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燃えろ!夏の俺文庫2008

 最近の夏の文庫フェアを見ていて、本のセレクトなど、なんだかなあと思うところもあり、また自分が好きな出版社がフェアを行わないのが残念なこともあり、本屋で眺めていても気持ちがわくわくしない。昔は楽しみだったのだけれど。

 ということで、自分が勝手にすすめる文庫本を紹介しようと思います。すすめる対象は、好奇心のある高校生以上の方を念頭に置いています。
 出版社にはこだわらず、テーマごとに紹介します。また、一部品切れ本もありますがご了承ください。

(追記)それから、「夏の俺文庫2008」の小冊子(フリーペーパー)をつくりました(お、我ながら夏の文庫フェアっぽい)。

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 サイトに載せた内容と同じものを印字しています(表紙の画像はなし)。A4両面に印刷し、四つ折してA6サイズの冊子にしています。紹介した本を本屋や古本屋に探しに行く時にも持参しやすいサイズ。
 このサイトをご覧の方に差し上げます。先着10名様は全員、以降は応募数を見て全員または抽選で、と考えています。
 宛先はkonohamoero+bunko2008@gmail.comまで。書いて欲しいことは、「今回の夏文庫への感想」のみ。名前などは不要です(当選の方に私から折り返しメールをお送りし、改めて送付先を伺います)。締め切りもメールの状況で考えます(締め切る場合はここに書きます)。
 あ、本屋さんや古本屋さんで、万が一この冊子を配るとかPOP代わりに展示するとか、使いたい方がいらっしゃれば、pdfファイルを差し上げますので同じくkonohamoero+bunko2008@gmail.comまでご連絡ください。

本を開いて旅に出よう

 かつて詩人は、『書を捨てよ、街に出よう』という書名の本を書いた。

 ……読んでいないのでどんな内容か知りませんが。
 しかし、本のページを開けば、旅が出来る。街どころか世界各地、宇宙や過去未来も。そうした本を読み、見知らぬ世界に思いを馳せてからでも、街に出るのは遅くないのではなかろうか。

 偉そうだなー俺。

 とにもかくにも、外に出ることの面白さを感じさせてくれる5冊を。

 赤瀬川原平『超芸術トマソン』(1987年、ちくま文庫)
 なんでもないはずの物事の面白さを教えてくれる。街にある、無用だが無視できない建築物、道路や建物の模様・装飾を写真入りで紹介する。この発展として、より幅広いジャンルを取り上げた同じちくま文庫の『路上観察学入門』もおすすめしたい。

 荒俣宏『異都発掘 新東京物語』(1987年、集英社文庫・品切れ)
 東京には、目に見えない隠れた物事がある。ということを想像力と足を使って見つけていくルポ。
 ここで得た着想が、小説『帝都物語』(角川文庫)にも影響しているのだろう。『帝都物語』は長いですが、大正時代から昭和(昭和七十年くらいまで続く)までの、あったかもしれない東京の姿が描かれていて、実在の人物も見え隠れして、面白い。

 川本三郎『雑踏の社会学 東京ひとり歩き』(1987年,ちくま文庫・品切れ)
 1980年代の東京についてのエッセイ集。銀座・新宿・渋谷などの繁華街について、新宿以西の中央線の街(阿佐ヶ谷・荻窪・吉祥寺など)について、映画に登場する東京、酒と町など、色々な視点で東京が紹介される。この本を読むと、本の内容も面白いけれど、町を歩きたくなる。

 長嶋有『ジャージの二人』(2007年、集英社文庫)
 父と息子、ふたりで夏の間山荘で暮らす様子を描いた小説。とはいえ、優雅さはない。もっといえば、色々なことがない。大きな事件もないし、派手なドラマも(そんなに)ない。
 しかし、だからこそ些細なことが面白かったり悲しかったりする。

 広瀬正『マイナス・ゼロ』(1982年、集英社文庫)
 このテーマの最後は時間旅行。昭和の東京の時代を行き来する。旅は(たとえ時間旅行であれ)、行き先でどんな人に出会うかがとても重要。構成の面白さはもちろん、登場人物の魅力を感じるSF小説。
 定期的に復刊されている記憶はあるが、現在は品切れ。これを品切れのままにしておくのは、恥と言ってもいいと思う。早川・創元・河出(単行本の版元)のどこかで新装刊したらいいのに。
 なんて書いていたらまさかの復刊。素晴らしい!

