 中には明らかなネタ(作り話)や間違いもあるが(例えばp.85で葛飾区にある新小 岩を「江戸川区」と書いている)、そういう部分もあると思って楽しみましょう。
 以下、特に印象に残った部分を紹介しよう。

・中央区:築地の卸売市場の食堂にある「アタマライス」という食べ物。昔とり・みき 『愛のさかあがり(上・下)』(ちくま文庫)で名前だけ知って気になっていたのだが、 まさかそういう食べ物とは思わなかった。
・江東区:有明・新木場・夢の島あたりについて、「近未来都市と田舎と工場街が混 沌としたような不思議な魅力をかもし出していることは確かです。工場跡地や草地 がすべて高層マンションやバー、レストランに変貌してしまう前のいまがもしかした ら一番面白い時期なのかも知れません」(p.88)と書かれている。詳しいことは分か らないのだが、これが今のお台場のあたりを指しているのだろうか。
・渋谷区:渋谷にはここ2〜3年前から行くようになった俺としては、「ハチ公のある 渋谷の北西口に出て、大きなスクランブル交差点を渡ったところ、VANと映画館の間の道が渋谷センター街です」(p.128)という紹介に、びっくりしたのである。そうか、あそこにVANがあったのか。
・中野区:まだ「まんだらけ」すらなかった頃の中野ブロードウェイの様子は、興味 深い。「ファッションブティックにしても飲食店にしても、みなコンセプトが甘い」(p. 140)とか、「二階にあるばかでかい明屋書店を除いては、どのジャンルの店もB級 でかためました、という感じです」(p.141)などと表現されている。
・練馬区:工事中の地下鉄12号線(現在の地下鉄大江戸線)について言及されて いる。
・葛飾区:葛飾区民と京成電鉄とのつながりを紹介する。

 しかし、自分の知らない(記憶にあまり残っていない)1980年代の東京の姿という のは、話に聞くだけでも興味深いなあ。タイムトリップ出来るなら、当時の東京へ行 ってみたいなあ。

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2005.2.26(土) 上野に「西郷丼」があるなんて、食の世界はまだまだ奥深 い!
・泉麻人『なぞ食探偵』(2005年,中公文庫)
 「ドイツ風ライス」、「ゼリーフライ」など、メニューに書かれた名前からは謎の料理 を実際に食べに行った記録をまとめたエッセイ集。
 これがまあ、読んでいると思わず食べに行きたくなるような文章。もとが新聞連載 ということで、マニアックで面白い内容をマニアックでない人でも楽しめるように書い ている。イラストも著者によるもので、これまた味がある。
 洋風カキアゲ(東京・神田)やミルクワンタン(東京・有楽町)などは、名前を聞い ただけでなんとなくおいしそう。
 また、とにかく名前のインパクトが強烈なメニューもある。「ず丼」(東京・新大久 保)とか、「アキバうどん」(東京・秋葉原)、「チョコとん」(東京・早稲田)などなど。な んとなく想像できるものから、まったく検討のつかないものまで様々。
 これらがそれぞれどんな料理なのかは、是非本を実際に読んで、「なるほど」と思 っていただきたい。
 特に興味を持ったのが「いも重(埼玉・川越)」(pp.138-139)。俺は名前だけで、サ ツマイモの天ぷらがごはんに乗ったものを想像した。ところが、そうじゃないんです ね。じゃあどんな食べ物か? それは、この本を読んで確かめていただいた方が いいかと。
 あと、京都には「木の葉丼」があるらしいよ(pp.164-165)。
 最後に、地域ごとの珍しい食べ物で、ひとつ興味深かったものを。
 それは、新潟の「イタリアン」です。普通はイタリアンというと、スパゲティを思い浮 かべるでしょうが、新潟ではそうではないらしい。
 この「イタリアン」の紹介を読むと、日本にはまだまだ隠れた珍しい料理があるん だなあと思う。
 東京の店も多いので、実際に食べに行ってみたくなる。

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2006.04.26(水) 思い出に直結する言葉の数々
オンライン書店ビーケーワン:なつかしい言葉の辞典・泉 麻人『なつかしい言葉の辞典』(2005.12,SB文庫)
 タイトルどおりの本なのですが、いわゆる当時の流行語を取り上げているわけではない。泉氏曰く「主に僕の子供時代(昭和三十年代後半〜四十年代はじめ)の”ご近所”の風景が浮かんでくるようなフレーズ、の数々を思い起こす作業」(p.5)の結果集められた言葉と、それらに関する泉氏の思い出をまとめたエッセイ。
 登場する言葉には、現在も使われているもの、廃れてしまったもの、俺の子ども時代(昭和五十年代から昭和の終わりくらいまで)には使われていたものなど、色々である。ただどの言葉も、言葉そのものの紹介にとどまらず、それが使われたシチュエーションも紹介されているのが面白い。
 いくつか印象に残った部分を紹介しましょう。

・「アカデンブ」。「でんぶ」って、「『田麩』と難しい字を書き『かつおぶし・魚肉などを細かにほぐし、砂糖・しょうゆで煮しめたもの』(『新明解国語辞典』)だ」(p.16)とのこと。そうか、魚だったのか。実は今までよく知らないまま食べていました。そういえば、最近はあまり食べていないなあ。
・「おごってくれよ〜」。俺が子ども頃も、よく駄菓子屋なんかで聞いたし言ったよ、この言葉。でも、結局はお金のやり取りで、学校で先生から話があった記憶がある。「おごったりおごられたりしてはいけません。自分のおこづかいで買いましょう」とかってね。「おごる」という言葉が使われなくなったのは、こういう「教育効果」もあるのかねえ。これは完全に想像だけれど。
・「おたんこなす」。おとんこなすとか、おたんちんというのは、「江戸の遊郭が発祥の俗語らしい。たんは『短い』、なすは『茄子』だが、形状からして”男根”の喩えだろう」(p.56)とのこと。なるほどねえ。ちなみにアンポンタンの語源は、「お馴染みの〔impotence〕が源、だという」(p.56)。これまたなるほどねえ。なお、impotenceは各自辞書でご確認を。importantじゃないのでご注意。
・「肝油」。肝油ドロップって、なぜか幼稚園や小学校で時々一人一個とかで配給があったなあ。正体不明の食べ物だったが(今思えば「グミ」にちょっと近い)、甘みがあって嫌いじゃなかった。パッケージに子どもの顔のモノクロ写真が載っていて、ちょっと不気味だったのも覚えている。いまでも学校での配給はあるのかなあ。
 肝油って、文字通り魚の肝臓の油なのね(p.70)。肝油ドロップは、今の言葉で言えばビタミンを補うためのサプリメントだったわけだ。でもあのドロップの味と魚とは、ちょっと結びつかなかったなあ。
・「デラックス」(pp.153-156)って、今こそあえて使いたいいい感じの言葉。「ビフテキ」(pp.190-193)も。
・「ひまし油」って「火増し油」だと思っていた。「『蓖麻子』というゴマ科の植物の実」(p.195)なのね。

 こんな感じで、自分の世代や地域ではどうだったかと比べながら読むと面白い。

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2004.5.11(火)本の持つ迫力にふるえたまえ

・磯田和一:絵・文『書斎曼荼羅1・2』(2002年,東京創元社)
オンライン書店ビーケーワン:書斎曼荼羅 1
(1)   オンライン書店ビーケーワン:書斎曼荼羅 2(2)
 もともとは、講談社の文庫サイズの月刊誌『IN★POCKET』に連載されたもの。 様々な読書家の書斎・本棚を、著者が訪ねて文章と絵で紹介するレポート。
 書斎の紹介は、本や雑誌でたまに見かけるが、イラストというのは少し珍しかっ た。そして、著者の絵・手書き文字がなんともいい味を出している。
 しかし、登場するだれもかれもすごい本の量だ。磯田氏も本文で本が少ないと書 いている花村萬月氏を除いては、みんな本の山と格闘している。俺も最近、増え続 ける本とCDに一苦労しているが、この本に出てくる人たちに比べれば大したことの ない量だと思わされる。やっぱりプロの物書きの人たちはすごいよ。
 具体的に登場するのは、次のような方々。