「絵」から思いを馳せる

「絵」と書きましたが、絵画だけでなく、漫画や写真も含めた幅の広い意味での「絵」についての本を5冊取り上げます。

 根本圭助『異能の画家小松崎茂 その人と画業のすべて』(2000年、光人社NF文庫)
 たぶん、1970年代くらいまでに生まれた男性にとって、小松崎茂氏の絵はどこかで目にしていて、かっこよさを感じた経験があるのではないか。
 その生涯を、最後の弟子といわれる著者が綴った本。画家としての小松崎氏の仕事から日常まで、丁寧に綴られている。

 森村泰昌『美術の解剖学講義』 (2001年、ちくま学芸文庫)
 森村泰昌氏の本で、私は美術作品を見る上で、色々なことを「大丈夫なんだ」と感じることができた。美術の歴史や画家についての知識がなくても、まず芸術作品をぱっと見て感じたことがあれば、それを大事にすればいい。
 もちろん、知識を積み重ねれば、新しい見え方もしてくるし、それもまた面白いのだけれど、美術(鑑賞でも創作でも)の始まりに抵抗を無くすために、森村氏の本を読んでみるのもいいのではなかろうか。

 都築響一『TOKYO STYLE』(2003年、ちくま文庫)
 東京に住んでいる(いた)、普通の人の普通の家(部屋)を撮影した写真集。
 友達の家に遊びに行ったような、身も蓋もない(物が多かったり、決しておしゃれじゃなかったり)部屋の様子が面白い。そして、読むと自分の部屋が愛しくなる。

 高野文子『るきさん』(1996年、ちくま文庫)
 家で医療事務の仕事(近所の小さい病院の事務らしい)をしながら、地味だけれど楽しそうに暮らす女性るきさんと、友達で(当時の)今風OLえつこさんの日々を描く。
 連載していたバブル時代(1990年前後)はやや浮世離れしていたであろうるきさんの生活は、むしろ今の方がリアリティがあって、憧れる。まわりの影響を受けずに、自分のペースで生きる(でも他人に迷惑はかけない)るきさんには、力強ささえ感じる。

4480030573_4480030581 とり・みき『愛のさかあがり(上・下)』(1995年、ちくま文庫・品切れ)
 エッセイマンガの面白みを知ったのは、実はこの本だったのではないかと、今になると思う。マンガ家とり・みき氏が、「愛を探して」という名目のもと、あちこちへ取材したり(なぜか)お辞儀する看板を探したり(なぜか)読者の痛い(物理的に痛い)話を紹介したりする。
 1985〜1986年に、今は亡き『平凡パンチ』に連載されていたもの。当時の記録としても面白い。

学問の情熱

 義務的に勉強するのは、重要ではあるが退屈なことも事実。
 しかし、そうした義務的な勉強を踏まえて、自分で色々なことを調べたり考えたりし始めると、面白くなる。そしてそれが、勉強から学問への変化ではないかと思う。

 好きなことを突き詰める。そんな学問の魅力を感じさせる5冊を。

 遠藤寛子『算法少女』(2006年、ちくま学芸文庫)
 江戸時代に実在したという、算術の能力に長けた少女千葉あきを主人公にした小説。数学を知らなくても大丈夫だし、文章も難しくないので中学生くらいから読めると思います。
 自分の置かれた状況によらず、狭い世界だけを見ず、学ぼうという思いを持つことが、純粋に素敵だと思えるし、自分も頑張ろうと思える本。

 夏目漱石『私の個人主義』(1978年、講談社学術文庫)
 話の内容の面白さはもちろん、夏目漱石の話がいかにうまかったかを実感できる。話の構造のつくり方のうまさ、途中途中でポイントを振り返るタイミング、随所に登場するユーモアなどなど。
 発表・演説やプレゼンテーションをする人は、下手なマニュアル本なんか読むより、この本を読んだ方がいい。
 内容についてはひとつだけ。収録されている「道楽と職業」を読むと、「本当の自分」を追い求めて「自分探しの旅」なんかしちゃうことが、いかに馬鹿みたいなことだか分かるだろう。

岡本太郎『今日の芸術 時代を創造するものは誰か』(2002年、光文社知恵の森文庫)
 岡本太郎は目を見開いて「芸術は爆発だ!」と言っていただけの人ではない(もはや、それすら知らない人もいるのかも)。
 当時(1954年)の日本の美術界をいかに変えようとしたのか、日本の芸術を進めようとしたのか、論理的、かつ情熱に満ちた話をしている。芸術・学問、なんでもいいのだが、新しく始める勇気が出ない人も、「そんなことを言っている場合じゃないッ!」と心が奮い立つ

 長山靖生『おたくの本懐 「集める」ことの叡智と冒険』(2002年、ちくま文庫・品切れ)
 この題名よりは、単行本の時の『コレクターシップ』という題名の方がいいとは思いますが。
 コレクション、ものを集める行為は、単なる消費行為ではなく、そこから学問や考え方の体系が生まれる可能性がある。
 澁澤龍彦、柳田國男、南方熊楠と、荒俣宏、横田順彌、赤瀬川原平を紹介する後半は、いかにもちくま文庫らしい。