・図書館のようなスライド式本棚をオーダーメードした佐野洋氏
・床に背表紙を向けて本を敷き詰める藤野邦夫氏
・軽井沢に二軒の仕事場兼自宅を持つ藤田宜永・小池真理子の夫妻
・阿刀田高氏の天井まで(高さ5メートルくらい)の本棚
・著者磯田氏自身の住居兼仕事場もなかなかすごい(以上、1巻)

・家が本に侵食されているような鹿島茂氏
・図書館のような家を建てた石原祥行氏
・本棚、本の箱、そして豆本までも自作してしまう喜国雅彦氏
・そして最終回は、あの内藤陳氏の伝説の本の山(以上、2巻)

 いやあ、眺めているだけでおなかいっぱいになりますよ。

2002年12月22日(日) 「覗き見る」2冊
・磯田和一『東京[23区]でてくちぶ』(1994年,東京創元社)
 東京23区を歩いて、気になる風景のイラストや写真を集めた本。渋みを感じさせ るいい建物や、路上のなんでもないようだがよく見ると面白いさまざまなものがたく さん掲載されている。著者の好きな「古きよき東京」への思いがひしひしと感じられ る。
 まあ、多少こだわりがありすぎるきらいもある。例えば古い地名を残さないのはよ くないということを、ほとんどすべての区の紹介時に書いている。これは俺にはあま りぴんとこなかった。
 しかし、独特の味がある絵は、見ていてなんとも楽しい。23区在住の俺としては、 気になる町にはデジタルカメラでも持って出かけたくなる。

2004.10.19(火) 面白うて、やがて悲しき小市民
・イッセー尾形『イッセー尾形の人生カタログ』(1994年,朝日文庫)
 短編小説集。ショートショートくらいの長さの短編を集めた本。初出は書いていな いが、あとがきに「『週刊朝日』では連載を一年も続けさせていただき」(p.218、 1990年の森田オフィス一同からの手紙)とあるので、おそらく『週刊朝日』連載だろ う。
 イッセー氏の一人芝居の一場面のような話が多い。「母親の囁き」(pp.93-95) は、妻、子、実母(妻の姑)とハワイに来た男の一家が、なんだかギクシャクした様 子を書いたものだが、これは同じシチュエーションで一人芝居になったのを見た記 憶がある。
 もちろん、そうしたイッセー氏の一人芝居との関連を考えなくても、小説として楽し める。いい人も嫌な人も出てくるが、いずれも人間の存在のちっぽけさがにじみ出 ていて、なんとも味がある。なんと言うかこう、悲しいんだけれど笑っちゃうんだよな あ。
 孤立しているOLと、その相談にのるサラリーマンを書いた「二つの孤立」(pp.179 -182)なんて、なんともいいなあ。面白くて悲しい。

2003年4月6日(日) 才能と味のある芸人さんを知りたければこの2冊(の1 冊)
・イッセー尾形『イッセー尾形の都市生活カタログPART2』(1992年,早川書房)
 イッセー尾形のひとり芝居の戯曲集。知らない人に説明すると、イッセー尾形氏 の芝居には大掛かりなセットはない。色々な人物に扮した氏が、その人物になりき って場面を演じる。考えようによっては、なんともシンプルな形式なのである。しか し、演じる人物の衣装・話し方・ふるまい方などがいかにもありそうで、舞台上に実 際にはない背景や、実際には登場しない他の人物まで想像させてくれる。ちょっと くたびれたサラリーマンや父親、権威的な中間管理職・政治家、それに女性や老 人なども演じる。そのすべてが「それらしい」のである。
 氏の観察力の高さについては、色々な人が書いている。サンプルとなる人々の 特徴を捉えることが、いかにもいそうな人間を演じる時には必要である。しかしそ れとともに、平均像を創り出す氏の想像力も非常にすごいと思う。いかにもいそう な人は、本当はどこにもいない。あくまで多くの人の平均像なわけだから。しかしそ の平均像をいかにも自然に創り出し、演じてしまうのがこの人の才能だよなあ。
 この本の内容よりも、氏の紹介が長くなってしまった。この戯曲集、氏をまったく 知らない人にも面白いかどうかまでは自信がない。しかし、一度でも氏の芝居を見 たことのある人なら、氏が演じる様子が想像できて面白いだろう。

2003年7月31日(木) 笑いの魅力に思いを馳せる
・イッセー尾形『イッセー尾形の遊泳生活』(1995年,角川書店)
 イッセーさんのエッセイ集。雑誌『東京ウォーカー』(角川書店)他に連載されたも の。若い頃の思い出や、町で出会ったちょっと変わった人、旅をしたときの話か ら、なんてことのないような日常まで、色々な話がイラスト入りで掲載されている。
 イッセーさんの目を通ると、なんでもないようなことや、なんでもないような人が、 ものすごく面白く感じる。ものの見方が独特なんだろうなあ。これが、ひとり芝居を 創るときの着眼点の面白さにも通じるんだと思う。
 これまで、イッセーさんの本は戯曲集ばかり読んでいたので、この本は新鮮だっ た。

2004.5.1(土) こういう風に仕事がしてみたくなる

日本プラモデル興亡史 井田博『日本プラモデル興亡史』(2003年,文藝春秋)オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス

 なぜ、模型・プラモデルに携わる仕事をしている人たちにはこんなにもかっこいい人が多いのだろうかと思わされる。これは、田宮俊作『田宮模型の仕事』(2000年,文春文庫)を読んだ時にも、宮脇修『創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある−海洋堂物語』(2003年,講談社)を読んだ時にも感じたことだ。そしてこの本の著者も、やはりかっこいい。
 著者の井田氏は、1939年、19歳のときに模型店を開業する。その後太平洋戦争に出征し、戦後は再び模型店を開業する。1966年には日本初のプラモデル専門誌『モデルアート』を創刊した。
 この本は、そんな氏の半生記であり、日本のプラモデル史の一側面である。読み進むうち、このふたつが密接につながっていることが強く感じられてくる。また、その時々に販売されるプラモデルから、当時の子どもの様子もわかる。飛行機・戦車・スーパーカーブームから、サンダーバード・ガンダム・ミニ四駆などなど、模型によって時代の移り変わりを感じる。
 しかし、著者は九州で模型店の営業を続けているのだが、これは大変な努力が必要だと思う。特に昔の苦労などが書かれている部分から、そんなことを感じる。例えばこんな部分。「昭和二十年台の後半頃は、まだ模型の問屋も全国流通のシステムを持っておらず、私はだいたい三、四ヶ月に一度くらいの割で上京し、模型の材料などを仕入れていたのです。テレビもまだなく、東京で流行ったものが、黙って待っていると九州まで来るのに三ヶ月や半年はかかってしまう時代でした」(p.16)。
 そんな中、戦前から模型飛行機の展覧会を開催したり、戦後にはデパートの中に模型店を出店したりといった、氏の情熱は純粋にかっこいいと思う。
 一度でもプラモデルをつくったことがある人なら、面白く読めるのではないか。

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2004.10.9(土) 色々考えずに笑えた
言いまつがい (新潮文庫) 糸井重里:監修『言いまつがい』(2004年,東京糸井重里事務所)オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス(リンク先は新潮文庫版)
 「ほぼ日刊イトイ新聞」に届いた、いい間違いの「あるある」という投稿を集めた本なのだが、結構面白い。聞いたことのあるような話もあるが、でも面白い。
 ちなみに、「言いまつがい」とは、糸井氏のお嬢さんが幼い頃言い間違いをしたときに「まつがえた!」と言ったことが由来らしい。
 どんなネタが収録されているかというと、「姉は社会人になって間もないころ、マーケティング部からの電話を、『まめ天狗からです』と取り次いだそうです」(p.90)というなものが、全編にわたって紹介されている。
 思わぬところで爆笑してしまう可能性があるので、なるべく他の人がいないところで読んだ方がいい。
 それから、装丁わざと変な風にしているのも面白い。裁断がななめ、本の角が丸まっている、カバーが小さい、などなど。装丁は祖父江慎氏。
 あと、最後にひとつ印象に残ったネタを。母親がワンダーホーゲルに入った男の子を「バーゲンセールとかいうクラブに入ったらしいで」と言ったというものなのだが、その話の最後が「母も、バーゲンセールに入った男の子も、あの世に行ってしまいました」(p.152)。ちょっと寂しい感じで、逆に印象に残った。