 池谷裕二・糸井重里『海馬 脳は疲れない』(2005年、新潮文庫)
 薬学博士で、脳の働きを研究する池谷氏と、糸井氏の対話。人間の脳の働きの解説や、脳をどうやってフルに使うかなど、自分がものを考える時に使えそうな話が多い。

歴史に学ぶ

 私は世界史も日本史もろくに勉強せず、自分が興味を持ったところだけを調べているというとんでもない人間です。だから、他の人にとって当たり前の人物・出来事・場所を知らず、呆れられたりする。その代わり、誰も知らないような人物・出来事・場所を知っていて、呆れられたりする。

 どっちにしても呆れられていますが、それでも、積み重ねられてきた歴史、その時々の出来事の中には、興味を抱いている。
 比較的最近の、一風変わった「歴史」にまつわる本を。

 こうの 史代『夕凪の街 桜の国』(2008年、双葉文庫)
 昭和20年、広島に落とされた原子爆弾。このマンガでは、直接原爆を描くことなく、その与えた影響の大きさ、それでも懸命に生きる普通の人の強さと尊さを伝えてくれる。
 絵も柔らかいし、声高になにかを主張しているわけではないので、すっと読める。そして、色々なことを考える。

 荒俣宏『大東亜科学綺譚』(1996年、ちくま文庫・品切れ)
 昭和の日本には、様々な「科学」を研究した人がいた。ノーベル賞を取ったわけでもなければ、末永く名前が残る方も少ないと思うが、こうした人々がいたから科学は進歩し、科学の進歩がこうした人々を生んだのだろう。日本の自然科学の意外な奥深さを感じる。
 登場するのは、日本のロボット研究の先駆けと言われる西村真琴、作家星新一氏の父で製薬会社を設立した星一、さらには昭和天皇がされていた研究についても紹介されている。

 森達也『放送禁止歌』(2003年、光文社知恵の森文庫)
 かつてテレビでは歌われなかった歌がある。そして今でも、歌われない歌がある。この、通称「放送禁止歌」について、テレビのドキュメンタリー番組の取材を通して調べて行ったノンフィクション。
 私は著者の他の著作や、著者の言動に必ずしも賛成しない。しかし、この本で色々なことを知り、考えた。
 ひとつだけ紹介しておくなら、日本で「放送禁止」と指定されている歌は、ない。罰則のないガイドラインがあるだけ。ではなぜ、「放送禁止歌」が存在するのか? 興味を持ったら読んでみてください。

 佐野正幸『1988年10・19の真実[近鉄・ロッテ]川崎球場が燃えた日』(2004年、光文社知恵の森文庫・品切れ)
 これが歴史の本かと聞かれれば、これも歴史の本だと答えたい。
 今のプロ野球は見ていないのでよく知りませんが、少なくともかつては、後々まで語り継がれる試合、場面があった(すごく有名な「江夏の21球」とかね)。
 この本で書かれてるのは、2連勝すれば近鉄が逆転優勝という、1988年10月19日、パ・リーグ最終戦の近鉄対ロッテのダブルヘッダー。川崎球場という、マイナーな球場で繰り広げられた素晴らしくドラマチックな2試合。これを、近鉄ファンの目線で書いている。

4480229354 赤瀬川原平『東京ミキサー計画 ハイレッド・センター直接行動の記録』(1994年、ちくま文庫・品切れ)
 これが歴史の本かと聞かれれば、これも歴史の本だと答えたい(2回目)。
 1960年代、あらかじめ街にあるもの(トマソンや路上観察)の面白さを知る以前に、赤瀬川原平さんたちは街で面白いことを起こしていた。高松次郎・中西夏之の 両氏と一緒に、「ハイ・レッド・センター」を名乗って。
 御茶ノ水のビルの屋上からものを投げて写真を撮ったり、銀座の歩道の一部を徹底的に清掃するなど、変なことを真剣に行っていた。ふざけていないすごさを感じる。

文学で白昼夢

小説の中で、読んでいると現実と地続きになってくるようなものを選んでみました。

 内田 百間『東京日記』(1992年、岩波文庫)
 内田百間は、どうにも笑ってしまう随筆とは異なり、小説は幻想的で、今で言うホラーのような(それも直接的ではなく、想像すると怖くなる)内容が多い。
 この短編集の中でも、特に「東京日記」は、当時の東京を舞台に起こる不思議を描いた二十三編の短いエピソード。行ったことのある場所で起こる奇妙な出来事を読むと、不思議な気持ちになる。銀座の街に大きな鰻が登場したりさ。