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2003年4月17日(木) インターネットの可能性を考える
インターネット的 (PHP新書) 糸井重里『インターネット的』(2001年,PHP新書)
Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス
 インターネットでホームページを作っている人、メールマガジンを発行している人には、参考になる部分が非常に多い本。
 いや、それだけにはとどまらないな。なんらかのかたちで情報を発信する人にとって、この本で新しい発見をしたり、もやもやとしていた考えがはっきりしたものになったりするだろう。
 「インターネット的」という言葉については、本の中でも語られているのだが、「インターネットがあることでなにが変わるか、なにができるか」といった意味だと思ってもらえればいいと思う。そしてこれは、必ずしもインターネットやパソコンがなくてもできてしまうのだ。
 気になる部分を引用しだすとキリがないので、一番初めの方に出てくる話を紹介しよう。インターネット的のキーワードとして、「リンク・シェア・フラット」という言葉がある。「リンク」は、まったく関係のなさそうな人と人が意外な接点でつながる面白さ。「シェア」は、自分の持つ情報を人に公開し、そこからコミュニケーションが始まる面白さ。「フラット」は、年齢・性別・地位に関わらず他の人と付き合える面白さ。
 俺はこれを読んだだけでも、「へええ」と思ってしまった。その他にも、「正直は最大の戦略である」(p.102)とか、「『消費者という人』はいません、ほんとは」(p.134)とか、納得できること、改めて発見することが多かった。ちなみに「『消費者という人』は…」というのは、現在の日本では65%の人が情報・サービス業に従事していて、純粋な消費者は少ないという話。
 俺が単純なのかもしれないけれど、相当感化されています。俺が作っている、この「がらくた放送局」についても、考えさせられている。なんというか、色々なことをはじめたくなっている。
 この本の影響が、そのうちこのページに出てくるかもしれませんよ。

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2004.3.22(月) 頭の使い方を勉強しましょう
海馬―脳は疲れない (新潮文庫) 池谷裕二・糸井重里『海馬 脳は疲れない』(2002年,朝日新聞社)
オンライン書店bk1Amazon.co.jp楽天ブックス
 東京大学農学部助手として海馬の研究をしている池谷氏に、糸井氏が色々と話をする、という形式の対話集。
 この本のテーマは、「頭をよくすることは、よく生きることにつながっているはずだ。/<よりよく生きたい>という望みが、<より頭をよくしたい>という思いを生む」(p.10)ということらしい。

 内容は、次の四章にまとまっている。
1.脳の導火線/2.海馬は増える/3.脳に効く薬/4.やりすぎが天才をつくる
 各章の最後には、その章の内容をまとめたページもあるので、まずはそこから読んでもいいかもしれない。ちなみに俺は、はじめから順番に読みました。また章のタイトルで身構えてしまう人もいるかもしれないが、決して難しい話ではない。たとえ話や、図・写真なども数多く登場し、頭をつかうことについて色々とヒントがもらえる。ちなみに、タイトルにもある「海馬」というのは、脳の中で「情報が必要か不要かを判断する」(p.25)部分。

 いくつか面白かった部分を紹介しよう。この本については、俺が感想を色々書くよりも、その方が魅力が伝わると思う。

 最後の言葉なんて、心は頭にあるか、それとも胸にあるかという疑問に対して、なるほどねえと思わされる言葉だ。

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2003年5月6日(火)「ホームページをつくっている人必読」と勝手に思っている
ほぼ日刊イトイ新聞の本 糸井重里『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(2001年,講談社)
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 まず、俺はわりと単純で影響を受けやすいということを前もって書いておこう。
 その上で、俺は最近「ほぼ日刊イトイ新聞(略してほぼ日)」にすごく影響を受けています。前からほぼ日の名前は知っていたが、どこからどう読んだらいいかわからずに、あまり訪れていなかった。しかし、先日糸井重里『インターネット的』(2001年,PHP新書)を読んで、それからこの本を読んで、徐々にだが確実にほぼ日にはまりつつある。自分のホームページも、志はほぼ日と同じくしようとまで考え出している。
 それほど俺に影響を与えているこの本の内容はというと、糸井氏がほぼ日をつくってから現在に至るまでの様々なエピソードと、それについて糸井氏が考えたこと、感じたことをまとめたものである。『インターネット的』が、インターネットの持つ影響力や、インターネットでなにができるか、を描いているのに対し、この本はほぼ日の話が中心。
 見出しを見ていくだけでも、興味を惹かれる。例えば「実力以下に評価されているものを拾い出す」、「多忙は怠惰の隠れ蓑」、「正直者が得をする社会へ」などなど。本文を読んでいくと、書いてあることにいちいち納得できて、感心してしまう。
 しかし、この本を読んでいてなにより感じるのは、ほぼ日で働いている人が楽しそうだということだ。ほぼ日の成功には、糸井氏の知名度も要因としてあるだろう。しかし、決してそれだけじゃないはず。氏の知名度だけに頼ったページだったら、1日35万アクセスを記録するページになるとは思えない。現在のほぼ日ができるまでには、それだけの苦労と、それをつらいと思いつつも克服していく情熱があると感じた。そして、現在のほぼ日を見ていると、その苦労と情熱は今も続いているよなあという印象を受ける。
 その情熱の源が、働いていて楽しいということじゃないのかなあ。この本の中にも、文化祭の準備をしている学生はただ働きでも一生懸命仕事するという話がある。たしかにこれは、理想的な仕事のしかただと思う。自分自身の仕事についても、色々と考えさせられてしまった。

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2004.10.30(土) 攻撃的で刺激的なコラム集

・いとうせいこう『ワールドアトラス』(1997年,幻冬舎文庫)

 辞書形式のコラム集。もとは1988年-90年、雑誌『ホットドッグプレス』(講談社)連載。その後1990年、太田出版から単行本化された本の文庫化。
 いとう氏は「Verbalian(ヴァーバリアン)」を名乗る。これは、「Verbal(言葉の)+Alien(宇宙人)」であり、同時に「Barbarian(野蛮人)」も連想させる言葉である。そのいとう氏が、様々な言葉を紹介し、創作し、それらの言葉についてあれこれと書き綴っている。

 氏の考え方には、100%賛成はできない(中にはまったく賛同できない意見もある)が、面白いところは面白い。
 面白かったところを中心に紹介しよう。

 ただ、こういう部分だけでなく、いとう氏の思想が色濃く出た項目も多い。例えば「Manifesto」(p.111)で、『外務大臣殿/私いとうせいこうは、在日中国人留学生に対するビザの延期を、彼らの要求するところに従って認めることを断固求めます 1989/6/20』(p.111)と書いている。こういう部分もありますので、思想面でこだわりのある方は読む前に確認を。
 それから、注釈が1980年代後半の出来事やサブカルチャーの説明になっていて、これもまた読み応えがある。
 俺は全体として興味深く読めたかな。

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コーチング・マネジメント―人と組織のハイパフォーマンスをつくる伊藤 守『コーチング・マネジメント―人と組織のハイパフォーマンスをつくる』(2002年、ディスカヴァー・トゥエンティワン)Amazon.co.jpオンライン書店bk1

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2009-05-31(日) 任天堂の面白さの理由

井上 理『任天堂“驚き”を生む方程式 The philosophy of Nintendo』(日本経済新聞出版社) オンライン書店bk1Amazon.co.jp

 経営陣へのインタビューと社史を中心に、ゲームメーカー任天堂の考え方を紹介する本。雑誌『日経ビジネス』の特集を元にまとめられたもの。

 プロローグにあるのだが、「任天堂は外様に経営を語られることをよしとしない」(p.11)。自社の商品についての広報はしても、これまで経営について外に語ることはほとんどなかった。その点でだけも、この本は貴重と言える。岩田聡社長・宮本茂専務を初めとして、長く(1949年〜2002年)社長を務めた山内溥相談役にもインタビューをしている。