  村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上・下)』(1988年、新潮文庫
 現代の東京が舞台(らしき)「ハードボイルド・ワンダーランド」と、壁に囲まれた架空の土地が舞台(らしい)「世界の終わり」という二つの物語が交互に登場する。「ハードボイルド・ワンダーランド」の部分が特に好きで、想像力を沸きたてる道具や設定が、知っているはずの街のすぐそばに、あるはずのない世界を見せてくれる。

 川端康成『眠れる美女』(1967年、新潮文庫)
 新潮文庫の100冊では選ばれないだろうなあ。なぜならば、いやらしい小説だからからです。選ばれた老人の男性だけが訪れることのできる建物。そこでは、薬で眠っている女性に添い寝ができる。ソフトに書くとそういう内容ですが、読んでみると、いやらしいです。

 フィリップ K.ディック(佐藤龍雄:訳)『最後から二番目の真実』(2007年、創元SF文庫)
 戦争により、ほとんどの人が地下で暮らすことを余儀なくされた世界。しかし主人公は、あるきっかけで地上に出て、実は戦争は終わっていることを知る! もうその設定で十分と思えるくらい奇妙で魅力的な小説。
 ラストはまとまりきらないので、消化不良という印象を持つ人もいるかもしれません。しかし、私はこの設定に惹かれた。

  恩田陸『ロミオとロミオは永遠に(上・下)』(2006年、ハヤカワ文庫JA)
 恩田陸氏は、学校という限られた時空間のを舞台にした小説には定評があり、この小説も学校という場の持つ面白さを感じさせてくれる。
 あわせてこの小説では、20世紀の東京・戦後日本のサブカルチャーが色々な形で登場する。分かる人には分かるように書かれた様々な小道具・人物・出来事を読むだけで楽しい。文庫版には用語解説もついているので、詳しくない人も楽しめるのではないでしょうか。
 舞台は近未来の地球。日本人だけが地球に残り、汚染された環境の後片付けをしている。そんな日本人の中で、「大東京学園」を卒業した者だけが将来を保証されていた。その「大東京学園」に入学した少年たちが見たものは、学園内のあちこちに見られる20世紀末の東京の残骸と、かつてのサブカルチャーだった。ある者はこの学園の総代として卒業しようとし、そしてある者はこの学園からの脱走を試みる、そんな小説です。

大人に出会う

 たとえ本の中であろうとも、憧れる大人の姿を見るというのは大事だと思う。自分の周りにロクな大人がいないと文句ばっかり言っていると、いつしか自分がひどい大人になっちまうぜ(なんなんだ俺)。

 ということで、目指すべき大人を見せてくれる5冊を。

 山口瞳『礼儀作法入門』(2000年、新潮文庫)
 山口瞳氏の、文学を志し、出版社に勤め、その後もサントリーで広告の仕事をしながら小説を書いた、という姿は、働きながら自分の夢を忘れなかった人だったのだと思う。しかし、ただ夢を追っただけではなく、日々の仕事は真面目に勤めていた。こういう生き方をした人がいるというのは、勇気付けられる。だから、山口氏の言葉は素直に聞ける。
 ここでは若い会社員(主に男性)向けのエッセイを選んだが、小説『江分利満氏の優雅な生活』なども面白い。

 関川夏央『戦中派天才老人山田風太郎』(1998年、ちくま文庫)
 山田風太郎氏のすごさを知るには、ご本人の書いた小説やエッセイを読むのもいいのですが、氏の話を作家関川夏央氏がまとめたこの本が分かりやすいのではないかと思う。山田氏の交友関係から、戦後日本の推理小説・幻想文学を知る資料としても読める。

 武田百合子『日日雑記』(1997年、中公文庫)
 もちろん、有名な『富士日記』も『犬が星見た』も私は読んだし、好きです。
 でも、初めて武田百合子さんを知ったのはこの本だし、上の二冊よりもとっかかりとしてはいいのではないかと思ったので(比較的薄い本だし)。読みながら「かっこいい」と思った。かっこいい女の人。

 田村隆一『ぼくの人生案内』(2006年、光文社知恵の森文庫)
 詩人田村隆一氏が、若い人からの悩みに答える。そして、各章の間に詩が挟まれる。
 著者の考え方に好き嫌いはあると思うが(私はとても好きなのだが)、経験を積んだ人は考えに筋が通っている、ぶれないということは感じるだろう。それが大人であることなのかなと思う。

 植草甚一『古本とジャズ』(1997年・角川春樹事務所 ランティエ叢書)
 植草甚一さんの文庫本って、ないよなあと思っていたのですが、「文庫サイズ」ってことで、ハードカバーだけれどこの本を。他の本に掲載された文章の再録ですが、むしろ古本・ジャズ・街歩き・買い物と、植草さんの文章の魅力がまとまっているのではないかと思う。

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