 話は、ニンテンドーDSとWiiという二つのゲーム機が、なぜ他社商品よりも高いシェアを獲得しているのか、というところから始まる。
 その理由は、DSもWiiも、それまでゲーム機に触らなかった人、かつてはゲームで遊んでいたが今は離れてしまった人に遊んでもらえるゲーム機だから(例えば、Wiiにはアイデア段階から「お母さんに嫌われない」(p.56)というキーワードがあったという)。そのために、遊べるソフトだけでなく、本体のサイズ、入力機器(Wiiのリモコン、DSのタッチペン)、消費電力までが考え抜かれた。
 こうしたゲーム機を作るというのは、それまで任天堂も含めてゲーム業界で常識だった、最新の技術を取り入れたゲーム機の設計という流れからはずれることでもある(正確には、最新の技術はゲームに触れない人に触れてもらうために活かされた)。

 なぜ任天堂がそうした考えを持ち、実行できたのかを考察する中で、任天堂の企業としての考え方が明らかになっていく。
 根底にあるのは、任天堂は娯楽品をつくってきた会社である、ということ。任天堂は創業当時から、花札・トランプ・玩具といった商品を製造・販売してきた。
 これら娯楽品は、消費者から家電製品のような生活必需品とはまったく違う見方をされてきた。例えば岩田社長の言葉に、下記のようなものがある。「僕らは基本的にずっと役に立たないモノを作ってきました。役に立たないモノに人は我慢しない。説明書は読まない。わからなければ全部作り手のせい」(p.172)。

 このような商品を作り、販売する競争の中で、任天堂にはDNAのように受け継がれる考えがあるという。同じく岩田社長の言葉より。「独創的で柔軟であること。これはある意味、任天堂の社是ですから。文書として伝わっていないだけで、山内時代から、たぶん任天堂がずっと守っていくべきこと。それから、人に喜ばれることが好き。言い換えるとサービス精神ですかね。うん。それから知的好奇心があること」(p.155)。
 つまり、DSやWiiは突然変異的に生まれたものではなく、いかに受け入れてもらえる娯楽品を作るか、という任天堂の伝統的な考えの延長線上の商品なのである。
 その任天堂の考え方の大きな例として、「ゲーム&ウォッチ」や「ゲームボーイ」を生み出し、「枯れた技術の水平思考」という言葉を残した故・横井軍平が紹介されている。
 「枯れた技術の水平思考」というのは、既に(主として必需品用として)成熟して普及している(それゆえコストも高くない)技術や部品を、娯楽品に応用する考え方。この考え方は、Wiiリモコンなど、現在の商品にも活かされている。

 こうした任天堂の考え方をコントロールし、重要な局面で決断を下してきたのが、元社長の山内溥相談役である。毀誉褒貶ある方だが、この本を読む限り、多くの人に娯楽品を受け入れてもらうための思考(山内氏は「ソフト体質」と表現している)や、どこまで努力しても及ばない運の要素を認め、結果に対し常に平静である「失意泰然、得意冷然」(p.257)という考え方など、この人なくして今の任天堂なし、と思う。

 最後は、これからの任天堂についての予測も語られている。インターネットを中心に、玉石混交ながらユーザーが同時にクリエイターにもなる現状で、任天堂も新たなサービスを始めている。しかし、ユーザーによる作品をどこまでコントロールするのかなど、まだまだ整備すべき部分も多い。
 これからどのようなゲーム機・ゲームソフト・サービスが生まれるかは分からないが、任天堂がなにをしてくれるのか、楽しみでもある。

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2002年5月6日(月) 4月に読んだ本(フリートークにて)
ことわざの知恵 岩波書店辞典編集部:編『ことわざの知恵』(岩波新書)Amazon.co.jpオンライン書店bk1楽天ブックス
「こういう本から話のネタを探してくるわけだな」
「まあね。新書1ページにひとつのことわざについてのエピソードが載っている。今まで知らなかったことを教えてもらった。この本で正確な意味を知ったことわざもあるよ。『人を呪わば穴二つ』なんかもそうだった」
「ちなみに、『人を呪わば穴二つ掘れ』というのが元の形。誰かを呪うと自分にも災いがある。だから呪った相手だけでなく、自分を葬る穴も必要ということだな。個人的には、『泣き面に蜂』の解説の『「とほほほほ」をことわざにすると、こうなるのではないか』という一文が好きです」

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2009年08月23日(日) 古き良きインターネット黎明期

ハイパーヒッチハイカーズ 一瀬 大志・児玉 修一・『ハイパーヒッチハイカーズ―炎のインターネット冒険旅行日記』(1999年・テンブックス) Amazon.co.jp古本市場

 時は1995年。当時大学生であった一瀬大志・児玉修一のふたりの大学生によるアメリカ旅行日記。

 画期的なのは、1995年の夏に(ここが重要。後述します)、自作の掲示板でホームステイさせてくれる人を募り、旅の途中で日本に向けてインターネット回線でテキストや写真のデータを送付した、という点。日記自体も、富士通のwebマガジン「teleparc」に掲載された。

 なぜ1995年の夏が重要なのか。なにしろ、Windows95もInternet Explorerもなく、ブロードバンドも常時接続もまったくなかった時期なのである。ふたりは小型ノートPCとデジカメを持って旅に出ている。それで文章を書き、写真を撮ることは可能だ。しかし、それを公開する手段がない。今のように、ノートPCで無線LANに接続してブログにアップなんてできなかった。
 ではどうしていたのか? テキストデータと画像データを、ノートPCからフロッピーディスクに移し、インターネットにつながるパソコンを探し出して、そのディスクを入れ、アップロードするのである。そして日本の「teleparc」編集部でそのデータをダウンロードし、HTMLファイルにして、webサイトに公開していた。
 と書いてしまうと簡単だが、フロッピー1枚分のデータをアップロードするのにえらく時間がかかったり、日本でなかなかデータをダウンロードできなかったり、できてもデータが破損していて見えなかったりするのである。今のインターネットの状況から考えると、非常に手間と時間がかかる作業だった。
 また、掲示板もアメリカのPCからアクセスするので、当然日本語は表示できない。ということで、掲示板は英語とローマ字による日本文が入り混じっていたらしい。

 しかし、こうしたインターネットの技術的なことを良く分からなくても、インターネットによるつながりが彼らの旅を無事に成し遂げたひとつの要因だということは良く分かる。なにしろ、宿泊先も滞在予定もすべては決まっていない状態で、行く先々で予定を決めながら、約1ヶ月アメリカを旅するのである。本人たちの「チャットまえがき」にもあるように、ヒッチハイクという点では猿岩石よりも早かった(ただし、二人は公共交通機関を使うことも、ホテルへの宿泊もあるけれどね)。
 そんな彼らを助けたのが、掲示板に書き込みをして、ホームステイ先になった人たちや、その人を通じて出会う新たな人たち。もちろん書き込みの中から信頼ができそうな人を選んで会っていたのだと思うけれど、みな良い人だし、インターネット以外の趣味も(ゲームやテクノミュージックなど)共通していて、打ち解けるのも早い。
 日本から旅行で来ていた知り合いと偶然出会うといった運の良さもあるのだが、限られた人が正しいインターネットの使い方をしていた(ことが多かった)時代ということも、旅の成功につながったのではないか。

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2010年01月03日(日)

ひさいち文庫 ちゃっかり社長とうっかり社員 (双葉文庫 い 17-44 ひさいち文庫)いしいひさいち『ちゃっかり社長とうっかり社員』 (双葉文庫)Amazon.co.jp

 毎度おなじみ、いしいひさいちの文庫版傑作選。
 前半は、「国土是明」というワンマン社長のワンマンぶりをおちょくったもの。これは堤義明をモデルにしている。中盤以降は、会社の中で起こりそうな出来事をネタにした四コママンガ。「ノンキャリウーマン」シリーズなどから収録されている。いしい先生は会社勤めの経験はないと思うのだが、いかにも会社にありそうなネタも多い。一方、現実には全然なさそうなナンセンスな面白さのあるネタも多い。

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